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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

科学とは

2014-01-14 12:39:22 | 日記・エッセイ・コラム

表題を科学としたが、

ほんとうは「呪術(の続き)」である。

私は科学は呪術(のひとつ)であると思っている。

・・・・・

科学とは「在る」ものを分けることである。

部分に分けて違いを知る。

そして記号を付ける。

漠然としていたものが明瞭になる。

でも「在る」ものは本来ひとつのものである

部分が明瞭になっても全体は分からない。

部分は全体を語らない。

・・・・・

知るといっても、それは人間の目(心)を通してである。

先年のテレビ番組であったことだが、

動物はその目の構造によって、それぞれ見え方が違う。

同じようには見えない。

人間は人間に見えるようにしか見えない。

当り前である。

人間に見える事実は、ただ人間にとっての事実というだけである。

すべてのものにとっての事実(真実)ではない。

真実があるとすれば、

それが見えるのはただ神の目だけである。

・・・・・

ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て、

引力を発見したと言われている。

発見したからといって何も変わらないし変わっていない。

在るものは在るのであって、無しにはできない。

ニュートン以前にもそれはあり、ニュートン以降もそれはある。

ニュートンはただ「在るものを在る」と言ったのである。

そのこと自体は素晴らしいし意味も意義もある。

でもそれだけである。

科学とは「在るものを在る」と言っているだけである。

そのことを知らねばならない。

・・・・・

記号とは人間の方便である。

「在る」ものはただ「在る」のみ。

その断片に記号を付けたからといって、

記号は記号である。

記号は「在る」ものではない。

でも人間は、

記号で表出したものだけを「在る」ものとしている。

そう信じている。

それは信仰であり、

まさに呪術である。


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