いよいよ8月が来た。
あの8月です。
護国神社には折に触れ参っているが、
8月は特に感慨深いものがある。
夏の象徴の一つに蝉しぐれがあるが、
これがまた良き伴奏となり、
郷愁を誘うのです。
それにまた木の葉を縫うように吹く風の、
その葉音にも。
さらにまた盛りの命の息吹や匂いまでも、
そこに乗って来る。
いのちの風の心地よさ、
良きかな、
・・・・・
にしても日本人は特異である。
その耳が聞き分け方が。
生き物が放つ揺れる音も羽音や叫びにも、
音として感じるのは当然のことだが、
それを声として捉えもする。
だから木々や草花とも話をする。
だから鳥や獣とも話をする。
そういう感性を持っている。
それに木の葉の葉音の囁きにも、
それに川の岸辺のせせらぎにも、
それに海辺に打ち寄せる波にも、
その音を聞き分ける、
そしてときに声として聞く。
そういう自然への接し方を持っている。
先に匂いも風に乗ると言ったが、
それは厳とした事実ではあるが、
なおそれは貴人遊びの香道では、
香りを聞くとも謂う。
なおそれに酒好きの銘柄当ては、
それを聞き酒と謂う。
音でないものさえも聞くのです。
実に特異な聞き方をするである。
でも普通は、
音に意味を持たせたものが声で、
その声が言葉となり意味を持つ、
それを聞くと謂う。
しかしてそれは音でなくともいいのだ。
そのひとつが匂いである。
そのひとつが味である。
他諸々何でも有りだ。
例えば老練な木の専門家は、
それが植木職人であっても、
それが大工職人であっても、
木に聞いて仕事をするとか。
それは結局波動を捉えているのだろう。
その物が持つ存在の波動を。
それらすべてを聞くと謂う。
これも大和心の顕われかと。
・・・・・
だからか日本は歌うのです。
その昔から歌っており、
それは一に天皇陛下であり、
それに陛下に連なる皇族や貴族らも、
さらに巷の庶民までもです。
それが万葉集として今に残っている。
それにその後に撰修された和歌集に。
それになお今も毎年歌会始めが行われている。
また現下はJポップやアニソンなど、
日本の歌が世界に知られている。
ちなみに、
和歌や俳句は嗜まないが、
頭に残っているものが結構あります。
すべて学校教育で習ったものですが、
それを以下に。
・
吉野山やがて出じと思う身を
花散りなばと人や待つらん
(西行法師)
秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞ驚かれぬる
(藤原定家)
久方の光のどけき春の日に
しず心なく花の散るらん
()
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
(琵琶法師)
これは和歌ではないが、
琵琶を片手に歌うように語るもの。
それに鐘の音を声と表記している。
そこが…。
敷島の大和心を人とわば
朝日に匂う山桜花
(本居宣長)
ふる池や蛙とび込む水の音
静かさや岩にしみいる蝉の声
(松尾芭蕉)
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
(正岡子規)
海恋し潮の遠鳴り数えては
乙女となりし父母の家
(与謝野晶子)
・
これらはごく一部ですが、
今頭に浮かんだものを記してみた。
総じて四季が読み取れるが、
四季が日本人の心を育むのか、
日本人の心が四季を捉えるのか、
或いはすべて日本の地霊の導きか。
なべて日本人は感性が豊かなのです。
それが理屈(概念)を包み込んでいた。
今もそうだろうが、
それが少しずつ壊されている。
何とかせなば、
と思うのだが、
・・・・・
最近は少し低調なようだが、
年末にはNHK紅白歌合戦ってのがある。
これも歌う国の一つの顕われではあろう。
そこで歌われて後にヒットした曲がある。
「千の風になって」である。
男性のオペラ歌手が歌っていた。
それには原詩があって、
それは外国のようです。
アメリカとのことだが作者は分かっていない。
それを最初に訳して世に出した人がいる。
その後また別の人が訳したのである。
それを曲にしたのがこの歌です。
構成は概ね原詩そのままで、
内容は少しかえている。
その歌詞が私の心に響くのです。
日本人の心を感じるのです。
特に風に命を乗せるところ。
だからのこの表題「いのちの風」である。
ちなみにYouTubeで見たのだが、
この歌を外国の人が歌っているのを。
勿論この日本の歌を日本語で。
そこでも大きな拍手が。
やはり通じると。
良きかな、
あの8月です。
護国神社には折に触れ参っているが、
