Sightsong

自縄自縛日記

鬼海弘雄『しあわせ インド大地の子どもたち』

2010-08-31 02:00:40 | 南アジア

鬼海弘雄『しあわせ インド大地の子どもたち』(福音館書店、2001年)を開くたびに、モノクロ写真の魔力を感じないわけにはいかない。

インドの街や田舎や漁村に生きる子どもたちの姿を捉えた写真群である。最近、『キヤノン・プレミアムアーカイブス 写真家たちの日本紀行』において、鬼海弘雄がデジカメを手に(似合わない!)、北海道での撮影を行う様子を観ることができた(「北海道 道北の旅」)。撮影する相手にごく自然に話しかけ(無神経を装うわけでも阿るわけでもない)、まるで記念写真を撮るかのように記録していた。おそらくインドでもそのようだったのだろう、これらは牛腸茂雄の写真と同様に、まなざしの写真でもある。

そして、グレートーンの出方がただごとでない。これは『東京夢譚』(2007年)でもそうなのだが、人物であるだけに、さらに、肌の色が濃いだけに、この異常さがあからさまなものとなっている。白飛びも黒つぶれも皆無で、すべてにトーンがあるのだ。仮に自分が撮ったなら、よほどの曇天、あるいは偶然的にすべてに均一な光がまわりこんでいる条件でなければ、何かを捨てなければならない。仮に焼き込みを工夫したとしても、である。ところが、この写真群は何も捨てていない、何しろすべてにトーンがあるのだから。

以前、この秘密を知るべく、本人に訊ねたことがある。そのときの答えは、カメラはハッセルにプラナー、フィルムはTri-Xかプレスト、印画紙はオリエンタルとイルフォード(大きいもの)のバライタ。そして秘密に対する答えは、「味の素(笑)・・・いや、何も特別なことはしていない。リバーサルを撮るくらいの気持ちで露出を決めるくらいだ。」であった。しかしそれを信じるわけにはいかない。非常に巧みで繊細な覆い焼きとトーンの調整が、モノクロ写真のひとつの到達点とでも言うべきプリントを生みだしている。

●参照
鬼海弘雄写真展『東京夢譚』

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中里和人展「風景ノ境界 1983-2010」+北井一夫

2010-08-30 00:20:56 | 写真

研究者のTさんにお誘いいただき、中里和人展「風景ノ境界 1983-2010」を観るために市川市芳澤ガーデンギャラリーに足を運んだ。

開発前の幕張や浦安の埋立地を撮った『湾岸原野』、江戸川放水路や三番瀬の地べたにイコンを見出した『表層聖像』、小屋の顔を撮った『小屋の肖像』、キリコ的な建造物を見出した『キリコの街』、沖縄などの何気ない路地を撮った『路地』、東京の夜景を撮ることで大いなるイナカ性を顕在化した『東亰』、左右のカーブをセットにした奇妙な『R』、沖縄や愛知などの町のスナップ『4つの町』、闇の光を掬いあげた『ULTRA』が展示されていた。それぞれの新機軸がいまだ新鮮である。特にコザや辺野古の建物の表面、そのマチエールをパラノイア的に捉えようとした『路地』『4つの町』は、眼が喜ぶものだった。

何廻りかの後、北井一夫(中里和人の師匠)とのトークショーを聴く。難産だった『フナバシストーリー』のときの北井一夫の撮影は、撮ることよりも観ることを徹底していたという印象があったという。北井さんは、中里和人のエポックは『小屋の肖像』(『路地』などはその延長線)と『ULTRA』だと指摘した。この小屋写真がひとつの流れの源流となり、ダムやジャンクションなどのオブジェ写真を生んだとする中里さんの自己分析は興味深いものだったが、それでは、いわゆる「工場萌え」写真までもその流れに位置づけるのは強引なはずで、ひとつの側面としてとらえるべきものかもしれない。また、『ULTRA』では、撮れないものを何とか撮ろうとするのではなく、闇の中の光の粒を捉えようとする手法なのだとの話があった。

トークショー後、ふたりの写真家+20人程度での飲み会があった。北井さんには、沖縄での写真というテーマでの話を伺う。曰く、政治に依存しすぎてはならない、政治は力なのだから、と。そして、表現者は、何かに依存せず、孤独でなければならない、と。

●参照 北井一夫
『ドイツ表現派1920年代の旅』
『境川の人々』
『フナバシストーリー』
『Walking with Leica』、『英雄伝説アントニオ猪木』
『Walking with Leica 2』
『1973 中国』

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カマル・タブリーズィー『テヘラン悪ガキ日記』『風の絨毯』、マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』

2010-08-28 21:57:24 | 中東・アフリカ

カマル・タブリーズィーの新旧2作品、『テヘラン悪ガキ日記』(1998年)と『風の絨毯』(2002年)、それから、マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』(1997年)を観る。

■『テヘラン悪ガキ日記』
ストリートチルドレンのメヘディは母親を早くに亡くし、親戚に邪険に扱われて盗みを働いた揚句、少年院に入れられている。母親が死んだというのはウソで、本当の母親がどこかにいるという妄想を抱いている。その理想像(彼にとっての現実)は、新聞の切り抜き写真であり、それにそっくりな女性が指導係として現れた途端、母親が来たと思い込む。メヘディは少年院を脱走し、女性とその娘(メヘディにとっては妹)につきまとう。女性は夫をメヘディのようなストリートチルドレンに殺されたという過去を持っていた。

イランの当時の社会問題が織り込まれているが、演出に工夫ひとつなく、映画的な空気を感じることはできない。また、少年メヘディは愛嬌があるものの、異常な妄想癖があるがために、感情移入することが難しい。何か悲惨な出来事が待ち構えているのではないだろうかとハラハラし、早く解決してほしいと権力者のような視線で観てしまうのだ。

■『風の絨毯』
日本とイランとの共同制作。事故で亡くなった妻(工藤夕貴)が作ろうとしていたペルシャ絨毯をイランの工房に発注した夫と娘は、それを受け取りにイスファハンまで赴く。しかし、発注ミスでまだ少しも出来ていなかった。決裂寸前、馬車曳きの少年のアイデアで、わずか2週間での制作に入ることになる。

