Sightsong

自縄自縛日記

西村祐子『革をつくる人びと』

2017-09-30 10:59:10 | もろもろ

西村祐子『革をつくる人びと 被差別、客家、ムスリム、ユダヤ人たちと「革の道」』(解放出版社、2017年)を、クアラルンプールにいる間に読了。

わたしも革が人並み以上に好きである。しかし、日本において被差別の人びとが革を扱っていたことは知っていても、他国でどうなのかについては考えたこともなかった。また、なめしの方法についてもほとんど知らなかった。本書を読むと革のあれこれに興味がわいてくる。

イスラム圏では昔から皮の需要がとても高い。イベリア半島にもイスラム教時代にユダヤ人やムーア人の革職人たちが移り住み、イスラム教が去ったあとも文化として根付いた。また、東南アジアや南アジアには、中国華南地方の客家の人たちがディアスポラとして進出し、やはり革の仕事を手掛けていった。両者ともに、地域や同胞の横の関係がなければ成り立たなかった。ここには簡単でない歴史があるものの、日本のように政策的な差別構造があったわけではないことがわかる。

現在のなめしはクロムを使うことが一般的である。樹皮の渋から得られるタンニンを使う方法もあるが、工程が複雑で、時間がかかる。しかし、かつての日本ではそのいずれでもなかった。新しいクロムなめしは置いておいても、なぜ明治期に入ってきたタンニンなめしが広まらなかったのか。設備と場所をとることに加え、ここに登場する職人によれば、森林の国において大量の伐採につながることはできなかったのだという。検証されていることかどうかわからないのだが、面白い視点だ。

日本でかつて主流だった方法とは、白なめしである。川にしばらく漬けたあとに脱毛し、塩と菜種油をすりこみ、足で何百時間も踏んで柔らかく、また強靭にする。菜種油は虫が付かないようにするための選択でもあった。この中心地が姫路である。また、姫路は馬の尻から取れるコードヴァンで有名でもある。

本書には、こうした伝統を受け継ぎ新しいことを始めようとする人たちが何人も登場する。なるほど、それでこその文化なのだなと思える。

ところで長いこと使った長財布を新調しようかなと思っていたのだが、本書を読んだいま、買うべきか、年季がかなり入っていてもまだまだ使い続けるべきか、また別の悩みが出てきている。


ニュー・ヴィレッジ・ミュージック・ラブ feat. ロクマン・アスラム&キラナ・ケイ@No Black Tie

2017-09-29 02:18:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

クアラルンプールのNo Black Tieに足を運んだ(2017/9/28)。しばらくイカをつまみながらカールスバーグを飲んで待つ。

東南アジアでのジャズは、9年前にハノイでクエン・ヴァン・ミンを観て以来である。

ショーは2セット、21時から24時くらいまで。ちょうど隣にフランクな男ふたりが座り、話していると、そのひとりはアルエル・アリールというヴォーカリスト、もうひとりはダンスの先生だという。アルエルさんが出演する面々に紹介してくれる。

New Village Music Lab: 
Tengku Indra (p)
Deo Karmawan (g)
Wan Azfa Rezal (b)
Bob Skunjas (ds)
Firdaus Zainal (tp)
Farid Izwan (ts)

featuring
Lokman Aslam (vo)
Kirana Kay (vo)

ファーストセットは前半にキラナ・ケイ、後半にロクマン・アスラムが唄い、セカンドセットはその逆、最後はふたりともステージに上がった。

それにしても皆巧く、愉しそうにプレイしている。テング・インドラはきらびやかなピアノを弾き、ソロでもバッキングでも才気煥発。ファリド・イズワンのテナーは味もありユーモラスでもあり。デオ・カーマワンのギターはにやりとしながらアグレッシヴ。ドラムスのボブ・スクンジャスはハービー・ハンコックの「Cantaloupe Island」で見せ場とばかりにノリまくった。

そしてふたりの歌手である。細身のスーツを着こなしたロクマン・アスラムは、ジャズスタンダードやマレーシアの歌を切々と唄うときも、またマーヴィン・ゲイの「What's Going On?」などをノッて唄うときも、歓喜をもろに出しており好きになる。また、ほとんどマレーシアの歌を唄ったキラナ・ケイは、エンターテイナーそのものであり、美しい声と表情とに魅せられてしまった。

Nikon P7800


唖蝉坊と沖縄@韓国YMCA

2017-09-23 22:41:11 | 沖縄

韓国YMCAにて、「唖蝉坊と沖縄」(2017/9/23)。ちょうど編集者のMさんも来ていて、隣に座った。

鎌田慧・土取利行『軟骨的抵抗者 演歌の祖・添田啞蝉坊を語る』が出版されたことを記念してのイヴェントである。添田啞蝉坊(1872-1944)は明治大正の演歌師。政治や社会を風刺した歌やユーモラスな歌を唄った。今回は土取さんが演奏のため不都合で、大工哲弘さんが参加。

鎌田慧さんは、啞蝉坊の息子・添田智道(さつき)が書いた『演歌の明治大正史』(岩波新書)を引用しながら、運動と歌について語った。日本では長いこと、運動のなかで皆で唄う歌が出てこなかった(たとえば三池闘争での労働歌などはあったが)。どちらかと言えば嫌がる向きが多かった。それは君が代を強制されたことと関係している。君が代は唄わされるものであって、自主的に風呂や酒場で唄うものではない。それで、運動を歌でつなげる経験が途切れているのだ、と。

