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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

馬鹿の標本

2020-10-19 09:31:37 | 日記・エッセイ・コラム
一応そういうことにしておく、
騙されてきた、と。
日本学術会議のことである。
日本の優秀な頭脳が集まってるらしい、
と思わされてきた。
優秀な頭脳が大学に多数いるだろうことは、
疑ってはいない、今も。
でもそうでない者もいると。
それが集中してるのが日本学術会議だと。
政治と学問を混同して顧みない。
言うことは筋が通っていないし、
ごり押しのプロパガンダばかり。
それをメディアが後押しする。
この戦後世界の風景にはもうウンザリ、
吐き気を催すが、
出る反吐も無い、
スッカラカンだ。
・・・・・
政治とは人を仕切るもの、
生々しい命の現実を見極めて、
そのせめぎ合いを治める。
学問とは物事を追求する、
それが何かを只々知るために、
ひたすらに真実を求めて。
政治と学問の混同など論外。
これは私の念仏ではあるが…。
ここにきて、
前総理や現総理がこき下ろされている、
教養がないとかと。
特に酷いのが、
安倍前総理の恩師とかいう人が、
「もう少し知的になってほしかった」、
とか。
元大学教授の静岡県知事が、
「菅首相の教養レベルが図らずも露見した」、
とか。
とかとか…。
図らずも露見したのはどっちだろう?
もうちょっと知的になってほしいのは、
発言した成蹊大学名誉教授の方であり、
教養レベルをもっと高めてほしいのは、
当の静岡県知事の方ではないだろうか。
日本学術会議の会員諸氏も含めて、
これらは立派な馬鹿の標本である。
・・・・・
知識や教養はそれ自体それほど意味はない。
例えば、イエスやブッダ、それに空海など、
今の科学レベルにおいての知識や教養など、
たぶんほとんど持ち合わせていないだろう。
だから、知的には低いのか。
だから、教養がないってか。
馬鹿も休み休み言え。
てか、
仕事などたいしてやってないだろうから、
休み休みは当たってるかも。
小人閑居して不善を為す…。
にしても、
それはさておき、
人前で堂々とそんなことを開陳してしまう、
だから馬鹿と言うしかない。
あげくに立派な標本となる。
今、大学にはそんな類がわんさかいる。
しかもメディアはそんな彼らを喜んで出す。
まともな人ほど出られない。
もとより知識や教養は有るに越したことはない。
できるだけ身に着けたいものだ。
それは大きな力になる。
でも知恵が必要なのだ。
それを使う為には。
それに知識や教養ならスマホでも対応できる。
結局はそれはどう使うかである。
それを知らねば。
・・・・・
明らかに大学は混迷の中にある。
学問を取り戻せ。
学問の自由を取り戻せ。
政治などと関りのないところで、
自由に物事を追求せよ、
真実を求めて。
なんちゃって、
また性懲りもなく念仏を言いました。
でも大学は世の中の一つです。
分離してる訳ではない。
波は必ず受ける。
でもである、
良い意味で学者バカであってほしい。
世間に疎い学者バカで。
そこに本当の自由がある。

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