創価学会の信仰に功徳はあるか?

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558.「利根と通力とにはよるべからず」の不確かさ

2023年11月25日 07時18分34秒 | 他宗の勧請/祈祷
●利根と通力とにはよるべからず

唱法華題目抄(昭和定本)西暦1260年
但法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。
文応元年〔太歳庚申〕五月二十八日 日蓮 花押 於鎌倉名越書畢

よるが依るなのか寄せるなのか別の漢字なのかわかりません。

若い時の日蓮さんは真言密教を問題を感じてやめたのか超能力のような勧請/(加持)祈祷の能力がなく挫折したのかわかりません。

鎌倉時代でも現代でも祈る内容は在家信者は、何を祈っても構わないでしょう。宗教ってそうしたものでしょうし。仕方ないと思います。

祈雨、雨やみ、五穀豊穣、鎌倉時代の戦の戦勝祈願は坊さんがすべき仕事だと思います。
日蓮さん坊さんがする勧請祈祷のできることできないことが不明瞭なままだと思います。

在家信者には、なんでも叶うよ、なんでも祈りなさい、と思いやりで言うのはいいとしても、教理教学と他宗批判の理屈として語っていいかは非常に疑問です。

よるのどの漢字なのかわかりません。

唱法華題目抄は対告衆の宛名がないだけでなく、他の記録もないので真蹟をだれが受け取ったか分かりません。

1.天台密教や真言密教で修行し能力を持った僧侶が勧請/祈祷すべきである。
2.モノマネでもいいから僧侶が勧請/祈祷すべきである。
3.在家信者も能力を持つ修行をし勧請/祈祷すべきである。
4.在家信者もモノマネでいいから勧請/祈祷すべきである。
5.日蓮法華曼荼羅を必要とする場合とない場合それぞれで法華経を読誦し神仏を信じれば、修行せずとも誰でも自動的(automatic)に勧請出来て祈りは叶う。

鎌倉時代は現代文明も消防や警察や医療もなかったので現代人に想像できない不幸はたくさんあったと思います。
なぜ日蓮さんが毎日、勧請/祈祷し多くの人を救わなかったのかか私は疑問です。
日興から日顕までの法主にも言えることです。

●他宗祈祷師と信仰対象でしかできないこと。

創価員時代はなんでも叶うとの指導でした。
邪宗の祈りは叶わない、正宗と創価だけが祈りは叶うと。
内得信仰時代、バルサン焚いたら日蓮法華曼荼羅が真っ白になり慌てて題目をあげたら文字が戻った。諸天善神が出ていくのを見た体験が創価の指導でありました。
洗濯機が故障して祈ったら手に入った体験は私が脱会する少し前にも創価学会の外合で語られていました。過去記事にも書いてあります。

他宗祈祷師と信仰対象から私が学べることは、何でもかんでも祈りは叶わない。
しかし他宗祈祷師と信仰対象でしかできない超能力のようなことができる。

●信仰者が「困った人のところへ行く」とは?

一般的に宗教でよくある「困った人のところへ行く」そんな思想や教えがあります。

祈雨、雨やみ、五穀豊穣、鎌倉時代の戦の戦勝祈願をブログ記事で私は取り上げています。

日照り、大雨や台風、凶作、戦争など人にとって困ったことが起きたら、僧侶がその場に行って解決すばいいではないでしょうか?もちろんお寺にこもって祈祷するスタイルも否定しませんが。

僧俗どちらでも信仰者が困ったことが起きたら神仏に来て欲しい(勧請や招来、来迎など単語はなんでもいい)、困ったから勧請と祈祷し、日蓮法華で必要なのが本尊や諸天善神を文字にすることでは?

●他宗祈祷師とその教団の信仰対象が一番

 祈祷師は複数いて各宗派にいることは再三再四書いて来ました。
他宗祈祷師と「準じる力を持った方々」はTPO次第で、どの神社仏閣でも行ってます。

私にとって他宗祈祷師と信仰対象が一番なのは言うまでもなく読者にわかると思います。
過去記事に書いた通り、聖職者はどの教団の修行でもすべきだと考えており今でも変わってません。
加えて自分自身も(全く選ばないわけではないですが)古いお寺や神社など本尊や神仏を調べた上でなら、どの教団の神仏を拝む必要があるか、どこへ行ってもいいと考えています。
結界を重視するので創価や正宗には絶対に行きたくありません。
私の意見と行動は、もう標準的とか日本国内の教団の信仰ではなくなってます。


(再掲載)川島 清秀「宝劔 日蓮大聖人の教義」P63以降
548.勉強用資料 正法華経、妙法華経の十羅刹女、本地垂迹 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

日蓮さんの様々な諸天善神を拝む思想が曼荼羅に証拠として残っています。

正宗信者がよく言う他宗は邪宗なんですかね?
正宗信者がよく言う他宗信仰者は邪師なんですかね?
法華経が釈迦直説で五時八教も正しかったら、それで良かったんでしょうけど。

日蓮さんがとても真面目に勧請と祈祷し、諸天善神の来迎を各々見て確認し、諸天善神の名前を書いたとは思えません。
日蓮さんに思いやりはあったと思いますが、諸天善神各々を見た記録はありません。
諸天善神各々を見た記録が無理だとしても、諸天善神各々が「幸せを振りまいた」記録もありません。

下山御消息の祈雨勝負には、祈雨勝負した!雨が降った!祈りがかなった!幕府要人や念仏僧はひどい!としか書いてありません。
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