歴史とは魂の軌跡である。
もとより、事実は事実としてありのまま記すことは当然である。
しかし、単に事実の記録なら歴史に意味はない。
事に臨んでどう思い、どう行動し、どういう結果になったか。
事実の顛末には、そこにいたる思いが乗っている。
それが人の歴史である。
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同じ事実であっても、人によって思いは違う。
一時、自分史というのが流行った。
自分に特化した事の記録であり、思いの系譜である。
自分の思いが、その事に関わった他の人の思いと一緒でなければならない、
ということは当然にない。
でも、奇怪なことに思いは同じでなければならない、という人がいる。
それは人それぞれの思いを否定することになる。
そういう人に限って事実をも捻じ曲げる。
情けない限りである。
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日本の歴史学者には「まがいもの」が多い。
他国が日本をどう思おうと、それは自由である。
立場によって思いは異なるものだから。
事実にたいして、歪曲・捏造がなければであるが。
だが、日本人でありながら自らの父祖に唾するものがおる。
他国におもねって、自国を貶める者がおる。
自国を貶めるために、他国を利用する者がおる。
歴史を取り戻さなければならない。
歴史を取り戻さない限り、
日本の復活はない。
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