その一方、辺野古や高江では歌が生まれているのだという。山城博治さんは演説のうちにそれが歌になっていく、まるでミュージカルだ、と表現した。

大工哲弘さんは、沖縄の小那覇舞天のことを挙げた。照屋林助の師匠筋にあたるコメディアンである。かれのあり方が、添田啞蝉坊・智道に重なってみえるのだと。鎌田さんはさらに、石油備蓄基地闘争、石垣闘争、伊江島闘争でも歌が唄われたと付け加えた。

大工哲弘 (三線、うた)
向島ゆり子 (vln)

休憩を挟んで、それまでほとんど聞き役に回っていた大工哲弘さんの出番になった。

まずは、啞蝉坊の「わからない節」、「ラッパ節」。現代の歌でなければならないから、大工さんはいまの政治批判も込めてアレンジした。次に、沖縄の廃藩置県により県道の工事が行われた際に出来た「県道節」、終戦後の「アメリカ節」。のむき川人(土取利行)による「辺野古数え唄」。

ここで向島ゆり子さんが入り、添田さつきの「復興節」、そして有名な「ノンキ節」。

抵抗と連帯のための歌という考えは、かつての「うたごえ運動」などとは違う意味で面白いなと思った。しかし大工さんは準備不足だったのか、啞蝉坊の歌を十分に熟成させていない感が否めなかった。

●大工哲弘
大工哲弘@みやら製麺(2017年)
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』(1997年)
大工哲弘『八重山民謡集』(1970年代?)

●鎌田慧
鎌田慧『怒りのいまを刻む』
(2013年)
6.15沖縄意見広告運動報告集会(2012年)
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」(2010年)
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』(2010年)
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)(2009年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
沖縄「集団自決」問題(8) 鎌田慧のレポート、『世界』、東京での大会(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
鎌田慧『六ヶ所村の記録』(1991年)
ええじゃないかドブロク


マテレレ・クアルテート『Suquipuquero』

2017-09-23 14:50:27 | 中南米

神楽坂の大洋レコードをときどき覗く。中南米の音楽をあまり知らないわたしにとっては、試聴もできて、コメントが付してあって、店長さんにアドバイスなんかもいただける、貴重な出会いの場である。最近入手したものは、マテレレ・クアルテート『Suquipuquero』(2012年)。

Matereré cuarteto
Mauricio Bernal (marimba, accordeon)
Oscar Peralta (g)
Gonzálo Carmelé (b)
Cacho Bernal (perc)

Guests:
Ramón Ayala (vo) (2)
Coqui Ortíz (vo) (6)
Eugenio Zeppa (cl) (12)

マリンバとアコーディオンのマウリシオ・ベルナル、ギターのオラシオ・カスチージョ、パーカッションのカチョ・ベルナルのトリオがマテレレ、さらにベースのゴンサロ・カルメレが加わってマテレレ・クアルテート。アルゼンチンの面々である。

アコーディオンという楽器はなぜここまで懐かしさや街の雑踏の雰囲気を持っているのだろう。ベルナルのマリンバは、重力に従って自重でころんころんと跳ねるようで、この響きもまた哀しく懐かしい。つまりベルナルの力量なのか。

中南米には行ったことがない。


MOMA PS1のジェームズ・タレル

2017-09-18 21:43:33 | アート・映画

今回もブルックリンのMOMA PS1に行ったのだが、改装中で入り口が別の場所になっており、展示も少なかった。またふたつの映像作品はあまり自分にとって面白いものではなかった。

がっかりして帰ろうと思ったら、ジェームズ・タレルの部屋があった。光のアーティストである。天井に四角い穴が開いており、空が見える。壁の下部には木が貼ってあり、木のベンチが周囲をとりまいている。入った瞬間に、ああ、とため息が出た。きっとときどきカフェで水分を取り、本を持っていれば、いつまでも過ごすことができるだろう。あとから入ってきた人も、ああ、とため息をもらしていた。

金沢21世紀美術館にも似たものがあるようだ。

●MOMA PS1
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(2015年3月)
MOMA PS1のマリア・ラスニック、コラクリット・アルナノンチャイ、ジェイムス・リー・バイヤース(2014年7月)


ハーレム・スタジオ美術館再々訪

2017-09-18 10:26:44 | 北米

NYハーレム地区にあるハーレム・スタジオ美術館に今回も行ってきた。

マタナ・ロバーツのプロジェクト「breathe...」でも明らかなことだが、このような政治への働きかけはもとよりヴィヴィッドであり、それを衝き動かす危機感はさらに増している。

■ ポール・スティーヴン・ベンジャミン「God Bless America」

ポール・スティーヴン・ベンジャミン(Paul Stephen Benjamin)は1966年シカゴ生まれ、アトランタ在住。このヴィデオ・インスタレーションの中心には、ジミー・カーターの大統領就任式(1977年)において「God Bless America」を唄うアレサ・フランクリン。周りのモニターで明滅する赤と青は、2013年のトレイボン・マーティン射殺事件(自警団のジョージ・ジマーマンがアフリカン・アメリカンの高校生を射殺した)を暗示しているという。

