とある方(Aさん)からメールを頂いた。日蓮正宗の人に関する情報だった。それによると創価を退会した人、したい人、疑問を持っている人に限っているようだが、メールで日蓮正宗の人が勧誘している様だ。実をいうと日蓮正宗の人の件は過去にも別の人からメールを貰っているので今回、初めてではない。
もちろんメールでも掲示板でもブログでもネットでもリアルでも何処でも勧誘しても良いでしょう。法律違反じゃないし、私も日蓮宗が一つであるべきとは書いてきましたからね。私も何人もの人とお互いにna○やtabu○について「意見、見解」をメールでしていたし、tabu○も自分のブログで私をイッチャッテいる人って書いていましたし、秘密掲示板で私を罵倒や罵っていたと思う。お互い様でしょう。特に信仰者の場合、それがどういう事かは過去記事に再三書いてきました。
●折伏のやり方
創価にいて折伏のやり方で「相手を選ぶな!」というものがある。つまり上司でも目上であっても年下であっても誰であっても破折せよ!!!!ということだ。過去の記事かコメントに書いたが、実際に婦人部の人が道を歩いている見ず知らずの若い人をつかまえて折伏できたそうである。ホントかどうかは知らないがそう言う体験を聞いた事がある。創価の裁判や罵倒座談会で良く書かれている「何時何処で誰が?」がさっぱり抜けていますけどね。
自分の周りにいる人、関わっている人全てを折伏しようという物である。実際はそんな事を出来る人は20代~40代の人には全くいないと思う。終戦直後の混乱期にそう言う事をやった人、今の壮年部婦人部がいるがごく少数だ。
実際に今、やっていたら大問題だろう。非常識人としてね。またやっていて高確率で入信していなければ自分の信仰に自信が持てないのだからまたそれも問題でしょう。今の(折伏や仏法対話、入信説明がほとんど無い)お守り御本尊配布、「さくらちゃん運動」の状況からして私が退会した時よりも更に折伏自体がとても困難だと思われる。
先に書いたとおり、折伏して話を聞いてくれる人は少ない。なので少しでも仏法対話してしまうと非常にしつこい。(16番、17番、122番。)だからリアルでもネットでも相手の状況や気持ちを無視して折伏する可能性があるのだ。仲良くなってからとか、信用されてから、というのが無い。
●組織の問題
私の場合、人のサポートという意味で創価の巨大組織ですら問題だ、と書いているのに小さな組織サポート力の無さそうな正宗に行くわけがない。もちろん過去記事に書いてきたとおり、とある地方組織は男子部本部長の上は方面青年部長、その上は副会長だったので風通しが良かったと書いてきたのも事実。でもこれは巨大組織創価の場合、創価のモデルケース?なんですよね。。。。。
組織大きい小さいは一概には言えないが、私の場合は日蓮正宗、僧侶が悩みや問題を解決する為に実際に奔走するとは思えない。私が指導を受けた際に創価の幹部の方に奔走して頂いて、06番88番に書いてきた結果のとおりです。そんな事を妻帯子持ちの僧侶がするとは思えない。「題目、信力、祈り、の力で」という物かも知れないが、それだけでは駄目でしょう。だから創価には「指導」っていう良き?風習がある(あった?)んですけどね。実際は問題解決できるばかりではありません。証拠として、私が実際に疑問のまま退会に至ってるでしょう?
