Sightsong

自縄自縛日記

クローム・ヒル@東北沢OTOOTO

2019-01-22 00:56:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

東北沢のOTOOTO(2019/1/21)。

Chrome Hill:
Roger Arntzen (b)
Asbjorn Asbjørn Lerheim (g)
Torstein Lofthus (ds) 
Atle Nymo (ts)
Guest:
Noritaka Tanaka 田中徳崇 (ds)

クローム・ヒルはノルウェーのグループ。アメリカーナと北欧のジャズを融合と謳っており、確かにフォーキーで骨太なメロディーと、それをユニゾンで歌う気持ちよさがある。とは言え面白さはもっと奥深い。

「Earth」や「Blue Dog」におけるごく単純なフレーズの繰り返しや、「Lurking Beneath」での上がり下がりだけの同じフレーズの繰り返しの中で、音色の変化や即興を交えた発展を行っていく形には、ミニマルを基礎としての大きなポテンシャルがみえてくるようだ。それと同時に、音を出すという根本のところに意識が収斂されてくる。ゲストが田中徳崇、そして藤原大輔氏も観に来ていたからの発想でもないが、そのあり方はrabbitooを想起させたりもする。また、そのようなテナー、ギター、ベースと、よりスピードを得て疾走するドラムスとの異なる時間の共存も昂揚させられるものだった。

ファーストセット、Deep Blue、Explorer、Drunken Sailer、Earth、Wide Stripes。セカンドセット、Blue Dog、Hoatzin、The Voyage Home、Lurking Beneath、Maelstrom。

Fuji X-E2、7Artisans 12mmF2.8

●田中徳崇
rabbitoo@フクモリ(2016年)
rabbitoo『the torch』(2015年)
ジョシュア・エイブラムス『Represencing』、『Natural Information』(2008-13年)
アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbeständige Zeit』(2008年)

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向井豊昭『BARABARA』

2019-01-21 09:21:01 | 北海道

向井豊昭『BARABARA』(四谷ラウンド、1999年)を読む。

なんとも凄まじい言語の使い手であったことがわかる。ここまで言語を解体し、しかも戦略的に文脈を徹底的に無視し、あるいは文脈を創り上げている。その両者はかれにとっては同義語であったのかもしれないなと思う。そして表題作「BARABARA」では、その解体がすべて引きちぎられた人格となって出現している。

岡和田晃氏によれば(>> 植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」)、向井は小熊秀雄に魅せられ、アイヌを征服した和人の言語感覚を強く意識していた。構造の一員であることも含めた自己批判と抵抗とが形になったものとして読むことが可能か。

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「Art and China after 1989 Theater of the World」@サンフランシスコ近代美術館

2019-01-20 16:51:19 | 中国・台湾

サンフランシスコ近代美術館(SF MOMA)は巨大で、各階を観てまわるのに時間がかかった。ブラッサイやゲルハルト・リヒターなどの展示が充実していた。特に今回面白かったのは、最上階での「Art and China after 1989 Theater of the World」。

文字通り、第二次天安門事件以降の中国のアートを紹介したものである。直接的な抵抗のアートも多いし、示唆によってあらゆるタイプの権力を無化しようとするアートもある。

林天苗(Lin Tianmiao)の「Sewing」(1997年)。ミシンが糸で出来ていて、操作する様子が映像で映し出される。

林一林(Lin Yilin)の「Safely Maneuvering across the Linhe Road」(1995年)。重いブロックを持って道路を横切りひたすらに積み直し続ける映像であり、徒労感が半端ない。「アジアにめざめたら」@東京国立近代美術館でも紹介されていた。

黄永砅(Huang Yong Ping)の「The History of Chinese Painting and a Concise History of Modern Painting Washed in a Washing Maschine for Two Minutes」(1987/1993年)。これもまた徒労感アート。すべてを無にする要請があった。

蔡國強(Cai Guo-Quang)の有名なキノコ雲プロジェクト(1996年)。その前年に構想のために作られたキノコ模型や火薬の焦がし。

艾未未(Ai WeiWei)の「Names of the Student Earthquake Victims Found by the Citizens' Investigation」(2008-11年)。四川大地震の犠牲者数は当局により伏せられたが、かれは160人のボランティアを使い、学生の犠牲者を調べ上げ、リストを作品とした。記録こそが現代の呪術である。

