創価学会の信仰に功徳はあるか?

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38.創価の結婚、恋愛観。どうしてこんなにネットだけでもトラブルだらけ?

2006年02月02日 03時10分24秒 | 創価学会
 先にも少し人間革命について書きましたが、戸田2代会長時代で人間革命に出てくるように、奥さんは信心しているが旦那さんはやっていなくて信心反対。というのも実際に今でもあります。逆に珍しかったけど旦那さんが創価で奥さんが他の宗教、というものありました。ですから人それぞれ様々です。ですが、学会も戦後からの長い歴史があり多くの家庭は創価家族だし男子部員はほとんど生まれた時から学会員、というものでした。

(脱線しますが、男子部自体も2世3世ばかりで私と同様に入信した1世で活動家というのは数えるほどしかいません。私のように独身で入信して1世というのは大学時代の内得信仰時代で20人から30人の学生部に会いましたが、私1人。入信して関東地方にいた頃は私と男子部で1人、あとは全部2,3世。転勤してとある地方Aでは私と女子部とつきあって結婚した元一般人の地区リーダーさんがいただけ。地方Bでは私と部長以外は2世3世。今いる東京の地区も私以外は全員2世3世です。)
06.02.08 青文字追記

 自分の知っている夫婦やカップルでどんな人たちが多かったかというと、上の幹部になればなるほど、その2世3世(活動家)は学会員同志のお見合い結婚が多かったです。強制的に学会員同士で結婚させられるとかはありません。どちらかというと、お見合いで相手を捜す人々は親の意見や先輩達の苦労する姿を見て「家庭に帰ってまでも折伏に苦労したくない(笑)」「トラブルを避けたい」というのが本音かと思います。外でも折伏、自宅でも折伏では気が休まらないでしょう。もちろん傾向であって、外部の人と結婚する例は男子部でも女子部でもありましたよ。但しその後はたいてい引っ越しているのでどうなったか判りません。

 自分の親は学会員でなかったのと特にこだわりはなかったので一般の女性とつきあったりしました。当然折伏とかしましたが、なかなか理解されませんね。やはり、私自身に体験がなかったので説得力に欠けるのと、学会の家庭的な雰囲気(創価家族)(すいません、これは偽物の創価家族と言う意味です。当時は活動家だったのでこの書き方になります。)仏法の教学を理解してもらうのが大変でした。女子部の人にもお願いして勤行とかもしてもらいましたが、根本的に信じる信じない、なんて無理に強制しても出来る訳がありません。聖教新聞などを読んでもらっても普通の宗教にしか見えない、(当然と言えば当然。)みたいでした。私の押しが足りなかったのかもしれません。結婚してからゆっくりと折伏すればいいや、間近で見れば理解してくれるだろう、と思ってました。信心の正しさを信じていましたから、いつかは正しい私に従ってくれると思ってました。その女性とは別れましたが、その前後で創価学会が原因でトラブルになるような事はありませんでした。

 末端の男子部、女子部でも恋愛愛の悩みは様々で信頼の置ける幹部の所には女子部の人が何度も指導や相談に来ていました。随分以前に、入信の際に女子部目当て、つまり女の子目当てでつられて入信しないでね。と書きましたが、男子部女子部の比率はたいてい男子部10人の活動家がいれば女子部の活動家は0人から2,3人。だから地区によってはいないなんて当たり前です。

 たいていは結婚と同じ時期にカップルなら未入信の相手を入信させていました。私はそう言う意味でもトラブルらしい人には巡り会わなかったですね。女子部、男子部の恋愛と折伏がなかなか上手く行かないのはいくつか目にしましたけど、学会が原因で恋人同士が別れるとか離婚するとかは一切に見聞きしませんでした。この意味でも私の周りには悪い学会員さんとかおかしな学会員さんっていなかったと言う事になりますね。自分の人脈や組織をちょっと離れた婦人部や壮年部は?だった様な気がします。それはあちこちにネットに書かれているおかしな人や違和感を感じる人とよく似ています。(狂信的っていうのかな?もっともその人の信仰体験を聞いた訳ではないので私自身のこの違和感、おかしいという断定、も曖昧にならざるを得ません。)

 今はネットの時代で多くの人がこの問題で悩んでいますね。もう少し創価学会の人々が一家和楽の信心、なんてものを押しつけるのをやめれば不幸は減ると思います。ノルマ、新聞啓蒙、ご供養とかもね。一家和楽といっても家族が全員信心していなくても、信心していない人、信心反対している人が家族にいても、「それでも私は学会活動させてもらえる、信心出来る喜びがある」で十分かと思います。だいたい、絶対!正義!幸福になれます!という宗教が未入信の家族に対して幸福感を分けてあげられなくて何の意味があるんでしょうかね?
当然学会には「それでも私は学会活動させてもらえる」という指導、教えがありますが、実際には家庭を犠牲に、恋人を犠牲にしてるんでしょう。そうでなければこれ程までに問題にはなりません。

 皆さん落ち着いて考えて下さい。元々宗教は考え方、哲学であり、人々の人生や生活を豊かにする物です。問題解決の糸口になるはずです。ところが逆になってます。創価の人々は批判されっぱなしです。他の宗教団体から批判されるのと、一般民衆から批判されるのは180度違います。問題解決の糸口になっていないから、某ブログでも某掲示板でも恋愛問題で永遠とコメントがついてお互いに信心頑張りましょう、お題目頑張りましょう、とかおかしな方向に向かうのです。普通は、というか正常で有れば、成功した体験談が多く書き込まれるのです。

 本当の宗教観でなく、創価の押しつけ、創価のノルマや一家和楽、創価家族なんて押しつけがあるからこそ、悲しまなくていい夫婦やカップルは大勢いる気がします。普通に信心して普通に生活していれば多分、時間と共に理解してもらえるでしょう。もちろん全く説得や折伏が不要とは思いませんが、今のあちこちのネットの書込をみると明らかに創価学会がおかしいとしか思えません。問題を増やしてるんだもの。
いじょ。

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