Sightsong

自縄自縛日記

ジョワシャン・ガスケ『セザンヌ』

2010-09-30 23:57:05 | ヨーロッパ

所用で福岡へ行く。機内では、ジョワシャン・ガスケ『セザンヌ』(岩波文庫、原著1921年)をずっと読む。

ガスケはポール・セザンヌの小学校時代の友人アンリ・ガスケの息子であり、セザンヌ芸術の信奉者でもあった。そのガスケが、セザンヌとの交流のなかで受け止めた言葉や振る舞いを、直接的な形で集約したものが本書である。セザンヌの言葉はともかく、ガスケの言い回しは回りくどく、過度に文学的で、わかりにくい。オーソドックスな伝記や評伝とはかなり異なっている。

本書は、生きたセザンヌのしるしのアーカイヴだ。これらを追っていくと、ただひとりの個性的な画家などにとどまらず、芸術そのものを体現しようとした、せざるを得なかった、不世出の芸術家の姿が浮かび上がってくる。これは感動的である。

私がセザンヌの作品を美術館で観るとき、眼も脳も身体も震えるほど悦びを感じる。こんな画家は、カンディンスキー、モンドリアン、クレー、リヒターなど数えるほどしかいない。しかし、セザンヌが老いる前までの同時代の芸術界は、彼を受け入れなかったばかりか、侮蔑さえした。同時代に生きていない以上、その理由を感覚的に捉えることは難しい。保守的・権威主義的な側面だけではないだろう。まさにセザンヌ自身が言うように、「ひとつの新しい芸術のプリミティフ」であったのだ。芸術は世界と並行し、プリミティフの受容と評価には時間が必要だったということである。

セザンヌの絵は、すべての相が浸食し合い、樹液や息遣いで相転移し、界面は震え、疼き、揺らいでいる。これを部分芸術とはちがい芸術そのものだとする観方が、ひょっとすると百年近く前の感性なのかもしれない。しかし、世界を引き受けようとしたプリミティフは何年経っても偉大な存在であり続ける。

ガスケが観察するセザンヌの姿は、自らの芸術のプリミティフであり、常に仕事をし続け、執拗に完璧を求め、ルーブルと自然の間で高揚と沈鬱を行き来する、狂人に近いナイーヴな男であった。それは、実は知性と呼んでいい存在でもあった。

「私はね、私は自然のなかに没入したい、自然と一緒、自然のように再び生えてきたい、岩の頑固な色調、山の合理的な強情、空気の流動性、太陽の熱が自分にほしいのだ。ひとつの緑の色のなかに、私の頭脳全体が、木の樹液の流れと一体になって流れ出すであろう。われわれの前には、光と愛の大きな存在が立ちはだかっている。よろよろする宇宙があり、物たちにはためらいがある。」

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たこ焼きと法隆寺のメイラード反応(与太話)

2010-09-29 23:17:54 | 関西

所用で大阪経由、奈良に足を運んだ。ちょうど全日空の機内誌『翼の王国』が、大阪の茶色い食べ物を特集し「メイラードな街」と銘打っていた。曰く、

「「メイラード反応」とは、香ばしさの美学である。食べ物に含まれるアミノ酸、タンパク質と糖分が反応して褐色物質と香り成分をつくり、それがおいしさを呼ぶ。」

ラインナップはお好み焼き、たこ焼き、串カツ、一口餃子、焼鳥。もうどうしようもなく、天王寺で下車する。目当ては「やまちゃん」のたこ焼きである。味は、「ベスト」がタレなしの生地の味、「ヤング」がソースとマヨネーズ、「ヤングB」が醤油とマヨネーズ、他に青海苔をかけるのもある。用事を前にして、白い歯に青海苔を付けるわけにはいかぬ。


ベスト


ヤング

旨いが、本当に中がトロトロで激熱である。軽率に丸ごと口に入れたら大変なことになるだろう。機内誌での予備知識があってよかった。

帰りの飛行機までに時間があったので、法隆寺を拝観した。飛鳥時代や奈良時代の国宝だらけ。木が古くていい感じに茶色く、メイラード反応である。腹がまた減ったが疲れたので、北新地で一口餃子を食うのはまた次の機会に取っておくことにした。それにしても、百済観音は吃驚するくらい異色のメイラード反応、ではなく、アウラを身に纏っていた。


夢殿


日本最古の五重塔


遅い開花のヒガンバナ

●大阪で喰う
鶴橋でホルモン(与太話)
なんばB級グルメ(与太話)
王子と大阪と北海道と福岡の粉もん

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『広重名所江戸百景/望月義也コレクション』、映画『廣重』