●参照
「アジアにめざめたら」@東京国立近代美術館(2018年)
横浜美術館の蔡國強「帰去来」展(2015年)
ドーハの蔡國強「saraab」展(2011-12年)
燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展(2007年)
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展(艾未未)(2015年)
北京798芸術区再訪 徐勇ってあの徐勇か(艾未未)(2010年)

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ソフィ・カル『限局性激痛』@原美術館

2019-01-20 15:59:15 | アート・映画

原美術館(久しぶり!)にて、ソフィ・カル『限局性激痛』展。

ソフィ・カルは、若いときにパリから東へと旅立ち、ソ連、モンゴル、中国を経て日本に渡った。そしてパリの恋人から手紙が届き、ニューデリーで落ち合うことにする。そのドラマチックな計画は、恋人の裏切りによって無残な結果に終わる。なんと彼女は、その激痛を治癒するために、悲惨な体験を語る者を見つけてはお互いに自己の物語を語った。それはすべて記録されていった。

やはりソフィ・カルというべきか、どうかしている。激痛がアーカイヴ化されて披露される、それはちょっと真似できそうにないほどだ。しかし、そのことが奇妙な昂揚感を生み出している。語りとはなんのためのものか。記憶とは刷りなおされるものか。体験の共有とはなんなのか。

圧倒的な凄みをもつ展示。驚いた。

●ソフィ・カル
自分の境界の裏と表

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梯久美子『原民喜 死と愛と孤独の肖像』

2019-01-19 10:17:23 | 思想・文学

梯久美子『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書、2018年)を読む。

広島で被爆したあとの詩集『夏の花』(1949年)における原民喜の詩を評価して、徐京植は、「壊れている」とみた。それこそが壊れた現実を映し出すものとして。

「テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル 電線ノニオイ」

この評伝を読んで痛切なほどに伝わってくるのは、原民喜という詩人がまた「壊れている」人でもあったということだ。愛とか絶望とか寂しさとか、そのようなものを、詩作というモードチェンジ時だけでなく、生まれてから自死を選ぶまで体現した。

戦時において原が書いた詩もまた、モードチェンジにより何かを殊更に強調するものではなく、静かな日常における自分の感性のみを信じた表現であった。著者はそれを、「非日常の極みである戦争に対する、原の静かな抵抗であった」とする。

●参照
徐京植のフクシマ
梯久美子『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ』

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ロイ・ハーグローヴ+シダー・ウォルトン w/ ロバータ・ガンバリーニ『Geneve 2002』

2019-01-19 09:36:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロイ・ハーグローヴ+シダー・ウォルトン w/ ロバータ・ガンバリーニ『Geneve 2002』(JazzTime、2002年)。

Roy Hargrove (tp)
Ceder Walton (p)
Peter Washington (b)
Karim Riggins (ds)
Roberta Gambarini (vo)(2枚目のみ)

メンバー的にどうみてもどジャズにしかなり得ず、また、その期待に応えてくれる。

ハーグローヴは90年代に新星として出てきたとき、生鮮食品のような新鮮な音だった。その後あまり近づかなかったし、RHファクターも適当に聴き流していた程度。だがこれを聴くと、デビューの頃に感じた印象はやはりかれの個性だったことがわかる。最晩年の2017年にシットインして吹いたかれを観たら、その音はより熟成されていた。

亡くなってから、たまたま観たライヴで、セオ・クロッカーも、ケリー・グリーンも、「Never Let Me Go」をかれに捧げた。このCDには同曲が入っていて、聴くと特別な気持ちになる。

●ロイ・ハーグローヴ
ジョー・マグナネリ・クインテット@Smalls
(2017年)

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佐伯美波+池田若菜+池田陽子+杉本拓+ステファン・テュット+マンフレッド・ヴェルダー『Sextet』

2019-01-17 08:29:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

佐伯美波+池田若菜+池田陽子+杉本拓+ステファン・テュット+マンフレッド・ヴェルダー『Sextet』(meenna、2017年)。

Minami Saeki 佐伯美波 (voice)
Wakana Ikeda 池田若菜 (fl)
Yoko Ikeda 池田陽子 (viola)
Taku Sugimoto 杉本拓 (g)
Stefan Thut (cello)
Manfred Werder (glockenspiel, typewriter)

