創価学会の信仰に功徳はあるか?

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文底の議論の覚え書き。検索結果

2006年12月02日 21時59分00秒 | 創価学会
文底の議論の覚え書き。http://sgi.daa.jp/cgi/search.html より。
「底」で検索。67件。文の底とあるので文の底で検索。
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文の底
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開目抄上
P0189
 但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗成実宗律宗法相宗三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底 にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。

本因妙抄
P0871
 次に用の四重とは一に神通幻化の用今経已前に明かす所の仏菩薩出仮利生の事、二に普賢色身の用即ち一身の中に於て十界を具する事なり本迹一代五時に亘る、三に無作常住の用証道八相有り無作自在の事なり、四に一心の化用或説己身等なり、次に教の四重とは一には但顕隔理の教権小なり、二には教即実理の教迹門なり、三には自性会中の教応仏の本門なり、四には一心法界の教寿量品の文の底 の法門自受用報身如来の真実の本門久遠一念の南無妙法蓮華経雖脱在現具騰本種の勝劣是なり。

本因妙抄
P0877

省略

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文底
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百六箇抄
P0863

迹門は大通を以て元始と為し[迹門]本門は本因を以て元始と為す[本門]。
此の釈は元始本迹遠近勝劣を判ずるなり、本果妙は然我実成仏已来猶迹門なり、迹の本は本に非ざるなり、本因妙は我本行菩薩道真実の本門なり、本の迹は迹に非ず云云、我が内証の寿量品は迹化も知らず云云、重位秘蔵の義なり本迹と分別する上は勝劣は治定なれども末代には知り難き故云云。久遠従果向因の本迹 本果妙は釈迦仏本因妙は上行菩薩久遠の妙法は果今日の寿量品は花なるが故に従果向因の本迹と云うなり。本因妙法蓮華経の本迹 全く余行に分たざりし妙法は本唱うる日蓮は迹なり、手本には不軽菩薩の二十四字是なり、又其の行儀是なり云云。
不渡余行法華経の本迹 義理上に同じ直達の法華は本門唱うる釈迦は迹なり、今日蓮が修行は久遠名字の振舞に芥爾計も違わざるなり。下種の法華経教主の本迹 自受用身は本上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり。下種の今此三界の主の本迹 久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり、久遠は本今日は迹なり、三世常住の日蓮は名字の利生なり。下種得法観心の本迹 久遠下種の得法は本なり、今日中間等の得法観心は迹なり、分別功徳品の名字初随喜の文の如し云云。

百六箇抄
P0865

 下種三種法華の本迹 二種は迹なり一種は本なり、迹門は隠密法華本門は根本法華迹本文底の南無妙法蓮華経は顕説法華なり。本化本尊の本迹 七字は本なり余の十界は迹なり、諸経諸宗中王の本尊万物下種の種子無上の大曼荼羅なり。下種守護神の本迹 守護し奉る所の題目は本護る所の神明は迹なり、諸仏求世者現無量神力云云。下種山王神の本迹 久遠に受くる所の妙法は本中間今日未来までも守り来る所の山王明神は即迹なり。下種十羅刹女の本迹 此の義理上に同じ唯神明と十女を本迹に対する時十羅刹女は本神明は迹なり。本門付属の本迹 久遠名字の時受る所の妙法は本上行等は迹なり、久遠元初の結要付嘱は日蓮今日寿量の付属と同意なり云云。本門開会の本迹 久遠の本会を本と為す、今日寿量の脱を迹と為るなり。妙楽云く始顕を開と云い終合を会と云う文。
下種成仏の本迹 本因妙は本自受用身は迹成仏は難きに非ず此の経を持つこと難ければなり云云。

