不思議なことに日本は、
聖書を持たないのに聖書的世界を、
生きている。
そう思わざるを得ない。
戦国時代や明治時代には外の世界が押し寄せ、
それと同時にキリスト教がやってきた。
紆余曲折はあったが、結局それほど伸びなかった。
それは敗戦後もである。
なぜ伸びないのだろう。
それはたぶん、
その精神が既にあったからだろう。
そうとしか思えない。
・・・・・
ところで聖書には障りがあると、
前に記した。
聖書(旧約)の初めは神話である。
天地創造から始まり楽園の追放へと…。
神話とはつまりは物語であり、
言葉を持った人間にとっての、
時を圧縮した魂の物語である。
それは原初の歴史とも言える。
その点で言えば、
聖書(旧約)と古事記・日本書紀は同じ構図にある。
聖書は預言者の言葉を中心に記されているが、
いわばイスラエルの歴史でもある。
それに詩編と言われるものもあり、
それはどこか万葉集にも似ている。
ところで障りだが、
それは男と女の関係性に先後(上下)を示していること、
それと罪を強調するところにある、
と思考する。
それが罪の結果の罰として、
男には労働を女には出産という苦痛を与えた、
ということに繋がる。
聖書を残した人たちの思いの表現だろうが、
今にして思えば誤解を与えている。
聖書もコーランと同様で、
神の言葉が記されていると言われるが、
それは否定しないが、
コーランと同じく、
神の言葉そのもので記されてはいない、
あくまで人の言葉で記されているのだ、
もとが神の言葉であっても。
・・・・・
それに引き換え対照的なのが、
日本の神話である。
日本の神話は人が記している。
古よりの伝承をあらためて文字に起こしたものである。
ときの天皇の命により。
それは神代から始まるが、
神と人とは分断されていない、
神代と人世は繋がっているのです。
そもすべてが神の創造なら、
神の子が神であるように、
すべての存在は神的なのだ。
勿論人間だけではない。
すべての存在が神的なのだ。
そういう思想である。
ちなみに、
だから日本は神国と言うのである。
これは事実である。
心魂の事実である。
それに前にも記したが、
男女に先後上下の別はない。
それどころかすべての存在に上下はない。
すべては神の手の中で平等なのだ。
犬や猫もそれに虫たちも。
それが根底にある。
・・・・・
障りとは以上のゆえ。
だがこれは聖書を残した人の思いとは限らない。
勿論残されたのは事実だ。
しかしてその思いは別にして、
それをどう受け取るかは後の者次第である。
ということで、
現下の受け取りようには、
障りがあると思っている。
これが欧米や中東における男女差別の因でもあり、
ここに男女同権運動の起りがある。
これは日本にはそも不要なものだ。
にも関わらず踊らされてる馬鹿がいる。
男は口を出しにくいから、
多くは女性であるが、
これは女が女を馬鹿にする運動に如かず。
個人名を出すのはどうかと思うが、
蓮舫とか辻本とか野田とか…。
まあ気にしないで下さい。
てか心配など無用だろう。
聖書を持たないのに聖書的世界を、
生きている。
そう思わざるを得ない。
戦国時代や明治時代には外の世界が押し寄せ、
それと同時にキリスト教がやってきた。
紆余曲折はあったが、結局それほど伸びなかった。
それは敗戦後もである。
なぜ伸びないのだろう。
それはたぶん、
その精神が既にあったからだろう。
そうとしか思えない。
・・・・・
ところで聖書には障りがあると、
前に記した。
聖書(旧約)の初めは神話である。
天地創造から始まり楽園の追放へと…。
神話とはつまりは物語であり、
言葉を持った人間にとっての、
時を圧縮した魂の物語である。
それは原初の歴史とも言える。
その点で言えば、
聖書(旧約)と古事記・日本書紀は同じ構図にある。
聖書は預言者の言葉を中心に記されているが、
いわばイスラエルの歴史でもある。
それに詩編と言われるものもあり、
それはどこか万葉集にも似ている。
ところで障りだが、
それは男と女の関係性に先後(上下)を示していること、
それと罪を強調するところにある、
と思考する。
それが罪の結果の罰として、
男には労働を女には出産という苦痛を与えた、
ということに繋がる。
聖書を残した人たちの思いの表現だろうが、
今にして思えば誤解を与えている。
聖書もコーランと同様で、
神の言葉が記されていると言われるが、
それは否定しないが、
コーランと同じく、
神の言葉そのもので記されてはいない、
あくまで人の言葉で記されているのだ、
もとが神の言葉であっても。
・・・・・
それに引き換え対照的なのが、
日本の神話である。
日本の神話は人が記している。
古よりの伝承をあらためて文字に起こしたものである。
ときの天皇の命により。
それは神代から始まるが、
神と人とは分断されていない、
神代と人世は繋がっているのです。
そもすべてが神の創造なら、
神の子が神であるように、
すべての存在は神的なのだ。
勿論人間だけではない。
すべての存在が神的なのだ。
そういう思想である。
ちなみに、
だから日本は神国と言うのである。
これは事実である。
心魂の事実である。
それに前にも記したが、
男女に先後上下の別はない。
それどころかすべての存在に上下はない。
すべては神の手の中で平等なのだ。
犬や猫もそれに虫たちも。
それが根底にある。
・・・・・
障りとは以上のゆえ。
だがこれは聖書を残した人の思いとは限らない。
勿論残されたのは事実だ。
しかしてその思いは別にして、
それをどう受け取るかは後の者次第である。
ということで、
現下の受け取りようには、
障りがあると思っている。
これが欧米や中東における男女差別の因でもあり、
ここに男女同権運動の起りがある。
これは日本にはそも不要なものだ。
にも関わらず踊らされてる馬鹿がいる。
男は口を出しにくいから、
多くは女性であるが、
これは女が女を馬鹿にする運動に如かず。
個人名を出すのはどうかと思うが、
蓮舫とか辻本とか野田とか…。
まあ気にしないで下さい。
てか心配など無用だろう。
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