三國連太郎や工藤夕貴の演技が良いが、彼らはすぐに画面から姿を消す。やがて、母を亡くした少女がイラン社会で心を開いていく話に収斂していくのだが、この演出がやはり平板的で、評価すべきところがない。タブリーズィーの最新作は、アースマラソンを行う間寛平を主役にした『ランアンドラン』(2010年、一般未公開)だが、ちょっと期待できないかもしれない。

■『運動靴と赤い金魚』
少年アリは妹ザーラの靴を亡くしてしまう。怖い父親にも病気の母親にも言えない。当分、学校には兄妹で一足の運動靴を共有して通う。恥ずかしい、お父さんに言いつけるからねとべそをかくザーラ。綺麗なペンをザーラにあげたりして、何とか誤魔化したいアリ。そんなとき、マラソン大会の3等の商品に運動靴が出ることを知ったアリは、先生に泣きついて出場させてもらう。毎日運動靴を取り変えるために急いで走った甲斐あって、1等でゴールしてしまう。涙目のアリ。

タブリーズィーの駄目な演出を観た後だけに、マジディの子どもの描き方や、まさに「ランアンドラン」の工夫が秀逸に感じられる。他の子どもたちの靴ばかりを見つめるザーラの視線や、拾った靴を履いていた少女の家が貧しいと知るや言い出せなくなる兄妹の表情がたまらなく良い。一心不乱に走りすぎて3等になれなかったアリは俯き、ザーラもがっかりしてしまい、家の池に入れたアリの裸足には赤い金魚が寄っていく、これは涼やかで詩的だ。他のマジディ作品も観たいところだ。


レンタル落ちVHSはもはや100円

●参照 イラン映画
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』

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宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』

2010-08-28 02:35:53 | 沖縄

那覇空港の売店には、いつも、ひるぎ社の「おきなわ文庫」がいくつも置いてある。家族で沖縄を訪れた帰り、機内で読もうと何冊か入手した(いつも、その名の通り、ヒルギの写真をあしらった紙のカバーを付けてくれる)。宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(1998年)はそのひとつだ。韓国に赴任したウチナーンチュの著者が、韓国の歴史や文化、沖縄との関係などについて雑感風に綴っている。羽田からのバスの車内で読み終えてしまった。

琉球は、琉球王国成立前の1389年から1500年まで、朝鮮と頻繁に交流していた。朝鮮もその間に、高麗から李氏朝鮮へと変わった(1392年)。さらにその前、1372年には、琉球はからの招聘にはじめて応じ、冊封・朝貢関係を結んでいた。本書で紹介してあるのは、その時代のエピソードである。

なかでも面白いのは、胡椒と唐辛子を巡る話だ。中世の交易にスパイスは付き物であり、琉球もその例外ではない。4世紀に朝鮮に伝わった仏教は肉食を禁じていたが、1231年から1世紀朝鮮を支配した元は肉食文化であり、さらに李氏朝鮮は儒教を国教とし、肉食が進んだ。そのために胡椒の輸入が必要だったが、1592年、豊臣秀吉の朝鮮侵略により、それが叶わなくなる。同年、ポルトガル人が日本に唐辛子を持ち込み、それは侵略とともに朝鮮にも伝わっていく。胡椒の代替品から食文化の中心へ―――ということは、秀吉がキムチの歴史の始点であったということか? 調べてみると、琉球には、朝鮮経由(または日本経由)で唐辛子が伝わったようであり、泡盛に唐辛子を漬けたコーレーグス「高麗薬」と書く。

韓国と沖縄、ともにかつて中国と冊封関係を結び、方や独立しながらも国を二分され、方や米国と日本にコマのように位置づけられてきた。その両者の共通点を気質や食文化や歴史から見出す本書には、通常とは違った視点を持つものとして、好感を覚えた。韓国のなかでの済州島と、日本のなかでの沖縄とは、差別構造という側面から比較されることが少なくないが、本書の著者は、出身地を韓国で訊かれると、「済州南道」(済州島の南という意味)と答えている。妙に淡々とした面白さがある。

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小浜司『島唄レコード百花繚乱―嘉手苅林昌とその時代』

2010-08-21 14:44:17 | 沖縄

小浜司『島唄レコード百花繚乱―嘉手苅林昌とその時代』(ボーダー新書、2009年)を読む。著者は那覇の島唄カフェ「いーやーぐゎー」店主(移転前は国際通り沿いの「まるみかなー」)にして、大城美佐子や嘉手苅林昌などの唄者のCDを多くプロデュースしている。「いーやーぐゎー」を訪れると、必ず何か面白いネタを教えてもらえる人である。

もちろん知らない唄者やレコードのことがたくさん書いてあるが、いちいち面白い。知っていることに関しても、いろいろな発見がある。これはもう、限られた者にしか書けない本だろうね。願わくはもっと大部の本を書いてほしい、それから、「いーやーぐゎー」に無限にある昔の民謡番組のヴィデオを凝縮してDVD化してほしい。ちょっと店で見せてもらうだけでも、上原知子、古謝美佐子、大工哲弘など、昔の姿で登場して吃驚させられるのだ。