8月は特に感慨深いものがある。
夏の象徴の一つに蝉しぐれがあるが、
これがまた良き伴奏となり、
郷愁を誘うのです。
それにまた木の葉を縫うように吹く風の、
その葉音にも。
さらにまた盛りの命の息吹や匂いまでも、
そこに乗って来る。
いのちの風の心地よさ、
良きかな、
・・・・・
にしても日本人は特異である。
その耳が聞き分け方が。
生き物が放つ揺れる音も羽音や叫びにも、
音として感じるのは当然のことだが、
それを声として捉えもする。
だから木々や草花とも話をする。
だから鳥や獣とも話をする。
そういう感性を持っている。
それに木の葉の葉音の囁きにも、
それに川の岸辺のせせらぎにも、
それに海辺に打ち寄せる波にも、
その音を聞き分ける、
そしてときに声として聞く。
そういう自然への接し方を持っている。
先に匂いも風に乗ると言ったが、
それは厳とした事実ではあるが、
なおそれは貴人遊びの香道では、
香りを聞くとも謂う。
なおそれに酒好きの銘柄当ては、
それを聞き酒と謂う。
音でないものさえも聞くのです。
実に特異な聞き方をするである。
でも普通は、
音に意味を持たせたものが声で、
その声が言葉となり意味を持つ、
それを聞くと謂う。
しかしてそれは音でなくともいいのだ。
そのひとつが匂いである。
そのひとつが味である。
他諸々何でも有りだ。
例えば老練な木の専門家は、
それが植木職人であっても、
それが大工職人であっても、
木に聞いて仕事をするとか。
それは結局波動を捉えているのだろう。
その物が持つ存在の波動を。
それらすべてを聞くと謂う。
これも大和心の顕われかと。
・・・・・
だからか日本は歌うのです。
その昔から歌っており、
それは一に天皇陛下であり、
それに陛下に連なる皇族や貴族らも、
さらに巷の庶民までもです。
それが万葉集として今に残っている。
それにその後に撰修された和歌集に。
それになお今も毎年歌会始めが行われている。
また現下はJポップやアニソンなど、
日本の歌が世界に知られている。
ちなみに、
和歌や俳句は嗜まないが、
頭に残っているものが結構あります。
すべて学校教育で習ったものですが、
それを以下に。
・
吉野山やがて出じと思う身を
花散りなばと人や待つらん
(西行法師)
秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞ驚かれぬる
(藤原定家)
久方の光のどけき春の日に
しず心なく花の散るらん
()
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
(琵琶法師)
これは和歌ではないが、
琵琶を片手に歌うように語るもの。
それに鐘の音を声と表記している。
そこが…。
敷島の大和心を人とわば
朝日に匂う山桜花
(本居宣長)
ふる池や蛙とび込む水の音
静かさや岩にしみいる蝉の声
(松尾芭蕉)
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
(正岡子規)
海恋し潮の遠鳴り数えては
乙女となりし父母の家
(与謝野晶子)
・
これらはごく一部ですが、
今頭に浮かんだものを記してみた。
総じて四季が読み取れるが、
四季が日本人の心を育むのか、
日本人の心が四季を捉えるのか、
或いはすべて日本の地霊の導きか。
なべて日本人は感性が豊かなのです。
それが理屈(概念)を包み込んでいた。
今もそうだろうが、
それが少しずつ壊されている。
何とかせなば、
と思うのだが、
・・・・・
最近は少し低調なようだが、
年末にはNHK紅白歌合戦ってのがある。
これも歌う国の一つの顕われではあろう。
そこで歌われて後にヒットした曲がある。
「千の風になって」である。
男性のオペラ歌手が歌っていた。
それには原詩があって、
それは外国のようです。
アメリカとのことだが作者は分かっていない。
それを最初に訳して世に出した人がいる。
その後また別の人が訳したのである。
それを曲にしたのがこの歌です。
構成は概ね原詩そのままで、
内容は少しかえている。
その歌詞が私の心に響くのです。
日本人の心を感じるのです。
特に風に命を乗せるところ。
だからのこの表題「いのちの風」である。
ちなみにYouTubeで見たのだが、
この歌を外国の人が歌っているのを。
勿論この日本の歌を日本語で。
そこでも大きな拍手が。
やはり通じると。
良きかな、
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