ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

変わらない構図

2018-11-05 18:50:21 | 日記・エッセイ・コラム
戦後一貫して構図は変わっていない。
すなわち日本を押さえておく、ということである。
終戦直後はそもボロボロであり、
そこからの復活をいかに押さえるかであった。
だからと言って、あからさまに非人道的なことはできない。
そこそこの復興は認めざるをえなかった。
・・・・・
そこで行われたのが、
WGIP(ウオーギフトインフォメーションプログラム)である。
日本人に反抗させないようにと。
徹底的に自虐史観が植え込まれたのだ。
ために主だった知識人の追放と出版文書類の徹底した検閲が行われた。
嘘もこじ付けもお構いなし、目的のためには何でもありだ。
とはいえ、あからさまな嘘は通じない。
何しろ終戦直後である。
現実を知っている者が沢山いた。
日本にも外国にも。
だから南京大虐殺も東京裁判には結局持ち出せなかった。
従軍慰安婦は当然のこと影も形もなし。
徴用工、はて?
あの日本を裁くための裁判なのに。
件の事案はだからまったき嘘だということだ。
さりながら、ご存知のように大嘘なのに今もって無くならない。
南京の件は少し影をひそめたが、ユネスコには登録されてしまった。
慰安婦の件は相変わらずである。
言っているのはシナと朝鮮だが、
アメリカも事実は分かっている筈なのに何も言わない。
そもアメリカ(の権力)の意向なのだから当然だろう。
つまり結託しているということだ。
最近は少し風向きが変わってきた。
でも構図は変わっていない。
・・・・・
結局、問題は歴史である。
自分(の歴史)を取り戻さない限り本当の復活はない。
これまで随分とお詫びと反省を重ねてきた。
それも止むを得ないことではある。
ともかく戦争という手段に訴えてしまったのだから。
とはいえ戦争は一人ではできない。
相手のあることだ。
善悪は一方的には決められない。
双方に責任があると言うべきだ。
つまり喧嘩両成敗なのだ。
さりながら勝てば官軍であり、また敗軍の将兵を語らずであり、
結局日本が悪者となった。
それも致し方なし。
でもそろそろ自分(の歴史)を取り戻そう。
アメリカは直接的には日本を責めない。
言論の自由を標榜しており、嘘で塗り固められないのだ。
むしろアメリカ人(特に軍人)は日本人(日本軍)を認めている。
責めているのは戦争を欲した張本人等(戦後支配の中枢)である。
彼らは自分たちを正当化しなければならない。
為にメディアを乗っ取っている。
日本は勿論、アメリカやヨーロッパでもだ。
だから未だWGIPから抜けられない。
占領軍はいなくなったというのに。
てか…形を変えて存在しているが。
・・・・・
そも歴史の捉え方がおかしい。
現下の世界では。
人間にとって歴史とは何だろう。
私はそれは「魂の軌跡」だと思っている。
言葉を替えれば「思いの系譜」とでも言うべきか。
思いが行動を促し、その結果事象がある。
思いを除いたら、それは単なる跡形であり、
歴史とは言えない。
思いだけで事象を述べないなら、
それも歴史とは言えない。
ともに揃っていてこそなのだ。
それが歴史である。
ところで歴史観という言葉がよく使われる。
歴史観とはまさに思いのことで、
それは立場が違えば本来異なるものである。
それに比して事象とは事実の記録であり、
立場の如何に係わらず概ね同じ筈である。
そこには大きな齟齬があってはならない。
もとより嘘は論外である。
・・・・・
さりながらである。
巷でよく耳にする。
歴史観が相違するのはおかしい…、と。
なのに事象については嘘も平気である。
はて?これは…。
どこかの国の歴史教育か?
あの国も、あの国も、そしてこの国も。
よく分からない、
呆けてきたのかな…。

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