あらかじめ書かれた曲がまるで運命であるかのように容赦なく時間とともに進んでいく。かれらは何かに異常なほどに集中して動いている。その緊張感が曲と演奏とを代替不能なものとしている。音を出すこと自体をその行動によって問い続けているようでもある。

●池田若菜
即興的最前線@EFAG East Factory Art Gallery(JazzTokyo)(2018年)
クリスチャン・コビ+池田若菜+杉本拓+池田陽子『ATTA!』(2017年)
Sloth、ju sei+mmm@Ftarri(2017年)

●池田陽子
池田陽子+山㟁直人+ダレン・ムーア、安藤暁彦@Ftarri(2018年)
クリスチャン・コビ+池田若菜+杉本拓+池田陽子『ATTA!』(2017年)

●杉本拓
杉本拓+増渕顕史@東北沢OTOOTO(2017年)
クリスチャン・コビ+池田若菜+杉本拓+池田陽子『ATTA!』(2017年)

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FIVES & 鈴木常吉『童謡』

2019-01-15 07:32:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

FIVES & 鈴木常吉『童謡』(yoshidamusic、1991年)を聴く。

Tetsuji Yoshida 吉田哲治 (tp)
Shuichi "Ponta" Murakami 村上ポンタ秀一 (ds)
Akihiro Ishiwatari 石渡明廣 (g)
Keita Ito 伊藤啓太 (b)
Michiaki Tanaka 田中倫明 (perc)
Tsunekichi Suzuki 鈴木常吉 (vo)
Akinobu Imai 今井章信 (g)

紛う方なき日本のジャズロック、イケイケのビート。それぞれの強い貢献がカッチョいい。

鈴木常吉のこの愉快そうな勢いと言ったらない。そしてミニマルな領域でエンジンを搭載してぶんぶんと飛びまくる吉田哲治のトランペット。嬉しい。

●吉田哲治
吉田哲治『Jackanapes』(2018年)
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』
(1988年)
生活向上委員会大管弦楽団『This Is Music Is This?』(1979年)

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マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』

2019-01-15 06:58:58 | 思想・文学

マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ、原著2013年)を読む。

ここで著者がいう世界とは、すべてを統合的に説明し、すべての原理となり、すべてを包むものとしてのありようだ。しかしかれはそれを否定する。宇宙もまた別の形ではあるが、やはり否定する。

なぜか。かれによれば、数多くの(無数の、ではない)小宇宙が、あるいは対象領域が、たんに並んで存在するに過ぎないからである。逆に言えば、世界以外のあらゆるものが存在する。その存在は、文脈を抜きにしては考えられない。

語り口は平易だ。何と言うこともない思想に思えるかもしれない。しかし、この思想に付き合うことには大きな意味があるように思える。なぜならば、これは、ひとつひとつの存在を何か(世界など)に従属すると想定してしまう思考回路を、徹底的にしりぞけるものであるからだ。得られる大事な考えは、たとえば、「果てしない意味の炸裂」である。そして、思考は「人生の意味」にも辿り着く。

「人生の意味の問いにたいする答えは、意味それ自体のなかにあります。わたしたちが認識したり変化させたりすることのできる意味が、尽きることなく存在している―――このこと自体が、すでに意味にほかなりません。」

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種まき種まかせ 第3回ー冬の手ー@OTOOTO

2019-01-14 22:17:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

東北沢のOTOOTO(2019/1/13)。

Kokichi Yanagisawa 柳沢耕吉 (企画, g, cassette tape)
Jumpei Ohtsuka 大塚惇平 (笙)
Chiho Suzuki 鈴木ちほ (bandoneon)
Yusuke Kawamura 川村祐介 (tp)
Hideo Ikegami 池上秀夫 (b, チラシ)

前回の「種まき種まかせ」が各々の行為の効果を試すようなものだとすると、今回は、全員が全員のサウンドを見渡して貢献してゆくような面白さがあった。これには同じメンバーという理由も、演奏者と目撃者とが同じ場を共有するという理由もあるのかもしれない。

ファーストセットでは、まるで薄紙を重ね合わせるような感覚のサウンドで始まった。ところが、柳沢さんが弦で撥音を発したことを機に、誰もが足や楽器を使って擦音を出してゆく。そのようなつながりがあった。

