すべての生物には知の力がある。
生きるための知恵である。
故にこそ生きている。
で、その発信元は魂である。
すなわち、魂(こん)と知(ち)がある。
・・・・・
魂は造物主との接点である。
生物存在の原点であり核である。
魂から知が派生する。
その知が生物の多様性になる。
人もまたその中のひとつに過ぎない。
魂と知は本来一体である。
が、人の知は魂から離れた。
知そのものが魂となった。
それが言葉である。
・・・・・
言葉は取扱注意である。
言葉は魂とともに在らねばならない。
だが、言葉は言葉自身が魂となる質を持っている。
現下の世界は言葉が一人歩きしている。
原爆、原発などが混乱の元凶であると言われるが、
それは表面的なことである。
その根っ子にあるのは、
言葉の暴走である。
さりながら、その解決をなお言葉でなそうとする。
それは無理である。
そもそもの原因が言葉なのだから。
・・・・・
新聞などマスメディアは「嘘・誤・偏」を織り交ぜて、
連日言葉をまき散らしている。
この状況で混乱が治まることはない。
増大する一方である。
矛盾である。
混乱を鎮めるために言葉を使っているつもりが、
その言葉こそ混乱の原因である。
言葉を捨てよ。
捨てられないなら、治めよ。
魂の内に治めよ。
・・・・・
治める方法はある。
それは祈りである。
祈りの世界へ戻るのである。
言葉が祈りとともに在る世界へ。
それは所謂宗教のある世界ではない。
宗教以前の世界である。
もはや無理だろうか。
この混乱を断つのは破壊しかないのか。
さて、どうなるのやら。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます