不思議なのである。
芸能人らのことだ。
特に俳優女優らである、それに芸人らも。
彼らは物語を紡ぐ人々である。
芸人はそうではないかも知れないが、
それでも人情の機微の中で、
それを笑いを焦点にして表現する。
抽象的言辞からは本来遠い人々である。
どちらにしても伝統芸能であり、
保守的傾向にあるのが王道です。
であるのにリベラルチックな人が結構多い。
なぜだろう。
・・・・・
ちなみに彼らは所謂善人である。
みな良い人たちである。
だからリベラルの善良顔に騙されるのか。
それならデュープスである。
最近言われているところの、
件のデュープスである。
この言葉が使われ始めたのは最近だが、
内容的には昔から普通にあるものです。
多少ニュアンスは違うのだが、
それを付和雷同と謂う。
何も考えず只流されるということだが、
極悪非道に流されることはない。
善人ぶった顔や正義面にこそで、
だから流されるのである。
別にそれは必ずしも悪くはない。
問題は彼らの名前が利用されることだ。
積極的に利用されないまでも、
有名人であればあるほど、
利用されてしまう。
そこは気を付けてほしい。
それを思うのです。
・・・・・
それで失敗した人は注意してるだろう。
それならそれでいいが。
でも懲りない人もいる。
どちらにしても、そんな人が後を絶たない。
理由は大きく二つあると思う。
一つは、初めに言ったデュープスだということ。
一つは、それを横に置いても、
その立場を取った方が地位や名誉、
それに付随してお金が入ってくる、
というもの。
これはハリウッドに顕著です。
ともかくも、
今のメディア環境では保守的立場は不利なようです。
そういう人らは黙っているに限る。
残念ながらそれが昨今の状況です。
でもどうして気付かないのか。
基本的に保守は、
好き嫌いは言うが相手を否定することはない。
考えの違いは認めるのです。
即ち多様性を尊重している。
対してリベラルは、
好き嫌いは当然だが気に入らない相手は否定する。
とことん否定する。
ときにその人の人格まで。
それなのに多様性の尊重という。
開いた口がふさがらない。
善人ぶったデュープスらはこれに気付いていない。
ちょっと前にツイッター始めたが、
この傾向は保守とリベラルを見比べれば明らかだ。
こんなことにも気付かないとは。
情けないことです。
・・・・・
それにしても、
この度の森喜朗元総理の件もそうである。
失言を咎めるのはまだしも、
本当は切り貼りした失言もどきなのだが、
それは横に置いても、
組織委会長の辞任を求めるのはどうかと。
なお、
それすらを横に置いても、
さらに酷い言辞があった。
NHKアナウンサーの言です。
言いも言ったり、
組織委会長を辞任しても済む問題ではないと。
ではどうすればいいのか。
NHKが仕切るとでも言うのか。
NHK内部の問題ならそれはそうでしょう。
でなければ論外です。
私がNHK内部を仕切っていいのか、
ということと同じで、
当然に論外でしょう。
仕切るには仕切るにふさわしい人がいるのだ。
だから国政に限らず選挙があるのです。
本件はまことに不見識の極み。
これがリベラルの言い様です。
芸能人諸君に告ぐ。
こんなものに決して乗ってはいけない。
馬鹿を晒すだけ。
ちなみに、
それでも受信料はちゃんと払っている。
それはそれ、
これはこれ、
うん!
芸能人らのことだ。
特に俳優女優らである、それに芸人らも。
彼らは物語を紡ぐ人々である。
芸人はそうではないかも知れないが、
それでも人情の機微の中で、
それを笑いを焦点にして表現する。
抽象的言辞からは本来遠い人々である。
どちらにしても伝統芸能であり、
保守的傾向にあるのが王道です。
であるのにリベラルチックな人が結構多い。
なぜだろう。
・・・・・
ちなみに彼らは所謂善人である。
みな良い人たちである。
だからリベラルの善良顔に騙されるのか。
それならデュープスである。
最近言われているところの、
件のデュープスである。
この言葉が使われ始めたのは最近だが、
内容的には昔から普通にあるものです。
多少ニュアンスは違うのだが、
それを付和雷同と謂う。
何も考えず只流されるということだが、
極悪非道に流されることはない。
善人ぶった顔や正義面にこそで、
だから流されるのである。
別にそれは必ずしも悪くはない。
問題は彼らの名前が利用されることだ。
積極的に利用されないまでも、
有名人であればあるほど、
利用されてしまう。
そこは気を付けてほしい。
それを思うのです。
・・・・・
それで失敗した人は注意してるだろう。
それならそれでいいが。
でも懲りない人もいる。
どちらにしても、そんな人が後を絶たない。
理由は大きく二つあると思う。
一つは、初めに言ったデュープスだということ。
一つは、それを横に置いても、
その立場を取った方が地位や名誉、
それに付随してお金が入ってくる、
というもの。
これはハリウッドに顕著です。
ともかくも、
今のメディア環境では保守的立場は不利なようです。
そういう人らは黙っているに限る。
残念ながらそれが昨今の状況です。
でもどうして気付かないのか。
基本的に保守は、
好き嫌いは言うが相手を否定することはない。
考えの違いは認めるのです。
即ち多様性を尊重している。
対してリベラルは、
好き嫌いは当然だが気に入らない相手は否定する。
とことん否定する。
ときにその人の人格まで。
それなのに多様性の尊重という。
開いた口がふさがらない。
善人ぶったデュープスらはこれに気付いていない。
ちょっと前にツイッター始めたが、
この傾向は保守とリベラルを見比べれば明らかだ。
こんなことにも気付かないとは。
情けないことです。
・・・・・
それにしても、
この度の森喜朗元総理の件もそうである。
失言を咎めるのはまだしも、
本当は切り貼りした失言もどきなのだが、
それは横に置いても、
組織委会長の辞任を求めるのはどうかと。
なお、
それすらを横に置いても、
さらに酷い言辞があった。
NHKアナウンサーの言です。
言いも言ったり、
組織委会長を辞任しても済む問題ではないと。
ではどうすればいいのか。
NHKが仕切るとでも言うのか。
NHK内部の問題ならそれはそうでしょう。
でなければ論外です。
私がNHK内部を仕切っていいのか、
ということと同じで、
当然に論外でしょう。
仕切るには仕切るにふさわしい人がいるのだ。
だから国政に限らず選挙があるのです。
本件はまことに不見識の極み。
これがリベラルの言い様です。
芸能人諸君に告ぐ。
こんなものに決して乗ってはいけない。
馬鹿を晒すだけ。
ちなみに、
それでも受信料はちゃんと払っている。
それはそれ、
これはこれ、
うん!