ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

とん・ちん・かん

2021-03-01 06:27:14 | 日記・エッセイ・コラム
またまた森元総理の件である。
何ほどのこともない発言を、
差別発言だと言いつのり、
非難中傷して追い落とした。
表向きは個人攻撃であるが、
実際は日本を貶めんとする政治的行動であり、
オリンピックが狙われたのだ。
その旗印に女性問題が持ち出された。
実に狡猾である。
・・・・・
リベラルの常套手段は言葉である。
言葉で人を惑わすのである。
今その基底にあるのが人権という言葉です。
しかして人権を主張する柱は大きくは二つ、
一つは人種、一つは女性、ということです。
ために使う言葉が自由・平等・友愛である。
響きのいい言葉だが中身はからっぽである。
これを際立たせるのが差別という言葉です。
こういう構図になっている。
だから善良な人々が騙される。
だから善良な人々こそ騙される。
そういう仕掛けになっている。
ちなみに私は善良な人間である?
でも騙されない。
仕掛けを知っているから。
ということだが、
今回は女性が焦点になった。
何でもない発言が引っ掛けられたのである。
直接の被害者は森氏である。
これを記している今はもう何もなかったかのよう。
いい加減なことこの上ない。
そも日本に女性問題はない。
ちなみに人種問題もない。
日本の物語(神話・歴史)を見れば明らか。
だからそれが隠蔽される。
だからそこに捏造が入る。
それも知っての通りです。
・・・・・
それにつけても、
情けないことに、
この日本でも大手を振って通っているのが、
男女共同参画と男女同権である。
どちらも政府の方針にもなっている。
実に馬鹿げている。
社会はそも男女が共同して営んでいる。
でなけりゃ生命の継続はできない。
役割の分担があるだけ。
自然環境や社会環境の変化や科学技術の進展もあり、
役割分担の内容が変わっていくのは自然。
それを考えるのは自由。
そして変えようとするのも自由。
だからときに新たな仕切りが必要になる。
そのとき政治の出番となる。
そういうことです。
男女同権の問題は確かにある。
日本の外の世界では。
欧米や中東は一神教の世界であり、
根底に聖書がある。
聖書は素晴らしい書物であり、
私も尊重しているが、
一つ障りがある。
それは女性イヴが男性アダムの骨から造られた、
というくだりです。
それは女性は男性の一部だとも取れる。
だからか歴史的に彼の国では女は男の従属物とされてきた。
あきらかに男尊女卑である。
だからこそ欧米に現れたのである、
男女同権という思想が。
むべなるかな。
しかして中東は今だにそこに留まっている。
原理主義という壁があって。
・・・・・
日本には欧米のような思想はない。
古事記や日本書記によれば、
最初に現れたのは独り神である。
そこに男女の別はない。
それが何代か続き、次に現れるのが男女一対の神である。
そこから本格的に日本が生成される。
そこに先後や上下はない。
記述的には男神が先きに記されているが、
あくまでも出現したのは同時である。
しかしてその初めから協働して国造りをしている。
しかも最高神は女神である。
そんな神話(始原の歴史)を持っている。
そんな物語の国である。
日本に男女同権思想は不要である。
それはそも前提でしかない。
なのに男女同権をことさらにアピールする馬鹿がいる。
またときに「女らしさ」という言葉を否定しようとする。
女らしさとは役割の違いを一般的に表現したもので、
換言すれば女性性ともいえるだろう。
女性性を無視して女性政策などない。
なのに女性政策を提言しようとする。
何をしたいのかさっぱり分からない。
これが現下の国会での女性議員の姿である。
だからツイートしたのです。
今の日本に重責を担える女性議員はいない、と。
ちなみに本当は、
少しはいると思っている。
・・・・・
追伸。
ちなみに夫婦別姓は男尊女卑の是認に如かず。
これは女性を男性(父)の姓に固定させるもので、
永遠に男性の従属物となるの宣言である。
シナ・朝鮮ではそも女性に姓はないのだ、歴史的に。
なのになぜ推進しようとする。
ところで、
天皇は男系男子が継ぐと決まっている、
これは男尊女卑ではない。
女性が担うものと、男性が担うものが、
違うというだけ。
女性は生命を繋ぐという根源的大使命がある。
担うものが根本的に違うのである。
だとしてもその対等性に変わりはない。
だからか皇室には姓がない。
それに陛下と呼ぶはお二人である。
天皇陛下と皇后陛下の。
今は特別で、
上皇と上皇后がおられるが。

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