2010-09-26 22:42:03 | 関東

編集者のSさんに、『広重名所江戸百景/望月義也コレクション』(合同出版、2010年)を頂いた。歌川広重については『東海道五十三次』が馴染み深く(永谷園のお茶漬けでもカードセットを貰ったし・・・今はないのだろうか)、『名所江戸百景』はちゃんと観た記憶がない。そんなわけで、この土日に、本書をじろじろと観賞した。

最大の印象は、江戸が水の都であったこと、空や水の藍色が深く素晴らしいこと。両方とも、収集家によるまえがきにずばり指摘されている。

何枚か、過激さに眼を剥いてしまう作品がある。「10景 神田明神曙之景」では、高台、画面の真ん中に松の木を配している。普通このような描き方はしない。シンプルなだけに、ゴッホが模写した「30景 亀戸梅屋敷」より、また「90景 上野山内月のまつ」より、遥かに過激だ。

笑ってしまうのは「47景 王子不動之滝」。やはり画面の真ん中に、つやつやした円柱のような、モノリスのような、藍色の滝を配している。いくら王子とは言え、こんな滝はないだろう。吃驚だ。

水の都という点では、日本橋から小名木川を経て江戸川まで航行した行徳船のことを思いながら観てしまう。「61景 中川口」は途中の合流地点であるし、「98景 小奈木川五本まつ」は、下町以東の沖積地でよく観る「支え」付きの大松と小名木川の船、イメージが膨らむ。わが家の近く、浦安の堀江と猫実の間を流れる境川を描いた「97景 堀江ねこざね」も素晴らしい。

どの水辺もお堀などを除いてはあまり人工化されておらず、葦がたくさん生えている。これがもっとも羨ましい点だ。水害のことは置いておいても、このエコトーンのもたらす生物多様性と親水性は、将来、都市が目指すべき姿であると思う。

それにしても、広い範囲を行動している。東は市川市の国府台や真間まで、西は井の頭まで。「118景 湯しま天神坂上眺望」などは、20歳のころに、貝塚爽平『東京の自然史』を片手に東京を歩きまわり、地形を確かめていたときに見比べた記憶がある。同じように、現在の風景と比べることができればさらに面白いだろう。

科学映像館が配信している映画『廣重』(1955年)(>> リンク)は、そのような観点で当時の映像と『東海道五十三次』の作品群とを比較している。武家階級・特権階級ではなく市井の人々を描いたものだとの広重評は、まさにゴッホらに受け入れられた点でもあり、非常に興味深い。

比較する映像は当然50年以上前のものであるから、それも面白い。日本橋に都電が走っている。また、東海道にありながら鉄道が走らなかった町の印象は、確かに古い宿場町のそれだ(「取り残され、如何にも痛ましく感じられます」との配慮のないナレーションがかぶさる)。

●水運
浦安・行徳から東京へのアクセス史 『水に囲まれたまち』
PENTAX FA★200mm/f2.8 で撮る旧江戸川
行徳船の終点
いまは20分、昔は3~6時間
北井一夫『境川の人々』

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『与論島の十五夜祭』(南九州に伝わる祭のひとつ)
『チャトハンとハイ』(ハカス共和国の喉歌と箏)
『雪舟』

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半神半人の英雄譚 『タイタンの戦い』、『アリオン』

2010-09-26 21:32:23 | ヨーロッパ

飛行機の中で、ルイ・レテリエ『タイタンの戦い』(2010年)を観た。1981年の同名映画のリメイクであり、前作はレイ・ハリーハウゼンによる特撮がとても印象的な作品だったので、新作も少し気になっていた。しかし、飛行機の小さな画面で観た所為もあるかもしれないが、特撮は何と言うこともない出来で、ドラマも役者もつまらない。やはり中途半端なCGなんてアナログの粋に勝てっこないのだ。

主役はゼウスと人間との間に生れたペルセウスであり、ゼウスの兄、冥界の王、ハーデースが遣わす海獣クラーケンと戦う。ペルセウスの武器となるのが、見る者を石に変えるメドゥーサの首で、そのためにペルセウスはメドゥーサを討つ。ハリーハウゼンの手腕は素晴らしかった、記憶では・・・。

