またまた森元総理の件である。
何ほどのこともない発言を、
差別発言だと言いつのり、
非難中傷して追い落とした。
表向きは個人攻撃であるが、
実際は日本を貶めんとする政治的行動であり、
オリンピックが狙われたのだ。
その旗印に女性問題が持ち出された。
実に狡猾である。
・・・・・
リベラルの常套手段は言葉である。
言葉で人を惑わすのである。
今その基底にあるのが人権という言葉です。
しかして人権を主張する柱は大きくは二つ、
一つは人種、一つは女性、ということです。
ために使う言葉が自由・平等・友愛である。
響きのいい言葉だが中身はからっぽである。
これを際立たせるのが差別という言葉です。
こういう構図になっている。
だから善良な人々が騙される。
だから善良な人々こそ騙される。
そういう仕掛けになっている。
ちなみに私は善良な人間である?
でも騙されない。
仕掛けを知っているから。
ということだが、
今回は女性が焦点になった。
何でもない発言が引っ掛けられたのである。
直接の被害者は森氏である。
これを記している今はもう何もなかったかのよう。
いい加減なことこの上ない。
そも日本に女性問題はない。
ちなみに人種問題もない。
日本の物語(神話・歴史)を見れば明らか。
だからそれが隠蔽される。
だからそこに捏造が入る。
それも知っての通りです。
・・・・・
それにつけても、
情けないことに、
この日本でも大手を振って通っているのが、
男女共同参画と男女同権である。
どちらも政府の方針にもなっている。
実に馬鹿げている。
社会はそも男女が共同して営んでいる。
でなけりゃ生命の継続はできない。
役割の分担があるだけ。
自然環境や社会環境の変化や科学技術の進展もあり、
役割分担の内容が変わっていくのは自然。
それを考えるのは自由。
そして変えようとするのも自由。
だからときに新たな仕切りが必要になる。
そのとき政治の出番となる。
そういうことです。
男女同権の問題は確かにある。
日本の外の世界では。
欧米や中東は一神教の世界であり、
根底に聖書がある。
聖書は素晴らしい書物であり、
私も尊重しているが、
一つ障りがある。
それは女性イヴが男性アダムの骨から造られた、
というくだりです。
それは女性は男性の一部だとも取れる。
だからか歴史的に彼の国では女は男の従属物とされてきた。
あきらかに男尊女卑である。
だからこそ欧米に現れたのである、
男女同権という思想が。
むべなるかな。
しかして中東は今だにそこに留まっている。
原理主義という壁があって。
・・・・・
日本には欧米のような思想はない。
古事記や日本書記によれば、
最初に現れたのは独り神である。
そこに男女の別はない。
それが何代か続き、次に現れるのが男女一対の神である。
そこから本格的に日本が生成される。
そこに先後や上下はない。
記述的には男神が先きに記されているが、
あくまでも出現したのは同時である。
しかしてその初めから協働して国造りをしている。
しかも最高神は女神である。
そんな神話(始原の歴史)を持っている。
そんな物語の国である。
日本に男女同権思想は不要である。
それはそも前提でしかない。
なのに男女同権をことさらにアピールする馬鹿がいる。
またときに「女らしさ」という言葉を否定しようとする。
女らしさとは役割の違いを一般的に表現したもので、
換言すれば女性性ともいえるだろう。
女性性を無視して女性政策などない。
なのに女性政策を提言しようとする。
何をしたいのかさっぱり分からない。
これが現下の国会での女性議員の姿である。
だからツイートしたのです。
今の日本に重責を担える女性議員はいない、と。
ちなみに本当は、
少しはいると思っている。
・・・・・
追伸。
ちなみに夫婦別姓は男尊女卑の是認に如かず。
これは女性を男性(父)の姓に固定させるもので、
永遠に男性の従属物となるの宣言である。
シナ・朝鮮ではそも女性に姓はないのだ、歴史的に。
なのになぜ推進しようとする。
ところで、
天皇は男系男子が継ぐと決まっている、
これは男尊女卑ではない。
女性が担うものと、男性が担うものが、
違うというだけ。
女性は生命を繋ぐという根源的大使命がある。
担うものが根本的に違うのである。
だとしてもその対等性に変わりはない。
だからか皇室には姓がない。
それに陛下と呼ぶはお二人である。
天皇陛下と皇后陛下の。
今は特別で、
上皇と上皇后がおられるが。
何ほどのこともない発言を、
差別発言だと言いつのり、
非難中傷して追い落とした。
表向きは個人攻撃であるが、
実際は日本を貶めんとする政治的行動であり、
オリンピックが狙われたのだ。
その旗印に女性問題が持ち出された。
実に狡猾である。
・・・・・
リベラルの常套手段は言葉である。
言葉で人を惑わすのである。
今その基底にあるのが人権という言葉です。
しかして人権を主張する柱は大きくは二つ、
一つは人種、一つは女性、ということです。
ために使う言葉が自由・平等・友愛である。
響きのいい言葉だが中身はからっぽである。
これを際立たせるのが差別という言葉です。
こういう構図になっている。
だから善良な人々が騙される。
だから善良な人々こそ騙される。
そういう仕掛けになっている。
ちなみに私は善良な人間である?