発見。

知名定男と大城美佐子による「十九の春」のB面は「二見情話」(自慢だが、私もこのレア盤を持っているぞ)。戦時中、出会ったのは久志、語ったのは辺野古、通ったのは二見といった歌詞である。辺野古界隈を唄った新しい唄であり、ジャケットが米軍基地であることもこれでわかる。
○かつては単にエイサーではなく七月エイサーといった。旧暦7月13日~15日、旧盆のウンケー(お迎え)、中日、ウークイ(お送り)の3日間に行われたものだった(つまり明日から)。林昌のEP盤もあった。私の持っている『七月エイサー』(マルフクレコード、1985・88年)は比較的新しいもので、林昌がずっと唄っている。ドラマ『ちゅらさん』では、藤木勇人が経営する沖縄料理店において、よくBGMとしてかかっていた記憶がある。なお、『年中エイサー』というアルバムがあり、内里美香が参加しているので欲しいのだが、季節性を否定している気がしてまだ聴いたことがない。
○沖縄海洋博(1975年)、道路の自動車の向きを変えた「730」(1978年)などをネタにした島唄があった。それにしても「ナナサンマル音頭」って何だ。
○演歌歌手・城間ヨシの88歳バースデーライヴの様子が書かれている。「お客全員がひれ伏すほど」だったようだ。なお、このライヴをやろうやろうと小浜さんがヨシさんに持ちかけている現場に居合わせた(>> リンク)。CDで聴くヨシさんの歌声は凄かっただけに、ライヴにも行きたかった・・・。
瀬良垣苗子「うんじゅが情どぅ頼まりる」(作詞作曲:知名定男)は、いろいろにA面・B面のカップリングで出された。私の持っているのは「新殿様節」とのカップリングだが、本書に載っている「くんじー小」とのカップリング盤のジャケットの写真は前者の一部をカットして使っている。二度三度美味しい商売だったということ。

本書の後半は、嘉手苅林昌の小伝にあてられている。戦争、放浪、奇行、大城美佐子との絡み、竹中労のこと、本当に面白いが、近くにいたら大変だっただろうねと思う。沖縄に帰ってきてから1年、30歳の林昌の初レコーディングが収録された『ジルー』(ビクター)を改めて聴く。林昌の声も、大城美佐子の声もひたすら凄い。著者の小浜さんもこの盤の制作に深く関わっている。

あっ興南が優勝した。

●沖縄民謡・島唄
嘉手苅林昌「屋慶名クワデサー」、屋慶名闘牛場
大城美佐子&よなは徹『ふたり唄~ウムイ継承』
大城美佐子の唄ウムイ 主ン妻節の30年
代官山で大城美佐子を聴いた
Zeiss Biogon 35mm/f2.0 で撮る「島思い」
Leitz Elmarit 90mm/f2.8 で撮る栄町市場と大城美佐子
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー(大城美佐子主演)
『ゴーヤーちゃんぷるー(大城美佐子出演、神谷千尋の唄)
城間ヨシさん、インターリュード、栄町市場
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』、八重山で演奏された齋藤徹『パナリ』
知名定男の本土デビュー前のレコード(大城美佐子との『十九の春/二見情話』、瀬良垣苗子との『うんじゅが情どぅ頼まりる』)
知名定男芸能生活50周年のコンサート
鳩間可奈子+吉田康子
鳩間可奈子の新譜『太陽ぬ子 てぃだぬふぁー』
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」(知花昌一さんが「時代の流れ」と「二見情話」を唄った)
神谷千尋
内里美香『たびだち』
池田卓
新良幸人の声は太丸
諏訪敦彦+イポリット・ジラルド『ユキとニナ』(UA+大島保克「てぃんさぐぬ花」)

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比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』

2010-08-21 10:42:21 | 沖縄

先日、神保町の「ボヘミアンズ・ギルド」で千円で見つけた、比嘉豊光『沖縄・宮古島~西原~ 光るナナムイの神々』(風土社、2001年)。宮古の祭祀を記録した写真群だ。国立近代美術館で2008年に開催された『沖縄・プリズム1872-2008』展でオリジナルプリントを観て以来、他の写真も観たかったのだ。

印刷媒体では、もちろんオリジナルプリントの持つ息を呑んでしまうようなアウラは希薄になるが、それでも、おそらくはかなりの広角レンズにより森の中の御嶽に入り込んだ視線は素晴らしい。やはり祭祀を撮った写真家・比嘉康雄の写真がややドライに感じられるのと比較して、共同体の中の会話ができそうな距離感があって、親密感を覚える。

今月の『世界』(2010年9月号、岩波書店)には、比嘉豊光による『骨の戦世(イクサユ)』が8点掲載されている。

那覇新都心において発掘されている、沖縄戦での死者の骨である。日本政府の遺骨収集がいかに杜撰で暴力的であったかという、北村毅による指摘は重要である。遺骨は土建業者により重機で掘り返され、暴力的に匿名化され、その一部はやはり匿名の死者となってどこかで埋立に使われている。掘り返されなくても、無数の遺骨はなお地下に眠り(やはり済州島のように)、経済そのものの象徴である新都心の下にこれだけの死者がいたことが、改めて意識にのぼってきたということになる。

また、仲里効「珊瑚のカケラをして糺しめよ」では、この遺骨に向けられる視線の彷徨を提示されている。

ガマや古墓を日本兵に追い出された住民たちは、死に追いやられ、遺骨さえ拾われることがなかった。珊瑚のカケラを骨代わりにした例は少なくないという。つまりこの骨は日本兵のものだという可能性が高く、だからこそ視線は彷徨う。

「つまり、あの石積みの堅牢な墓には住民が避難していたかもしれないし、完全な形で残されている骨は現し身にあっては住民を追い出したかもしれない戦争器官であった、という疑念はぬぐえない。
 あのイクサにおいては、死や骨さえ平等とはいえない、ということに思い至るとき、国籍や階級、軍人や民間人を問わず等しく沖縄戦の使者たちを弔う「平和の礎」で、強制連行された韓国・朝鮮人慰安婦とその遺族が刻名を拒否したことの意味を改めて考えさせられる。
 拒んだのは「慰安婦」であったことの絶望的な恥辱が理由だとされるが、そのような恥辱を与えた国家の軍人と同じ<礎>に名を連ねることへの強い拒絶があったからだといわれる。取り込みつつ排除した日本の植民地主義の<同化>の倫理への強い否の思想があった。」

●沖縄の写真
仲里効『フォトネシア』
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」(沖縄県立博物館・美術館)
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
沖縄・プリズム1872-2008
東松照明『長崎曼荼羅』
東松照明『南島ハテルマ』
石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』