ギリシア神話、半神半人の英雄という点で、安彦良和『アリオン』(1986年)を思い出し、録画してあったのを探し出して観る。

『アリオン』の主人公は、当初は、ゼウスの兄・ハーデースの弟、海の王ポセイドーンの息子として説明される。アリオンはゼウスを狙い、ハーデースを殺し、熱にうなされてポセイドーンをも殺す(子どもと一緒に観るには微妙なプロットが多い)。しかしアリオンの父はポセイドーンではなく、人類に技術を伝え、人類と交わったプロメーテウスであった。つまりアリオンも半神半人の英雄。

『機動戦士ガンダム』後、ロボットアニメが多様化・爛熟の時代を迎えたが、安彦良和は『クラッシャージョウ』(1983年)、さらに『アリオン』と、独自路線を見せていた。このあたりは出来もよく、いま観ても面白い。ツマは、ガンダム似のものものしいセリフを聴いてげらげら笑っていたが。

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松本健一『北一輝論』

2010-09-25 23:57:54 | 政治

本棚で眠っていた本、松本健一『北一輝論』(講談社学術文庫、原著1972年)を読む。編集者のSさんが、ブログに田中伸尚『大逆事件』のレビュー(>> リンク)を書いていて、幸徳秋水から北一輝へと連想が進んで思い出したのだ。

幸徳秋水は大逆事件(1910年)の黒幕として、北一輝は2・26事件(1936年)の黒幕として、それぞれ死刑に処せられている。しかし両者とも、刑罰の対象となるような意味での黒幕ではなく、国家という暴力装置による排除であった。著者はこのことを、ふたりがそれぞれ育て上げた思想とは逆の咎による処刑であったとする。すなわち、北の思想は自らが天皇に替わる最高権力者となって国民国家を構築するというネーション至上的なものだったが、ネーション転覆を企図した罪と解された。一方の幸徳秋水は、ネーションに意義を見出さない思想を抱いていたが、天皇という最高権力者を狙った罪と解された。

本書においては、北一輝のあまりにも独特な思想が分析され、ときには北のロマンチックな心にまで侵入せんと試みられている。独特であるがために、本質においては異なる、天皇をピラミッドとする国家観を純粋培養された青年将校たちとリンクした。しかし、北の思想は、国民自らが支配権を持つ強固なネーションを、自らが統治することにより、つまり権力を奪取することにより、上から実現しようとするものであった。

「国民の天皇、華族制の廃止、貴族院の廃止、普通選挙の実施、治安警察法などの撤廃、私有財産・私有地・私生産業などの限度、労働者権利の擁護、国民教育の実施、などのさまざまな改革諸案は、彼が権力を握り法律制度上の主権者である天皇にそれを命じることによってのみ、実現可能であった。」

ネーションの克服は、強大なネーションを確立したうえで世界国家として可能となるとする考えは、結果的には近代的であったと言うことができるかもしれない。しかし、自己絶対主義と民主的な国民国家とは明らかに矛盾するあやういものであって、北の思想はもはや近代的ではない。だからと言って、強い為政者を希求し、その裏返しとして他国の強い為政者から圧力を受けると醜いほどに右往左往し、その反撃は自国の為政者にのみ向けられ、結局のところ思考力も自己決定力も持たない個人が充満する社会において、そのことを断言できるだろうか。北の思想は、抽象的にはイカレポンチではあっても、実は現代に向けられた刃でもあるのだ。

著者は、明治国家から大日本帝国に至る道のりは、それを変革せんとする諸々の行為を次々と切り捨てつつ、資本主義体制下の保守派によって造り上げてきたものだとする。北一輝も、幸徳秋水も、また大杉栄も、国家権力への視線を遮断するために切り捨てられた要素だった。

そして日本敗戦により出現した<戦後民主主義>は、革命でもなんでもなかった。<大日本帝国>は解体されていない。国民を護るネーションとは幻想であり、仮にそれがいま希求されているとしても、それを危うくするものは自分たちの過去が造りだした枷に過ぎない。これが本書から得られたメッセージである。

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ウィーン・アート・オーケストラ『エリック・サティのミニマリズム』

2010-09-25 14:04:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

何度聴いても飽きない、ウィーン・アート・オーケストラ『エリック・サティのミニマリズム』(hat ART、1983・84年)を聴く。

エリック・サティは特異な作曲家であり、ミニマリズムの名にふさわしい。マル・ウォルドロンが異色作(日本側の肝入りであったにせよ)のサティ集で「ジムノペディ」などを料理してみせたのは、そのシンプルさ、ミニマリズムの故であったに違いないし、マルの特色とも合うものだったと思っている。

