創価学会の信仰に功徳はあるか?

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160.ブッダは歩むブッダは語る 感想その4

2006年11月21日 19時57分38秒 | 創価学会
ブッダは歩むブッダは語る 感想その4

●はったり教

 さて残り1/3。今回の件は自分が当事者でなかったのでどういう印象だったか?というと「かなり、創価思考、創価体質に引いた。」というのが本音です。

 はったりでは何事もなかったように新記事があがっていますが、それはそれで良いでしょうけどね。。。。。。。私は疑問だったりします。但し、記事を書く人もいつも読んでいる人の書いてほしい記事をアップする、出来るわけではありません。

「良き友を得ることは仏道の半ばどころか、仏道の全てです。」なのに、はったりの皆さんはどちらも助けるどころか罵倒(笑)?

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創価学会の信仰に功徳はあるか? 友人で信仰が違い悩む時
> はったり特急を見れば分かるように問題解決出来るのではなくて、様々な問題を起こすのが日蓮正宗であり創価学会です。内部の人同士ですら争い、悩んでいます。悩むならともかく困るくらいの人もいます。池田氏と日顕氏の争いも16年目です。どちらも宗教者です。しかも一般会員ではなく、宗教者トップです。また、nonoやtab○の最初の書き込みを見て下さい。見れば分かるように必ず罵倒から始まります。上から末端に至るまで「人を責める」精神です。日蓮仏法は破折(はしゃく)精神であり、折伏(しゃくぶく:相手を折ってねじ伏せる。)精神というものです。 釈迦は「注意する、指摘してあげる」というマイルドな面がありますが、日蓮は攻撃ありきという一面があります。創価も日蓮正宗もこの一面を「強調」しています。まず、そこの所を理解して下さい。
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 今回の件ははったり特急の人にとって失敗だったかも。創価の罵倒座談会を否定しているはずのはったりで罵倒があった?それでheckさんもyucchiさんもはったりからいなくなってしまうか、はったり教(笑)からいなくなる?

 自分と意見が違うと簡単に罵倒を始める、まったく創価学会の悪癖であり悪体質です。私の場合は折伏の際に罵倒する事はありませんでしたが、話を聞いてもらえないと悔しかったり恨んだりした事はあります。 向こうから聞きに来る場合もありますが、たいていは自分から話しに行くのですから矛盾していますよね。

 はったりを大きくしたいのが管理人さん達の思惑でしょうから、当然、今回のケースは解決できないといけなかった気がします。何よりも日本人云々というくだらない一般論でこうした結果は非常に笑えます。本来、創価と正宗の宗教者トップでも解決できない(解決する気がない?解決しない?)難しい教義です。日蓮、池田氏の本仏論、大御本尊真偽、勤行、池田氏の功績と言動、こうした各個人の見解が違うのにはったりはある方向?で進んでいくのでしょうから、当然、異論が出てくるでしょう。これらの事は議論やけんかになった場合、日本人云々よりもっと収拾をつけるのが難しいはずです。その時にも今回のケース同様な結果になるのかな?トップも末端も、罵倒に始まり罵倒に終わる。これが創価学会の体質ですかね?裏BBSで擁護したのはとある女性お一人とか。

 一つだけ可能性があるとするならば、時間はまだある、って事ですかね?私やgizmoさんにっしーさんとも意見が違うのは明確になりましたが、仲良くなるかは未知数です。これは誰にでも言えます。誰にでもどの人とも仲良くなれますし、誰にでも不本意に仲良くなれない事があります。恋人の別れや離婚なんか典型的でしょう。離婚したくて結婚する人はいないでしょう。

 私の考えとしては多くの人に迷惑や影響を与えたのだから、heckさんは全面的に謝罪すべきでしょう。なにしろ自分の何気ない暇つぶしの発言だったとは言え、はったりには迷惑だったはず。創価体質が明らかになって私は逆に感謝してますけどね。議論を続けられないのであれば、大人として信仰者として理由や気持ち、その旨を 「表」 で伝えるべきでしょう。アンチや一般の人は、「ああぁ、やっぱり創価はこういう人の集まり」そう思うでしょう。実際私もそう思います。礼儀もなく去ってゆくことになります。迷っている創価の人は退転するかもよ?