悪夢のようでありながら現実と歴史が眼前にある社会。これをインスタグラムにアップしたところ、作家からの反応があった。既にSNSでは糸電話がつながっているいま、音楽やアートから政治を切り離せというナイーヴな社会との壁はどのように突き崩されてゆくだろう。

■ アンディ・ロバート「Call II Mecca」

アンディ・ロバートは1984年ハイチ生まれ。かれの作品では、フランスのフォービズムが現在のアメリカとつながっているようである。メトロもそうだが街のマチエールをこのような形にする活動に新鮮さを覚えた。

■ シェリル・ローランド「The Jumpsuit Project」

シェリル・ローランド(Sherrill Roland)は1984年ノースカロライナの生まれ育ち。かれは学生時代に投獄された経験があり、その社会的意味を問うために、キャンパスにおいて、囚人服を着て、通りがかる人たちと毎日接するプロジェクトをはじめた。

■ メシャック・ガバ「Lipstick Building」

メシャック・ガバ(Meschac Gaba)は1961年ベニン生まれ。確かにこのヘアスタイルにはどうしても目が吸い寄せられてしまう。

■ デイヴ・マッケンジー「We Shall Overcome」

1977年ジャマイカ生まれのデイヴ・マッケンジー(Dave McKenzie)による2004年のヴィデオ作品。白人のお面を被った男がハーレムを練り歩き、背後には「We Shall Oversome」が流れる。2004年といえばジョージ・ブッシュが再選された年である。その前の大統領選で敗れたアル・ゴアの顔にもみえる。嫌悪感や諦念が社会が覆っていたのだろうか。

■ アリソン・ジャネー・ハミルトン「Foresta」

アリソン・ジャネー・ハミルトン(Allison janae Hamilton)は1984年レキシントン生まれ、NY在住。このインスタレーションでは、葦、流木、動物が配され、壁には水面の映像が映し出されている。国ではなく土地への想いが形になっているようである。

●参照
ハーレム・スタジオ美術館再訪(2015年9月)
ハーレム・スタジオ美術館(2014年6月)
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(ロレイン・オグラディ)
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展(ハーレムで活動するトイン・オドゥトラ)
マニー・ピットソン『ミニー・ザ・ムーチャー』、ウィリアム・マイルズ『I Remember Harlem』
ジーン・バック『A Great Day in Harlem』
2015年9月、ニューヨーク(2) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム


E. J. ストリックランド・クインテット@Smalls

2017-09-17 00:08:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

NY滞在最後のギグは、大好きなSmallsに行き、E. J. ストリックランドのクインテット(2017/9/16)。

E. J. Strickland (ds)
Immanuel Wilkins (as)
Troy Roberts (ts, ss)
Michael Cain (p)
Gregg August (b)
Unknown (djembe)

名前も中身もどジャズである。

E. J. ストリックランドのドラミングはオーソドックスなもので、これといってキャッチフレーズ的なものを思いつかない。しかし、どジャズ的にキレが良い、それで十分か。1曲だけ参加したジャンベとのリズムの相互作用で萌える。

フロントのふたりも熱くて良かった。「Nearness of You」の競奏も良かった。やっぱりSmallsでやっぱりどジャズ。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●E. J. ストリックランド
マーカス・ストリックランド『Nihil Novi』(2016年)


リー・コニッツ+ダン・テファー@The Jazz Gallery

2017-09-16 20:03:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

The Jazz Galleryに足を運び、リー・コニッツとダン・テファーとのデュオを観る(2017/9/15)。

Lee Konitz (as, vo)
Dan Tepfer (p, vo)

今年の来日には行けなかったし、健康面でどうなのかなという心配もあって、じっくり観ようと思っていた。

ステージに上がるといきなり「リクエストは受けないぞ!で、誰かリクエストは?(笑)」。客席からは躊躇ってリクエストが出ない。テファーが「ブルース」。そんなわけでブルースを吹き始めた。これがコニッツ節。フレージングが知的で、中間音を使っていて、往年のスピードがない分人間的。エアを含ませつつアンブシュアの外にも漏れていて、それがサウンドと周囲の環境との間をなめらかなものにしている。

「Body and Soul」や「'Round Midnight」を吹くのだが、もちろんそのままではない。また「で、リクエストは?」と訊き、客席から「My Funny Valentine」という声があがるとまったく別の曲を演奏(何だったんだ?)。そして5曲目にスキャットを披露。コニッツのアルトそのものである。これを聴くと、スピーディーに運動神経を効かせてアクロバティックなプレイをすることがひとつの価値に過ぎないことがよくわかる。

「Alone Together」では、テファーは音を選び、それを長く響かせるというプレイをみせた。7曲目にはテファーは内部奏法も行い、コニッツに応じて、ふたりでスキャットも行った。テファーが頑張りすぎてカッコいいスキャットをやってのけると、コニッツは口を歪めてキッと唸り会場爆笑。しかしコニッツのスキャットは相変わらずコニッツ節。

なぜかテファーのピアノソロによるバッハを経て、最後は「Nearness of You」。うう、胸が熱い。

「今日はありがとう。明日もここでやる。まったく同じ曲目を(爆笑)」。

終わってから、せっかくなので、20年ぶりにコニッツにサインをいただいた。

「20年前に東京のDUGで観たんですよ」「お前の言いたいことはわかったがまるで覚えていないな。ところでお前は何かを演奏するのか」「むかしアルトを齧りましたがまあ下手なので」「何言ってんだ、トライは続けなきゃだめだ」