ここでも、ウィーン・アート・オーケストラ(VAO)は文字通り大編成ではあるものの、合奏においては静謐なムードを保っており、また、個々のプレイヤーの個性を曲により変えて押しだしている。静謐さと浮遊感、それを生みだしているものはVAOの統合であり、ヴァイヴや鐘や、ことにローレン・ニュートンの高音のヴォイスである。1曲目のイントロなどは、ヴォイスでないのにまるでローレンのヴォイスだ。

サックスの聴きどころは、オリエンタルな響きのあるヴォルフガング・プシュニクが長いソロを取る「グノシェンヌ」のひとつである。プシュニクがバスクラを静かに吹き、ヴァイヴと響きあう最後の曲もまた良い。彼に比べると、ハリー・ソカルのサックスはどうも好きになれない(昔、電気サックスの変なリーダー作を聴いた印象もあり・・・)。

清水俊彦『ジャズ転生』(晶文社、1987年)にこの盤のレビューが収められている。全体を貫くイメージを「思慮深い」とするなど氏独特の表現が面白い。「このレコーディングはカテゴリゼーションを拒否しており、その魅力は<ジャズ>とか<クラシカル>ミュージックといったレッテルによって押しつけられた境界を超えたところにある」との結語は、今この盤を聴いても現役のようだ。VAOに比べれば、クラシックを取りこむユリ・ケインの取り組みはあまり洗練されたものとは言い難い。

VAOは今年の夏に活動を停止したようであり(>> リンク)、一度も観ることができなかったのは残念だ。

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サタジット・レイ『見知らぬ人』

2010-09-23 23:08:26 | 南アジア

サタジット・レイの遺作『見知らぬ人』(1991年)を観る。

先日、インドで企業人たちと昼食を取っている途中、日本でインド映画はどうだ訊かれたので、『ムトゥ・踊るマハラジャ』なんてタミル映画は昔ヒットしたけど原題がわからない、有名なのはショトジット・ライ(サタジット・レイ)だよと応えると、ああクラシック・ムービーだなと片付けていた。とは言え、レイの遺作である本作は1991年製作、決してクラシックばかりでもないのだ。

日本公開は1992年、既にレイが鬼籍に入った後だった。観に行こうかと思いつつ逃してしまい、後悔した。20年近く経って、ようやく観ることができたわけだ。

コルカタに住む上流家庭の核家族。突然見知らぬ人から手紙が舞い込む。妻がまだ小さい頃に家を出た伯父さんが、30年以上経って、身寄りはおまえだけだ、是非会いたいという内容だった。本人なのか、何か狙いがあるのではないのか、と疑心暗鬼になる夫。現れた伯父さんは世界中を旅した紳士だった。あたたかく迎える夫婦。しかし、寝る前にアガサ・クリスティのミステリーを読んでいた妻は、ふと、祖父の遺産を狙って来たのではないか、と疑念を抱いてしまう。曖昧なまま、夫婦の友人が、伯父さんに対してあなたは怪しい、夫婦も迷惑なんだと批判してしまう。翌朝黙って消える伯父さん。夫婦に探し出された伯父さんは、いよいよ旅立ちの日に、自分に与えられた遺産をすべて夫婦に渡す。

これを現代社会批判と捉えるのはたやすい。しかしそれよりも、何かを確信しているかのような巨匠の落ち着いた演出に強い印象を抱く。一旦は消えた伯父さんを見つける夫婦、そのクルマの音が聞こえただけで長椅子を準備する伯父さん、そしてバニヤン・ツリーの気根にぶら下がる子どもたちの前での対話。突然繰り広げられる古典舞踏のなかに、夫に背中を押されて加わり、手をつないで嬉しそうに踊る妻。きめ細やかな演出というより、むしろ、これが巨匠の辿りついた世界なのかと思えてくる。祝祭と日常が平然と共存する世界である。

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侯孝賢『ミレニアム・マンボ』

2010-09-23 22:22:01 | 中国・台湾


ポストカード

侯孝賢『ミレニアム・マンボ』(2001年)を観る。侯がはじめてスー・チーを起用した作品である。

台北、新大久保、夕張。過去と現在、想像とが混在する。過去の侯作品でも感じられたような音空間のアンビエント性だけではない。細部がplausibleかどうかではなく、時空間と記憶とを含めたatomosphereを生きたままに封じ込めることをリアルだと言うのだとすれば、この映画は極めてリアルだ。

