創価学会の信仰に功徳はあるか?

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548.勉強用資料 正法華経、妙法華経の十羅刹女、本地垂迹

2023年06月07日 07時00分17秒 | その他
勉強用資料 

●正法華経、妙法華経の十羅刹女

京の霊場 十羅刹女

●(再掲載)川島 清秀「宝劔 日蓮大聖人の教義」P63以降



●日蓮宗電子聖典 (c)日蓮宗

本地垂迹説

「本地より迹を垂る」と読み、本地垂跡とも書く。本地とは本体という意味で仏・菩薩の真実身、根本身を指し、垂迹とはそれらの仏・菩薩が人びとを救うために種々のすがたに身を示し、足迹を垂れることをいう。この思想のよりどころとなったものは、法華経の本迹二門、ことに本門寿量品の久遠実成の釈尊を絶対仏とする六或示現の法門、及び『大日経』の本地加持説にあるといわれる。仏教が日本に伝来すると、日本古来の神祇と仏教の諸仏・諸菩薩との習合が行われ、仏・菩薩を本地と見なし、神祇を垂迹として両者の不二一体が説かれるようになった。奈良時代にはこの神仏習合思想の萠芽が見られ、平安時代末期には、ほとんどの神社の本地身が定められていたようである。日蓮聖人の蒐集された『念仏者追放宣状事』の「山門の奏状」には「謹んで百神の本を討(たずぬる)に、諸仏の迹に非ざること無し。所謂(いわゆる)伊勢大神宮・八幡・加茂・日吉・春日等は皆是れ釈迦・薬師・弥陀・観音等の示現なり」(定二二六〇頁)とあって、当時の本地垂迹思想の一端をうかがうことができる。日蓮聖人は『諫暁八幡抄』に、八幡大菩薩の本地について「本地は釈迦如来にして月氏国に出でては正直捨方便の法華経を説き給ひ、垂迹は日本国に生れては正直の頂にすみ給ふ」(定一八四九頁)と述べて本地垂迹思想の影響が見られる。また『神国王御書』にもこの思想が顕著であるが、聖人の神祇観はあくまでも法華経の久遠実成の釈尊を基として、その法華経守護の神祇という位置づけであってその逆ではない。なお鎌倉末期より室町期にかけて神道の教義が形成されるに及び、神本仏迹という反本地垂迹説が唱えられるようになった。これらの神仏習合は明治の神仏分離に至るまで続くことになるのである。

●神仏同体説

神仏同体説(しんぶつどうたいせつ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

●浄土真宗系のサイト

神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ)|Historist(ヒストリスト)

●日蓮正宗富士大石寺と貞明皇太后

〜 日蓮正宗富士大石寺の信仰に励んだご信徒たち ⑥貞明皇太后様 〜 | 日蓮正宗 妙眞寺若葉会ホームページ

>総本山第六十二世日恭上人お認したための常住御本尊様が、秩父宮殿下御夫妻と、貞明皇后へ御下附されたのであります。市石青年の折伏により入信された北条彜子さん、そして北条さんの折伏による松平信子さんお二方の信仰体験談が残されておりますので御紹介致します。

●他(比較宗教学)

比較宗教学の誕生|国書刊行会

比較思想から見た日本仏教 - 法藏館 おすすめ仏教書専門出版と書店(東本願寺前)-仏教の風410年

●日蓮の信仰歴

諸天善神の関わりは日蓮曼荼羅や遺文を見ればわかるが、重視したのは現代から見た日蓮系の天台法華。

犀角独歩さんはTwitterを使っています: 「ちょっと日蓮の信仰歴を整理 修行中は雑密で虚空蔵不動愛染信仰で雑密 その後は顕密兼学 『守護国家論』時点でも台密で真言法華 『立正安国論』時点では権実判で法華経典帰依 有信には一貫して本迹判で題目帰依 深信には教観判で一念三千観心 しかし佐後は有智無智を嫌わず但行唱題となったか」 / Twitter

●補足

比較政治学という分野もあるらしい。
将来、公明党が比較されたら昭和30、40年代と違い平成中期以後の様変わりが明らかになるだろう。
世界的にも宗教政党として役割を果たしないことが明らかになると想像する。
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