百六箇抄
P0867

下種最後直授摩頂の本迹 久遠一念元初の妙法を受け頂く事は最極無上の潅頂なり法は本人は迹なり。
下種弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。
[上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云]
下種寂照実事体用無上の本迹 生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹仏は本なり云云。
下種三世三仏実益の本迹 日蓮は下種の利益三世九世種熟脱本有一念の利益なり、天台云く若しは破若しは立皆是法華の意の修行の利益なり。
下種証明多宝仏塔の本迹 久遠実成無始無終本法の妙法蓮華経皆是真実は本なり、久遠の本師は妙法なり、本有実成釈迦多宝は迹なり。
下種序正流通文底の本迹 応仏と天台とは正宗一品二半を本門と定め現文の勝劣、報仏と日蓮とは流通を本と定む文底の勝劣なり。
下種摂折二門の本迹 日蓮は折伏を本とし摂受を迹と定む法華折伏破権門理とは是なり。
下種二妙実行の本迹 日蓮は脱の二妙を迹と為し種の二妙を本と定む、然るに相待は迹絶待は本云云。
下種十妙実体の本迹 日蓮は本因妙を本と為し、余を迹と為すなり、是れ真実の本因本果の法門なり。

本因妙抄
P0875

 摩訶止観七面口决とは依癒判義附文元意寂照一相教行証六九二識絶諸思慮出離生死の一面已上、一切諸法従本已来不生不滅性相凝然釈迦閉口身子絶言云云、是は迹門天台止観の内証なり、本門日蓮の止観は釈迦は口を開き文殊は言語す迹門不思議不可説本門不思議可説の証拠の釈是なり、亦三大部に於て一同十異四同六異之有り、伝教仏立寺より之を口决す、一同とは名同なり、十異とは名同義異所依異観心異傍正異用教異対機異顕本理異修行異相承異元旨異、四同とは名同義同所依同所顕同なり、六異とは釈異大綱網目異本末異観心異教内外観異自行化他異是なり、今要を以て之を言わば迹本観心同名異義なり始終本末共に修行も覚道も時機も感応も皆勝劣なり。
此の下二十四番勝劣なり、彼の本門は我が迹門彼の勝は此の劣彼の深義は予が浅義彼の深理は此の浅理彼が極位は此の浅位彼の極果は此の初心彼の観心は此の教相彼の台星の国に出生す此れは日天の国に出世す彼は薬王此れは上行彼は解了の機を利す此れは愚悪の機を益す彼の弘通は台星所居の高嶺なり此の弘経は日王能住の高峰なり彼は上機に教え此れは下機を訓ず彼は一部を以て本尊と為し此れは七字を本尊と為す彼は相対開会を表と為し此れは絶対開会を表と為す彼は熟脱此れは下種彼は衆機の為に円頓者初縁実相と示し此れは万機の為に南無妙法蓮華経と勧む彼は悪口怨嫉此れは遠島流罪彼は一部を読誦すと雖も二字を読まざること之在り此れは文文句句悉く之を読む彼は正直の妙法の名を替えて一心三観と名く有の侭の大法に非ざれば帯権の法に似たり此れは信謗彼此決定成菩提南無妙法蓮華経と唱えかく、彼は諸宗の謬義を粗書き顕すと雖も未だ言説せず此れは身命を惜まず他師の邪義を糺し三類の強敵を招く彼は安楽普賢の説相に依り此れは勧持不軽の行相を用ゆ彼は一部に勝劣を立て此れは一部を迹と伝う彼は応仏のいきをひかう此れは寿量品の文底を用ゆ彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千一心三観此れは久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直に唱う。

本因妙抄
P0877

 其の時方人一人も無く唯我と[日蓮]与我[日興]計りなり。
問うて云く寿量品文底の大事と云う秘法如何、答えて云く唯密の正法なり秘す可し秘す可し一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり、権実は理[今日本迹理]なり本迹は事[久遠本迹事]なり、亦権実は約智約教[一代応仏本迹]本迹は約身約位[名字身][久遠本迹]亦云く雖脱在現具騰本種といへり、釈尊久遠名字即の位の御身の修行を末法今時日蓮が名字即の身に移せり理は造作に非ず故に天真と日い証智円明の故に独朗と云うの行儀本門立行の血脈之を注す秘す可し秘す可し。
 又日文字の口伝産湯の口決二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ。
=弘安五[太歳壬午]十月十一日         日  蓮 在御判