 heckさんもyucchiさんも良き友を得て、人と仲良くしてほしい物です。仏道とかは問題じゃないでしょう。人間として、です。もう誰と、とは言いません。
一緒にパフェを食べる事を希望します。
その時は私もゴチさせてね。(*^_^*)

●そううそ教

 そううそ教(笑)としては宗教は可能な限り人を許すか許せる方向に行かないといけない。そう思うようになりました。

ブッダは歩むブッダは語る 友岡雅弥 著 第三文明社 より

アングリーマーラー という殺人者が釈迦に説得されて弟子になり、許されているようです。もちろん、今の法律を無視して許せ!などといっているのではなくて、現行の法律の上で牢屋から出てくれば創価学会の信仰は出来るのが当たり前なのでは?ということです。
 大森夫妻や姉歯氏、クビになった波田地氏などがそうかと。

 なので私も一方的にですが、tabukenさんとnanaさんをある意味においてのみ、許さないといけなくなった気がします。今回のheckさんの件と友岡氏著書の読書が偶然、同時期に両方があり、とても考えさせられました。

 許すと言っても向こうから一切謝罪はありませんし、引用もこれからも必要ならします。コメント類を消す気もありません。言うなれば、私のブログでコメントを許可する、ということですね。マナーや人としてどうか?宗教者としてどうか?という問題があったのは「事実」ですし。但し今でも?nanaさんは病気かもしれないので、もしまた来たら様子を見て問題があるならやっぱりご退場かな?nanaさんのブログを見に行く気もしないし(笑)そっとしておくのが良いでしょう。

●「退転者や未活動家と仲良くしたら地獄に行く????????」

 私は常々、学会本部職員が、日顕氏、竹入氏、山友氏などを説得するべきだと書いてきました。本来は一生懸命に説得するべきなのは学会本部であり、末端ではない。今までそう書いてきました。これがさらに今回の件で強化されます。

それは距離です。

 学会員はリアルで目の前の御書や新聞を読んで救われて?感動して?信仰を続けているのに、ネットやリアル、目の前の人を救おうとしない傾向があります。

新聞で罵倒を載せるということは、 末端会員の不満や怒りの矛先を敵と言われる物に向けているだけです。

しかも実際は何の効果もない可能性があります。敵がマジメに読んでいると思いますか?>創価の人。

新聞でなく手紙で説得すれば?>創価?新聞って敵にとっては距離が遠い気がします。今は退会の際によく使われる内容証明郵便もあるしね。。。

 手紙や新聞のない時代でしたでしょうが、目の前の人を救ったのがプンニカーおばさんです。しかも創価公式には一対一の膝詰めによる折伏が基本のはずです。一体何時、学会本部の人は一対一(少人数でもOK)の膝詰めで折伏したんでしょうかね?

 末端の信者に罵倒記事を見せつける、それで会員にも罵倒させるのが目的なんでしょうかね? 「それとも読者を勘違いさせたいのか?」というのは犬のメメさんが言及されていましたが、後者の勘違いや錯覚をさせたいのでしょう。

 日顕氏、竹入氏、山友氏などに近いのは学会本部であり、末端ではありません。今回の件で、感じたのはネットする人は皆距離が等しいです。アメリカに住もうが日本に住もうがネット出来る限りは距離が近い。ネットで御書の引用や解説が出来るのです。ところが、目の前の、というか画面の向こうにいる人への想像力に乏しいというか、救おうとする姿勢は皆無です。heckさんは文句を言って、さようなら? Neilさんがリンクを張ってくれたように「旅の恥はかき捨て」ています。意味は全く逆に近いですが、「ネットで書き捨て」ているのです。前者は「恥をかいた人へのいたわりや思いやり」で後者は「見捨て」ています。これがまさにブログで何度も書いてきたように 創価は人を見捨てる。 です。

 またネットと新聞は同じ伝達手段としてのメディアでありながら一方では沈黙で一方では罵倒です。つまり錯覚や洗脳、MCのハードルを越えた人が聖教新聞を読んで同意してゆく事になります。お金を払うというハードルもあるという事でしょうか?

