この度のシナ共産党の重要会議で、
習近平は党の核心となったようだ。
そのような発表があった。
内部では激しい権力闘争があると聞いていたが、
それは収まったというのか。
そんなことはないだろう。
決定的な対立で党が壊れるのを避けるため、
取り敢えず収めたのだろう。
・・・・・
中華思想のシナには歴史的に核心がない。
中華という字義のとおり、皆それぞれ自分が中心なのである。
だから他人を立てることはない。
自分を立てられなければ屈服あるのみである。
それが中華思想であり、その裏返しの事大主義なのだ。
そんな世界に核心などない。
国を支える核心などできはしない。
強い者が王朝を立てるだけである。
そして力がなくなれば交代する。
その繰り返しだ。
それが中華の歴史である。
それが中華の泥仕合だ。
今もって何も変わっていない。
今回の件はそれを糊塗しているだけである。
もとより個人崇拝こそ壊れの元だ。
秦の始皇帝を持ち出すまでもない。
個人は死ねばすべて元の木阿弥になるしかないのだ。
いよいよ末期的症状である。
・・・・・
翻って日本は違う。
核心があるのだ。
国に核心があるのだ。
言うまでもないが、それは天皇である。
天皇は個人ではない。
天皇は天皇だ。
世々に引き継がれるものである。
神武天皇という初めはあるが、天皇に終わりはない。
日本が在る限り天皇は在る。
天皇が在る限り日本は在る。
それが日本である。
それが悠々たる(二千年を超える)日本の歴史である。
細切れのシナの歴史とは違う。
・・・・・
日本人ももちろん個人はそれぞれ自分が主役である。
主役であっても核心だとは思わない。
自分一人で生きているとは思わない。
世に生かされていると思い、
世のお陰様で生きていると思うのだ。
そういうことだが、それでは余りに取り留めがない。
相対的に過ぎるのだ。
そこに核心がある。
天皇という核心が。
それが安定の礎である。
それが国の礎である。
習近平は党の核心となったようだ。
そのような発表があった。
内部では激しい権力闘争があると聞いていたが、
それは収まったというのか。
そんなことはないだろう。
決定的な対立で党が壊れるのを避けるため、
取り敢えず収めたのだろう。
・・・・・
中華思想のシナには歴史的に核心がない。
中華という字義のとおり、皆それぞれ自分が中心なのである。
だから他人を立てることはない。
自分を立てられなければ屈服あるのみである。
それが中華思想であり、その裏返しの事大主義なのだ。
そんな世界に核心などない。
国を支える核心などできはしない。
強い者が王朝を立てるだけである。
そして力がなくなれば交代する。
その繰り返しだ。
それが中華の歴史である。
それが中華の泥仕合だ。
今もって何も変わっていない。
今回の件はそれを糊塗しているだけである。
もとより個人崇拝こそ壊れの元だ。
秦の始皇帝を持ち出すまでもない。
個人は死ねばすべて元の木阿弥になるしかないのだ。
いよいよ末期的症状である。
・・・・・
翻って日本は違う。
核心があるのだ。
国に核心があるのだ。
言うまでもないが、それは天皇である。
天皇は個人ではない。
天皇は天皇だ。
世々に引き継がれるものである。
神武天皇という初めはあるが、天皇に終わりはない。
日本が在る限り天皇は在る。
天皇が在る限り日本は在る。
それが日本である。
それが悠々たる(二千年を超える)日本の歴史である。
細切れのシナの歴史とは違う。
・・・・・
日本人ももちろん個人はそれぞれ自分が主役である。
主役であっても核心だとは思わない。
自分一人で生きているとは思わない。
世に生かされていると思い、
世のお陰様で生きていると思うのだ。
そういうことだが、それでは余りに取り留めがない。
相対的に過ぎるのだ。
そこに核心がある。
天皇という核心が。
それが安定の礎である。
それが国の礎である。