セカンドセットは、重ね合わせから混ぜ合わせに移り変わる。池上さんの使うチラシは、もみほぐされて次第に柔らかな音になる。それは媒体にもなり、バンドネオン、トランペット、笙、カセットテープが層ではなく一体化してゆく。そのため誰が音を出しているのかわからないことがあり、気が付くと、別のほうから聴こえてきたはずの音が大塚さんのヴォイスでもあったりした。こちらの意識も混濁した。

次の「種まき種まかせ」は春か。各々自らの貢献の確認(前回)、多層化と混濁(今回)、さて次回はどうなるか。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、7Artisans12mmF2.8

●柳沢幸吉
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)

●大塚惇平
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)
ユーラシアンオペラ東京2018(Incredible sound vision of Eurasia in Tokyo)@スーパーデラックス(2018年)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)

●鈴木ちほ
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)
impro cats・acoustic@なってるハウス(2018年)
鈴木ちほ+荻野やすよし(solo solo duo)@高円寺グッドマン(2018年)
鳥の未来のための螺旋の試み@ひかりのうま(2017年)
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
晩夏のマタンゴクインテット@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
北田学+鈴木ちほ@なってるハウス(2017年)
りら@七針(2017年)
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年) 

●川村祐介
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)

●池上秀夫
長沢哲+近藤直司+池上秀夫@OTOOTO(2018年)
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)

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ケリー・グリーン@サンフランシスコ Black Cat

2019-01-14 21:42:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

サンフランシスコのBlack Cat(2019/1/11)。

Kelly Green (p, vo)
Evan Hyde (ds)
Alex Tremblay (b)

というのも、クリスチャン・マクブライドが「one of the most talented and spirited people I know. Everything about her is joyous and swingin’!」と言ったとか。確かに鍵盤とヴォイスとがハモっていくのはすごく気持ちいい。

「Jitterbug Waltz」などでゴキゲンに始めて、さてこんな感じでスインギーに続くのかなと思っていると、「If I Love Again」のあとはバードの「Relaxin' at Camarillo」にちょっと驚かされた。「It Might As Well Be Spring」、そして、ロイ・ハーグローヴに捧げるとして「Never Let Me Go」。この何日か前に観たセオ・クロッカーのライヴでも同じようにロイにと同曲を演奏した。みんなのロイの記憶はこれなんだな。ファーストセットの最後は「Gone with the Wind」。

客席は大声で話に夢中なカップルや女子軍団などでかなりアレだが、そして別に驚くほどのことではないのかもしれないが、ジャズ愛は良いものである。(翌朝の早朝便のことを思い出して、セカンドセットは聴かずに帰った。)

Nikon P7800

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Luggage Store Creative Music Series@サンフランシスコ Luggage Store Gallery

2019-01-14 10:05:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

サンフランシスコのLuggage Storeに足を運んだ(2019/1/10)。

ここではサックスのレント・ロムスが定期的にインプロのキュレーションを行っている。周辺はホームレスが多い地域であり、また雑然としていてどこが入口がわからない。ロムスにメッセンジャーで訊くと、いやドアには鍵はかかっていない、と。いやそういう問題ではなく、近くの店で道を尋ねてうろうろしていたら、ロムスに頼まれたのだろう、あとでプレイしたホルヘ・バックマンが道に出てきてくれた。

この日はロムスはプレイせず、キュレーションと受付とMCのみ。

■ Usfruct

Usufruct:
Polly Moller Springhorn (fl, vo)
Tim Walters (laptop, processing)

Usufructはポーリー・モーラー・スプリングホーンとティム・ウォルターズのデュオである。

ポーリーは2種類のフルートに加え、奇妙に具体的でもある詩を朗読し、叫び、呟く。「学校から家に帰ったら、病院はどうなっているの?わたしの人生はなんなの?」、「家に行った、ガスステーションに行った、道路に出た」などと。

ウォルターズはフルートの高い音、低い音、ヴォイスを加工し、撒いていく。それは現実に近いだけなお悪夢的で、またそれゆえに心にざわりと触る感覚のサウンドを作り上げた。かれはときに「And a bread, and a cheese, and a bread, and a cheese,...」と、また「I will, and she will, and I will, and she will, ... and she went bad」と、ぼそぼそと呟き、さらに悪夢感を増幅させる。最後はウォルターズの「I got over, I got over」という謎の言葉で締められた。

