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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本人の祈り

2015-01-13 17:06:21 | 日記・エッセイ・コラム
神という言葉がある。
言葉の始めは音である。
話し言葉である。
「かみ」は「神」と書くが、
「上」と書いても「かみ」と読める。
漢字はそもそも当て字である。
神と上は同じ根を持つ。
・・・・・
「かみ」とはつまり自分から見て上ということである。
自分を人と置き換えれば、人より上ということである。
人(自分)より上の大いなるもの、
それが「かみ」である。
日本の旅館では仕切る者を「おかみさん」と呼ぶ。
宮中では天皇のことを「おかみ」と呼ぶらしい。
「かみ」とは自分より上のものである。
古来日本では目上の者を呼ぶときは名前を呼ばない。
だから「かみ」と呼ぶのである。
・・・・・
日本人はよく神に祈る。
神社に詣でるだけが祈りではない。
無意識に祈ることがある。
どうしようもなく困った時など。
祈りは一見頻繁にはなさそうだが、
本来日常的なものである。
日本人にとっては。
祈るには相手が必要である。
相手あっての祈りである。
「かみ」の前でひたすら謙虚になる。
その謙虚さが心を鎮める。
そして鎮められた心が次に躍動する。
それが祈りである。
祈る相手は普通は神である。
でも神でなくてもよい。
「かみ」であれば何でもいい。
人でもいい。
他の動物でもいい。
木や石でもいい。
存在するものすべてに謙虚になれば、
存在するものすべてが「かみ」である。
謙虚の真(まこと)である。
それが日本人の祈りである。
・・・・・
天皇は祈り主である。
日本人総体の芯として祈り続ける、
心柱であり祭祀王である。
かくいう天皇を戴く日本は、
まさに祈りの国である。