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『世界』の特集「巨大な隣人・中国とともに生きる」

2010-08-21 09:30:16 | 中国・台湾

所用で札幌に足を運んだ。機内で『世界』最新号を読む。特集は「巨大な隣人・中国とともに生きる」と題されている。

■行天豊雄「豊かで強い中国とどう向き合うか」

高度成長(5-10%)はあと10年は続く、なぜなら潜在需要があり、都市への人口流入がまだ続き、貯蓄率が高いため投資能力があり、不動産バブルを処理できる税収の余力があり、そのバブルも慎重に対応しているので一気にはじけることはない、といった分析。また人民元がアジアの基軸通貨になるのはまだ先だと見ている。

■樊勇明「成長パターン転換の大局面に立つ中国経済」

景気の減速を示す指標が多く提示されている。中国経済が危いバランスのもとに成立しているが、そのことは中央も認識しており、地方の実情を踏まえて安定成長に持っていく方向だという。興味深いのは不動産バブルの分析であり、その原因を地方政府と不動産業者との癒着にあるとしている。すなわち土地は国のもの、利用するための土地使用金は地方政府に財源となっているが、いまやそのサイクル(土地使用金の増加、さらに行われる都市開発、債務の増大)がかなりアンバランスなものになっている。

さらに、輸出業への逆風、労働人口の豊富から不足への転換にともなう歪みといった分析に関しても、上の論文に比べより実証的で評価できる。

■童適平「中国経済の持続成長に何が必要か」

安定成長のためには消費を促進しなければならないが、実際には、インフラ投資がいびつに膨らんでおり、また都市と農村の格差が拡大し続けているという分析。上の樊論文とは矛盾はしていない。内陸の安くいくらでもある労働力を沿岸が吸い上げる構造を、マクロ的・静的に評価することには限界があり、これが長く続くことはない、ということである。

消費が圧迫されているのは、社会保障(医療費の患者負担率は日本の10%台前半と比較して極めて高い、50%前後!)、教育費負担、住宅価格高騰のためでもあり、加々美光行のいう「社会権」要求の声がますます高まるだろうと読むことができる。

■岡田充「中国―台湾 ECFAがひらく新潮流」

中国と台湾との経済統合が進んでいる(チャイワン)。著者のいう「第三次国共合作」という言葉が適切なものかどうかはともかく、海峡を越えた武力行使は限りなくゼロに近いとする分析は納得できる。対ロシア、対中央アジアも含め、関係の好転による果実をこそ求めているのだ、ということだ(堀江則雄『ユーラシア胎動』)。中国脅威論を軍事的にのみ語るメディアの知的水準の低さよ、ということになるだろうか。

■朱建栄「上海万博から見る中国の現在と未来」

中国との関係が悪化した小泉政権が、万博開催地の投票において中国に票を入れなかったことはともかく、その延長にある「反中」報道がいまだ尾を引いている。日本館が国旗を掲揚しなかったのは過敏な自粛だ(上海環球金融中心の形が変わったことを想起させられる)、いや強制だ、などという報道がなされた。実は通常の習慣だったということで、中国側の担当者からは「フランス、イギリスなどのように国旗を掲揚しない国には別にクレームをつけないし、なぜ日本国内で自分だけがいじめられているような騒ぎになったのか理解できない」との意見も出たという。 

■松田康博「「不確実性」としての中国に向き合う」

ここでも、「中国脅威論」をベースとした対中政策(ハード・バランシング)はもはや時代遅れだとの指摘がある。相互依存関係(ソフト・バランシング)が有効であり、何か綻びが出てきても自然と対処できる仕組みが重要であるとする。

■遠藤誉「「網民」パワー 四億人の声が政府を動かす」

韓国では「ネチズン」、中国では「網民」。ネット原論の影響力は相当に大きいようであり、何と、意見表明手段のうちBBS人口は1.32億人、ブログ開設者の数は2.31億人(!!)。政府への圧力を加える結果も出てきているという。著者の考えでは、「網民」は多くの場合弱者の代弁者として言論を展開し、貧富の差が国家を危くしかねない中国にとって、民意を逆なでできないから、である。検閲やグーグルとの不和が常に話題となっているが、それを逆手にとったアナーキーなパロディも流行しているようである。

■麻生晴一郎「公民社会への道」

NGOへの規制強化が強まっているが、これは上の遠藤論文にあるネット規制と同様、その影響力が強まっていることを示している。

●現代中国論
『情況』の、「現代中国論」特集
加々美光行『裸の共和国』
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
加々美光行『中国の民族問題』
竹内実『中国という世界』
藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』

●『世界』
「普天間移設問題の真実」特集(2010年2月)
「韓国併合100年」特集(2010年1月)
臨時増刊『沖縄戦と「集団自決」』(2007年12月)
「「沖縄戦」とは何だったのか」特集(2007年7月)

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加々美光行『裸の共和国』

2010-08-20 23:26:50 | 中国・台湾

加々美光行『裸の共和国 現代中国の民主化と民族問題』(情況新書、2010年)を読む。何しろ加々美光行の最新刊、読まないわけにはいかない。

 

冷戦構造の中にあって毛沢東の中国が選んだ政策という分析が、非常に面白い。朝鮮戦争への中国参戦を阻止するため、米国は、CIAを使って毛暗殺を企てていた。50年代、インドではネルーの農村発展政策が破綻し、外部依存型経済に転換、IMFからの援助を受ける(しかし南米と異なり、米国の裏庭にはならなかった)。一方中国のとった方向は非同盟、外部非依存型人民公社建設であった。これが印中対立の原点、中ソ対立の原点だと解説する。確かに著者の指摘する通り、文化大革命は、冷戦という過酷な国際環境のなかの綱渡りとしてなされたのであり、文革の功罪だけを評価するのは歴史の一面しか見ていないことになる。そして林彪が謎の墜落死を遂げる事件(1971年)も、ただの権力闘争・粛清として見てはならないという主張にも、納得させられる。