 今の創価学会はついに 「退転者や未活動家と仲良くしたら地獄に行く」 そういう指導が出てきたそうです。結構なことです。男子部女子部の9割は未活動家です。自分たちの子供を見捨ててさっさと天国でも地獄でも行ってください。今までも2世3世をあまやかして籍だけ学会員よりも見捨てる方が創価の崩壊は早いでしょう。1世であった私が2世3世家庭訪問に苦労したり祈ったり悩んだりする時間がもったいないという物です。

距離の近い未入信家族を見捨てるんですね。。。。。さすがカルト。

一般の人は創価に入信、公明を応援してはいけないという事です。

●裏BBS

 裏BBSで罵倒することは、距離が近いことなのでしょうか?遠いのでしょうか?本来裏BBSはプライバシーや運営の話とかでしょうね。。。どう見てもyucchiさんや私にとって距離の遠いお話でしたとさ。おとぎ話か?(笑)

そして今回の補足というか、創価の矛盾。私の矛盾。
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最近は / 犬のメメ

あれはあれでいいと思ってます。不謹慎かもわかりませんが、答えなんか出っこないんですよ。クリスチャンと学会員さんで信じてるもの違うし・・・。
優劣を付けるつもりもないし論破するつもりもない、議論とは呼べないもので僕は満足してるかも。
てか、そんな形しか落とし所が見つかんなかった。
そんなところです。
軽い記事も増やしてますから気が向いたらまた遊びにきてね(^^)v
2006年11月17日(金)   at 0:15
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キリスト教徒?の犬のメメさんの教え(笑)です。コメントの引用場所はナウシカさん所です。(そういえばメメさんは今でもクリスチャンなのでしょうか?)

 創価学会員は活動家も、場合によっては未活動家も任用試験という物を受験し、挑戦しています。ここで他宗破折のための仏教学を学ぶのです。五時八教や五重相対とよばれるものです。
つまり創価大学に行くような人であれば確実にこうした勉強はしていると思います。講義に創価学会の宗教があるのではなくてそういう環境だと思ってください。寮や下宿(下宿によっては全員、大家も学会員の場合がある。)に創価学会員が一杯いるのです。(^_^;)
 任用であればもしかすると高校生でもOKだったかもしれません。中学卒業して働いていれば男子部なので任用試験の受験資格はありますからね。任用は大学生もOKだったはずです。

つまり「どの様に進めていくのか?どの様に破折していくのか?」を学ぶのが任用試験とも言えるでしょう。学んだことは覚えればそのまま折伏に使えますから。
 heckさんがどの程度の教学の勉強をしているかは知りませんが、本来は出来ないといけないはずです。暗記だけなのか自信がないのかは知りませんが、ネットでこうした私が感じていた違和感はここにもあったのですね。

創価の人は他人には善悪や白黒をつけたがる癖に自分には甘い。

 日蓮正宗の僧侶が謗法厳戒とか正統派とか、血脈、血脈、血脈、とかいいますが、妻帯を認めているのもこうした矛盾といえるでしょう。日興上人は妻帯を禁止しています。日蓮も遺文の中で禁止とは言っていませんが当然の事として同意しそう言ってます。私は意識して、ブログで白黒、善悪をつけるような形で1番から記事を書いています。こうした傾向は創価学会に学んだ面もあるでしょうし、私に合っていたから入信もしたのでしょう。

「優劣を付けないもの、論破しないもの、議論とは呼べないもの、これらで私は不満だった」

わけです。まさに創価学会員やブログでの私はどちらも

「他人には善悪や白黒をつけたがる。」

 ところが議論を細かくしていくと「創価学会員が退散」なわけです。あるいは自分が言い負けた腹いせに裏BBSで罵倒して終わり?これから私は一般の人やアンチの人と会話するのに気をつけないと駄目ですね。「一般の人やアンチの人とは曖昧に進める必要があるのです。場合がある」そして「創価学会員と話す時には曖昧でなく確実に決着をつけないといけません」ね。