創価と日蓮宗の信仰教義の問題は「トップの問題であり」どちらの信徒も「トップから」教えられたか、「トップから」新しい解釈、違う解釈を新たにインプットされただけでは???そもそも他宗教と争うのであればともかく、内輪モメでしかないのに気が付かないのか?非常に醜いし、「いちご」さんという人は、折伏の説明するのが面倒くさいのかお手軽にしたいのかも知れない。それ以外に創価退転者をつけねらう理由が不明だ。「創価で苦労して可哀想、大変でしたね?」っていうならともかくさ。
日蓮正宗から創価に移った人の体験を新聞で読んだ事があるが、大御本尊から離れるのは勇気がいったと思う。一般の人から見たら、どう見ても上下関係は正宗と創価では創価の下に見えるだろう。だけどそれでも離れるほどの嫌な(僧侶がいる?)事があるか教義か、本人か創価の体験談があったに違いない。もちろん創価から日蓮正宗に移った人も知っているし、部長と一緒に私自身も家庭訪問した事が一度だけある。
そこには信徒同士での罵倒はない。「こちら側(創価)に来て良かったね。」「そちらにいて大丈夫?こっち来ませんか?」という物だった。
●日蓮正宗の罵倒。
さて話が元に戻るが、くだんの日蓮正宗の人は過去ここに来て一方的にコメントを残して私の不信感を買い、そのまま謝罪も説明も無しに去っていった人である。
創価学会の信仰に功徳はあるか?:ジョブズの卒業祝賀スピーチ。(功徳とノルマの狭間で苦しんでいる人へ。)
ここのコメントを残している人がそうだ。メールをくれた人によると、創価を退会したい人に対して何度も勧誘があった様だ。日蓮正宗も仏法の話も結構ですと何度も断っても「会おう、電話しよう」だったそうで。
さらに、疑問に思えるのは「私とある人」の事を「精神がやられてる」と言い出したらしい。そして、「それに気付かないあなた(創嘘にメールくれた人)もヤバイ」と感じるんだそうです。
最も問題と言えるのは、ある人、木レ(1)レZ9☆さんのことまで非難している事だと思う。日蓮正宗にとっても創価にとっても私は退転者なのである程度罵倒は仕方ないかもしれない?経文や御書の解釈にもよるが。。。。。創価もna○の様にああいった罵倒表現付きで勧誘はする。。。。。tabu○も私をブログでイッチャッテいる人って書いていた。彼らの場合、自己満足の為なのはもう明白。このある人は普通の創価の人だ。アンチの私から見てもいい人だと思う。念の為に伏せ字wにしてある。(^_^;)
「精神がやられてる」「それに気付かないあなた(創嘘にメールくれた人)もヤバイ」こういう表現はどういう事なのだろう。
創価学会の信仰に功徳はあるか?:とあるブログで日蓮正宗の人との対話。ここに書いたとおり、「どうしてこう、創価も日蓮正宗も信心している人同士で信心の未熟さを慈悲でフォローしないのでしょうかね?」
仮に私が日蓮正宗に宗旨替えしたら彼女(女性?)はなんて私に言うつもりだろうか(笑)?どういう性格しているのだ?
最も重要な本人の幸福や教義の幸福の証拠を出せ!!!!!!!!!!
ともかく、ここにコメントを残してくれた人の名言で、
「宗教のアウトプットは人である。」
ということから、「いちご」さんという人からメールやコメントを貰う人は気を付けて貰いたい。彼女自身に問題があるか、日蓮の宗教に問題があると思う。
彼女個人や日蓮正宗、日蓮に問題があるという決定的な証拠はここでは書いていません。馬鹿、アホ、死ね、頭おかしい、「精神がやられてる」「ヤバイ」などの誹謗中傷ではありません。問題があるという断言ではなく、一つの可能性として、私の個人の意見、見解です。皆さんの意見もコメントも自由です。私のブログのいちごさんと(Aさんに)メールを送ったいちごさんが同一人物なのは確認が取れています。
結論として、罵倒表現などで人を不愉快にするのが日蓮宗教であり、創価と宗門で簡単に意見が分かれています。つまり 「意見が分かれるスキのある宗教」 と言う事です。また、日蓮宗全体として分裂して日蓮をないがしろにしても、大川隆法に利用されたりしてもなんの罰もない意味のない宗教と言えるかも知れませんね。
