ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

ガッテン!

2022-04-04 08:15:21 | 日記・エッセイ・コラム
人は寄り集まって生きることを選んだ。
たぶん言葉を持つ前から。
それはそうだろう、
群れて生きる他の生物を見れば分かる。
にしてもそこには役割分担が発生する。
オスにはオスの役割が、メスにはメスの役割が。
大人には大人の役割が、子供には子供の務めが。
余談だが子供の務めとは大人になること。
それは体験(学びと遊び)を重ねること。
群れる目的はと言えば、
言わずもがな生き(続け)るためで、
その為には役割分担が必要なのです。
食物を得るにも分担して行なう。
それを分けるのも分担に応じて行なう。
その他いろいろ。
役割分担は必要不可欠なのだ。
そこに社会がなる。
・・・・・
それは支配・被支配の関係ではない。
ゆえに搾取・被搾取の問題もないだろう。
だからと言って、
絵に描いたような平等も考えられない。
何より役割分担がある。
それに性格や能力の違いもあるだろう。
更にそこに運・不運が付きまとう。
ゆえに不公平は必ず起こる。
それは自然なこと、否定すべきとは思わない。
ただあからさまな不公平は避けねばならない。
だから互いの了解が必要である。
それはどうしても。
ゆえに社会には差配が必要となる。
為には中心ができ、上下関係ができる。
そこまでは当たり前。
それにそれは必要なこと。
それがなければ皆危険に晒される。
だからそれを求める。
問題はここから。
そのとき支配・被支配の関係になりやすい。
そのとき搾取・被搾取の関係にもなる。
言葉を持たない生物にはそれが見られない。
人間にはそれが起こった、言葉を持つが故にである。
にしてもそれはいつからか。
その場にいなかったので分からない。
それに一夜にして突然なった訳でもなかろう。
でも思うのです、
帝国ができた時にはそれはなっていたと、
少なくともその時には。
今認められるのはそれは古代バビロニア帝国。
それ以前は知らないが、
その時はそうであったろうし、
以降も連綿として続いてきた。
それが大陸の歴史だと。
その体制が所謂ピラミッド型社会であり、
上下関係が際立った体制で中心はその頂点にある。
私的にはそれは不自然な状態だと。
だから内部での動きを抑えねばならない。
それは力でしかできないのだ。
為に必要なのは知の力であり、
それを支えるのが武の力です。
ここが肝要。
武の力がすべてだと錯覚しやすいが、
武の力はあくまで支えなのだ。
何となれば、
殺したり雁字搦めに縛っては、
そも支配ができない、
搾取もできないのだ。
だから本当の力は知(言葉)なのだ。
それを知ろう。
・・・・・
ちなみに、
日本はピラミッド型社会ではない。
想うに円環型の社会である。
そこに上下なし、中心があるだけ。
違いは中心に近いか遠いかだけ。
でもまあ仮の上下関係はある。
それは役割分担において必要だから。
つまり、
役割としての上下関係であって、
存在価値の上下ではないのです。
それを知ろう。
だから奴隷はいなかった。
さらに言えばこの形はもの凄く自然なことで、
宇宙の在り方とまさに相似相。
太陽系の星々は太陽を中心にして円環を描く。
太陽系はその上の大きな系の中で円環を描く。
そしてそれはその先の星々も。
宇宙はそも円環なのだ。
日本は宇宙そのものだ。
NHKでは終わったが、
ガッテン!ガッテン!、
ガッテン!だ。

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