戦後の個人主義は歪んでる。
というか、
個人主義というものがそもそも胡散臭い。
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人間は社会的動物だといわれる。
集団で生きることを選んだのである。
集団といってもたまたま集まってるのではない。
そうしたいから集まってるのである。
その時から、
個人主義ではなく集団主義あるいは社会主義なのである。
その事は今も変わらない。
しょせん一人では生きられない。
物質的にそして何より精神的に。
集団あっての個人である。
個人あっての集団ではない。
もちろん、個人はどうでもいい存在ではい。
個人は集団の大事な構成要素であり、
集団にとって当然大事なのである。
だから、
個人を個人として大事にする、
個人の個性を尊重して大事にする、
という意味の個人主義は、
その集団にとっては必須のことである。
疑う余地などない。
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集団を思うことを「公」という。
個人を思うことを「私」という。
戦前は「公」を大事にした。
もちろん「私」を蔑ろにしたわけではない。
ともに大事なわけだが、
優先順位をわきまえていた。
戦後教育はそれを壊そうとした。
個人をどこまでも主張することを教えた。
集団主義を否定した。
そのくせにである。
個性を尊重すれば相違があるのは当然なのに、
同じでなければ平等に反するという。
そして、みんな仲良く一等賞である。
これは質の悪い集団主義ではないのか。
二重人格である。
要するに日本を壊そうとしたのである。
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でもである。
日本はいまだ壊れていない。
そのことがはっきり分かった。
東日本大震災で。
悲しい出来事だが、それは救いであった。
何よりの救いであった。
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