何か反論ありましたらお待ちしております。>いちごさん。
なお参考までに。
Release Heart | 対話と論議…わめさんちで語ったこと
>今、『日蓮自伝考~人、そしてこころざし』山中講一郎著を読みかけているんですが、その中に罰論のことに触れている箇所があり、日蓮大聖人は誰に向けて、そのようなことを説いたか?ということが書かれてあり、必ずしも、信者個人や、悩んでいる人、病気で苦しんでいる人に向けられた言葉ではなく、時の権力者、為政者、庶民を苦しめる宗教家に向けられた言葉であると。 それを、今の学会員の中には、個人に向け発している人がいると思われます。そういう人が、誤った?用い方、目的を履き違えた形で自己流に使っていると感じます。言葉そのものは御書に載っているんだから間違いではないかもしれない。だけどだけど…です。そういうところで、学会員同士でも解釈や目的が違って、争っているケースがあるのではないかと思います。こういう場合、不毛ですね、かなり…
日蓮自伝考
私は日蓮に興味を失いつつあるので買うつもりがありません。興味のある人は読んでみては?どなたか是非感想を聞かせて下さい。
以上。
もちろんメールでも掲示板でもブログでもネットでもリアルでも何処でも勧誘しても良いでしょう。法律違反じゃないし、私も日蓮宗が一つであるべきとは書いてきましたからね。私も何人もの人とお互いにna○やtabu○について「意見、見解」をメールでしていたし、tabu○も自分のブログで私をイッチャッテいる人って書いていましたし、秘密掲示板で私を罵倒や罵っていたと思う。お互い様でしょう。特に信仰者の場合、それがどういう事かは過去記事に再三書いてきました。
●折伏のやり方
創価にいて折伏のやり方で「相手を選ぶな!」というものがある。つまり上司でも目上であっても年下であっても誰であっても破折せよ!!!!ということだ。過去の記事かコメントに書いたが、実際に婦人部の人が道を歩いている見ず知らずの若い人をつかまえて折伏できたそうである。ホントかどうかは知らないがそう言う体験を聞いた事がある。創価の裁判や罵倒座談会で良く書かれている「何時何処で誰が?」がさっぱり抜けていますけどね。
自分の周りにいる人、関わっている人全てを折伏しようという物である。実際はそんな事を出来る人は20代~40代の人には全くいないと思う。終戦直後の混乱期にそう言う事をやった人、今の壮年部婦人部がいるがごく少数だ。
実際に今、やっていたら大問題だろう。非常識人としてね。またやっていて高確率で入信していなければ自分の信仰に自信が持てないのだからまたそれも問題でしょう。今の(折伏や仏法対話、入信説明がほとんど無い)お守り御本尊配布、「さくらちゃん運動」の状況からして私が退会した時よりも更に折伏自体がとても困難だと思われる。
先に書いたとおり、折伏して話を聞いてくれる人は少ない。なので少しでも仏法対話してしまうと非常にしつこい。(16番、17番、122番。)だからリアルでもネットでも相手の状況や気持ちを無視して折伏する可能性があるのだ。仲良くなってからとか、信用されてから、というのが無い。
●組織の問題
私の場合、人のサポートという意味で創価の巨大組織ですら問題だ、と書いているのに小さな組織サポート力の無さそうな正宗に行くわけがない。もちろん過去記事に書いてきたとおり、とある地方組織は男子部本部長の上は方面青年部長、その上は副会長だったので風通しが良かったと書いてきたのも事実。でもこれは巨大組織創価の場合、創価のモデルケース?なんですよね。。。。。
組織大きい小さいは一概には言えないが、私の場合は日蓮正宗、僧侶が悩みや問題を解決する為に実際に奔走するとは思えない。私が指導を受けた際に創価の幹部の方に奔走して頂いて、06番88番に書いてきた結果のとおりです。そんな事を妻帯子持ちの僧侶がするとは思えない。「題目、信力、祈り、の力で」という物かも知れないが、それだけでは駄目でしょう。だから創価には「指導」っていう良き?風習がある(あった?)んですけどね。実際は問題解決できるばかりではありません。証拠として、私が実際に疑問のまま退会に至ってるでしょう?