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文の上
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本因妙抄
P0877
上記

法華浄土問答抄
P0119

 又弁成の立に、観経は已説の経なりと雖も未来を面とする故に未来の衆生は未来に有る所の経巻之を読誦して浄土に往生すべし、既に法華等の諸経未来流布の故に之れを読誦して往生すべきか、其の法華を捨閉閣抛し観経の持無量寿仏の文に依つて法然是くの如く行じ給うか、観経の持無量寿仏の文の上に諸善を説き一向に無量寿仏を勧持せる故に申せしめ候、実相に於いても多く有りと云う難、彼は浄土の故に此の難来るべからず、法然上人聖道の行機堪え難き故に未来流布の法華を捨閉閣抛す、故に是れ慈悲の至進なれば此の慈悲を以て浄土に往生し全く地獄に堕すべからざるか。
 日蓮難じて云く、観経を已説の経なりと云云、已説に於ては承伏か、観経の時未だ法華経を説かずと雖も未来を鑒みて捨閉閣抛すべしと法然上人は意得給うか云云、仏未来を鑒みて已説の経に未来の経を載せて之を制止すと云わば已説の小乗経に未説の大乗経を載せて之を制止すべきか、又已説の権大乗経に未説の実大乗経を載せて未来流布の法華経を制止せば、何が故に仏爾前経に於て法華の名を載せざる由、之を説きたまうや。
 法然上人慈悲の事、慈悲の故に法華経と教主釈尊とを抛つなりと云わば所詮上に出す所の証文は未だ分明ならず慥なる証文を出して法然上人の極苦を救わる可きか、上の六品の諸行往生を下の三品の念仏に対して諸行を捨つ豈法華を捨つるに非ずや等云云、観無量寿経の上六品の諸行は法華已前の諸行なり、設い下の三品の念仏に対して上六品の諸行之を抛つとも但法華経は諸行に入らず何ぞ之を閣かんや、又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給うなり、日蓮管見を以て一代聖教並びに法華経の文を勘うるに未だ之を見ず、法華経の名を挙げて或は之を抛ち或は其の門を閉ずる等と云う事を、若し爾らば法然上人の憑む所の弥陀本願の誓文並びに法華経の入阿鼻獄の釈尊の誡文如何ぞ之を免る可けんや、法然上人無間獄に堕せば

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2007-02-11 13:13:50
開目抄、法華浄土問答抄は真蹟あり。本因妙抄、百六箇抄が偽書だとすると日蓮は(文の底はともかくとして)文底とは全く言っていない事になる。やれやれ。

2007-02-11 13:13:50
2006-12-02 21:59:00
2006-10-12 22:15:39
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10 コメント

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Unknown (そううそ)
2007-02-10 10:31:06
これを論じるには開目抄はともかくとして、真筆、偽書、疑いのある物、、という議論が必要なのか。。。。やれやれ。。。。どっかにまとまってないのかしらん。。。ε-('∞';)フゥー
返信する
Unknown (そううそ)
2007-02-10 10:42:05
種脱相対について
http://www.asyura2.com/0304/test1/msg/154.html

今週の法話 「本因妙抄」は偽書である
http://blog.goo.ne.jp/niohin/e/5694d0fcdde3c15caad426364ef95e14

血脈相承 (日蓮正宗) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E8%84%88%E7%9B%B8%E6%89%BF_(%E6%97%A5%E8%93%AE%E6%AD%A3%E5%AE%97)
返信する
Unknown (そううそ)
2007-02-17 21:36:11
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/104