それを生みだすカメラが本当に巧い。自宅の部屋のなかで漫然と過ぎ去る時間。クラブの中でスー・チーを見出さんとして壁を舐めるように移動する視線。異空間としての、夕張のおでん屋のお婆さん。台北の雑踏と、雪で音が消えたような夕張の夜。新大久保のホテル、頼る相手もなく窓際で休むスー・チーに射す光の移り変わり。そして想像の世界、夜の無人の夕張を捉えた長回し、去来するカラス。

天才だと言ってしまえばそれまでだが、息苦しいほどのアウラが充溢している。侯がスー・チーを起用した作品には『百年恋歌』(2005年)もあり、早く観たくてたまらないところだ。

ところで先週足を運んだ杭州の映画館には、アンドリュー・ラウの新作『精武風雲』のポスターが貼り出されていた。ドニー・イェンはともかく、スー・チーとアンソニー・ウォンの共演なんて、そそられる。

●参照 
侯孝賢『冬々の夏休み』
侯孝賢『レッド・バルーン』
アンドリュー・ラウ『Look for a Star』(スー・チー主演)
『スー・チー in ミスター・パーフェクト』(ジョニー・トー製作)

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郭承敏『秋霜五〇年―台湾・東京・北京・沖縄―』

2010-09-20 23:56:32 | 中国・台湾

郭承敏『秋霜五〇年―台湾・東京・北京・沖縄―』(ひるぎ社、1997年)を読む。

著者は台湾生まれ。日本支配下の台湾では、最後には「天皇の赤子でない」として酷い差別を受ける。日本に移住すると、差別はさほどでなかったという。そこから、植民地においてこそ差別的意識は顕現するのだとしている。そして、日本敗戦後、台湾に逃れた国民党の狼藉と中国建国を目の当たりにして、中国に渡る。ところが文化大革命に突入し、知識人たる著者も糾弾され、河北省の農村に下放される。辛酸、沖縄移住、久しぶりの台湾訪問。本書には、そんな苦労の数々から著者が得た知見が集められている(『沖縄タイムス』、『琉球新報』、『けーし風』などへの寄稿も多く含まれている)。

繰り返し強く述べていることは、台湾において軍国日本の姿が温存されているという歪み、また、日本がアジア諸国に対する罪の認識を曖昧にし続けてきたことによる歪みである。本書が書かれてから10年以上が経ち、日本、中国、台湾の為政者たちも変わっているが、本書の観察は本質的に変わっていないと思える。

知らなかったこと。

○中国にも台湾にも、「敬惜字紙」(けいせきじし)という文化があった。文字を書いた・印刷した紙を大切に扱い、道でそうした紙を拾っては、大事に「焚字炉」で焼く習俗である。これは冊封使を通じて琉球に伝えられ(1838年)、今でも焚字炉が那覇の前島公園に保存されている。
○日本軍の真珠湾攻撃の暗号を最初にキャッチし解読したのは、当時の国民党情報機関の暗号解読部門であった。ルーズベルトはまさか「おくれた中国が解読とは」と信じられず、無視したという。

 

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中国プロパガンダ映画(5) 『三峡情思』

2010-09-20 23:01:57 | 中国・台湾

大圣文化から出ている中国クラシック映画のDVDシリーズのほとんどには中国語字幕のみが付されているが、その一部には英語字幕を選べるものもあって、これまでそれを確認してから入手していた。ところが先週、杭州の書店で物色していると、この『三峡情思』(1983年)にはなんと日本語字幕まで付けてあった。オールリージョンのNTSCフォーマットであるから、いよいよ日本でも普通に視聴できるものが出てきたわけだ。ケース内には立派なポスターが窮屈そうに折りたたんで収納されているのも相変わらずである。

そんなわけで気軽に観たが、やはりと言うべきか、「・・・あるだよ」と連発したり、男が「・・・なのよ」と言ってみたりと、日本語字幕が微妙で琴線をくすぐってくる。それはともかく、気軽に観るしかないような80分ほどの安っぽい恋愛ドラマであり、妙に快活な若者たちやおばさんの登場、ちゃちな恋愛の機微など、ステレオタイプの演出以外のなにものでもない。フィルムはさほど古くないのに傷だらけだ(まあこれは、たとえば『Mr. Boo!』なんかでもそうだった)。

