日本文明は循環の文明である。
循環の文明は「初まり」と「終わり」がない。
ただ、在るだけである。
過去も未来も今も、ただひたすらにともに「在る」だけである。
同じような状態でただ在るだけである。
それを「循環」と呼んでいる。
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存在するものを個でみれば、
自我があると思わざるを得ない。
私が私であるように。
それは人間にだけ在るとも思えない。
存在するものすべてに在るのだろう。
だとしても、
どこまで細分化すれば究極の個に至るのか。
人の身体は60兆個の細胞でできている。
各細胞には幾多の核がある。
核はまた幾多の…。
際限なき過分性である。
個といえども所詮個の集まりである。
自我もまた自我の集まりか。
私の自我は大きな宇宙自我の一部か。
考えても分からない。
ほっておこう。
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何を言いたいかといえば、
日本人の自我は全体を意識した自我である、
ということである。
欧米文明とは発想が違う。
ついでに言うと、
中国人は究極の個人主義だと言われる。
だとすれば、
日本人と中国人は絶対合わない。
納得。