生きることのおぞましさと生きていく力とが示されたようなものに思えた。

■ Thruoutin/ruidobello

Brad Seippel, Jorge Bachmann (modular synth, pedals, computer)

ブラッド・セイペルとホルヘ・バックマンとによる電子サウンドのデュオ。

背後には住宅街の風景が映し出されている。途中で気が付いたのだが、それは動画であった。ときおり鳥が飛び、道路をクルマが走っている。サウンドはミニマルな繰り返しでありながら、多方向から現実世界とも何ともわからない波動が攻めてきて、もはや自分たちがどこにいるのかという認識をぐらつかせる。

そして画面は次第に明るくなってゆき、こちら側とのスクリーンがあることを意識せざるを得なくなってゆく。このあたりの現実の遮断とも現実の取り戻しともつかないものは、安部公房『方舟さくら丸』の最後の反転を思わせた。

バックマンと話すと、渋谷だとかスーパーデラックスだとか東京に妙に詳しい。台湾も含めて来たことがあるそうで、この10月(2019年)にもまた来日する予定だという。

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セオ・クロッカー@ロサンゼルス Sam First

2019-01-14 09:12:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロサンゼルスの空港近くにあるSam Firstにて、セオ・クロッカー(2019/1/5)。

なおここでは従来の表記を踏襲するが、「Theo Croker」は、ヒロ・ホンシュクさんによれば、「シオ・クローカー」に近いとのことである。確かに本人もそのように発音していた。

Theo Croker (tp)
Paul Cornish (p)
Tabari Lake (b)
Justin Brown (ds)

ファーストセットは、ニコラス・ペイトンの曲、オリジナル、ラリー・ウィリスの曲、ロイ・ハーグローヴに捧げるとして「Never Let Me Go」。セカンドセットは、ジョー・ヘンダーソンの「A Shade of Jade」、オリジナル、「Embraceable You」(途中でモンクの「Nutty」を入れて自分で受けていた)、オリジナル(「Meditations」というカラフルな感じの曲)。

クロッカーのアルバムはこれまでに『Escape Velocity』を聴いただけなのだが、その若干トリッキーなサウンドとは違って、思いっきりどジャズである。何を体感できるのだろうと期待していただけに、半分は肩すかし、しかし半分はやはりうれしいのだった。ジャズ万歳。

そしてこれもCDではわからなかったことだが、クロッカーのトランペットは小さな音から激しい音まで実にレンジが広く、かつ繊細だ。今回の目当てはずっと観たかったジャスティン・ブラウンだった。たとえばアンブローズ・アキンムシーレの諸作などでは、まるで重力を無視して軽々と飛翔しながら、雲の上で異次元のドラミングをしているような印象だった。しかし、実際にはもっと強く重いものだった。バスドラムからシンバルまですべて正攻法で叩き続け、トニー・ウィリアムスさえ思い出させるものだった。期待を遥かに凌駕した。

ピアノのポール・コーリッシュは20代前半、Theronious Monk Institute出身の俊英だそうであり、クロッカーはその紹介後にああHerbie Hancock Institute、と含みを持たせるように話した。またラリー・ウィリスの曲の前にも、ハービーほど有名ではないけど素晴らしいミュージシャンだと口にしており、何か思うところがあるのかもしれないなと感じた。そのコーリッシュは、決して鍵盤に強くアタックするわけではないのだが、ソフトでとても存在感のある良いピアノを弾いた。

また、ベースのタバリ・レイクはセント・トーマス島の出身だそうであり、ウゴンナ・オケーゴを思わせる、力強く、ラインがはっきりしていて、歌うベースを弾いた。ディー・ディー・ブリッジウォーターと共演もしているようだ(これはクロッカーもそうである)。

クロッカーと終演後に話した。この10月(2019年)あたりに自身のグループで来日する予定があるとのことである。

Nikon P7800

●ジャスティン・ブラウン
アンブローズ・アキンムシーレ『A Rift in Decorum: Live at the Village Vanguard』(2017年)
ジャスティン・ブラウン『NYEUSI』(2015年)
アンブローズ・アキンムシーレ『The Imagined Savior is Far Easier to Paint』(2014年)
パスカル・ルブーフ『Pascal's Triangle』(2013年)
ジェラルド・クレイトン『Two-Shade』、『Life Forum』(2009、13年)
デイナ・スティーブンス『That Nepenthetic Place』(2010年) 
カーロ・デローザ『Brain Dance』(2009年)
アンブローズ・アキンムシーレ『Prelude』(2008年)