三峡の風景に夢中のカメラマン(男)と画家(女)が、最初は反発しながらも恋に落ち、結婚する。しかし男は仕事に夢中で、妻は寂しさのあまりに泣き暮れ、夫を罵る。しかし夫が去った後、妻は失ったものの大きさを知り、夫を追いかける。そして勇気をふるって、以前は踏破できなかったであろう三峡の山道を歩き続ける。

プロパガンダ映画・教育映画たる特徴はそこかしこに現れる。三峡の写真を撮り、絵を描くのは、その故事来歴を正しく反映し、そこから作品を観る者に知識と勇気を与えるためであるという仕事観(字幕では「業務」となっている)が、何度も繰り返し強調される。妻がおびえて辿りつけなかった場所から観る風景の絵を、夫の写真を参照しながら描いて出品したところ、夫は妻に対し、恥ずかしくないのかと罵る。そしてお互いに正しい仕事をしながら理解しあうという夫婦像。

この映画が撮られた1983年は、三峡ダムの工事着工(1993年)の前ながら、その建設を巡って既に論争がなされていたという。この映画が論争に投じられた石であるかどうかは判らないが、観光映画でもあるように撮られた景勝の数々は、その後、変貌したのかもしれない。

なお、夫のカメラマンは一眼レフと二眼レフの2台のカメラを使っている。陸田三郎『中国のクラシックカメラ事情』(朝日ソノラマ、2005年)で調べると、ペンタプリズムにカモメのマークがある一眼レフはどうやら「海鵬DF」のようで、1969年から長く製造された機種である。本書ではあまり褒めてはいない。

「実際に使ってみると当然というべきか、「ミノルタ」に比べてファインダーの切れは悪いし、フィルム巻き上げなどにもぎこちなさがある。レンズもマウントにしっかりと固定されない感じで、不安になる。描写も画面全体に眠たさが漂う。」

二眼レフの方は、空き箱が夫の部屋に置いてあったので、「ヤシカマット124」だとわかった。ちゃんと黄色フィルターが装着してあり、使われている感じである。巻き上げの際には、ヤシカ特有のぎりぎりぎりという安っぽい音がして笑ってしまう。

●中国プロパガンダ映画
『白毛女』
『三八線上』
『大閲兵』
『突破烏江』

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ミカエル・ハフストローム『諜海風雲 Shanghai』、胡玫『孔子』

2010-09-19 23:46:50 | 中国・台湾

中国で買ってきたDVD、ミカエル・ハフストローム『諜海風雲 Shanghai』(2009年)を観る。チョウ・ユンファ、コン・リー、渡辺謙、ジョン・キューザックが共演する大作(日本未公開)。それにしてもDVD化が早い。

日米開戦直前の上海。英、仏、独、米、日の各租界では一応の抑止力が保たれているはずだった(「英国で酒を呑み、仏国で食事し、独国で情報を仕入れ、日本からなるべく離れたホテルに宿泊する」なんて言葉が引用されている)。実際には、日本軍の横暴が激化していた。友人のもとに来た新聞記者(ジョン・キューザック)は、友人が直前に殺されたことを知る。調べてみると、日本の軍人(渡辺謙)の情婦に接近し、日本軍の情報を仕入れていたのだった。そして日本軍と着かず離れずの距離を保つ男(チョウ・ユンファ)、その妻でありながら「南京大虐殺が上海でも起きてしまう」と密かに抗日運動を行う女(コン・リー)。

映画としては可もなく不可もなく、といったところか。大根役者ジョン・キューザックは明らかにミスキャスト、相変わらず色気のあるコン・リーの存在感に救われている感がある。チョウ・ユンファについては、何が良いのかまったくわからない。

ちょっと前に飛行機の中で観た、胡玫(フー・メイ)『孔子』(2010年)でも、チョウ・ユンファが孔子の役をつとめていた。これがもう、薄っぺらの伝記映画で、ユンファの表情にのみ頼ったような駄目駄目な作品だった。報道では、中国でも『アバター』に押されて客の入りが芳しくない様子。

こんな作品に比べれば、『諜海風雲 Shanghai』は百倍優れている。

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ロベルト・ロッセリーニ『インディア』、『谷村新司 ココロの巡礼』

2010-09-19 22:56:17 | 南アジア

インドから帰ってきた気分が抜けきらないまま、ロベルト・ロッセリーニ『インディア』(1958年)を観る。ロッセリーニにとっては、イングリッド・バーグマンとの諸作品の評判が振るわず、数年間ののちに撮った作品である。20年くらい前、蓮見重彦の影響でロッセリーニだぜ観に行こうと誘う友人Sと一緒に、早稲田にあったACTミニシアターでのオールナイト上映で観て以来だ。Sは番組製作会社への就職とともに姿をくらましたが、どこで何をしているのだろう。

