なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

原発性胆汁性肝硬変

2024年03月15日 | 肝疾患

 3月11日(月)に原発性胆汁性肝硬変(PBC)の72歳女性が受診した。

 2023年6月21日に記載した患者さんだ。その時は、内科クリニックで処方されたループ利尿薬で肝性脳症が悪化した。入院治療を担当して、外来へ戻していた。

 昨年まで大学病院消化器内科からの外来応援があった。患者さんは大学病院消化器内科と当院の外来を1回おきに交互に受診していた。今年1月からは大学病院の外来と当方の外来を1回おきに交互に受診となった(それぞれ2か月分の処方を出す)。

 

 肝性脳症で入院した時に担当したことをすっかり忘れていた。まだ2回目なので外来予約の名前を見ても、カルテを開かないと、どんな患者さんだったかピンとこない。

 病状は安定していて、大学病院の処方を継続するだけになっている。大学病院で検査するのは大変なので、上部消化管内視鏡検査と肝臓の画像検査は当院で施行して結果を送るように、とされていた。

 以前は軽度の食道静脈瘤(F1)があったが、今回は認めなかった。腹部エコーは肝硬変像(肝嚢胞あり)と脾腫を認めるが、肝腫瘍はなかった。

 白血球1900・Hb11~12g/dL・血小板6~8万の汎血球減少がある。肝機能は直近ので、AST 63・ALT 36・ALP 176・GTP 366・総ビリルビン3.6。血清アンモニアは入院の時は100を越えたが、現在は16~68くらいで正常域にある。

 処方はウルソ・エルカルチン・リーバクト・アミノレバン(就寝前)・ラグノス経口ゼリー・スピロノラクトンになっている。ラグノスは昨年の入院時に当方が追加した。

 現在診ている肝硬変の患者さんは、大抵アルコール性肝硬変で、胆汁性肝硬変はこの患者さんだけだ。手のかからないい患者さんなのだった。(アルコール性の患者さんは易怒性がある)

 

(腹部CTは昨年の入院時)

 

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肝細胞癌

2024年03月01日 | 肝疾患

 内科外来に通院している80歳男性は、泌尿器科にも前立腺肥大症(過活動性膀胱も)で通院していた。

 肉眼的血尿があり、泌尿器科で腹部単純CTを行った。腎泌尿器には特に異常はなかったが、思いがけず肝臓内に腫瘤を認めた。症状はなかった。

 泌尿器科から外科外来に紹介された。現在外科は非常勤の外来しかないが、紹介したのは以前当院に在籍していた外科医だった。

 腫瘍マーカーの提出と腹部造影CTが行われた。腫瘍マーカーはAFPは正常域で、PIVKA-2が2050と高値だった。(CEAは正常域だが、CA19-9が320と高値。B型・C型肝炎は陰性。)

 造影CTの放射線科読影レポートは「肝左葉S4に腫瘤を認める。高吸収域と低吸収域を認め、不均一な造影効果を有し、肝細胞癌に一致する」だった。

 がんセンターに紹介され、手術予定となった。この前外来を受診した時に、今週入院して手術予定です、と報告があった。

 

 この患者さんは降圧薬で血圧は安定していた。問題はいっしょに通院していた妻で、名前をいうと看護師さんたちは全員知っている方だった。

 こじれた身体表現性障害で、心因性多飲症もあった。何度も体調不良を訴えて入院していた。その妻の診察に30分近くを要し、その後夫の方は血圧だけ確認して処方継続となってしまっていた。

 妻は肥満と胸髄症術後などで介護が必要であり、認知症の進行もあった。家族会議の結果、精神科病院通院から入院となった。やっと介護(身体的・精神的)から解放されて一息ついたところで癌が見つかった、ということになる。

 

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肝細胞癌

2024年02月19日 | 肝疾患

 2月19日(月)の外来予約が入っていた83歳男性が、がんセンターの緩和ケア病棟で亡くなったと報告が来ていた。2月8日付けの診療情報提供書は、最初に紹介した外科医宛に来ていた。

 2018年6月に消化器科の上部消化管内視鏡検査・腹部エコー検査が行われた際に、腹部エコーで肝腫瘍を指摘された。肝炎はなかった。同年7月に当院外科で肝切除術が行われた。(当時は外科医が5名くらいいた)

 2021年12月に右恥骨部の痛みがあり、CTで同部への転移が確認された。手術した外科医はすでに他の病院に移動していて、残った外科医ががんセンターに紹介した。放射線療法が行われて、この転移部はその後も再燃はしていない。

 外科常勤医が不在となり、当方が経過をみていた。2023年5月に腰痛で検査すると第5腰椎への転移があった。またがんセンターに紹介して放射線治療が行われた。

 肝臓内の転移に対しては癌化学療法は希望しなかったため、消化器内科でTACEが行われていた。しだいに腹腔内に腫瘤が散在するようになった。

 2023年9月に肝臓内に腫瘤が複数あり、がんセンターに紹介した。またTACEが行われた。腰椎の病変も進行していた。

 2024年1月11日のがんセンター受診時に黄疸の増悪があり、消化器内科に入院した。その後は緩和ケア科に転科となっていた。

 癌性疼痛の治療とせん妄対策が行われていた。面会制限はなかったので、2月4日家族が見守る中で亡くなったそうだ。

 がんセンターに通院していたが、糖尿病の治療は当院で継続していた。12月に来た時に、もう当院に来ることはないかもしれない、といっていたがその通りになった。

 

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