 キリスト教はアプローチが違います。罪を自発的に感じさせる、人を救う姿勢、許す姿勢があります。最初だけ私なりに解釈しますが、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」という言葉から自分に罪があった事が気がつけます。そうして大罪?を犯した?女性もキリストに上手に注意されて、素直に聞けるわけです。

 間違いや問題がありましたらご指摘ください。修正します。>クリスチャンの人。

まったく宗教が原因で人の不幸が生まれてしまう事例はyucchiさんで最後にして頂きたいですね。>創価。本当は私で最後だったはずですが。

 友岡氏も善と悪にきっぱりと分けることは出来ないそう書いてありますし、「白と黒がそれぞれ1色なのに対し、中間のグレーには無限の諧調がある。」これはkousanだったかな?(^_^)(笑)私の思いついた、お酒の1/1000、1/1000000の主張と同じ物を指します。

「議論を細かくしていく」事など経文についても言いたいことはあるのですが、どうせ創価の人は未だに気がついていないでしょう。

今後の記事もプンニカーおばさんが続きます。(笑)(^_^;)

なお、上記の記事は今までの私が書いてきた記事と同じ場合があります。
友岡氏の著書を読んでどの様に変わったか?という事を明確にするのに必要なので書いているのです。

つまり、友岡氏の書籍は私のブログをある程度肯定している事になります。

私個人にとっては強固な裏付けになった、とまで考えています。
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8 コメント

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うほw (ゆっち)
2006-11-22 20:06:18
あのねえ、またしてもコメの付けにくい記事をですね
(笑)。

少なくとも、一日ネットに張り付いて(レスの時刻とか見てみて御覧☆)いる、お追従者の「病気男」と

我が身を「不動明王」と「愛染明王」に例えていた、偉い知識と教養の男とは

パフェパクパク(笑)できませーん♪


ゆっち教は「任侠」、これどう?(笑)どやさ(笑)?



返信する
Unknown (そううそ)
2006-11-22 22:38:45
>ゆっち教は「任侠」、これどう?(笑)どやさ(笑)?

おひけえなすって!の世界ですね。(^^)/

>パフェパクパク(笑)できませーん♪

OK。じゃあんみつならOK?
くそ!おごってもらえないぞ!?w
え?そういう問題じゃない?(^_^;)
返信する
Unknown (ゆっち)
2006-11-22 23:04:20
あんみつの方が好きだよ♪
返信する
はったりのみなさんへ (そううそ)
2006-11-22 23:24:35

とあるメールのやりとりからもちょっと心配になりました。
誤解があるといけないので繰り返し書いておきます。

私のブログは私個人の思いです。仲良くしてほしい。。。。。
イラクに反対なら。戦争に反対なら。。。自分の戦争を無くしてほしい。。。。

仲良くできないならそれならそれで構わない。自由です。
それでも最後まで話し合ってほしかった。
それが創価の対話ではなかったのか?。。。。

 宗教で新たに不幸が生まれる事だけは勘弁してほしい物です。

私は自分が恥ずかしいです。。。(つД`)様々に。。。
こんな創価学会、入信なんかするんじゃなかった。

むしろ退会を後悔するくらいの議論をしていただきたい物です。

(これ、yucchiさんのことじゃありませんからね?(^^)/ )
返信する
Unknown (犬のメメ)
2006-11-23 10:51:35
昨日携帯から、今日もう一度PCから読みました。
えっと、まず今でも僕はクリスチャンです。でも、最後に教会に行ったのは2ヶ月ほど前かな?食事の前にお祈りをするわけでもなく、聖書を手に取ったのも久しぶり・・・。
いわゆる「非活」というところですかね(汗)。
創価学会と向き合うことで自分の中のキリスト教に対する思いが大きくはなっていっていますが。

記事中の聖書の解釈は何も問題がないと思います。というか、模範解答となるぐらいの解釈ではないでしょうか(笑)。
 
キリスト教には悲しむべき歴史があります。聖戦と称して戦争を行うときも今も、元になっている教典は同じ聖書です。
要はどこにクローズアップするかで戦争をすることも、平和を目指すこともできるのかな。だからこそ宗教とは、尊く、また怖いものなのでしょう。