映画はボンベイの雑踏で始まり、ボンベイの雑踏で終わる(なお、ムンバイとなった現在も、古くからの住人はボンベイと呼んでいる)。その間に4つのエピソードが挿入されている。象使いが結婚する話、人海戦術でのダム建築に携わった男の独白、森に暮らす老人の話、熱波で主人を失った猿の話。

それぞれ、語り手は登場人物(を装ったナレーター)であり、4つめの話に至っては猿(を装ったナレーター)である。その意味で、映画はドキュメンタリーとドラマとの間を彷徨い、視線も誰が誰に向けたものなのかも曖昧なままだ。そこが、いつも何かが曖昧なロッセリーニの魅力なのかも知れないが、主体は不在であり、インドにもどこにも足を踏みしめることのない作品だとも言うことができる。

こんなものより、ちょうど何気なくチャンネルを変えたときに放送していた、『谷村新司・ココロの巡礼~「昴」30年目の真実』(BSジャパン、2010年9月18日、>> リンク)の方が馬鹿馬鹿しくて面白かった。

谷村新司がインドを旅する。タージ・マハルでは、何の感慨も抱かなかったことを、「生きている世界にこそインドがある」ともっともらしく解説する。鉄道(テレビでもなければ一等車に乗っているだろうに)の中で買った卵サンドを食べて、「卵とパンの味がします」(!)という感想を述べる。そしてほどなく下痢と高熱に襲われ、数日の休養の後、へろへろでカメラの前に姿を見せる。曰く、「熱があったので夢を見た。その中に青いシヴァ神が登場した。そういえば、「昴」では、「青白き頬の頬のままで~」と歌っていた。これは何かある。」 ・・・もうヤケクソとしか思えない。

そして番組の最後に、谷村は川の桟橋に立ち、ひとり「昴」を唄う。背後では、意に介することなく沐浴を済ませた人たちがマイペースに着替えている。こちらは緊張感に耐えられず、肋骨が痛くなってくる。ツマと一緒に歯を剥き出して爆笑しながら観た。あれもインド、これもインド、どれもインド。

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原将人『20世紀ノスタルジア』

2010-09-19 21:54:21 | アート・映画

原将人『20世紀ノスタルジア』(1997年)を観る。

広末涼子10代のデビュー作とあって、広末ファンの間では賛否両論分かれているようである。評価の分かれ目はおそらくオーソドックスな劇映画(ベタなアイドル映画も含めて)とはかけ離れた自主製作映画のようなノリにある。

私は、商業映画においても隙間だらけの映画を構築してみせた原将人の手腕が素晴らしいと思ってしまう。ここに出てくる物語も、思春期性も、トイカメラで撮られたようなキッチュな映像も、すべて手垢のついたような二次情報ばかりである。しかし、すべての要素が互いに距離を置いたようなドンガラの構造、そしてその距離が映画なのだとさえ感じられる。これはやはり、原将人のツッパリだったのだろう。

ところで、原将人全映画上映のVol.2が10/10に予定されているようで、ちょっと行けるかどうかわからないところ。『初国知所之天皇』をぜひ観たいのだけれど。(>> リンク

●参照
原将人『おかしさに彩られた悲しみのバラード』、『自己表出史・早川義夫編』
大島渚『夏の妹』(原論文)

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杉山正明『クビライの挑戦』

2010-09-19 00:14:50 | 北アジア・中央アジア

中国に数日間行ってきた。往復の機内で読んだのは、杉山正明『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回』(講談社学術文庫、2010年、原著1995年)。つまり、当時世界最大の都市であった杭州に、意識せずして本書を持ちこんだというわけ。世界史全般の通史では、モンゴルの世界席巻についていまひとつ不可解であり、知りたかったところでもあった。

ここに書かれているのは、世界システムの姿を変えたモンゴル、帝国の姿を変えたモンゴルである。世界システム論を提唱した人物にイマニュエル・ウォーラーステインがいるが(私は舛添要一の授業でその名前を知った)、著者は、彼についてヨーロッパ偏重であり「モンゴルを知らない」とばっさりと批判する。それだけでなく、歴史というものが特定のイメージに支配され、偏向と限界とを孕んでいることを、歴史家として自ら吐露する。この覚悟には読みながら気圧される。

「・・・歴史家というものは、既存のイメージや文献の表面にまどわされることなく、なにがはたして「本当の事実」なのか、ぎりぎりまでつっこんで真相を見きわめようとすると、じつはたいてい無力である。」(!!)