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フレディ・スチューダー+ローレン・ニュートン、サーデット・テュルキョズ、吉田アミ『Voices』

2019-01-05 11:38:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

フレディ・スチューダー+ローレン・ニュートン、サーデット・テュルキョズ、吉田アミ『Voices』(Unit Records、2000、2004年)を聴く。

Fredy Studer (ds, perc, cymbals, gongs, metal)
Lauren Newton (voice)
Saadat Türköz (voice)
Ami Yoshida 吉田アミ (voice)

フレディ・スチューダーが3人のヴォイス・パフォーマーとそれぞれデュオで行った記録である。3人が共演しているわけではない(昨年ローレン・ニュートンに聞いたところ、吉田アミとは共演したことがないと言った)

こうして独特極まりない3人を聴き比べると、個性の違いも際立ってきてとても面白い。言葉への距離も異なるようである。吉田アミは周波数として、サーデット・テュルキョズは語りかける手段として(意味は解らないが、ここでは本質的なものではない)、ローレン・ニュートンは解体して組み替えるものとして。もちろん、声と言葉とは明確に分けられるものではないから、そんな単純なことでもないだろうけれど。

昨年、サーデット・テュルキョズさんを知り文字通り度肝を抜かれたことはずっと覚えているに違いない。また、20年ぶりにローレン・ニュートンさんを観てとても嬉しかった。吉田アミさんも90年代以降ライヴを観ていないが、ずっと気になっている。

●ローレン・ニュートン
ローレン・ニュートン、ハイリ・ケンツィヒ、山崎阿弥、坂本弘道、花柳輔礼乃、ヒグマ春夫(JAZZ ART せんがわ2018、バーバー富士)(JazzTokyo)(2018年)
JAZZ ARTせんがわ2018(2018年)
ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』(2005年)
ウィーン・アート・オーケストラ『エリック・サティのミニマリズム』(1983、84年)

●サーデット・テュルキョズ
内橋和久+サーデット・テュルキョズ@Bar Isshee(2018年)
ユーラシアンオペラ東京2018(Incredible sound vision of Eurasia in Tokyo)@スーパーデラックス(2018年)

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ポール・ブレイ『Festival International De Jazz Lugano 31 August 1966』

2019-01-05 09:51:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

ポール・ブレイ『Festival International De Jazz Lugano 31 August 1966』(Hi Hat、1966年)を聴く。

Paul Bley (p)
Mark Levinson (b)
Barry Altschul (ds)

やはりと言うべきか、自身の曲と、アネット・ピーコック、カーラ・ブレイ。(美的世界が共通することは置いておいても、この人の私生活はどうなっていたのだろう?)

驚いたことに、ソニー・ロリンズの「St. Thomas」も演奏している。確かにこの数年前には共演もしており不思議ではない。ただそれも、ブレイがバップ曲を演奏するときにそうであるように、カリプソであっても、紛う方なきブレイのピアノになっており魅せられる。

最後の曲はカーラ・ブレイの名曲「Ida Lupino」。この演奏もまた何度も聴いてしまうようなもので、聴き終わった直後には、さて今の演奏はどんな展開だったろうとわからなくなってしまう不思議さがある。すべて向こう側のペースで進められてしまうというのか・・・。前年の1965年における演奏は『Closer』に収録されており、聴き比べてみると、『Closer』のほうが手探りのひりひりした緊張感がある。ベースがマーク・レヴィンソンではなくスティーヴ・スワロウであることも大きい。

●ポール・ブレイ
フランソワ・キャリア+ミシェル・ランベール+ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Travelling Lights』(2004年)
ポール・ブレイ『Solo in Mondsee』(2001年)
ポール・ブレイ『Synth Thesis』(1993年)
ポール・ブレイ『Homage to Carla』(1992年)
ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』(1991年)
ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Partners』(1991年)
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』(1990年)
ポール・ブレイ+ポール・モチアン『Notes』(1987年)
チェット・ベイカー+ポール・ブレイ『Diane』(1985年)
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』(1970年)
ポール・ブレイ『Bremen '66』(1966年)
ポール・ブレイ『Barrage』(1964年)
ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(1962-63年)

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