創価と日蓮宗の信仰教義の問題は「トップの問題であり」どちらの信徒も「トップから」教えられたか、「トップから」新しい解釈、違う解釈を新たにインプットされただけでは???そもそも他宗教と争うのであればともかく、内輪モメでしかないのに気が付かないのか?非常に醜いし、「いちご」さんという人は、折伏の説明するのが面倒くさいのかお手軽にしたいのかも知れない。それ以外に創価退転者をつけねらう理由が不明だ。「創価で苦労して可哀想、大変でしたね?」っていうならともかくさ。
日蓮正宗から創価に移った人の体験を新聞で読んだ事があるが、大御本尊から離れるのは勇気がいったと思う。一般の人から見たら、どう見ても上下関係は正宗と創価では創価の下に見えるだろう。だけどそれでも離れるほどの嫌な(僧侶がいる?)事があるか教義か、本人か創価の体験談があったに違いない。もちろん創価から日蓮正宗に移った人も知っているし、部長と一緒に私自身も家庭訪問した事が一度だけある。
そこには信徒同士での罵倒はない。「こちら側(創価)に来て良かったね。」「そちらにいて大丈夫?こっち来ませんか?」という物だった。
●日蓮正宗の罵倒。
さて話が元に戻るが、くだんの日蓮正宗の人は過去ここに来て一方的にコメントを残して私の不信感を買い、そのまま謝罪も説明も無しに去っていった人である。
創価学会の信仰に功徳はあるか?:ジョブズの卒業祝賀スピーチ。(功徳とノルマの狭間で苦しんでいる人へ。)
ここのコメントを残している人がそうだ。メールをくれた人によると、創価を退会したい人に対して何度も勧誘があった様だ。日蓮正宗も仏法の話も結構ですと何度も断っても「会おう、電話しよう」だったそうで。
さらに、疑問に思えるのは「私とある人」の事を「精神がやられてる」と言い出したらしい。そして、「それに気付かないあなた(創嘘にメールくれた人)もヤバイ」と感じるんだそうです。
最も問題と言えるのは、ある人、木レ(1)レZ9☆さんのことまで非難している事だと思う。日蓮正宗にとっても創価にとっても私は退転者なのである程度罵倒は仕方ないかもしれない?経文や御書の解釈にもよるが。。。。。創価もna○の様にああいった罵倒表現付きで勧誘はする。。。。。tabu○も私をブログでイッチャッテいる人って書いていた。彼らの場合、自己満足の為なのはもう明白。このある人は普通の創価の人だ。アンチの私から見てもいい人だと思う。念の為に伏せ字wにしてある。(^_^;)
「精神がやられてる」「それに気付かないあなた(創嘘にメールくれた人)もヤバイ」こういう表現はどういう事なのだろう。
創価学会の信仰に功徳はあるか?:とあるブログで日蓮正宗の人との対話。ここに書いたとおり、「どうしてこう、創価も日蓮正宗も信心している人同士で信心の未熟さを慈悲でフォローしないのでしょうかね?」
仮に私が日蓮正宗に宗旨替えしたら彼女(女性?)はなんて私に言うつもりだろうか(笑)?どういう性格しているのだ?
最も重要な本人の幸福や教義の幸福の証拠を出せ!!!!!!!!!!
ともかく、ここにコメントを残してくれた人の名言で、
「宗教のアウトプットは人である。」
ということから、「いちご」さんという人からメールやコメントを貰う人は気を付けて貰いたい。彼女自身に問題があるか、日蓮の宗教に問題があると思う。
彼女個人や日蓮正宗、日蓮に問題があるという決定的な証拠はここでは書いていません。馬鹿、アホ、死ね、頭おかしい、「精神がやられてる」「ヤバイ」などの誹謗中傷ではありません。問題があるという断言ではなく、一つの可能性として、私の個人の意見、見解です。皆さんの意見もコメントも自由です。私のブログのいちごさんと(Aさんに)メールを送ったいちごさんが同一人物なのは確認が取れています。
結論として、罵倒表現などで人を不愉快にするのが日蓮宗教であり、創価と宗門で簡単に意見が分かれています。つまり 「意見が分かれるスキのある宗教」 と言う事です。また、日蓮宗全体として分裂して日蓮をないがしろにしても、大川隆法に利用されたりしてもなんの罰もない意味のない宗教と言えるかも知れませんね。
何か反論ありましたらお待ちしております。>いちごさん。
なお参考までに。
Release Heart | 対話と論議…わめさんちで語ったこと
>今、『日蓮自伝考~人、そしてこころざし』山中講一郎著を読みかけているんですが、その中に罰論のことに触れている箇所があり、日蓮大聖人は誰に向けて、そのようなことを説いたか?ということが書かれてあり、必ずしも、信者個人や、悩んでいる人、病気で苦しんでいる人に向けられた言葉ではなく、時の権力者、為政者、庶民を苦しめる宗教家に向けられた言葉であると。 それを、今の学会員の中には、個人に向け発している人がいると思われます。そういう人が、誤った?用い方、目的を履き違えた形で自己流に使っていると感じます。言葉そのものは御書に載っているんだから間違いではないかもしれない。だけどだけど…です。そういうところで、学会員同士でも解釈や目的が違って、争っているケースがあるのではないかと思います。こういう場合、不毛ですね、かなり…
日蓮自伝考
私は日蓮に興味を失いつつあるので買うつもりがありません。興味のある人は読んでみては?どなたか是非感想を聞かせて下さい。
以上。
>心には何一つ響くものがありません。
まともな事を言っている、なおかつ、説得力や感動みたいな物があるのが宗教だと思うんですけどね。今の創価も正宗もおかしいですね。
>学会員に対するならまだしも、非学会員、非法華講員
まぁ、私は退転者なのでそれなりに覚悟はしてブログを立ち上げましたが思っていた以上に教学とか説得がなかったですね。しかも問題のあるきれい事や建前が実に多いです。
可哀想な人達です。
まぁどちらが何を言おうとも、
心には何一つ響くものがありません。
学会員に対するならまだしも、非学会員、非法華講員に対する言葉、如何なものでしょうか。
(いちごさんではありません)
ウン。(^_^;)
この人も言ってましたけど 創価も日蓮正宗も同じだ って仰ってました。
ええっとお、伏字って、もしかもしかですが、私のことだったりしゅる?????