毛沢東に向けられる視線は、いまではイデオロギーよりも、中国建国、そして文化大革命の惨状が主ではないかと思う。しかし著者は、本来は第三世界非同盟主義を貫徹しようとする為政者として、コミューン主義者として、アナキストとして、毛沢東を評価する。

一方、中国の資本主義化をコミューン主義の実現と並行した、しかしねじれの歴史として描いてみせている。イデオロギーは形骸化し、特に鄧小平時代になって、共産党そのものが「巨大な利権授受のネットワークのピラミッドを形成する集団」に化した、とする。多少でも中国ビジネスに身を置いてみると、誰もが思い知らされる側面である。 

中国の民主化に関しては、その運動を、言論の自由などを要求する「自由権」と、生存権・就業権などを要求する「社会権」に分けている。第二次天安門事件(1989年)が画期的であったのは、一見、学生や知識人たちの「自由権」追求が中心であったように見なされるが、実は「社会権」追求が同時に提起されたことにあるとする。また、新疆ウイグル自治区の「東トルキスタン独立運動」は大きなうねりにはならない「自由権」要求であった、しかし、暴動事件(2009年)は「社会権」要求であった、その意味で両者が結び付いていく可能性がある、と。さらに、90年代半ば以降、「社会権」要求を欠いた狭隘な運動が日中両国で活発化、中国では排他的・自尊的な民族主義、日本では歴史修正主義であった、と。特に最後の点は示唆的である。著者は日中双方で互いを映し出す鏡であったのだ、とする。このことは歴史ではなく現在形であろう。

ところで、興味深い指摘がある。「中華思想」という観念は、昭和初期に日本が作りだしたものだという。

「「中華思想」について那波(利貞、東洋史学者)は中国(当時の呼称では支那)が「自己を尊大に考ふる思想」と定義しましたが、これはさっき述べたように自国の大国的発展とともにナショナリズムがその抵抗的性格を失って、自民族を尊大視するときにこそ生じる観念なのです。しかし那波がこう定義したときの「中華ナショナリズム」は、実際には反帝、抗日の抵抗的性格の強いものでしたから、この那波の定義は全く当たっていなかったのです。要するに当時の日本人は、中国が列強の侵略によってズタズタにされながら、なお「自国と自民族を尊大視する」ような、暗愚な民族、暗愚な国家であると見なそうとしたのです。」

●中国近現代史
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
加々美光行『中国の民族問題』
小林英夫『<満洲>の歴史』
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
小林英夫『日中戦争』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
入江曜子『溥儀』
林真理子『RURIKO』
平頂山事件とは何だったのか
盧溝橋
『細菌戦が中国人民にもたらしたもの』
池谷薫『蟻の兵隊』
天児慧『巨龍の胎動』
伴野朗『上海遥かなり』 汪兆銘、天安門事件
伴野朗『上海伝説』、『中国歴史散歩』
竹内実『中国という世界』

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バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』

2010-08-19 00:10:39 | 中東・アフリカ

バフマン・ゴバディが傑作『半月』(2006年)の前に取った作品、『亀も空を飛ぶ』(2004年)を観る。イラク北部のクルド人居住地域、現在はクルディスタン自治区となっているところが舞台となっている。米国によるイラク戦争の前、サダム・フセインは長い弾圧を続けていた。

子どもたちは、地雷を掘ってその日暮らしのオカネを稼いでいる。地雷により足を無くした子もいる。村に定住していた人だけではなく、流れてきた難民たちもいる。「サテライト」という渾名の少年は、子どもたちの隊長分として、地雷掘りを仕切り、大人と交渉し、衛星放送を観るためのアンテナを付け、危いほど必死に生きている。彼は米国に妙な憧れを持っている―――地雷も「米国製」だというのに。サテライトの前に現れた、両手のない少年ヘンコフとその妹アグリン、そして幼児。ヘンコフには、突然未来が見える能力があった。逆にアグリンには、イラク兵に襲われた過去がフラッシュバックとして見えてしまう。幼児はアグリンにとって、その過去の呪われた子であった。子を殺すアグリン、ヘンコフはその様子も、フセイン像が倒される未来も、突如イマジナリーな映像として見る。

悲惨さを極める話とは対照的に、映画はまるでお伽話のような閉ざされた性格を持っている。しかしそれが、閉ざされざるを得なかった故に形成されたコミュニティであるからこそ成立している。そして暴力的に楔のように、しかし無邪気に世界に入り込んでくる米軍(邪気を孕んだ無邪気という米国)。その姿を前にして、サテライトは混乱する―――まるで、J.G.バラード『太陽の帝国』において、上海租界の軍国少年であったジムが幻想を粉々に砕かれたときのように。トラウマという過去、現実かどうかよくわからない現在、超能力によって幻視する未来が同じ世界に存在し、見事な作品になっている。その未来も、イラク戦争を見たばかりのゴバディが遡った過去だと考えれば、クルド人たちの追い込まれた世界を創りあげようとするゴバディの執念のようなものが感じられる。

ゴバディのインタビューを読むと、こんな発言がある。「強大な外国人たちには、私たちに天国を創り出す力などない。彼らは私たちを利用して、自分たちが楽しむための素晴らしい場所を得ているのだ。

もちろんこれは、<帝国>に向けられたゴバディの一刺しである。

●参照
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル
ユルマズ・ギュネイ(1) 『路』
ユルマズ・ギュネイ(2) 『希望』

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雪舟の画集と記録映画

2010-08-16 23:23:07 | アート・映画

雪舟には興味があったので、古本屋で他の買い物のついでに、小さい画集『雪舟』(新潮社、1996年)を入手しておいた。

ページ見開きで作品と解説が並べられている構成。島尾新による解説がとても優れている。極めて短い文章を連ねただけなのに、雪舟という人物の心の機微にまで触れた気にさせられてしまう。そして近代が雪舟像を歪めていること。

雪舟のターニングポイントは、40歳を超えてから渡ったでの滞在であったという。それは必ずしも、滞在中に多くを学んだということではない。寧波と北京の往復もあり、時間はさほどなかった。それよりも精神的なもの、自信を得て、何かが突き抜けてしまった。論理を無視する15世紀のアヴァンギャルドには、確かに凄みすら感じさせられる。

白眉は何と言っても「慧可断臂図」である。達磨が少林寺で壁に向かって座禅し続けているとき、弟子入りしてほしいという男がやってきた。見向きもしない達磨に、男は腕を切って決意を示した。達磨は弟子入りを許し、慧可という名を与えた。この絵の見所は、そのような物語でもあり、自らの腕を持つ慧可の顔であり、達磨の人間を超越したような顔であり、岩肌でもある。しかしもっともギョッと驚かされるのは、太い薄墨でデザインのように描かれた達磨の法衣である。何を考えているのか。


コレ!

