なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

インフルエンザ

2023年11月28日 | インフルエンザ

 11月26日(日)は日直をしていた。救急搬入は2名で、そのうち1名は外来で診ていた93歳男性だった。BPSD(暴言と暴力も)で抗精神薬(セロクエル、デジレル)を処方していた。

 長女が高齢の両親(妻は90歳)の世話をしている。精神科病院を受診したが、すぐの入院は難しかった。よく在宅でみていると感心していた。

 その日は暴れて手に負えない、ということで救急要請していた。数日間食事も手で払ってしまい、受け付けないという。

 外来で検査(ちょっと治まったところで、CT撮影。3人がかりで採血も)すると、炎症反応が高かった。誤嚥性肺炎があるかもしれないが、はっきりしない。前立腺癌の治療歴(ホルモン療法)もあり、前立腺炎も疑われた。体幹抑制、両手の抑制で点滴継続として入院となった。

 もう一人は40歳代の女性で、2日前に消費期限が過ぎた牛乳で作った寒天を食べて、急な腹痛・下痢(泥状便)が出現した。こちらは外来治療(点滴、鎮痛薬)で軽快して帰宅した。

 

 11月25日(土)の日直では発熱の受診が多かったようだ(日直は消化器科医)。それに比べると、発熱での受診は少なかった。

 午後の早い時間に、発熱で3名が受診した。外来看護師さんが検査してくれたが、3名ともインフルエンザA型陽性だった。

 17歳男性は高校の友人がインフルエンザだったそうだ。その日の午前中から38.9℃の高熱と咳・関節痛・倦怠感があった。インフルエンザだろうから検査陰性でも治療するつもりだった。

 8歳女児は11月24日が37.5℃で、25日から38℃台の高熱になっていた。上気道症状もある。24日、25日と市内の小児科クリニックを受診して検査したが陰性だった。

 26日から腹痛もあるという。腹部は平坦・軟で圧痛もなかった。2日続けてインフルエンザ迅速検査で陰性だったので、アデノウイルスの方かと思ったが、3日目にインフルエンザ陽性となったのだった。(27日食欲不振で当院小児科を受診して、外来で1本点滴していた)

 76歳女性は11月25日から咳・鼻汁があるが、発熱はなかった。症状が上気道症状なので、発熱外来として検査をするとインフルエンザ陽性と出た。1か月前にインフルエンザワクチンを接種していて、効果が出たのだろう。

 3名にタミフル(オセルタミビル)を処方した。永田理希先生の本には、リスクがない人では抗インフルエンザ薬を処方しても1日症状が短縮するだけなので必須でない、という感じで記載されている。

 國松淳和先生はCareNeTVで、1日でも短縮するなら処方する、といっていた。症状がある1日の差は大きく、治療しなければ「俺の1日を返してくれ」といいたい、という。まあ自分も罹れば、すぐ内服する。

 

 午後5時前に障害者施設から連絡があり、22日から発熱が続く32歳男性(脳性麻痺、精神遅滞)を受診させたいという。24日に内科医院を受診して尿路感染症疑いで抗菌薬内服(レボフロキサシン)が処方されていた。

 尿路感染症でキノロン耐性大腸菌?とも一瞬思ったが、右肺にcoaese cracklesが聴取されて、胸部X線・CTで、右中葉肺炎が確認された。

 

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インフルエンザの本

2023年11月08日 | インフルエンザ

 感染管理の今年度2回目の院内勉強会は、インフルエンザの話をすることにした。インフルエンザだと、重要なことはスライド1枚で終わってしまう。知っても役に立たない話を盛り込んで30分持たせることにした。

 

 「インフルエンザウイルスを発見した日本人」山内一也著(岩波書店)を購入した。(著者もやまのうちだが、下記の山内保さんとは無関係)

 山内保(やまのうちたもつ)が坂上弘蔵・岩島寸三との共著で1919年6月7日のランセット誌に「インフルエンザの病原体:実験的研究」を発表したのが、インフルエンザウイルスの発見になる。

 1918~1919年のスペイン風邪の病原体をめぐって、山内らの他にも4つのグループが濾過性ウイルスの発見を報告している。

 病原体を含む検体(喀痰、鼻汁、血液)を細菌濾過器を通過させて、細菌を除去したサンプル(ウイルスが含まれる)を動物や人に接種して、インフルエンザを発症させている。このうち方法や実験の人数などの点で、山内らの報告が際立っていた。

 山内らは、43名のインフルエンザ患者の喀痰を集めて、看護師や友人など24名の志願者に接種させた。このうち6名はインフルエンザにかかって回復した人、18名はまだかかっていない人だった。

 このうち、12名には細菌濾過器で細菌を除去したサンプルを、残りの12名には濾過しないサンプルを咽頭内に接種した。その結果、インフルエンザにかかったことのない18名がインフルエンザ症状を出したが、最近かかったひとはまったく発症しなかった。

 また細菌濾過器で濾過した血液を6名に、同様に濾過した喀痰を4名に皮下接種した結果、最近感染した1名を除いてすべて発症した。

 結論は、インフルエンザの病原体は、細菌濾過器で除去されない濾過性ウイルスであるすでにインフルエンザに罹った人は免疫ができている(感染しない)。

 

インフルエンザウイルスを発見した日本人 (岩波科学ライブラリー 321)

 

 まさに人体実験なのだった。

 山内保は、東京大学医学部(当時は東京帝国大学医科大学)を卒業後にパスツール研究所で研究をしていた。日本に戻ってきて、(下記の坂上の所属する)星製薬細菌部で研究したらしい。

 共著者の坂上弘蔵は、星製薬細菌部主任でワクチン製造のリーダーをしていた。星製薬は、ショートショート作家の星新一の父親である星一(ほしはじめ) が操業した会社だ。坂上は英国留学のアルムロス・ライト(ペニシリンを発見したアレキサンダー・フレミングはライトの弟子)のもとに留学した。山内とは英国留学中に知り合ったらしいという。

 同じく共著者の岩島寸三は、山内と医学部の同期で、後に東京駅近くに岩島外科病院を開いた。総理大臣原敬が東京駅で暗殺された時に真っ先に駆けつけた医者だそうだ。

 微生物の実験に詳しい山内、実験の場所・器具を提供してくれる坂上、検体や被検者を集められる臨床医の岩島、というベストな3人の組み合わせだった。

 

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