日本には年号(元号)がある。
これが又素晴らしい。
時に色が付けられて、気の転換が計られる。
つまり時の「けじめ」が付くのです。
その始まりは確か大化であったかと。
以降天皇即位時に改元されるのだが、
在位中に改元されることもあったと。
それは新しい時の始まりとなるので、
その命名にはなにやら決め事があり、
私なりに一言で言えば、
時代を先取りしてそれを象徴的に示すものだと、
そう思っている。
どこか正月元旦のお祝いにも似てる。
これは大宇宙の周期に合わせたもの。
そこでケジメを付けて前を向く。
それも国を挙げて行なうのです。
真に実に素晴らしいもので、
これは時に色は付けません、
心魂身体に新風を送るだけ。
・・・・・
ところで、
この間ひとつ大きな転換がある、
それは明治の維新から。
年号はこれまでと同じく事前に決められる。
そこは一緒だが、
転換とは天皇陛下の諡号(漢風)のことで、
これは年号とは別物であり、
薨去後にその事績を勘案して贈られるもの。
それが年号をそのまま当てることになった。
つまり初めから諡号が決まっているのです。
ここに大きな転換があったかと。
その理由は知らない。
だから、ゆえに、
その即位はまんまに時代を背負うと、
そういうことになったのだ。
それを思えばその選び方は尋常ではないと。
良き文字だとか語呂が良いとかなどは関係ない。
そこにはもっと深い思い入れが、
と勝手ながらに思っている。
ちなみに、
今の天皇陛下は普通は今上陛下と申し上げる。
令和天皇と言うはもってのほか。
同じく平成天皇などももってのほか、
上皇陛下と申し上げるべし。
天にかえられて初めて天の皇になられるのだ。
そう理解している。
・・・・・
想うに時に色があるとは思えない。
敢えて言えば無色の時色?とでも。
ちなみに光も同じことか。
光には本来は色はないと。
只波長の違いがあるだけ。
その違いを捉える装置があるのです。
それが目(脳も含めて)である。
それが色として捉えるのだ。
それは物を捉える為で、
ときに色形を識る。
それは生まれつき備わっているもの。
でも時を捉える装置は持っていない。
身体には持っていない。
時を捉えるには言葉が必要だと。
言葉が時に色を与える。
ときに歴史がはじまる。
歴史とはそういうもの。
なかでも、
年号を持つというのは、
時の色がいつも心にあるということ。
時の色と自分が一心同体で結びつくのです。
そこが素晴らしい。
今昭和が昭和レトロとか言って、
結構持て囃されている。
観光に来ている外国人でさえ、
そんなふうに言ってることが。
これはアニメの影響だろうと。
アニメと言えば「鬼滅の刃」がある。
これは時代は大正である。
その前には「るろうに剣心」てのがあった。
これは明治時代であった。
明治大正はどうも時代劇の範疇に入ったようだ。
昔は丁髷の江戸時代以前のことだったが。
これも時代に色があるからだ。
それにしても、
むべなるかな、
今となっては大正時代以前生まれの人は、
もうほとんどいないのだから。
うん!