雪舟が明に渡ったのは修行のためばかりではなく、当然、画師としての仕事もあったという。周囲の国々から献上品を携えてきた人々を描いた「国々人物絵巻」は、まるで今和次郎のような博物学的な記録であり面白い。「唐僧」などに加え、チベットの「西蕃人」、北方の「女真国人」、朝鮮の「高麗人」、インドの「天竺人」、さらに「琉球人」が描かれている。島津の琉球侵攻より100年以上前のこと、外国人という意識に他ならないようだ。

科学映像館で配信している記録映画(文化映画というべきか?)、『雪舟』(東京シネマ、1956年)も観る(>> リンク)。

映画では、京都五山の禅宗僧侶たちが文化の担い手であり、御用画師も生んだ一方で形式化を免れず、相国寺で学んだ雪舟もさらなる飛躍を求めて明に渡ったのだ、といった解説がなされる。実際のところ、島尾新によれば、雪舟はさほど優れた存在ではなく、30代半ばで見切りをつけて山口に移ったという。つまり、映画は省略しすぎて、中国行きにより存在感を塗りかえる雪舟の前史を無視していることになる。

また、団扇型の中国絵画の模写、アブストラクトな「秋冬山水図」、墨の勢いがある「撥墨山水図」、大分の滝をあり得ない形状で描いた「鎮田滝図」、パノラマ写真のような「天橋立図」、手がアンバランスに小さい「益田兼堯像」、達磨の「慧可断臂図」、花鳥図、最大の力作と説明する16mもの「四季山水図巻(山水長巻)」と紹介が続く。ここでも不満が残るもので、「力強い近景と柔らかい遠景」は嘘ではないからいいとしても(それでも力強い遠景のなかのポイントだってある)、「生きているような」とか、「真実に鋭く迫る」とか、表現は常套句を決して超えることはない。達磨の法衣についてもまったく言及はない。この突き抜けた雪舟を語るには、はっきり言って役不足である。

一方、見所は、「山水長巻」のさまざまな部分を舐めるように観ていくカメラだ。美術館では、日本画、特に横に長いガラスケースに入れられた長巻などは歩きながら観てしまい、凝視しないのである。そして確かに凝視すると、誰かが言っていたようにモンドリアンのような過激さが見えてくる。省略による解像度不足という問題ではないのだ。この映画は、長巻に眼を凝らしながら向けられた視線を体験するためだけにでも、観る価値がある。

●参照
寧波の湖畔の村(雪舟はこのような風景を観ただろうか?)
天童寺(雪舟、道元が滞在)
阿育王寺(アショーカ王寺)(雪舟、鑑真が滞在)

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『与論島の十五夜祭』(南九州に伝わる祭のひとつ)
『チャトハンとハイ』(ハカス共和国の喉歌と箏)

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ウィレム・ブロイカーの『Misery』と未発表音源集

2010-08-16 00:10:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

先ごろ亡くなったウィレム・ブロイカーの、割と最近のCDを聴く。両方BVHAAST、ブロイカー自らが立ちあげたレーベルであり、多分かなり多くのブロイカーの盤を出しているのだろう。これは細長い本の形と、金属の缶がジャケットに使われているが、他にもチーズの丸い箱のようなジャケットのCDもあったと記憶している。

『Misery』(2002年)は3連作の最終作と位置づけられている(他の『Hunger』も『Thirst』も聴いていない)。最初から最後まで祝祭と狂宴、絶好調である。ブロイカーのサックス・ソロはあちこちに登場するが、聴きどころは彼のサックスの腕ではなく、コレクティーフという集団がかぶきまくる姿だ。ホーギー・カーマイケル「My Resistance Is Low」では、ブロイカー自らが甘いヴォーカルを聴かせて、これが楽屋落ちに容易に堕すことがない可笑しさ。ただし、最後で耐えられなくなったのか、ちょっとふざけてジェンガを壊す。

その後の「I'll Remember April」。ジャズ・インプロヴィゼーションの枠内で力づくで原曲を叩き壊したリー・コニッツ『Motion』、それに比べると何と表現すべきか。勿論、両方ともジャズであり、両方とも私は大好きである。

『Previously unreleased recordings 1969 - 1994』は、その名の通り拾遺集であるから、結果的によりバラエティに富んでいる。そのことがブロイカーの音楽のベクトルに沿っているようで、長い時間飽きずに楽しむことができる。楽園的な音楽に突如動物たちの声が闖入する曲がある。ミシャ・メンゲルベルグハン・ベニンクとの共演もある。大勢の男が「ロボットのように」動くバレエのための曲もある(デュシャンのようだ)。もう最高なのだ。

来日時、この缶ジャケットの裏側にサインを頂いた。ブロイカーは即興で楽譜を書いた。こんなことをしたのは、ブロイカーとルディ・マハールのふたりしかいない。


ブロイカーが書いた楽譜


ルディ・マハールが『失望』に書いた奇妙な楽譜

丸谷才一が、フェデリコ・フェリーニ『そして船は行く』を論じたエッセイがある(『犬だって散歩する』所収)。ここで丸谷は、フェリーニが世界文学におけるカーニヴァル文学の伝統を探り当てたに違いないのだと推測している(憶測か)。