モンゴルについての既存のイメージは、野蛮、残酷、草のにおいのする戦闘集団、チンギスとクビライ、元寇、マルコ・ポーロ、タタールのくびき、といったところ、本書はそれらのひとつひとつを(歴史学の限界を提示しながら)再検証している。そこから浮かび上がってくるモンゴル帝国の新奇性、斬新さには夢中になってしまう。

○モンゴルがロシアに破壊と殺戮を加えたという「タタールのくびき」は、根拠に乏しい。実態は、ロシア側がモンゴルの権力を利用する形で支配を受け、モンゴルの世界システムに取りこまれるものだった。
○権力の多重構造がモンゴル帝国の特徴のひとつであり、多極化は内部抗争とは似て非なるものだった。すなわち、現代の国家観を歴史の実態にあうようにとらえなおす必要がある。
○モンゴル帝国、イコール、中華王朝(元朝)ではない。これは文献の偏りに起因する既存イメージのひとつである。
草原の軍事力、中華の経済力、ムスリムの商業力がモンゴル帝国の柱であった。自由な商業がグローバルな交流を生むこととなった。福岡をその交流圏の東端として捉えることもできる。これが華僑の東南アジアへの拡がりインドネシアのムスリム化の要因ともなった。
○東アジア全域での道路システムの整備は、史上はじめてのことであった。それを草原とオアシスの世界を横断する駅伝ルートと連結して、ユーラシア全域をひとつの陸上交通体系でつなげたのは、人類史上はじめてのことだった(あるいはこのときだけ)。そして、モンゴル帝国は、中国からイラン・アラブ方面にいたる海域をも掌握した上海はこのとき歴史上に姿を現した。
○南宋への攻撃において採用した、都市化による包囲は、「不殺の思想」であり、「戦争の産業化」であった。
元寇、とくに第一回の文永の役は、南宋攻撃の一環として位置づけられる。「元寇」だけをクローズアップするのは、「巨大な外圧」というイメージが好まれた結果である。しかし、第三回がなされていたならば(モンゴル内部の政治情勢変動により実行されなかった)、日本はあやうかった。
○銀を共通の価値とする「銀世界」は、ユーラシア全体に拡がった。銀と、それにぶらさがる紙幣、自由な物流とそれによる国家収入、通商帝国というにふさわしいシステムであった。
○日中交流史上、近現代をのぞくと、もっともさかんであったのはモンゴル時代である。
○モンゴル帝国を揺るがしたのは、14世紀の「地球規模の災厄」であった。これをヨーロッパだけに限定して考えてはならない。
○モンゴルを否定し、漢族主義・中華主義を標榜した明朝は、明らかに、巨大敵国の方式をモンゴルから受け継いでいた。そのパターンを取りこんだ「巨大な中華」は、明、清、民国を経て現在に生き続けている。
が独裁専制の「内向き」帝国になり下がらなければ、「大航海時代」は、少なくともアジア・アフリカ方面に関しては、ヨーロッパ人のものであったかどうかわからない。(!!) 「モンゴル・システム」が生き続けていれば、東からの「大航海時代」がなかったとはいいきれない。少なくとも14世紀までは、技術力、産業力、それから海洋の利用において、「東方」が「西方」を凌駕していた。

歴史の「たら、れば」はともかく、「モンゴルの時代」の面白さについて、これでもかと示してくれる本である。

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ガネーシャ

2010-09-14 22:22:37 | 南アジア

先週、インドのホテルでテレビを付けたら、ヒンドゥーの神々が登場する奇妙なアニメが放送されていた。主役がガネーシャ、脇役がどうやらヴィシュヌパールヴァティー、それからシタールを持つ少年。ガネーシャはシヴァとパールヴァティーの息子だが、さすがに、一旦はガネーシャの首を切り落としたシヴァは登場していない。なお、話の内容はまったくわからない。

わが家のガネーシャは三体。1995年ころにネパール・カトマンドゥの広場で買ったもの、1997年ころにスリランカの象園わきの売店で買ったもの、それからいつだったかに人に貰ったアロマ用。スリランカ出身の一体は玄関に置いて、信者でもないくせに、どこかに出発するときには無事を祈願している(隣りには水木しげる人形が座っている)。そのような神である。


スリランカ出身


アロマ用、出身不明


ネパール出身

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