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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

虫の心、水の息

2021-02-01 08:46:28 | 日記・エッセイ・コラム
虫の心である、虫の息ではない。
ちょっとの違いで死ぬ場面です。
水の息とは例の鬼滅の刃の炭次郎の息である。
正しくは水の呼吸である。
つまり呼吸法のことです。
その呼吸を通じて次々と技を繰り出す、
そして鬼を退治する、
その「ものがたり」。
・・・・・
表題は私が勝手に付けたものです。
虫の心は、邪心のない澄み切った心を言う。
水の息は、清らかで爽やかな佇まいを言う。
そこから繰り出す技が鬼を退治する。
水が出てくれば、火も出てくる。
あるのです。
炎の呼吸も。
これは今もまだ上映してるアニメに出てくる、
第二の主人公とも言える人物(キャラクター)、
煉獄杏寿郎の呼吸法である。
そもこのアニメに大して興味があった訳ではない。
でも巷では絶大な人気があると知り、
テレビでの放映もあり、
大変気に入ってしまい、
そんなことで封切りを待ちかねて行きました。
期待通りの面白さ。
炎が出てくれば、火もあるのです。
火は日でもある。
これは一番強い呼吸法であるらしい。
最強の技が発揮できるのだ。
それをヒノカミ神楽と言う。
以下又私の勝手解釈。
「ヒ」とは火であり日である。
炎は火の燃えるさま或いはその最も激しい先端を指す。
それはエネルギーそのもので、
まさに力(強さ)の象徴です。
日は言わずもがな太陽です。
これから連想するのは炎ではない、光です。
光には熱(エネルギー)もあるが、
何より明かりであり照らすものである。
それに太陽フレアのように炎的な面もある。
しかしてこれが最強なのです。
そんなことだが、これは呼吸とは言わない。
神楽と言う、ヒノカミ神楽と。
なかなかに面白い。
・・・・・
神楽を別格とすれば基本的に、
呼吸法が技の源になっている。
息である。
漢字の音読みでは分からないが、
訓読みにすれば日本語の根っこに触れられる。
「息」とは「イキ」であり、「生き」である。
つまり命である。
聖書のエゼキエル書にある一節、
枯れた骨が蘇える場面では、
多くの骨が集まり相つらなった。
そして肉ができ皮膚がおおった。
だがそこに息はなかった。
そこで神の予言通りに骨に言った、
あなたがたのうちに息を入れると。
すると彼らは蘇えった。
つまり息は「イキ」であり、「生き」であるのだ。
そう捉えている。
音読みでは分からないが、
訓読みなら分かるのです。
それは先の「ヒ」も同じ。
それは火であり日である。
日本語はそう捉える。
だから以前にも言ったが、
日本語は物事の分断を好まない。
初めに捉えた意でもってそれを使いまわす。
別物に見えても本質は捉えてる。
そして微妙に使い分ける。
時に語尾や韻律を変えて。
・・・・・
なるほど「まこと」の国である。
現実に触れた最初の感性を大事にして、
どこまでもそれとともに在ろうとする。
だから細分化や抽象化は苦手です。
そこは他言語を利用する。
なおである。
先記の日本語とは大和言葉のことである。
あの本居宣長先生が追い求めた。
ところで今や日本語は膨大な語彙を持つ。
日本語だけですべてを賄えてしまうほど。
基は大和言葉の基本語彙と「てにをは」だが、
その上に漢字述語や和製英語等が乗っている。
それがまた幾らでも乗るのです。
まるでブラックホールのように。
なら、その力とは?
まあ理屈は色々ありましょうが、
ひとまず言霊の力としておこう。