ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

仏典と福音書

2013-11-04 16:08:45 | 日記・エッセイ・コラム

釈迦は書き物を残していない。

もっぱら行の人であった。

仏典は釈迦の弟子達が師の言葉を書き残したものである。

福音書もそこのところは似ている。

イエスが書いたものではない。

イエスの弟子達が師の言行を書き残したものである。

・・・・・

偉大なる知は行とともにある。

それが叡智である。

行から離れた知は空虚であり所詮作り事でしかない。

行を忘れ頭の中だけで知を扱う者は偽りの者である。

いつの世も同じである。

現下、偽りの者が跋扈している

保守とリベラルがある。

保守はその名の通り行とともにある。

リベラルは行を忘れがちである。

そこを押さえていなければならない。

公然と「私はリベラルである」という人達がいる。

そう言う人は得てして行を忘れがちである。

私から見れば、

自分のことをバカだと言っているとしか思えない。

まあ、ほっておこう。