ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

一君万民

2015-03-23 10:18:53 | 日記・エッセイ・コラム
一君万民とは日本の国体である。
日本の在り方の根幹である。
天皇は世界の王とは違う。
権勢を誇ることはない。
豪華絢爛な宮殿を建てることもない。
質素なものである。
天皇の傍らで権勢を誇った者もいた。
奢れる者は久しからず。
皆滅んで行く。
歴史はそう語っている。
天皇は覇王ではない。
祈りの王である。
祭祀王なのである。
そして神でもある。
見立てとしての神である。
戦後は象徴と言っているが。
・・・・・
一君万民とは、
つまり、
天皇の前では皆ただの民である、
ということだ。
自由・平等などは欧米から取り入れたと、
多くの人は思っている。
表面的にはそうだ。
実はそうではない。
日本には初めからあったものだ。
見立ての神(祭祀王)を頂いている日本では、
それ以外の民は皆神の赤子である。
そこに上下の別はない。
対等なのである。
ゆえに万民の間にはお互いを縛るものはない。
互いに自由なのである。
それが国体である。
日本に奴隷制度がなかったのは、
このことによる。
もちろん生まれや能力など皆それぞれ違いがある。
それに社会を治めるには秩序が必要だ。
その為の役割分担は当然ある。
男女の違いはもちろん、職業の違いも上下関係もある。
それだけのことだ。
・・・・・
自由とか平等という言葉は、
日本では殊更に必要ではなかった。
でも欧米では必要だった。
どうしても必要だった。
まあ、そういうことだ。
でも不可思議なことである。
一君万民とは、
イエスとその僕の関係に同じである。
相似形である。
まったくもって…。