1.注意事項
本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。
本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。
2.御書全集の句読点の特徴
御書全集の句読点が特殊で段落毎に句点(。)がある。
段落最後の述語の終わりにだけ、句点(。)となっている。
他の述語は読点(、)がつく場合がある。
あるいは読点(、)も句点(。)もなく、述語がそのまま次の文章につながっている場合がある。
3.問題点
3-1.他の文献などに引用した時に、最後が読点(、)になるか読点(、)を無視する必要がある。
3-2.日蓮の文章の理解が、おかしいと思われても仕方ない。述語が理解できない日蓮だったということになる。
3-3.御書全集の句読点だと、日蓮が経典(述語)を理解していないと誤解される。
3-4.他の日連系遺文集では、学会と同じ独特の句読点をした遺文集は見つかっていない。
昭和7年の行道文庫、大正の類纂高祖遺文録、昭和初期の霊艮閣蔵版、等々。
(日蓮正宗の遺文は未確認。)
3-5.創価は元々、創価教育学会だったのに、子供の教育に良くない。
3-6.学会版御書全集は信徒向けの遺文集なのに、これらの句読点の特徴は編集方針やルールがなく不適切と思われる。
3-7.読みづらい。
4.まとめ
御書全集の句読点の問題は全ページにわたって存在しています。
皆さんがどう思うかは自由ですが、御書全集は2015年最新版でも欠陥品、未完成品だと私は考えています。
マインドコントロールって本当に怖いですね。
2017年1月下旬まで句読点の問題に全く気が付きませんでした。
補足
顕正会で既に学会版御書全集の句読点と段落の問題点について指摘しているようです。しかし具体的な問題点の内容に触れていない為か、不明瞭です。
日蓮宗の遺文を提示出来なかったため、具体的に言及できなかったのでしょうか?
以上
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2.御書全集の句読点の特徴
御書全集の句読点が特殊で段落毎に句点(。)がある。
段落最後の述語の終わりにだけ、句点(。)となっている。
他の述語は読点(、)がつく場合がある。
あるいは読点(、)も句点(。)もなく、述語がそのまま次の文章につながっている場合がある。
3.問題点
3-1.他の文献などに引用した時に、最後が読点(、)になるか読点(、)を無視する必要がある。
3-2.日蓮の文章の理解が、おかしいと思われても仕方ない。述語が理解できない日蓮だったということになる。
3-3.御書全集の句読点だと、日蓮が経典(述語)を理解していないと誤解される。
3-4.他の日連系遺文集では、学会と同じ独特の句読点をした遺文集は見つかっていない。
昭和7年の行道文庫、大正の類纂高祖遺文録、昭和初期の霊艮閣蔵版、等々。
(日蓮正宗の遺文は未確認。)
3-5.創価は元々、創価教育学会だったのに、子供の教育に良くない。
3-6.学会版御書全集は信徒向けの遺文集なのに、これらの句読点の特徴は編集方針やルールがなく不適切と思われる。
3-7.読みづらい。
4.まとめ
御書全集の句読点の問題は全ページにわたって存在しています。
皆さんがどう思うかは自由ですが、御書全集は2015年最新版でも欠陥品、未完成品だと私は考えています。
マインドコントロールって本当に怖いですね。
2017年1月下旬まで句読点の問題に全く気が付きませんでした。
補足
顕正会で既に学会版御書全集の句読点と段落の問題点について指摘しているようです。しかし具体的な問題点の内容に触れていない為か、不明瞭です。
日蓮宗の遺文を提示出来なかったため、具体的に言及できなかったのでしょうか?
以上
祖師方の原文・原典には句読点がありません(後代の人が、読みやすさを考慮して、印を付けた事例は多数)ので、それをどう付けて読むかは、聖典編集に於いては重大な問題です。私どもの宗派でも、難渋な道元禅師『正法眼蔵』をどのように読むかは、句読点問題と切り離せません。
常に原文・原典に帰る努力が求められます。
>祖師方の原文・原典には句読点がありません
はい。存じております。
たとえば、御書全集の堀日亨の序文も段落が一つ、句点が最後だけの形式になっています。
昭和5年の日蓮宗のとある遺文集でも序文はお坊さんが書いており、堀日亨と同じ形式です。
漢文の解説書はこうした表記の場合がありますね。
ですが、本文は大正類纂高祖遺文録、行道文庫版、霊艮閣蔵(縮刷遺文)、昭和新修、等々と同じく、現代的な正しい句読点がついています。
学会版御書全集は次の方針です。
1.原文漢文を全て読み下す。
2.引用経典も読み下す。
3.漢字を足したり漢字に読みがなをつける。
在家信徒向けにこのようにしているのでしょう。
ところが、4.句読点だけは日蓮の原文に近くする、という奇妙な編集方針です。
在家信徒向けの遺文集としては不適切だと思います。
述語に読点(、)が必ずついていれば、良いのでしょうが、一貫していません。
戸田城聖の発刊の辞は正しく句読点がついています。
これらの点は今後のテーマですのでお楽しみにして下さい。
私が説得したい婦人部や壮年部のオジちゃんオバちゃんには、説明が足りなかったかもしれませんね。
一応、タイトルも誤記とはせず問題点とし、「皆さんがどう思うかは自由ですが、」と入れてあります。
ご指摘ありがとうございました。気をつけたいと思います。
仮に、この指導に従うならば、
読み下しの遺文集は漢文を習っていない、小中学生向きの遺文集といえるかもしれません。
もちろん、そんな訳はありませんが。(笑)