「この映画では、深刻と冗談、大まじめと馬鹿つ話は、いつも二重になります。実写の方法による、リアリズムからの脱出といふ妙なことが、平然とおこなはれているんです。つまりこれは、映画の機能の両極を重ね合わせた方法ですね。」

ウィレム・ブロイカーの音楽がまさにカーニヴァル的であることは言うまでもない。ジャズのなかで系譜を辿るなら、ウィレム・ブロイカー、ヘンリー・スレッギル、エルメート・パスコアール、ハル・ウィルナー、イースタシア・オーケストラ、セルゲイ・クリョーヒン、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ、渋さ知らズ、ICPオーケストラ、・・・・・・さてどのように並べよう。

●参照
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る
ウィレム・ブロイカーとレオ・キュイパースとのデュオ『・・・スーパースターズ』
ハン・ベニンク『Hazentijd』(ウィレム・ブロイカー登場)

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平岡正明『ジャズ・フィーリング』に触発されてレスター・ヤングを聴く

2010-08-15 22:49:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

平岡正明『ジャズ・フィーリング』(アディン書房、1974年)を読む。札幌の古本屋アダノンキで見つけて入手したものだ。アディン書房とは聞いたことがない出版社だが、調べてみると、平岡正明の他に森口豁や寺山修司などを出している。もう活動していないのかな?

私は中学生のころより大の筒井康隆ファンであったので(残念ながら、今は違う)、『筒井康隆はこう読め!』などを出していた平岡正明については、太鼓持ち的な筒井ファンかと思い込んでいた。そのアナーキーな放言は、共感も理解もできるものではなかった。何しろ書く量が半端でなく多いためどうしても平岡の文章に触れることもしばしばだ。やがて、竹中労に連なる革命志向的、情緒的な無頼の徒であることに気付かされるのだった。何となくイメージが重なる三上寛についても高く評価しているのは、もっともだ。

本書はジャズ評論であり、かつそうではない。チャーリー・パーカーやソニー・ロリンズやマイルス・デイヴィスを論じてはいるものの、30年以上前の横からの放談、さほど読むべきものはない。ところが、韓国の仁川で、沖縄のコザで、汗と情念でぐちょぐちょになった状態で想うブルース、この感覚が読むものの心を捉える。窮民革命論者ならでは、だ。昔も今も日本のジャズ評論の中心を占める下らぬ解説などに比べれば、ジャズもブルースも、明らかに30年以上前に書かれた平岡の文章に吸い寄せられている。(昨晩、復活した大西順子と一緒にテレビ出演していた林家こぶ平、いや正蔵、などに脱力したこともあり・・・。)

コザの闘牛場でジェームス・ブラウンのコンサートを観てホモセクシャルを感じ、翌日キャンプ・ハンセンでMPに感想を聴き、竹中労と一緒に嘉手苅林昌を聴き、林昌は香港に向かう竹中のために八重山民謡「鷲ン鳥」を唄う。あるいは、台北で雑踏のなかにジャズやブルースの香りを見つけることができず、「ひげを切られた猫」と化しつつも、日本の歌謡曲の変貌をそこに見出す。あるいは、仁川で猥歌(谷川雁が取り上げ、大島渚が『日本春歌考』で使った)の「真実」を理解しながら、ミルト・ジャクソンを聴きたいと希う。

平岡正明は、ジャズを聴き始めて十数年目にしてはじめて、レスター・ヤングを「知った」という。おそらく、この魔の音楽家をモダン・ジャズやフリー・ジャズや現代のジャズと同様に生活の中で聴く人は、今でも少ないのではないか。アタックや目が覚めるようなインパクトがあるわけでもない。見かけも音もしょぼくれたヤサ男である。私もあまり普段聴かないどころか、棚のどこにCDがあるか忘れている始末だ。

そんなわけで、久しぶりに聴いた『Blue Lester』(Savoy、1944・49年)。やっぱり凄い。小節のどこから始めるのか。テーマとインプロヴィゼーションの垣根が曖昧で、しかし飄々とした枯淡の境地というわけでもない。たまに思い出したように速く吹いてみせる。ジュニア・マンスやロイ・ヘインズも共演しているが、何しろここではカウント・ベイシーのピアノが素晴らしく(これもわかりきったことか)、時間感覚さえ溶けてしまう。

ところで、平岡正明がはじめてアルバート・アイラーを聴いたとき、相倉久人に向かって「レスター・ヤングみたいだ」と答え、相倉久人はしばらく平岡の顔を見て「きみはいい耳をしているな」と言ったという。わけがわからないが、ひどい話だ。

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堀之内貝塚の林、カブトムシ

2010-08-14 23:44:35 | 関東

息子が飼っていたカブトムシ。またクヌギの樹に戻そうという話になって、市川市の北の方にある森林に出かけることにした。真間あたりの森林にはスダジイやクスノキなどの常緑広葉樹が多くて好きなところだが、今回はもう少し北、堀之内貝塚の雑木林まで足を延ばした。北総線の北国分まで電車を乗り継いで、そこから10分ほど歩くと、木々で鬱蒼としている場所に着く。片手には、愛用の『葉で見わける樹木』(林将之、小学館)。


『発見・市川の自然』(市川市、2006年)より

林の中を歩いていくと、ヒノキや白い縦じまのイヌシデが目立つ。クヌギもあった。オスのカブ君とメスのカブちゃんをクヌギの幹に放す。元気に上へ上へと歩いていった。これで夜中のガサガサいう音とも、腐葉土の臭いともおさらばだ。


イヌシデ


カブちゃん


カブ君


カブ君は凄い勢いで上を目指す

気が付くと蚊が異様に多く、子どもたちの手足には無数の刺された跡があった。ムヒを塗って、蚊のいない公園でおにぎりを食べ、市川歴史博物館市川考古博物館を覗く。考古博物館の前には、貝塚跡の一部をなす大きな広場があり、イヌザクラムクノキの大木がある。地面に落ちている葉から上を見上げて探すと、クヌギも、ヤマボウシもあった。


