聖書の障りはもう一つある。
それは罰という考え方です。
男には労働、女には出産という罰が与えられたと謂う。
これが日本人の発想とは根本的に異なる。
日本ではどちらも神聖なものです。
特に出産は。
聖書が記しているように、
労働と出産は別物であり、
それは出産(と育児)は労働ではないということ、
男が先だから労働が先にきてるが、
現実は逆である。
出産こそ生きる核心にあり、
本来的に大事なものである。
労働はむしろその為にある。
そこが曖昧なのも障りだが、
それは横に置く。
・・・・・
労働について考える。
最高神の天照大神ですら稲を育て機を織る。
もとより罰ではない。
生きることの営みであり、
生きることそのものである出産(及び育児)を支えるもので、
この両輪が結局生きることである。
罰という発想こそ馴染まない。
もとより神聖なものである。
それが日本の思想なのだ。
先ずはそれを知ろう。
ところで労働とはつまりは経済である。
集団で生きることを選択し、
何より言葉を持った人間は、
助け合いを前提にしており、
それは働きと働きの交換の上に成り立つ。
働きとその交換を取り纏めて経済と言う。
今誤解があるのは、
今誤解させられているのは、
経済をお金(マネー)の問題とされたことだ。
ここに詐欺の大本がある。
お金がなくとも交換が成り立てばマネーは要らない。
お金が交換という行為に非常に有用なのは事実です。
だからお金が利用されている。
交換価値を計る秤として非常に重宝なのだ。
でもそれは手段である。
目的を達成する手段である。
今目的と手段が入れ替えられた。
そしてお金の問題にすり替えられてしまった。
お金を支配するものが経済を支配する。
働きと働きの交換を支配する。
これはまるで、
新しい奴隷制度の創設である。
それを知ろう。
・・・・・
日本人の働きは世界とは異なる。
とりわけ欧米・中東やシナ・朝鮮とは。
欧米・中東は聖書の影響を多大に受けているし、
シナ・朝鮮は労働を不浄なものと見做している。
欧米に日本異質論があったのは当然です。
シナ・朝鮮は見た目が変わらないし、
漢字文化圏でもあったので、
そこに誤解があった、
大きな質の違いがあるのを見落として。
でももうお分かりでしょう、
彼らこそ異質なのだと。
集団で生きることを選んだのに、
ときの想いを見失ってしまった。
働くことはそも助け合いが前提にある、
ということを。
ちなみに、
日本に所謂ボランティア精神がないのは故です。
ボランティアとはつまりは助け合いである。
いい働きを目指せばそれで用は足りる。
現下大河ドラマの渋沢栄一にも通ずる。
売る人良し、買う人良し、世間も良し。
なお感心する、
エコノミーを経済と名付けたことを。
経済とは経世済民の略である。
言いえて妙。
何度でも言う、お金は手段である。
前提は人の働きである。
よき働きがあってこそ、
なのだ。
・・・・・
ちなみに、
今世間はコロナウイルスで右往左往している。
とんだ茶番である。
これは経済問題である。
医療問題が前面に出ているが、
それは問題の矮小化であり、
それは問題のすり替えである。
要は経済問題である。
つまり人の働きとその交換の問題である。
為にはお金は必要ではある。
でも結局は人の働きの問題であり、
それをどう守るかである。
どうしてもお金が必要なら取り敢えず刷ればいい。
それだけのこと。
現下の状況は仕組まれている。
巧妙に仕組まれている。
怒り心頭なのだ。
頭の中は今も、
プンプンがGoToGoToである。
それは罰という考え方です。
男には労働、女には出産という罰が与えられたと謂う。
これが日本人の発想とは根本的に異なる。
日本ではどちらも神聖なものです。
特に出産は。
聖書が記しているように、
労働と出産は別物であり、
それは出産(と育児)は労働ではないということ、
男が先だから労働が先にきてるが、
現実は逆である。
出産こそ生きる核心にあり、
本来的に大事なものである。
労働はむしろその為にある。
そこが曖昧なのも障りだが、
それは横に置く。
・・・・・
労働について考える。
最高神の天照大神ですら稲を育て機を織る。
もとより罰ではない。
生きることの営みであり、
生きることそのものである出産(及び育児)を支えるもので、
この両輪が結局生きることである。
罰という発想こそ馴染まない。
もとより神聖なものである。
それが日本の思想なのだ。
先ずはそれを知ろう。
ところで労働とはつまりは経済である。
集団で生きることを選択し、
何より言葉を持った人間は、
助け合いを前提にしており、
それは働きと働きの交換の上に成り立つ。
働きとその交換を取り纏めて経済と言う。
今誤解があるのは、
今誤解させられているのは、
経済をお金(マネー)の問題とされたことだ。
ここに詐欺の大本がある。
お金がなくとも交換が成り立てばマネーは要らない。
お金が交換という行為に非常に有用なのは事実です。
だからお金が利用されている。
交換価値を計る秤として非常に重宝なのだ。
でもそれは手段である。
目的を達成する手段である。
今目的と手段が入れ替えられた。
そしてお金の問題にすり替えられてしまった。
お金を支配するものが経済を支配する。
働きと働きの交換を支配する。
これはまるで、
新しい奴隷制度の創設である。
それを知ろう。
・・・・・
日本人の働きは世界とは異なる。
とりわけ欧米・中東やシナ・朝鮮とは。
欧米・中東は聖書の影響を多大に受けているし、
シナ・朝鮮は労働を不浄なものと見做している。
欧米に日本異質論があったのは当然です。
シナ・朝鮮は見た目が変わらないし、
漢字文化圏でもあったので、
そこに誤解があった、
大きな質の違いがあるのを見落として。
でももうお分かりでしょう、
彼らこそ異質なのだと。
集団で生きることを選んだのに、
ときの想いを見失ってしまった。
働くことはそも助け合いが前提にある、
ということを。
ちなみに、
日本に所謂ボランティア精神がないのは故です。
ボランティアとはつまりは助け合いである。
いい働きを目指せばそれで用は足りる。
現下大河ドラマの渋沢栄一にも通ずる。
売る人良し、買う人良し、世間も良し。
なお感心する、
エコノミーを経済と名付けたことを。
経済とは経世済民の略である。
言いえて妙。
何度でも言う、お金は手段である。
前提は人の働きである。
よき働きがあってこそ、
なのだ。
・・・・・
ちなみに、
今世間はコロナウイルスで右往左往している。
とんだ茶番である。
これは経済問題である。
医療問題が前面に出ているが、
それは問題の矮小化であり、
それは問題のすり替えである。
要は経済問題である。
つまり人の働きとその交換の問題である。
為にはお金は必要ではある。
でも結局は人の働きの問題であり、
それをどう守るかである。
どうしてもお金が必要なら取り敢えず刷ればいい。
それだけのこと。
現下の状況は仕組まれている。
巧妙に仕組まれている。
怒り心頭なのだ。
頭の中は今も、
プンプンがGoToGoToである。
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