結論、まったく元気で相変わらずカッコよく素敵である。オシャレで、機敏なユーモアも毒気もある。もう嬉しくなってしまった。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●リー・コニッツ
リー・コニッツ『Frescalalto』(2015年)
リー・コニッツ+ケニー・ホイーラー『Olden Times - Live at Birdland Neuburg』(1999年)
今井和雄トリオ@なってるハウス、徹の部屋@ポレポレ坐(リー・コニッツ『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』、1999年)
ケニー・ホイーラー+リー・コニッツ+デイヴ・ホランド+ビル・フリゼール『Angel Song』(1996年) 
リー・コニッツ+ルディ・マハール『俳句』(1995年)
アルバート・マンゲルスドルフ『A Jazz Tune I Hope』、リー・コニッツとの『Art of the Duo』 (1978、83年) 
アート・ファーマー+リー・コニッツ『Live in Genoa 1981』(1981年)
ギル・エヴァンス+リー・コニッツ『Heroes & Anti-Heroes』(1980年) 
リー・コニッツ『Spirits』(1971年)
リー・コニッツ『Jazz at Storyville』、『In Harvard Square』(1954、55年)


イクエ・モリ+クレイグ・テイボーン@The Drawing Center

2017-09-16 19:07:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

NYにいる機会にもう一度クレイグ・テイボーンをと思い、イクエ・モリとのデュオを観るために、The Drawing Centerに足を運んだ(2017/9/15)。これもThe Stone移転前の企画のひとつであるらしい。

Ikue Mori (film, electronics)
Craig Taborn (key, electronics)

会場の照明が落とされ、イクエ・モリによるフィルム『Pomegranate Seeds』(ざくろの種)が上映される。

ゼウスの娘ペルセポネーは、冥府の王ハーデース(ここではプルートー)にさらわれる。その後地上に戻る際にざくろを食べてしまい、神々の取り決めに従い、ペルセポネーは冥府で1年の1/3を暮らすことになる。フィルムは、そのギリシャ神話を題材にしたおとぎ話のようなものだった。

そのフィルムに、イクエ・モリとクレイグ・テイボーンとが音楽を付けてゆく。イクエさんのエレクトロニクスはいつもチャーミングで、聴いていると自分の周りに天体の光が瞬くような印象を抱く。そしてフィルムは一見グロテスクでもあるのだが、どちらかといえば可愛い。小さな世界を覗き見る感覚である。

一方のテイボーンは、このふたりによるデュオ盤『Highsmith』のように硬質のピアノで対峙するのかと予想したのだが、そうではなかった。一緒になってフィルムのコンポジションを行い、その上で発するエレクトロニクスはときにイクエさんの音とどちらがどちらかわからなくなる。キーボードの音も、全体のサウンドの中にまろやかに融け合うものだった。

ちょっと何をやっているのか底知れないテイボーン。この人はこんな感じという捉え方が難しいのかな。

Nikon P7800

●イクエ・モリ
クレイグ・テイボーン+イクエ・モリ『Highsmith』(2017年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
シルヴィー・クルボアジェ+マーク・フェルドマン+エヴァン・パーカー+イクエ・モリ『Miller's Tale』、エヴァン・パーカー+シルヴィー・クルボアジェ『Either Or End』(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
イクエ・モリ『In Light of Shadows』(2014年)

●クレイグ・テイボーン
クレイグ・テイボーン@The Stone(2017年)
クレイグ・テイボーン+イクエ・モリ『Highsmith』(2017年)
クレイグ・テイボーン『Daylight Ghosts』(2016年)
チェス・スミス『The Bell』(2015年)
クレイグ・テイボーン『Chants』(2013年)
クリス・ライトキャップ『Epicenter』(2013年)
クリス・ポッター『Imaginary Cities』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
デイヴ・ホランド『Prism』(2012年)
Farmers by Nature『Love and Ghosts』(2011年)
オッキュン・リーのTzadik盤2枚(2005、11年)
ロブ・ブラウン『Crown Trunk Root Funk』(2007年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas II』(2004年)
ティム・バーン『Electric and Acoustic Hard Cell Live』(2004年)
ティム・バーン『The Sublime and. Science Fiction Live』(2003年)
ロッテ・アンカー+クレイグ・テイボーン+ジェラルド・クリーヴァー『Triptych』(2003年)


デイヴィッド・ビニーと仲間たち@Nublu

2017-09-16 15:54:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

「Dave Binney and Friends」(2017/9/14)。昼間に何気なく発見し、驚いて、マタナ・ロバーツのコンサート後に直行した。前に告知もされていなかったはずである。

David Binney (as)
Donny McCaslin (ts)
Chris Potter (ts)
Ben Monder (g)
Thomas Morgan (b)
John Escreet (key)
Dan Weiss (ds)

まるでウルトラ兄弟大集合のようなメンバーである。翌日にアントニオ・サンチェスのバンドでフロントを任せられたふたり(ダニー・マッキャスリン、クリス・ポッター)に加えて主役はデイヴィッド・ビニー。その隣にベン・モンダー。後ろにトーマス・モーガン、ダン・ワイス、告知には入っていなかったがジョン・エスクリート。