優劣・議論・白黒、についてですが学生時代寺の息子が友人でいましてよくつるんでましたが、お互いの信じているものの「いいところ」をお互いに話すことはあっても矛盾点を突くことはありませんでした。
今でもそうですが、明らかにキリスト教がおかしくて、矛盾があったとしても、反撃こそしませんが「そっか、でも俺は信じてるねん」となるでしょう。

人としてどうか、と言う発言は問題外ですが、それ以外のところで例えばにっし~さんのように自論を展開されることについては「あぁ、この人信じてるねんなぁ」というところで僕は終わってしまうんです。

なんか、長くなった割に何が言いたいのか自分でもわからなくなってしまいました。とりあえず一度投稿しますね。
返信する
Unknown (そううそ)
2006-11-23 11:38:28
>メメさん。こんにちは

>今でも僕はクリスチャン
 おぉそうですか。

>いわゆる「非活」というところですかね(汗)。
(笑)

>キリスト教に対する思いが大きくはなって

 良い事何じゃないでしょうか?すごくそう思います。はっきり言ってあの場所のgxxxxさんのコメントは0点、にっしーさんも真面目に丁寧に書いてくださる様にはなりましたが、元創価から見ても落第点でしょう。そして日蓮や創価、(正宗の)排他的、高圧さ傲慢さを非常に不愉快に感じます。私も微妙なニュアンスでしか書けませんが、メメさんのこの文章でますます、「謙虚さ」ということに納得がいきます。実感出来ます。

>模範解答となるぐらい

ホッ(*^_^*)

>キリスト教には悲しむべき歴史
>聖戦と称して戦争を行う

同感です。何とかしてほしいし、して頂きたいし、
また私も罵倒、いや、注意する、いや、呼びかける、という事はしていきたいです。

たとえネットの取るに足りない文字でも。。。です。

>要はどこにクローズアップするかで戦争をする、平和を目指す
>宗教とは、尊く、また怖いものなのでしょう。

同感です。この怖さ、謙虚さが全く創価には感じられない。
常に正義!、勝利!絶対!です。
こんなのが仏教であるはずがないのです。一個人の正義!、勝利!を
組織としての正義!、勝利!として、、なおかつ、目的と手段を完全に間違えて
ごちゃごちゃにしている事に憤り感じます。

>お互いの「いいところ」話す
>矛盾点を突くことはありませんでした。

意義深い。。。私見ですが、まさに仏教の経文成立を見るようです。

>明らかにおかしくて、矛盾があったとしても「そっか、でも俺は信じてるねん」となる

これも非常に意義深いですね。良くも悪くもです。キリスト教にも言えるし創価にも当てはまります。

>人としてどうか、と言う発言は問題外

(^_^;)m(_ _)m
すいません、口汚くて。
創価思考としては対話しないのは無慈悲であり、師弟不二じゃない(笑)のですよ?
まともな仏法からしても問題があるのです。

>「あぁ、この人信じてるねんなぁ」というところで僕は終わってしまう

それは宗教者、布教者と関わった時に感じて当然の気持ちだと思います。
どう信じているのか?何を信じているのか?どこまで信じているのかは興味深いです。

>何が言いたいのか自分でもわからなくなってしまいました。

キリスト教概論や宗教一般論だからでしょう。
私も同じですよ???(^^)/
なんとも さんとの会話で感じたことがどうしても避けられなくなっていくなぁ。。。。。
あぁ、やはりこれも書かねばならないか。。。。

返信する
お邪魔します (フルナ)
2006-11-25 19:05:13
メメさんのところではありがとうございました。

一応、ぼくはアンチのカテゴリに入る人間だと思います。かつてはシンパとのバトルもやりました。でも、今は違います。こっちは正統な仏教、あっちは日蓮教とも言うべき新興宗教、勝負は最初からついています。

ということで、修行もしなければなりませんし、あまり手を広げる訳にもいきませんので、こちらにはあまりお邪魔できない旨ご了承願います。
返信する
Unknown (そううそ)
2006-11-25 19:07:12
>ぼくはアンチのカテゴリに入る人間だと思います。

私もアンチ創価です。(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)
返信する

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