ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

障り2

2021-03-15 09:57:29 | 日記・エッセイ・コラム
聖書の障りはもう一つある。
それは罰という考え方です。
男には労働、女には出産という罰が与えられたと謂う。
これが日本人の発想とは根本的に異なる。
日本ではどちらも神聖なものです。
特に出産は。
聖書が記しているように、
労働と出産は別物であり、
それは出産(と育児)は労働ではないということ、
男が先だから労働が先にきてるが、
現実は逆である。
出産こそ生きる核心にあり、
本来的に大事なものである。
労働はむしろその為にある。
そこが曖昧なのも障りだが、
それは横に置く。
・・・・・
労働について考える。
最高神の天照大神ですら稲を育て機を織る。
もとより罰ではない。
生きることの営みであり、
生きることそのものである出産(及び育児)を支えるもので、
この両輪が結局生きることである。
罰という発想こそ馴染まない。
もとより神聖なものである。
それが日本の思想なのだ。
先ずはそれを知ろう。
ところで労働とはつまりは経済である。
集団で生きることを選択し、
何より言葉を持った人間は、
助け合いを前提にしており、
それは働きと働きの交換の上に成り立つ。
働きとその交換を取り纏めて経済と言う。
今誤解があるのは、
今誤解させられているのは、
経済をお金(マネー)の問題とされたことだ。
ここに詐欺の大本がある。
お金がなくとも交換が成り立てばマネーは要らない。
お金が交換という行為に非常に有用なのは事実です。
だからお金が利用されている。
交換価値を計る秤として非常に重宝なのだ。
でもそれは手段である。
目的を達成する手段である。
今目的と手段が入れ替えられた。
そしてお金の問題にすり替えられてしまった。
お金を支配するものが経済を支配する。
働きと働きの交換を支配する。
これはまるで、
新しい奴隷制度の創設である。
それを知ろう。
・・・・・
日本人の働きは世界とは異なる。
とりわけ欧米・中東やシナ・朝鮮とは。
欧米・中東は聖書の影響を多大に受けているし、
シナ・朝鮮は労働を不浄なものと見做している。
欧米に日本異質論があったのは当然です。
シナ・朝鮮は見た目が変わらないし、
漢字文化圏でもあったので、
そこに誤解があった、
大きな質の違いがあるのを見落として。
でももうお分かりでしょう、
彼らこそ異質なのだと。
集団で生きることを選んだのに、
ときの想いを見失ってしまった。
働くことはそも助け合いが前提にある、
ということを。
ちなみに、
日本に所謂ボランティア精神がないのは故です。
ボランティアとはつまりは助け合いである。
いい働きを目指せばそれで用は足りる。
現下大河ドラマの渋沢栄一にも通ずる。
売る人良し、買う人良し、世間も良し。
なお感心する、
エコノミーを経済と名付けたことを。
経済とは経世済民の略である。
言いえて妙。
何度でも言う、お金は手段である。
前提は人の働きである。
よき働きがあってこそ、
なのだ。
・・・・・
ちなみに、
今世間はコロナウイルスで右往左往している。
とんだ茶番である。
これは経済問題である。
医療問題が前面に出ているが、
それは問題の矮小化であり、
それは問題のすり替えである。
要は経済問題である。
つまり人の働きとその交換の問題である。
為にはお金は必要ではある。
でも結局は人の働きの問題であり、
それをどう守るかである。
どうしてもお金が必要なら取り敢えず刷ればいい。
それだけのこと。
現下の状況は仕組まれている。
巧妙に仕組まれている。
怒り心頭なのだ。
頭の中は今も、
プンプンがGoToGoToである。

コメントを投稿