The Stoneより北上したあたりにあり(つまり駅から遠い)、看板はない。扉の横に白墨で微妙に書いてあるだけである。IDの提示を求められ、パスポートを見せて入った。20ドル。

中は半地下になっており、ステージの向こう側にはロフトがあってそのカウンターからも見下ろすことができる構造。客は30人くらいだろうか。

そこから1時間のステージは、やはり、それぞれの個人技が愉しめるものだった。マッキャスリンのテクが凄いのはもちろんだが、ポッターのテナーが意外にも野太いことに驚いた(ECMを聴いているとそうなるのか)。ワイスはスティックのみで攻めた。エスクリートのキーボードもぎゅんぎゅん追い込んでめちゃめちゃクール。ビニーはとなりのふたりのメタルと違ってラバーのマウスピースを使い、ぬめっとしたウェットな音を出しつつ、他のソロにも聴こえない程度に伴奏したり、全体のサウンドを気にしたりしていた。

もうお腹いっぱい、というか、何時間もかけて堪能するべきメンバーなのだった。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●デイヴィッド・ビニー
デイヴィッド・ビニー『The Time Verses』(2016年)
ダニー・マッキャスリン『Beyond Now』(2016年)
デイヴィッド・ビニー『Anacapa』(2014年)
ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(2014年)
ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』(2012年)  

●ダニー・マッキャスリン
マリア・シュナイダー・オーケストラ@ブルーノート東京(2017年)
ダニー・マッキャスリン『Beyond Now』(2016年)
デイヴィッド・ボウイ『★』(2015年)
ダニー・マッキャスリン@55 Bar(2015年)
ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(2014年)
ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』(2012年)
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』(2014年)
マリア・シュナイダー『The Thompson Fields』(2014年)
マリア・シュナイダー『Allegresse』、『Concert in the Garden』(2000、2001-04年)
 

●クリス・ポッター
クリス・ポッター『The Dreamer is the Dream』(2016年)
『Aziza』(2015年)
クリス・ポッター『Imaginary Cities』(2013年)
ポール・モチアンのトリオ(1979、2009年)
ポール・モチアン『Flight of the Blue Jay』(1996年)

●ベン・モンダー
ベン・モンダー・トリオ@Cornelia Street Cafe(2017年)
マリア・シュナイダー・オーケストラ@ブルーノート東京(2017年)
ベン・モンダー『Amorphae』(2010、13年)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
ビル・マッケンリー『Ghosts of the Sun』(2006年)

●トーマス・モーガン
ヤコブ・ブロ『Streams』(2015年)
ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(2014年)
クレイグ・テイボーン『Chants』(2013年)
ポール・モチアン『The Windmills of Your Mind』(2010年)
菊地雅章『Masabumi Kikuchi / Ben Street / Thomas Morgan / Kresten Osgood』(2008年) 

●ジョン・エスクリート
アントニオ・サンチェス@COTTON CLUB(2015年)
デイヴィッド・ビニー『Anacapa』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)

●ダン・ワイス
デイヴィッド・ビニー『The Time Verses』(2016年)
マット・ミッチェル『Vista Accumulation』(2015年)
デイヴィッド・ビニー『Anacapa』(2014年)
ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(2014年)
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』(2014年)
エディ・ヘンダーソン『Collective Portrait』(2014年)


マタナ・ロバーツ「breathe...」@Roulette

2017-09-15 23:00:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブルックリンのRouletteに足を運び、マタナ・ロバーツのプロジェクト「breathe...」を観る(2017/9/14)。

開場前に着くと、演奏予定のヘンリー・グライムスが出てきて、そこに幼馴染なのか女性が通りがかり、ああヘンリー貴方なの、今日演奏するの、などと仲良さそうに話していた。いきなり良い場面を見せていただいた。やがて、ライターのクリフォード・アレンさんや、蓮見令麻さんがやってきた。アレンさんに、昨夜のティム・バーンについて意見を訊いたところ、ジュリアス・ヘンフィルの名前を挙げつつジャズの歴史についてあれこれと話してくれた。また蓮見さんもトッド・ニューフェルドの新譜やNYでの生活やなんかについて。「The New York City Jazz Record」誌のローレンス・ドノヒュー・グリーンさんにも紹介していただいた。こんなときのお喋りは本当に楽しい。

Matana Roberts (as, electronics, composer)
Jaimie Branch (tp)
Peter Evans (tp)
Gabriel Guerrero (p)
Henry Grimes (b)
Mike Pride (ds)

マタナ・ロバーツ自身による事前の解説は次の通り。

“breathe…” is part of a conceptual sound cycle exploring rise of militarized police in American culture and beyond. The program will focus on alternative modes of composition, improvisation and moving image as part of a conceptual graphic score.

