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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

結果論を思う

2013-10-26 10:12:40 | 日記・エッセイ・コラム

人は何も持たずに生まれてきて、何も待たずに去る。

この世に絶対はないと言われる。

が、一つだけある。

生あるものは必ず滅す。

これは絶対である、逃れられない。

人生の結果は決まっている。

すなわち逝くのである。

結果が決まっているのに、

結果を求めるのは、

意味がない。

だから結果論が嫌いである。

就中、結果がすべてだという言い方は大嫌いである。

生きるとは結果ではなく経過である。

生き方、働き方などという言い方に込められているもの、

すなわち姿勢がすべてである。

背筋を伸ばして、前を向いて……

それでいい。

・・・・・

結果論にも意味がない訳ではない。

すべては経過であるといっても、

その途中に通過点を設定し、

思いをめぐらすことに意味はある。

それは茫漠とした経過の中で拠り所となるものである。

経過とは小さな結果の積み重ねでもある。

だから結果を求めることも必要である。

それがどんな結果でも、結果には常に意味がある。

それは次の結果への道標となる。

しかしである。

すべての結果はつまりは経過である。

そのことは肝に銘じよう。