ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本語の世界

2014-01-20 10:40:30 | 日記・エッセイ・コラム

日本語はひとつの宇宙である。

日本語はすべてを飲み込む。

あらゆるものを表現する。

もともとの日本語は物事をあまり分けない。

ひとつの言葉で多くのものを表現しようとする。

それほど多くない大和言葉と「てにをは」が核かもしれない。

それらは「ひらがな」で表現される。

だから取り込む。

外来語を取り込む。

漢語やカタカナの外来語など。

取り込んで、さらに造語する。

もちろん、それらも日本語である。

・・・・・

とりわけ直近では、幕末から明治にかけてが画期であった。

欧米の知識や思想を表現することが、

当時の日本語ではできなかった。

だから、欧米の言葉を学んだ。

でも、学んだ者だけのものならそこが限界である。

広く普及させることはできない。

そこで日本語で表現できるようにしようとした。

そして新たに言葉を創った。

幕末までの知識のおおもとは漢文であった。

だから、対応する言葉として新たなる漢字述語を創った。

夥しい数である。

昨今は欧米語を音のまま取り込む。

カタカナ語である。

現下のカナカナ語の氾濫は酷い。

ちょっとやりすぎだと思う。

でも、それもまた日本語である。

・・・・・

今、世界では消えていく言語が沢山あると言う。

主な理由は二つある。

ひとつは使用する人数が少ないこと。

もうひとつは表現する世界を広げられないこと。

だから、外国語をそのまま使用する。

そして、もとの言葉が消えてゆく。

それにしても、

日本語の世界は広い。

無限に広がってゆく。

日本語を使えることは、それだけで力である。

日本に生まれれば、それは自ずと手に入る。

とはいえ、やはりしっかり学ばねばならない。

十分に使いこなすには。

もとより、外国語を学ぶのは素晴らしいことである。

必要でもある。

しかし、日本人はまず日本語である。

なにより日本語である。

その上で、である。


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