各プレイヤーの前には、絵や字が印刷されたボードが置かれている。ステージの照明はかなり暗く落とされた。スクリーンには抽象的なイメージに加え、強権的な警察国家へのメッセージであろうか、「We all are sensitive people」の文字や、2016年に黒人男性が警察官に射殺されたときと思しき画像が繰り返し投影されている。あの少女は誰だろう。

マタナが最初にオルガンを弾き、鳥の声にも聴こえる。彼女は指揮をしつつアルトを吹き、それが、ずっと主に指で弾いていたヘンリー・グライムスのベースと重なる。ピーター・エヴァンスのトランペットは多彩ながら内に籠るようでもあり、それが、ジェイミー・ブランチのファンファーレを思わせもする外に開かれたトランペットと好対照をなしていた。マタナの発する音はすぐに電子的にループされていく。ガブリエル・ゲレーロの介入は鮮やかだ。

ここでマタナがカードをかざし、音風景が転換した(「H」や「A」がかたどられたカードはその後なんどか提示され、そのたびに、全員が方向を変える)。マタナはオルガンを繰り返し、アルトを吹き、それらがループする。かなり直接的な指揮にもよるのだが、トランペットのふたりも、ピアノも、ベースも、マイク・プライドのドラムスも特徴的なソロをみせる。

ふたたびカード。グライムス以外は全員同時に何かを話しはじめる。それらは小さく、重なりあっていてほとんど聴きとれないのだが、自分たちの土地(国家と同義なのかもしれない)を奪われた思いが伝わってくる。全員がうなり、重なる。そしてマタナが繰り返し「America」に呼びかける。サウンドは騒乱へとなだれこんでゆくが、やがて静かに落ち着いてゆく。エヴァンスのグロウルが見事。声もエレクトロニクスもループし、現状というドローン、精神というドローンが形成される。何度も訪れては去っていくピーク。

このあたりで、皆が、ボードの裏側にペンで思い思いにメッセージを書きはじめた(グライムスは何故か従わなかった)。マタナは「PROTEST」と、ブランチは「WHY NOT TRY」に「JUST FOR A CHANGE」。エヴァンスのそれは視えなかったがあとで確認すると「LISTEN」。それらがお互いに、あるいは観客に提示され、どのように機能したのだろう。そして全員が喋り、「Justice for peace」とリピートされる。

ピアノ、ベース、ブラシによるドラムスとのプレイの中に、ぎゅるぎゅるとマタナのアルトが介入した(マタナはサブトーンも見事だった)。それはまたループし、ドローンの一部をなした。プライドのドラムス、マタナのキーボード、トランペットふたり。声のループの中でピアノとキーボードが浮かび上がる瞬間もあった。グライムスのベースは一貫して重く素晴らしい。

別のカード。全員がボードに書かれた文章を朗読し、低い声でハミングし、重なった。マタナは自分の国や土地について口にする。

カード。マタナの朗々としたアルトソロにグライムスのアルコ。ブランチのトランペットによる長く低い音。

カード。全員が疾走する。

カード。全員が吹き、そしていきなり止めた。場にはオルガンのループが響いている。マタナが話す、集まること、自分の場所への愛。レイシズムやセクシズムへの抵抗。「Respect existence / Expect existence」、「Imagine justice / Imagine just us」。「Don't forget PROTEST」、「Silence is violence」。

このように70分ほどのサウンドは続き、幕を閉じた。耳には直接的な想いとドローンの響きが残った。

それにしても、事前にまったく何も予想していなかっただけに、かなりこの音楽には驚かされた。直接的なメッセージと、その背後にあるアメリカへの怒りと苛立ち。サウンドやことばはそれと一体となり、ドローンという言い方以上に、すべてが音楽に貢献していた。

蓮見令麻さんは、そうせざるを得ないアメリカの現状と、それができるマタナ・ロバーツという傑出した音楽家のことを口にした。果たしてこのような音楽プロジェクトが、また違う危機を抱える日本において成立するだろうか。

クリフォード・アレンさんは、チャド・テイラーらシカゴの仲間たちとのギグは観たことがあるがこれははじめてだと、やはり驚きを隠そうとしなかった。

ヘンリー・グライムス夫人のマーガレット・デイヴィスさんは、グライムスがボード使用などの指示に従わなかったことをとても残念がっていた(かれの素晴らしい音が聴けたから良かったですよと言うと、何言ってんだと返されてしまった)。

これは新しい録音作品になるだろうか。 

Nikon P7800

●マタナ・ロバーツ
マタナ・ロバーツ『Coin Coin Chapter Three: River Run Thee』(2015年)
マタナ・ロバーツ『Always.』(2014年)
アイレット・ローズ・ゴットリーブ『Internal - External』(2004年)
Sticks and Stonesの2枚、マタナ・ロバーツ『Live in London』(2002、03、11年)


ラーゲ・ルンド@55 Bar

2017-09-15 22:07:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

55 Barにて、ラーゲ・ルンドを観る(2017/9/13)。近くのSmallsでハロルド・メイバーンが弾いており行ってみたのだが、やはり次の回まで満員。そんなわけで、こっちに戻り、ファーストセットの途中から入ることができた。

Lage Lund (g)
Matt Brewer (b)
Rodney Green (ds)

ラーゲ・ルンドは確信犯のように前を向き、ずっとひたすらにインプロに邁進する。ぞくりとする迫力があったのだが、アルバムをさらっと聴いたときにはスルーしていた。

そしてまるでジム・ホールのように、そのたびに違う色の紙を何葉も何葉も重ねていくようだった(ホールのような薄紙ではないとしても)。もう真夜中で疲れていたが目が離せなかった。

Nikon P7800

●マット・ブリューワー
マット・ブリューワー『Unspoken』(2016年)
アントニオ・サンチェス@COTTON CLUB(2015年)


