ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本の霊性

2019-11-18 12:29:31 | 日記・エッセイ・コラム
日本の霊性はなぜか聖書的である。
聖書を知らない筈なのに。
歴史上日本に宣教師が来たのは、
大きくは二回ある。
一つは戦国時代である。
一つは明治時代以降である。
付け加えれば、敗戦以降がある。
戦勝国がどさくさに紛れて日本をキリスト教化しようとしたのだ。
(これは私の体験上の意見ですが)
どの時代にも信者はできたが、
特段に増加したようではない。
世界的には珍しいことだろう。
・・・・・
戦国時代に実際宣教師がやってきた。
純粋に布教が目的かは分からないが。
そして日本語を学び布教をしていた。
だから中には帰依する者もいたろう。
だが聞くところによれば、結構論破されていたらしい。
それはつまり、皆それなりの霊性を持っていたからだ。
当時の欧米人キリスト者にも引けを取らない、
ということだろう。
信者には大名が多くいたようだ。
それは信仰もあったのだろうが、
実利を求めていたとも謂われる。
また純粋に布教していた宣教師がいたにしても、
結局欧米諸国の野望が露見してしまい、
知っての通りの仕儀となってしまった。
挙句の果ての島原の乱である。
欧米リベラルはそれを弾圧だと言ってるようだが。
彼らは似非信仰者なのに。
否、似非信仰者だからだ。
・・・・・
ところで彼ら宣教師は聖書を残していない。
日本語で伝えていただろうに。
私が知らないだけなのか。
私が知っている聖書は明治以降に翻訳されたものです。
戦前は文語訳だが、今は口語訳もある。
これは聞いた話だが、
それらとは別に漢字で書かれた聖書があると、
それは西本願寺にあるらしい。
寺宝としているとも。
信憑性はどうも…。
ただ漢字で書かれた聖書があるのは事実だ。
その証は八上城跡の石碑である。
明治維新後のいつ頃かは知らないが、
時の毛利侯が八上城陥落時の城主・波多野秀治顕彰のため、
揮毫し彫られたものである。
それは旧約聖書エゼキエル書の一節である。
枯れた骨の復活を記したものです。
実にふさわしい内容である。
その聖書の一節は明治以降のものとは思われない。
すべて漢字(漢文)なのである。
もっと前からあったと思われる。
・・・・・
にしても、その件は特別だろう。
大方の日本人は聖書を知らない。
日本の古い文学にはまったく形跡がない。
でも霊性は聖書的である。
その理由が私には分かる。
明治時代以降は大いに布教されてきた。
それでも信者がちっとも増えないのだ。
敬虔な信者がいるのに、増えないのだ。
それが印(証)である。
青の世界にいる者に青い染料を掛けても色は変わらない。
そういうことだ。
だから事情は今後も変わらないだろう。
つまり、そも聖書的なのだ。
それが根本にある。