・・・・・
ちなみに、
今回これを記したのは、
どこかで聞いた話だが、
それを唐突に思い出したからです。
それは明治の維新は一大計画であったと、
それも200年越しの大計画であったと、
という話です。
維新が主題ではなかったが、
話の中に出て来ていたもの。
その計画が成れば世界は概ね平和に、
しかも時に日本はその中心に在ると。
信憑性は如何ばかりか、
でも世界最古の王朝国家であり、
明治維新の不可思議さを思えば、
それに先に記した、
年号が天皇の諡号になること、
それにこれまでの年号に鑑み、
さらに昭和天皇の終戦の詔等、
想えばあながち…。
それにしても200年先とは、
概ねこれから40年後のこと。
なら令和の時代が主たる時代。
私は間違いなくときにそこにいない。
今の若い人が立ち会うことに。
まあ、よろしく、です。
でもである、
人は皆そこから来てそこに居てそこに帰る。
ということで、
気恥ずかしいことだが、
ときに安倍さんの横で、
見ていようと思います。
これが又素晴らしい。
時に色が付けられて、気の転換が計られる。
つまり時の「けじめ」が付くのです。
その始まりは確か大化であったかと。
以降天皇即位時に改元されるのだが、
在位中に改元されることもあったと。
それは新しい時の始まりとなるので、
その命名にはなにやら決め事があり、
私なりに一言で言えば、
時代を先取りしてそれを象徴的に示すものだと、
そう思っている。
どこか正月元旦のお祝いにも似てる。
これは大宇宙の周期に合わせたもの。
そこでケジメを付けて前を向く。
それも国を挙げて行なうのです。
真に実に素晴らしいもので、
これは時に色は付けません、
心魂身体に新風を送るだけ。
・・・・・
ところで、
この間ひとつ大きな転換がある、
それは明治の維新から。
年号はこれまでと同じく事前に決められる。
そこは一緒だが、
転換とは天皇陛下の諡号(漢風)のことで、
これは年号とは別物であり、
薨去後にその事績を勘案して贈られるもの。
それが年号をそのまま当てることになった。
つまり初めから諡号が決まっているのです。
ここに大きな転換があったかと。
その理由は知らない。
だから、ゆえに、
その即位はまんまに時代を背負うと、
そういうことになったのだ。
それを思えばその選び方は尋常ではないと。
良き文字だとか語呂が良いとかなどは関係ない。
そこにはもっと深い思い入れが、
と勝手ながらに思っている。
ちなみに、
今の天皇陛下は普通は今上陛下と申し上げる。
令和天皇と言うはもってのほか。
同じく平成天皇などももってのほか、
上皇陛下と申し上げるべし。
天にかえられて初めて天の皇になられるのだ。
そう理解している。
・・・・・
想うに時に色があるとは思えない。
敢えて言えば無色の時色?とでも。
ちなみに光も同じことか。
光には本来は色はないと。
只波長の違いがあるだけ。
その違いを捉える装置があるのです。
それが目(脳も含めて)である。
それが色として捉えるのだ。
それは物を捉える為で、
ときに色形を識る。
それは生まれつき備わっているもの。
でも時を捉える装置は持っていない。
身体には持っていない。
時を捉えるには言葉が必要だと。
言葉が時に色を与える。
ときに歴史がはじまる。
歴史とはそういうもの。
なかでも、
年号を持つというのは、
時の色がいつも心にあるということ。
時の色と自分が一心同体で結びつくのです。
そこが素晴らしい。
今昭和が昭和レトロとか言って、
結構持て囃されている。
観光に来ている外国人でさえ、
そんなふうに言ってることが。
これはアニメの影響だろうと。
アニメと言えば「鬼滅の刃」がある。
これは時代は大正である。
その前には「るろうに剣心」てのがあった。
これは明治時代であった。
明治大正はどうも時代劇の範疇に入ったようだ。
昔は丁髷の江戸時代以前のことだったが。
これも時代に色があるからだ。
それにしても、
むべなるかな、
今となっては大正時代以前生まれの人は、
もうほとんどいないのだから。
うん!
・・・・・
ちなみに、
今回これを記したのは、
どこかで聞いた話だが、
それを唐突に思い出したからです。
それは明治の維新は一大計画であったと、
それも200年越しの大計画であったと、
という話です。
維新が主題ではなかったが、
話の中に出て来ていたもの。
その計画が成れば世界は概ね平和に、
しかも時に日本はその中心に在ると。
信憑性は如何ばかりか、
でも世界最古の王朝国家であり、
明治維新の不可思議さを思えば、
それに先に記した、
年号が天皇の諡号になること、
それにこれまでの年号に鑑み、
さらに昭和天皇の終戦の詔等、
想えばあながち…。
それにしても200年先とは、
概ねこれから40年後のこと。
なら令和の時代が主たる時代。
私は間違いなくときにそこにいない。
今の若い人が立ち会うことに。
まあ、よろしく、です。
でもである、
人は皆そこから来てそこに居てそこに帰る。
ということで、
気恥ずかしいことだが、
ときに安倍さんの横で、
見ていようと思います。
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