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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

易姓革命の悲劇

2013-11-11 10:53:46 | 日記・エッセイ・コラム

易姓革命は悲劇である。

過去を否定することは自分を否定することである。

過去の自分を否定することである。

矛盾である。

自分を立てるため、自分を否定する。

これは悲劇である。

この悪循環を断ち切らねばならない。

断ち切らない限り未来はない。

ひるがえって継続は力である。

良きも悪しきも過去を認めるのである。

自分を認めるのである。

その上で前へ進む。

現在は過去の結果であり、現在の状況が未来を決める。

これは法則である。

逃れようのない法則である。

けじめ、区切りは必要であるが、否定は不毛である。

継続こそ力である。

・・・・・

ならばである。

易姓革命の国は壊れるよりほかない。

常に自分を否定することになるから。

千年、万年の歴史を語っても、

実のところ歴史のない国である。

歴史を誇るなら否定の思想を捨てよ。

過去の否定を頼りにせず、今を立てよ。

今の自分は今の自分自ら立てよ。

それが歴史である。

・・・・・

中国も韓国も過去を否定して国を立てている。

易姓革命の国だから。

でも本来なら自分の過去を否定するところである。

中国なら清王朝、朝鮮なら李氏王朝である。

が、ともに他人である日本を否定する。

筋違いである。

朝鮮については筋違いとも言えないが。

しかしである。

否定の思想は不毛である。

良し悪しに係わらずすべてを否定する。

真に不毛である。

情けない隣人を持ったものである。

どうしようもない。

ほっておこう。