(・・)じっ。
もしそうなら、よく伏字考えたなあと思います。
ぶわっはっは。(^m^)
失礼。(^m^)
でも、おどろかないです。w
たぶんうそさんにメール出された方のところでも、そっち関係の記事拝見し、「ん?日蓮正宗?」っていうので思い浮かんだぶろぐ拝見したんですね。
なので。・・・。(^^;)
逆に驚いたのは、心が病んでいるという相手に、うそさんをだったの?って事です。
私が言われてもおかしくないので。
情緒不安定な時ありましたし。
ただ・・・。
創価学会もですが、お寺の方でも、私は、「このだけやっとけばいいのよ!文句言わずにやるのよ!」というような感じでの折伏が、リアルでもネットでももしもあった場合は、拒否ります。w
そういうの、好きじゃない。w
無理強いでなくてもね、普通に会話を求める方に、信仰の話ばかりするのは、好きじゃないんです。
会話成り立ちません。
私も、メールでやりとりする方々いますが、中には、アンチの方々もいらっしゃいます。
悩んでらっしゃる方々もいらっしゃいます。
創価学会や、この信心で苦しんだ方相手に、信仰のお話は出来ないし、すべきではないんです・・・と私は思っています。
だから、しないです、求められない限りは。
信仰以外のお話でいいから、吐き出してもらえたり、何かを一緒に考えたりできるように、私自身なりたいと思っています。
信仰は、苦しむ方を減らすためのものでもあります。
だから、折伏しなくても、大聖人様なら、分かってくださるはずと思っています。
相手が、対立の信仰をなさっている方であっても・・・。
創価学会批判者であっても。
私には、誰かを救うとか、そんな大それたことは出来ませんけれども、もしも目の前におぼれた方がいたら、考えている暇はないんですね。
まずは、目の前の方から引っ張りあげるものと思うんです。
全員を助けたいと固まっている時間ないと思うんです。
動かないといけないんです。
おぼれている方と引っ張りあげる場合、自分も流されてしまうかもしれないけれど(=色んな負荷かかってくるとも思うから)、一人ひとり、次々に引っ張りあげたい、それだけです。
一人で一度に全員は、超能力でもない限り、無理です。
そういう思いを持ちつつ、お一人お一人を・・・だと思っています。
だから私は、お寺からの脱講&創価学会からの脱会”のみを目的としてしまって”いる方々がもしもいるとしたら、私には分からない世界です。
>涅槃経
あぁ、あれね。と言う感じです。立正安国論でもしつこいくらい引用してましたね。
法華経の後に作られたから真の理が書いてあると信じていたようですが、もし仮に別の新しい経典があって、それに「多少の武力行使はいたしかたない」とか書いてあれば彼(日蓮)は信じたんでしょうかね。
「死ななければ私の教えによっていづれ救われるのだから・・・」とか言って(^^;)
結局、法華経にその答えが書いていない限り全てはこじ付けにしかならないと思います。
ノストラダムスの大予言と同じレベルの解釈論ですね。
最後に・・・
憤怒は不動明王にまかしておいてあんたら菩薩行とやらは慈悲のみによって行動せい!!と言いたいです。
創価や宗門が多宗を攻撃するのは涅槃経の教えにのってやっているのです
正宗に関しては
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/shoshu_qa2_15.htm
こちらを参考にしてください
創価に関しては
私は以前、そのようなことを壮年部の人から直接聞きました
サンクス。(^^)/
私も創価関係であんまり時間や頭を無駄遣いしたくはないので ここらで引かせていただきます(^ ^)。
たぶんどんな理由を聞いても言い訳にしか聞こえないでしょうから。
納得するには創価思考のインストールが必須でしょうね。
「重要視している」では駄目ですか?一応、理由もあって経文や日蓮の御書からも説明できますが、アンチブログですし出来れば避けたいです。ヨロシクお願いしますね。(^_^;)
