創価学会の信仰に功徳はあるか?

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450.希望を与えられたから、嘘でもよいのか?池田大作でもよいのか?

2018年05月24日 00時52分39秒 | 創価学会
創価など正宗系教団が嫌われる理由や馬鹿にされる理由は沢山あります。
嘘や信仰の押し付け、裁判沙汰、数々の犯罪。他宗の信仰を認めなかったり、他宗への誹謗中傷。

創価学会員が歪んだ元気を持っている理由は過去記事に書いたとおり次の2つ。
(1)理屈の面では、創価学会は正宗教学や大御本尊などを絶対視し布教の際に利用してきました。
(2)情の面では、 末端会員の優しさやサポート力で、昭和の時代から人を騙してきたに過ぎません。

他にも高度経済成長期に乗っかることが出来て、経済的ご利益を功徳だと勘違いした等々の理由があります。

他にも創価学会員はみんないい人、とか。頑張ることは大事だとか良いことだとか平和が大事だとか。
池田先生は激励してくれたから、池田先生が私に元気、希望、感動を与えてくれたから、こうした理由が多いです。
(1)(2)だけでなく、激励や元気、希望、感動を与えてくれたという理由で末端会員が池田大作アピールしたり、創価員が自分アピールをしても認められるのでしょうか?

栗城史多さんが登山して亡くなり、ニュースになっています。
参考になる記事を見つけましたので残しておきます。

森山編集所: 栗城史多という不思議2
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2017年6月9日金曜日
栗城史多という不思議2

先日書いた栗城史多さんの記事、このブログを始めて以来最大のアクセスを集めました。ある程度拡散するかなとは思っていたけど、予想以上。ツイッターやフェイスブックでもたくさんシェアされて、その後会ったひと何人からも「読みましたよ」と感想を聞かされました。なんと栗城さん本人からもフェイスブックの友達申請が来て、ひえーと思いつつもOKを押しておきました。

(中略)

●それでも嘘はいけない

(中略)

その一方で、栗城さんは少なくない数の人に共感・感動を与えていることも感じていました。それはひとつの価値であります。それを最大限に生かすには、登山雑誌ではなく、テレビとかのほうが活躍の場としては合っているんだろうとも思っていました。だから別ジャンルの人物として静観していたというのが、じつのところです(PEAKS編集部時代の元上司が、私が退職後に栗城さんに取材を申し込んでいたことを今回初めて知りました。登山雑誌は取材NGということで断られたそうです)。

ただし、一点だけどうしても気になるところが。数年前から気になっていたのですが、今回のブログの反響をもとにあらためていろいろ調べて、確信を深めました。それは、「栗城さん、嘘はいけないよ」ということ。

「単独といいながらじつは単独じゃない」とか、「真の山頂に行っていない」とかの嘘もあるみたいですが、個人的にはそれは、いいこととは言わないにしろ、まあどちらでもよい。本質がショーなのだとすれば、それは小さな設定ミスといえるレベルの話で、比較的問題が少ないから。どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。

ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。

そんなわけないだろ。

ということは、だれよりも栗城さん自身がわかっているはず。本気で行けると考えているとしたら、判断能力に深刻な問題があると言わざるを得ない。ノーマルルートが峠のワインディングロードなら、北壁や西稜の無酸素単独は、トラックがビュンビュン通過する高速道路を200kmで逆走するようなもの。ところが、そんな違いは登山をやらない普通の人にはわからない。そこにつけこんでチャレンジを装うのは悪質だと思うのです。

●なぜ嘘がいけないのか

難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。

つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。
これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。

もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。

栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。

そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。

(以下略)
----------<ここまで>----------

信仰の自由が憲法で保証されているからといって、人様他人様に嘘や不愉快を与えて良いのか?ということ。

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どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。
----------<ここまで>----------

やはり正宗の坊さんも創価本部職員も自身のご利益や見返りは求めず、布教や他者救済の実力を示すべきですね。
実力があればとっくにやっているでしょう。実力が無いから自分たちでは布教せず信徒会員にさせてばかりです。
本気を見せてほしいものです。

布教については、池田大作は誰も折伏できてないと思います。弟すら本当に入信したのか怪しい。
平和については、ソ連と中国の紛争解決も両国の官僚、政治家、軍人の間で決まっていたことです。
若し本当ならば、何故に無数にある大小の紛争を池田大作や創価が止められないのでしょうか?

本門戒壇の大御本尊、日蓮正宗の教義、日蓮遺文これらは必要なんですかね?不要なんですかね?

以上

参考リンク

エベレストで死亡の栗城史多さん 「無謀を美談にしてはいけない」と批判の声も – しらべぇ | 気になるアレを大調査ニュース!

栗城史多の嘘とは?生前の肉声公開。遺体発見場所は何メートル地点?


オウム真理教(現アレフ) 麻原彰晃 空中浮揚のトリックを解明する - YouTube

空中浮揚の嘘一つだけで、オウム(現:アレフ)信者はオウムの全てを肯定していました。

拙ブログのリンクと引用

106.不幸でも妥協を許さない正直になれない創価 (夫婦恋人で信仰が違う時 その4) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
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