MOPDtK@Cornelia Street Cafe

2017-09-15 20:39:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

Cornelia Street Cafeにて、Mostly Other People Do the Killing (MOPDtK)を観る(2017/9/13、2nd)。

Mostly Other People Do the Killing:
Ron Stabinsky (p)
Moppa Elliott (b)
Kevin Shea (ds)
Guests:
Sam Kulik (tb)
Aurora Nealand (as)

ピーター・エヴァンスとジョン・イラバゴンは既にMOPDtKから脱退しており、いまの段階では、ピアノトリオを基本としてメンバーが加わる形となっている。

最初の曲はピアノトリオ。ロン・スタビンスキーのイントロのあと、ケヴィン・シェイのどしゃめしゃドラムスが炸裂する。いきなりである。シェイはハン・ベニンクのように足も乗せて爆走、スタビンスキーも止まらない。演奏者も客も実に愉しそうだ。

2曲目からはトロンボーンとサックスのふたりがゲストとして加わった。全員でチキンレースを始めたようであり、どうなるのかと凝視していると突然終わって爆笑。サム・クリクはヨアヒム・バーデンホルスト率いるカラテ・ウリオ・オーケストラの一員であり、風貌も音もとても人間的。

3曲目、ドラムスもトロンボーンもサックスも擦るような音を発する。アルトのオーロラ・ニーランドも、愉しそうに、飄々と朝顔から声を吹き込んだりする。ここはリーダーのモッパ・エリオットがサウンドメイクしていった。クリクは「Green Dolphin」のようなフレーズも交えた。

区切らないまま4曲目に突入。フロントのふたりが変な音や声で競い、うしろの3人は困り果てるのだが、やはりエリオットの介入によってサウンドが軌道に乗った。突然、スタビンスキーのピアノソロ。自分がどこに居て誰なのかの錨を失ってしまったような狂気があった。

狂乱の渦は勢いを止めない。5曲目も全員が傾奇ながら疾走する。

2日前に、メンバーのケヴィン・シェイに、MOPDtKからエヴァンスとイラバゴンが脱退した事情を訊いたのではあったけれど、このライヴを観て、MOPDtKらしさは依然健在であることがよくわかった。むしろメンバーが柔軟に変わるグループと見るほうがよいのかもしれない。ふたりのスターがいなくなったことにより魅力が減ったと思い込むのは軽率である(わたしもそれで新作を聴かなかったのだが)。音楽を熟知して、その上で構造を解体し、哄笑も余裕で取り込む知的遊戯か。ICPオーケストラやウィレム・ブレイカーのコレクティーフから連なる系譜上に置いてもよいのではないかと思った。シェイによれば、MOPDtK『Blue』(2014年)は(『Kind of Blue』という)「sacred place」を侵されたくない向きもあってかなりの批判を浴びたそうである。聴き手の耳がかくあるべきジャズという枷から逃れられれば、これはとても愉しい。

ところで、シェイに、メアリー・ハルヴァーソンと組んだユニット「People」の3枚をヴァイナルとCDでいただいた。ふふふ。

Nikon P7800

●MOPDtK
MOPDtK『Blue』(2014年)
MOPDtK『(live)』(2012年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年) 

●モッパ・エリオット
MOPDtK『Blue』(2014年)
MOPDtK『(live)』(2012年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年)  

●ロン・スタビンスキー
MOPDtK『Blue』(2014年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
MOPDtK『(live)』(2012年)

●ケヴィン・シェイ
Pulverize the Sound、ケヴィン・シェイ+ルーカス・ブロード@Trans-Pecos(2017年)
Bushwick improvised Music series @ Bushwick Public House(2017年)
ヨニ・クレッツマー『Five』、+アジェミアン+シェイ『Until Your Throat Is Dry』(JazzTokyo)(2015-16年)
クリス・ピッツィオコス『Gordian Twine』(2015年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
MOPDtK『(live)』(2012年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(2009年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年) 

●サム・クリク
カラテ・ウリオ・オーケストラ『Garlic & Jazz』(JazzTokyo)(2015年)


ティム・バーン Snakeoil@Jazz Standard

2017-09-14 20:35:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

Jazz Standardに足を運び、ティム・バーンのSnakeoil(2017/9/13 1st)。18:15開場のところ18時に行くと2番目だった。

Tim Berne (as)
Oscar Noriega (cl, bcl)
Matt Mitchell (p)
Ches Smith (ds, vib, perc)

ギターのライアン・フェレイラ抜きのスネークオイルだが、十分すぎるほどのスーパーグループ。ティム・バーンは相変わらずむさ苦しく飄々とギャグをかましていて、いきなりツボを突いてくる。

手でタイコを叩き始めるチェス・スミス。ここにティム・バーンのアルトとオスカー・ノリエガのクラとがユニゾンで入ってくる。ユニゾンとは言っても音色勝負のようなところもあるし、緊密な自由さをもって離れていったりもする。マット・ミッチェルのピアノとノリエガのクラとが甲高い音でシンクロし、また、ピアノとドラムスとが隘路から音を散らす。スミスは弓でヴァイブを擦る。バスクラに持ち替えたノリエガとミッチェルとが単調なリズムを刻み始めるのだが、ミッチェルは、そこから重厚な和音を活かしたソロに移行した。

