ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

人間宣言という嘘

2016-11-21 12:42:41 | 日記・エッセイ・コラム
昭和天皇は終戦の詔の後、
翌年の正月にも詔を発せられている。
俗に人間宣言と言われるものである。
文章を見れば人間宣言と言われるようなものはどこにもない。
未曽有の事態の中でひたすら国民を思い、
その再起・奮起を願っているのである。
ただ、ある種の誤解については触れている。
以下、
天皇と国民の紐帯は天皇が御神であること、
日本人が他民族より優秀な民族であること、
それを許に世界を支配しようとしてること、
というのは架空の観念であると。
にもかかわらず、
戦後マスコミはこれを人間宣言と言っている。
奇妙なことである。
・・・・・
天皇は祈り主・祀り主である。
その初めより、そして今も。
神は神自身を祈り祀ることはない。
祈り祀るのは人であるからこそだ。
天皇は初めから人間なのである。
人間宣言とは笑止。
人が自分のことを人だと言って何の意味がある。
とんだお笑い種だ。
戦前の日本人も当然分かっていた。
当たり前田だの…である。
ちなみに天皇は陛下という。
陛とは階段である。
天(神の世界)に昇る階段である。
その階段の下で神に祈るのである。
階段の下で神に祈り続けるのである。
だから陛下という。
神に最も近い所に居るのが天皇なのだ。
しかも、その祈りは半端でない。
そんな天皇は庶民から見れば、正に神のごとしである。
だから、人で在りながら神なのである。
それを現人神という。
天皇は戦前も今も現人神なのだ。
・・・・・
だが、その詔を人間宣言と言っている。
戦後マスコミは連合国の言いなりでその手先でしかなかった。
それを隠してひたすら善意の顔をしてきた。
ここにきてメッキが剥げかけている。
というか剥げている。
ついでに言えば、
日本人は如何に勇敢に戦ったか、
それもただ自分達の為だけではなく、
虐げられている人々の為にも、
ということを隠してきた。
反対に、してもいない残虐性を喧伝する。
公共放送のNHKにおいてさえである。
もちろん、マスコミにいるすべての人々がそうなのではない。
一部には違いないのだ。
それは戦後日本に埋め込まれた地雷である。
そろそろ除去しよう。
踏まないよう細心の注意を払って除去しよう。
ともかく、嘘は止めよう。