でも騙されない。
仕掛けを知っているから。
ということだが、
今回は女性が焦点になった。
何でもない発言が引っ掛けられたのである。
直接の被害者は森氏である。
これを記している今はもう何もなかったかのよう。
いい加減なことこの上ない。
そも日本に女性問題はない。
ちなみに人種問題もない。
日本の物語(神話・歴史)を見れば明らか。
だからそれが隠蔽される。
だからそこに捏造が入る。
それも知っての通りです。
・・・・・
それにつけても、
情けないことに、
この日本でも大手を振って通っているのが、
男女共同参画と男女同権である。
どちらも政府の方針にもなっている。
実に馬鹿げている。
社会はそも男女が共同して営んでいる。
でなけりゃ生命の継続はできない。
役割の分担があるだけ。
自然環境や社会環境の変化や科学技術の進展もあり、
役割分担の内容が変わっていくのは自然。
それを考えるのは自由。
そして変えようとするのも自由。
だからときに新たな仕切りが必要になる。
そのとき政治の出番となる。
そういうことです。
男女同権の問題は確かにある。
日本の外の世界では。
欧米や中東は一神教の世界であり、
根底に聖書がある。
聖書は素晴らしい書物であり、
私も尊重しているが、
一つ障りがある。
それは女性イヴが男性アダムの骨から造られた、
というくだりです。
それは女性は男性の一部だとも取れる。
だからか歴史的に彼の国では女は男の従属物とされてきた。
あきらかに男尊女卑である。
だからこそ欧米に現れたのである、
男女同権という思想が。
むべなるかな。
しかして中東は今だにそこに留まっている。
原理主義という壁があって。
・・・・・
日本には欧米のような思想はない。
古事記や日本書記によれば、
最初に現れたのは独り神である。
そこに男女の別はない。
それが何代か続き、次に現れるのが男女一対の神である。
そこから本格的に日本が生成される。
そこに先後や上下はない。
記述的には男神が先きに記されているが、
あくまでも出現したのは同時である。
しかしてその初めから協働して国造りをしている。
しかも最高神は女神である。
そんな神話(始原の歴史)を持っている。
そんな物語の国である。
日本に男女同権思想は不要である。
それはそも前提でしかない。
なのに男女同権をことさらにアピールする馬鹿がいる。
またときに「女らしさ」という言葉を否定しようとする。
女らしさとは役割の違いを一般的に表現したもので、
換言すれば女性性ともいえるだろう。
女性性を無視して女性政策などない。
なのに女性政策を提言しようとする。
何をしたいのかさっぱり分からない。
これが現下の国会での女性議員の姿である。
だからツイートしたのです。
今の日本に重責を担える女性議員はいない、と。
ちなみに本当は、
少しはいると思っている。
・・・・・
追伸。
ちなみに夫婦別姓は男尊女卑の是認に如かず。
これは女性を男性(父)の姓に固定させるもので、
永遠に男性の従属物となるの宣言である。
シナ・朝鮮ではそも女性に姓はないのだ、歴史的に。
なのになぜ推進しようとする。
ところで、
天皇は男系男子が継ぐと決まっている、
これは男尊女卑ではない。
女性が担うものと、男性が担うものが、
違うというだけ。
女性は生命を繋ぐという根源的大使命がある。
担うものが根本的に違うのである。
だとしてもその対等性に変わりはない。
だからか皇室には姓がない。
それに陛下と呼ぶはお二人である。
天皇陛下と皇后陛下の。
今は特別で、
上皇と上皇后がおられるが。
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