バーンの、長いアルト。もうこれを聴くだけで快感中枢を刺激される。やがてバスクラとピアノが入り三つどもえ、そしてヴァイブが入り四体問題へ。

2曲目は「Surface Noise」だと言った。スミスはヴァイブとドラムスでミッチェルのピアノと会話をするようだ。しばらくしてバーンが介入し、ノリエガのバスクラとともにサウンドを主導する。スミスはヴァイブで激しく暴れもした。やがてバスクラとピアノ、そしてバスクラだけが残され、執拗に同じ旋律を繰り返す。ここでまた、落ち着かせるようにアルトが入り、ピアノは思索的な旋律。しかし、収束に向けて萎んでいくのではなく、全員で高みへと昇っていった。最終的にテーマに収斂したときの快感と言ったらない。

3曲目、まずは、アルトとバスクラとがお互いに補足し絡みあう。ピアノが低音から入ってきて、スミスがブラシから初めて激しくドラムスを叩いた。残るのはピアノとドラムス。ミッチェルがコアをもとに執拗に発展形の数々を提示する。

ここでスミスがドラムスからヴァイブに移行し、音風景が転換した。クラが伴奏のように加わったが、またスミスだけ残り、マレットで鐘やヴァイブの丸い音色を発しつつ、シンバルの歪んだ音も出す。少々の間を置いて、全員が介入、そして前の曲と同じく、突然終わった。

4曲目、全員のユニゾンから、バスクラのソロ。バスクラとピアノとの対峙もある。アルトとヴァイブとが戻ってきて、不穏なうなりのようなものを創出した。ここで妖しい光を放つピアノとヴァイブ、その中で粘っこく吹くアルトが実に気持ちいい。バーンのブロウは熱を帯びてきて、やがて、奇妙な希望を感じさせるアンサンブルで終わった。

それにしても、聴いている間ずっと、バーンのアルトによって完全に武装解除され、腹を上に向けた犬のようになってしまった。粘っこく、エンジンが強力で、猛禽類のように力強く旋律とともに突き進む。ミッチェルの独創的なピアノも素晴らしいし、ドラムスとヴァイブを同列のものとして扱うスミスの音の拡がりにも魅了された。

Nikon P7800

●ティム・バーン
イングリッド・ラブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
イングリッド・ラブロック『ubatuba』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年)
ティム・バーン『Electric and Acoustic Hard Cell Live』(2004年)
ティム・バーン『The Sublime and. Science Fiction Live』(2003年)
ティム・バーン+マルク・デュクレ+トム・レイニー『Big Satan』(1996年)
ジョン・ゾーン『Spy vs. Spy』(1988年)

●オスカー・ノリエガ
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
エド・シュラー『The Force』(1994年)

●チェス・スミス
チェス・スミス『The Bell』(2015年)
メアリー・ハルヴァーソン『Away With You』(2015年)
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年) 

●マット・ミッチェル
マット・ミッチェル『Vista Accumulation』(2015年)
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
マリオ・パヴォーン『Blue Dialect』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年) 


グッゲンハイム美術館のマウリツィオ・カタラン「America」、神秘的象徴主義、ブランクーシ

2017-09-14 19:25:24 | アート・映画

グッゲンハイム美術館を再訪(2017/9/13)。中は工事中でスパイラルの坂を下から昇ることはできない。また展示も準備中のものが多かった。

■ マウリツィオ・カタラン「America」

とりあえず目玉を観ようと5階までエレベーターで昇ると、何やら行列。それはマウリツィオ・カタランのレディメイド作品「America」に向かっていた。行列の人数は少ないがほとんど動かない。というのも、この作品は金で作られた便器なのであり、何をしてもよいというコンセプト(便器を持ち上げる以外は)。ひとりひとりがトイレに入って何かをするので時間がかかる。

1時間待ってようやくわたしの番。別に用を足したいでもなし、無理に何かをするでもなし、呆然と眺めて水だけ流した。それも含めて「America」なのかどうか考える気もないのだった。そういえばこっちで野菜を食べていないせいか不規則なせいか便秘だと気が付いた。

■ 神秘的象徴主義

「Mystical Symbolism: The Salon de la Rose+Croix in Paris, 1892–1897」と題された展示。「Rose+Croix」とは薔薇十字団。作家ジュゼファン・ぺラダンはその思想に基づき毎年展覧会を開いていた。

とは言っても、薔薇十字団については、ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』を読んだときに適当に調べた程度の知識しかない。象徴主義だって自分とは無縁の世界。J・K・ユイスマンス『さかしま』(1884年)だって、ああ変態だなという・・・。

そんなわけで知的にも美的にもいまいち惹かれず観たのだが、唯一面白いなと思った作品は、アルベルト・トラックセルの「The Real Celebrations」連作の1枚。なんでもこの人は「建築界のエドガー・アラン・ポー」と称されたそうである。ぺラダンが求めるようなものは、このようなイカレポンチの宮殿だった。

■ ブランクーシ

コンスタンティン・ブランクーシの作品いくつか。なにかが憑依したように丸っこいものばかりを創り続けた人であり、わりと共感できるのだ。ポンピドゥー・センターにあったアトリエを観たときにはかなり夢中になってしまった。

今回の中では「The Miracle (Seal [I])」がとびきり愉しい。石灰石ベースの大理石仕上げ。触ったら気持ちいいだろうな。しかし、どうしても『ウルトラQ』のナメゴンを思い出してしまう。