ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

原発ゼロ発言の無責任

2013-11-21 19:25:05 | 日記・エッセイ・コラム

原子力は悪魔の技術である。

人間には扱い難いものである。

でも、造ってしまった。

造った以上、付き合わなければならない。

放射能に汚染された物質は千年万年あり続ける。

ならば、千年万年付き合わなければならない。

覚悟しよう。

目の前に悪魔がいるなら、

排除できないなら、

覚悟して付き合おう。

どのように付き合うかは考えどころである。

・・・・・

ゼロにすると言うことはできる。

でもゼロにしようと思ってもゼロにできない。

造ったものはある。

形をかえて依然としてある。

どのように付き合うかである。

もとよりゼロを志向するのは良いと思う。

だとしても、

安全を求めるなら技術を維持向上させなければならない。

なにしろ始末に千年万年かかるのである。

技術を持たなければならない。

よりよい技術を。

ならば、そのためにも開発せよ。

開発して研究せよ。

必要最低限でよい。

経済性や商業性を求めるのではなく、

ただひたすら技術向上のためにである。

そういう風に付き合おう。

・・・・・

しかもである。

世界では今なお造ろうとしている。

日本だけがゼロにしても意味がない。

隣国で事故が起これば被害を免れない。

技術大国日本はただ漫然と事故を受け入れるだけか。

技術があれば被害を軽減できるかもしれない。

巷間言われている原発ゼロ発言は無責任である。

思うに、

ゼロ発言も再開発言も目的は一緒である。

もっとまともに議論せよ。

である。