あ”ーーーー!
もう、馬鹿馬鹿しくなってきた。
文底から始まって御書の真偽が気になっていました。犀角独歩さんのところから上記BBSを読んでここにたどり着いたけど、もう、どうでもいいや。。。( ´Д`) <はぁー

一体いつまで「嘘」をつき続けるんでしょうかね?>正宗。創価も。

1.宗旨の根幹たる「本門戒壇大御本尊」に対する疑難に幾年月が過ぎても一向に反論がない
1.「反論がない」が既に石山からの返事ではないかと思う。つまり「反論不能」
1.大本営である石山自体が、白旗をあげたまま数年が経っているというのが現実

つまり本因妙抄が本物かどうかなんて、ふっとんじゃうくらいな問題なんですね。。。
( ´Д`) <はぁー
返信する
( ´Д`) <はぁー (そううそ)
2007-02-18 02:35:58
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/533

( ´Д`) <はぁー
返信する
Unknown (そううそ)
2007-02-18 17:06:01

犀の角のように独り歩め:風塵舎の遁走で落着
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50892089.html

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 宗旨の根幹たる「本門戒壇ノ大御本尊」に対する疑難については、幾年月が過ぎても、一向に反論がないわけです。これが既に石山からの返事ではないかと思うわけです。つまり『反論不能』です。
 一部の信徒らしき人物らが何を言おうが、大本営である石山自体が、白旗をあげたまま数年が経っているというのが現実だと思います。
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返信する
いけね。書き忘れ (そううそ)
2007-02-19 06:34:56
リンク先を見れば分かるんですが、上記引用を許可頂いたのは 独学徒さん です。
返信する
Unknown (そううそ)
2007-02-21 18:45:58
日興の著作と真偽論
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_004_inf.html
返信する
Unknown (そううそ)
2007-02-21 20:13:57
「下種 脱益」で検索すると御義口伝巻下、百六箇抄しかない。「下種 本迹」で検索すると百六箇抄しかない。ちなみに相対(そうたい)とは日蓮は一度?しか言っていないみたいですね。相対して、つまり「あいたいして」という言葉で使っているみたいです。

 相対(そうたい)とか相対(あいたい)してという言葉を知っている日蓮が、五重の相対を言っていないのだから今の創価教学はかなり無理があるか?御書全体から部分的に成り立つ相対があるけど、種脱相対も疑わしい?


相見える(あいまみえる)という言い方が成り立つのですから相対しては「あい」で良いと思っています。
返信する
Unknown (米山士郎@管理人)
2012-12-31 17:14:18
>しかし、彼の訳には「文底秘沈」はないと思います。

私も同じ考えで鳩摩羅什の訳には「文底秘沈」はないと思います。
翻訳に文底があるなんてなんだか暗号文のようなもので明らかにオカシイですね。

では、仮に元々の文章に説明を増やしている意訳はOKだとして
師匠の言っていることが理解できないか、教えを違えることがNGだとします。

教えを違えること、これの綺麗な言い方をすれば 「変遷」
汚い言い方をすれば、「裏切り者」「先師違背」「お前は間違っている(笑)」

変遷というものがどこまでたとれるかというと、明らかなのは
ブッダの死後直後から。明確に調べられてないようですが
原始仏典の内容にもブッダの教えに反する点があったらしいです。

参考URL(長いのでパソコンで閲覧をオススメします。)
大乗仏教-2
http://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/daizyou2.html
>ブッダは現世での開悟を明言しているだ。しかし、このような言葉は彼の死後すっかり忘れ去られてしまったのである。

文底については拙文参照。文底のある遺文は日蓮さんの遺文ではなく偽書濃厚です。
文底の議論の覚え書き。検索結果 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/77fb2219017e22f0bceeecabcb205712
返信する
Unknown (米山士郎@管理人)
2012-12-31 17:15:44
日蓮ってver.21
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1322293821/

上のコメントは上記へ投稿した文
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