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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

時の色

2023-05-01 09:49:13 | 日記・エッセイ・コラム
日本には年号(元号)がある。
これが又素晴らしい。
時に色が付けられて、気の転換が計られる。
つまり時の「けじめ」が付くのです。
その始まりは確か大化であったかと。
以降天皇即位時に改元されるのだが、
在位中に改元されることもあったと。
それは新しい時の始まりとなるので、
その命名にはなにやら決め事があり、
私なりに一言で言えば、
時代を先取りしてそれを象徴的に示すものだと、
そう思っている。
どこか正月元旦のお祝いにも似てる。
これは大宇宙の周期に合わせたもの。
そこでケジメを付けて前を向く。
それも国を挙げて行なうのです。
真に実に素晴らしいもので、
これは時に色は付けません、
心魂身体に新風を送るだけ。
・・・・・
ところで、
この間ひとつ大きな転換がある、
それは明治の維新から。
年号はこれまでと同じく事前に決められる。
そこは一緒だが、
転換とは天皇陛下の諡号(漢風)のことで、
これは年号とは別物であり、
薨去後にその事績を勘案して贈られるもの。
それが年号をそのまま当てることになった。
つまり初めから諡号が決まっているのです。
ここに大きな転換があったかと。
その理由は知らない。
だから、ゆえに、
その即位はまんまに時代を背負うと、
そういうことになったのだ。
それを思えばその選び方は尋常ではないと。
良き文字だとか語呂が良いとかなどは関係ない。
そこにはもっと深い思い入れが、
と勝手ながらに思っている。
ちなみに、
今の天皇陛下は普通は今上陛下と申し上げる。
令和天皇と言うはもってのほか。
同じく平成天皇などももってのほか、
上皇陛下と申し上げるべし。
天にかえられて初めて天の皇になられるのだ。
そう理解している。
・・・・・
想うに時に色があるとは思えない。
敢えて言えば無色の時色?とでも。
ちなみに光も同じことか。
光には本来は色はないと。
只波長の違いがあるだけ。
その違いを捉える装置があるのです。
それが目(脳も含めて)である。
それが色として捉えるのだ。
それは物を捉える為で、
ときに色形を識る。
それは生まれつき備わっているもの。
でも時を捉える装置は持っていない。
身体には持っていない。
時を捉えるには言葉が必要だと。
言葉が時に色を与える。
ときに歴史がはじまる。
歴史とはそういうもの。
なかでも、
年号を持つというのは、
時の色がいつも心にあるということ。
時の色と自分が一心同体で結びつくのです。
そこが素晴らしい。
今昭和が昭和レトロとか言って、
結構持て囃されている。
観光に来ている外国人でさえ、
そんなふうに言ってることが。
これはアニメの影響だろうと。
アニメと言えば「鬼滅の刃」がある。
これは時代は大正である。
その前には「るろうに剣心」てのがあった。
これは明治時代であった。
明治大正はどうも時代劇の範疇に入ったようだ。
昔は丁髷の江戸時代以前のことだったが。
これも時代に色があるからだ。
それにしても、
むべなるかな、
今となっては大正時代以前生まれの人は、
もうほとんどいないのだから。
うん!
・・・・・
ちなみに、
今回これを記したのは、
どこかで聞いた話だが、
それを唐突に思い出したからです。
それは明治の維新は一大計画であったと、
それも200年越しの大計画であったと、
という話です。
維新が主題ではなかったが、
話の中に出て来ていたもの。
その計画が成れば世界は概ね平和に、
しかも時に日本はその中心に在ると。
信憑性は如何ばかりか、
でも世界最古の王朝国家であり、
明治維新の不可思議さを思えば、
それに先に記した、
年号が天皇の諡号になること、
それにこれまでの年号に鑑み、
さらに昭和天皇の終戦の詔等、
想えばあながち…。
それにしても200年先とは、
概ねこれから40年後のこと。
なら令和の時代が主たる時代。
私は間違いなくときにそこにいない。
今の若い人が立ち会うことに。
まあ、よろしく、です。
でもである、
人は皆そこから来てそこに居てそこに帰る。
ということで、
気恥ずかしいことだが、
ときに安倍さんの横で、
見ていようと思います。

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