イヌザクラの大木


ムクノキの大木


セミの抜け殻とともに落ちていたヤマボウシの葉


クヌギの葉と特徴的な形の実


クヌギの幹はニョキニョキ上に伸びる

さて帰ろうと坂を下りはじめたところで、息子が脱皮前のセミを見つけた。大仕事はいつだろう。

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バフマン・ゴバディ(3) 『半月』

2010-08-14 00:42:20 | 中東・アフリカ

バフマン・ゴバディ『半月』(2006年)を観る。最新作『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)ではテヘランの若者たちを描いたゴバディだが、その前の本作まで、出自のクルド民族を描いていた。

イランに住む老人マモは、クルド人なら誰もが知っている歌手である。イラク領クルディスタン地域でコンサートを開くため、7か月待って政府承認を得て、息子たちを連れてバスで出発する。途中、学校の先生をしている自分の娘を拾っていこうとするが、マモは夫の反対と生徒たちの姿を見て残るように命じる。マモは、コンサートには女性の歌手が必要だと主張し、立ちいることが禁じられた村に立ち寄る。そこは、外で歌うことができない女性歌手たち千人以上が住む村であった。国境で荷物の下に女性を隠すも、軍に見つかってイランに連れ戻されてしまうばかりか、楽器までも壊される。旧知のクルド人歌手が住む村に行くと、電話で再会を伝えられた友人は喜びの余りに死んだあとだった。絶望するマモを連れてイランに戻ろうとするバスに、突如、不思議な女性が現れる。

ゴバディの描写には深いユーモアがある。バスの向こうで親密に踊る男女の足だけを写し、こちら側では子どもたちがアコーディオンを愉しそうに演奏する。狂言廻しの役を演じるバス運転手は、テープなしでヴィデオカメラを回していたことに気づき、俺はなんて無駄なことをしていたのかと泣いてみたりする。このおっちょこちょいは、元気に皆を連れていくはずが、次第に受難の相を見せはじめていく。どのシーンもひたすら巧く、可笑しく、哀しい。

そして、イラン北部、山腹にびっしりと連なる石の家々の風景には息を呑む。千の歌い女の村も、突然イメージが跳躍し、驚かされてしまう。千の声が共鳴する村に入るマモを取り囲む女性たち。皆が手に太鼓を持ち、静かにトコトコトコと叩きだすのだ。

出発前のマモは、四角い穴の中で呆然と寝転がり、女性が棺桶を曳く姿を幻視する。映画が終わるころ、この不思議なシーンに回帰し、観る者は運命の恐ろしさにハッと気が付く。ニコラス・ローグ『赤い影』に勝るとも劣らない手腕だ。

ゴバディは素晴らしい映画作家であることが、確信できる作品である。

●参照
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル

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辻真先『沖縄軽便鉄道は死せず』

2010-08-12 23:37:16 | 沖縄

ケービンこと軽便は、沖縄戦で姿を消した鉄道である。辻真先『沖縄軽便鉄道は死せず』(徳間書店、2005年)は、その最後の姿をサスペンスの形で描き出している。そのうちに読みたいと思っていたが、高円寺の球陽書房(沖縄関連書が多い古本屋)で見つけた。

作品を量産する売れっ子の小説屋による沖縄を舞台にしたサスペンスとしては、例えば、西村京太郎『オキナワ』『幻奇島』、斎藤栄『横浜-沖縄殺人連鎖』、内田康夫『ユタが愛した探偵』を思い出すが、それらと比べて断然良い出来である。また、同じやんばるの森を舞台にした鳥飼否宇『密林』がペラペラの軽い作品だったのに比べても、やはり優れている。この数日、通勤電車の中で、ケービンに乗っているような気持ちにさせてもらった。

戦時中。沖縄独立論を居酒屋で一席ぶったのを密告され、刑務所に収監されている男が主人公。実は王族・尚家の末裔である。米軍の攻撃により刑務所も解散となり、さまざまな出会った人物たちとともに、やんばるに向かう。足はむろん、破滅寸前のケービンである。

国場駅でケービンの車両を見つけ、終点の嘉手納駅まで。安里駅のあたりは上り坂、傷ついた車両と乏しい燃料でゆっくりと進む。金城功『ケービンの跡を歩く』にあったように、きっと普段でも速度が遅くなり、乗客たちが飛び乗ったりもできたあたりに違いない。作者は愛着を持ってケービンの最期の姿を想像している。基地と引き換えの北部振興策などではなく、真っ当な公共交通として復活するなら、それは愉快なことに違いない。それがゆいレールなのかもしれないが。

日本軍の横暴、住民へのスパイ疑惑や虐殺、浸透していた皇民化教育などについても取り入れている。また「鬼畜米英」教育、その裏返しの差別についても描いている。例えば、捕虜にした米兵が自分たちのことを「原住民」と呼ぶのを聞いて、主人公は『冒険ダン吉』を思い出す。先日、沖縄出身のUさんに聞いた話でもある。

「原住民ときたか。尚純は苦笑いした。自分たちも”少年倶楽部”連載の漫画『冒険ダン吉』で、南洋の住民を蛮人呼ばわりした。文句をいえる筋合いではなかった。」

嘉手納より北はケービンを使うことができず、米軍のジープやトラックで、国頭村のタナガーグムイをめざす。ここに、悪辣な日本軍の少佐が潜んでいると聞いたからだ。ちょっとした崖の下に滝と池があり、自分も何年か前、海老を採ったりして遊んだところだ。もちろん現在行くのとはわけが違う。この話によると、オオタニワタリの新芽やヒカゲヘゴの幹の中を食べたとある。そうか、ヘゴは食べられるのか。


タナガーグムイ(2006年) Pentax LX、FA77mmF1.8、TMAX400、月光2号

●参照
金城功『ケービンの跡を歩く』
宜野湾市立博物館、ゆいレール展示館(ケービンの展示)
鳥飼否宇『密林』
ヒカゲヘゴ、PENTAX FA★24mmF2.0
オオタニワタリ
『けーし風』ディエン報告(『冒険ダン吉』)

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