この辺の感覚は、一度創価の教学を勉強しないと駄目かも知れません。はったり特急や創価系の掲示板に行けば理由は教えて貰えると思います。
>折伏を受けてる際、大乗非仏説を言ったらしばらく沈黙もの
知らないんでしょうね。事実も反論の仕方も。創価に教え込まれていない想定外の事だから黙ってしまうのです。
>非仏説を受け入れるのってある意味日蓮に対して失礼
これも微妙で、歴史学上、時期などの考察もありますが、証拠が見つかっていないだけで、実際に釈迦が説いた可能性も否定できません。その可能性はかなり低いみたいですけどね。 文献が後から複数出てくる事はあれば証拠になるでしょう。先日もエジプト(?だったかな)で聖書やキリスト教に関係する経緯が書かれた(聖書でない)文献が見つかりましたし、経文を重視した仏教ですから文献が見つかるかも知れません。
少なくとも正宗も創価は公にはしないでしょう。日蓮仏法の根幹ですからね。
ふむ…「強調」ですか・・・。
言い方で人を笑わせるお笑い芸人じゃないんだから・・・。
正直普通の人ならともかく、人々を導こうとしている人が「強調にすぎないから」と、そんな甘いことで許されるわけではないと思います。
物事を曖昧にするとそこに付け入る隙が生まれます。
強調で許されるなら、神国日本を利用して戦争へとひた走った石原莞爾や五・一五事件の井上日召などを創価やその他日蓮系は全肯定しなければならないと思います。
戦争やテロルにおいて日蓮思想の強調された解釈が取り入れられたことは悪いことでも日蓮が安楽行品をないがしろにして他者を排斥したことは許されると言うのならば、それは程度の差を競い合うようなレベルの低い論議でしかないと思いました。まさに「五十歩百歩・同じ穴のムジナ」です。
それと・・・「法華経非仏説」ですが、下階層の学会員にはあまり知られていないみたいな感じです。
折伏を受けてる際、大乗非仏説を言ったらしばらく沈黙ものでしたから。
でも非仏説を受け入れるのってある意味日蓮に対して失礼と思わないんすかね。彼は本気で仏説として信じていたのだから彼の意志をないがしろにしてますよね。
まぁ創価は営利団体なんでそんなことを言っても仕方がないでしょうけど・・・。
よくご存じですね。
過去記事にもちょっとだけ書いてきましたが強調の問題かと。安楽行品でgoogleで検索すると仰るとおり今の創価や正宗と全く違う事が書かれています。
http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/h-14-1.htm
宗門はどう思っているのか知りませんが、特に創価トップは法華経非仏説を知っているようですので法華経は非仏説だから。などと解釈して軽視している。あるいは日蓮が方便品、如来寿量品を強調するあまり今の教義で十分、信徒は馬鹿だからこれで良しとでも思っているのではないでしょうか?
宗教ビジネスとして運営するに当たって都合の良い解釈をするのが創価ですからこれぐらいは当たり前でしょう。一応、模範解答としては日蓮が方便品、如来寿量品を強調したから、日蓮の教義がそう(安楽行品を強調しない)だったから、です。
○日蓮が方便品、如来寿量品を強調する
私自身は日蓮が当時天災が続くのをみて民衆を十分に救えなかった、という後悔、反省があるから、また、金持ちである武士や政治家が助けなかったから、あの立正安国論になった気がします。なのでその当時において最も適切だと思う、他宗攻撃、法論、法華経の部分強調などを「僧侶として」行ったのでしょう。
どんな人でも私でもブログに書く時には、最初から嘘でないかぎりは、理由があって(強調して)書いていると思います。日蓮もそうした強調する理由があって強調したのでしょう。それは法華経のこの部分が気に入った!なんていう日蓮の性格だけかも知れませんけどね。
私は日蓮がどうしても「安楽行品」を守っているとは思えません。
罵倒もするし権力に対して関わりを持とうとしたりなどしていて、とても矛盾しているように思えます。
そこら辺、創価や宗門などはどう言い訳しているんでしょうか。ご教授くださいませ。