Sightsong

自縄自縛日記

岡田暁生+フィリップ・ストレンジ『すごいジャズには理由がある』

2014-05-31 12:48:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

岡田暁生+フィリップ・ストレンジ『すごいジャズには理由がある 音楽学者とジャズ・ピアニストとの対話』(ARTES、2014年)を読む。

アート・テイタム、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスとスコット・ラファロ。文字通り、ジャズの歴史を体現するプレイヤーたちの演奏について、何がどのように独創的なのかを語る対話集である。

とても面白い。しばらくサックスを齧って生煮えのままだった自分は、楽譜は適当に読み飛ばすだけだが、それでも、とても面白い。

テイタムの和音の使い方が斬新だったこと、バップ・ピアニストと違って左手を多様に使っていたこと。その文脈で、コールマン・ホーキンスのソロが和音構造的であること。バードのソロが、ずっと先の小節を見据えた鳥瞰的なものであったこと。オーネットの革命が相当に理知的なものであったこと。コルトレーンの音数は世評ほど多いわけではなく、むしろ硬いリードを使った音色にアイデンティティを見出していたであろうこと。ラファロのアクロバチックなベースソロが、技術の水準としても異次元なものだったこと。ああ、なるほどねと膝を叩くような箇所がそこかしこにある。

それにしても、「僕はアイラーはぜんぜん聴かない。Never!」とか、ウィントン・マルサリスの『至上の愛』について「フリー・ジャズのコピーなんてなにかのギャグですよ」とか、ストレンジ氏の言はときどき極端で、それもまた愉快(共感しかねるところもあるが、それはそれ)。

●本書での引用
チャーリー・パーカーと『OMNIBOOK』
ユセフ・ラティーフの映像『Brother Yusef』
藤岡靖洋『コルトレーン』、ジョン・コルトレーン『Ascension』
ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ
ビル・エヴァンス『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』


17年前のスリランカの砂

2014-05-30 07:56:50 | 南アジア

1997年にスリランカを訪れたとき、南端に近いマータラの海岸で、砂を集め、フィルムケースに詰めた。泊まった宿のすぐ裏が海だった。おそらく、2004年末の津波でひどいことになったはずだ。

砂は、そのまま本棚に置きっぱなしで、いちども蓋を開けていない。砂時計にでもできないかなと妄想中。

マータラの海岸(2) PENTAX ME-SUPER, FA28mm/f2.8, Provia 100

●参照
スリランカの映像(2) リゾートの島へ 


ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』

2014-05-28 23:24:54 | ヨーロッパ

ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』(岩波文庫、原著1938年)を読む。

1936年、オーウェルはフランコ将軍の反乱軍に抗するため、個人として、共和国を応援する民兵部隊に参加する。フランコ側を独伊のファシズム国家が支援し、英仏は直接には干渉しない方針を取った。ファシズムとの闘いという意義をわがこととして身を投じたのは、スペイン国内のみならず、世界中から集まった義勇兵たちでもあった。その意味で、スペイン内戦はまたスペイン市民戦争でもあった。

オーウェルが属した組織は、労働者による革命を先行させようとしたPOUM(マルクス主義統一労働者党)。その他に、アナキズム色の強い組織や、ソ連が支援する共産主義組織があった。オーウェルが体験し、見たものは、革命よりも中産階級・ブルジョアを含む層を取り込んだ国家形成の方を先行させようとする共産主義組織による醜い同胞粛清であり、それはソ連の意向を汲んだものなのだった。

このルポルタージュは、スペイン戦争が単純な図式によって語りうるものでないことを、生々しく示すものだ。オーウェルが共感し、伝えたかったことは、後付けの歴史の欺瞞、そして、ファシズムに抗するために集まった人びとの連帯感の実感なのだろうと思える。

オーウェルが英国に戻ったあと、フランコが内戦に勝利し、日本は、早々にフランコ政権を支持した。フランコ独裁体制は、その後、1975年まで続くことになる。すなわち、この歴史は現在と地続きのものである。

●参照
スペイン市民戦争がいまにつながる
ギレルモ・デル・トロ『パンズ・ラビリンス』
室謙二『非アメリカを生きる』


万年筆のペンクリニック(6)

2014-05-28 07:37:34 | もろもろ

新宿西口の「キングダムノート」は楽しい万年筆店で、売り物の半分が中古品。覗くと、大概は数人の先客がいて、ガラスケースの中を凝視している(中古カメラ店と同じ光景)。

先日、イタリア・スティピュラエトルリアという万年筆をここで入手した。ロングセラーだが、ペン先が14Kの現行品と違い18K。何でも、ペン先とクリップに刻んである模様は、イタリアのアカントという葉であり、また、ペン軸のふくらみはトスカーナの大地だということである。

謂れはともかく、欲しかったこともあって、使っていて気持ちがいい。ただ、書き出しが渋かったので、ここで開かれたペンクリニックを予約し、仲谷ドクターに診ていただいた。「ねじれを取り、角を落とした」結果、また快適になってしまった。

当日の様子がツイッターにアップされていた

●参照
万年筆のペンクリニック
万年筆のペンクリニック(2)
万年筆のペンクリニック(3)
万年筆のペンクリニック(4)
万年筆のペンクリニック(5)
本八幡のぷんぷく堂と昭和の万年筆
沖縄の渡口万年筆店
鉄ペン
行定勲『クローズド・ノート』


廣瀬純『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』

2014-05-26 22:57:52 | 思想・文学

廣瀬純『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』(青土社、2013年)を読む。

現代において、そもそも、革命など可能なのか。アラン・バディウは、野蛮そのものの資本主義国家・社会という情勢下では、それを不可能だとする。可能性があるとすれば、それはこの世界ではない、向こう側の「あの世」にある。その到来に備えて、ともかくも準備だけはしておくべきだ、という議論である。

それに対して、革命(出来事)は不可能だが不可能ではないとする、ミシェル・フーコードゥルーズ=ガタリ、そしてアントニオ・ネグリ。情勢を「客観的」という限界のなかで視れば、革命など不可能に違いない。ここで登場する、ドゥルーズによる「マッケンローの恥辱」という愉快なことばがある。テニスのジョン・マッケンローは、とにもかくにもネット際に突進し、自らをにっちもさっちもいかない袋小路に追い込んだ。その「恥辱」によって、はじめて、情勢を突き破る「出来事」が生まれる。「あの世」ではなく、「この世」において、である。

かれらは、それを力能と呼んだ。あるいは、それはレーニンの象徴としてとらえられた。またそれを、ドゥルーズ=ガタリは「逃走線」と呼んだ。ネグリの解釈によれば、フーコーは、権力の網目構造でできた「この世」であるからこそ、別の構造も同時にビルトインされているとみた。

ネグリに対して、わたしが違和感を覚えていた点は、「この世」の統治のあり方を不完全なものとみなす一方で、なぜ、その不完全さを象徴する組織化を、力能の条件とするかということだった。廣瀬氏のネグリ解釈によれば、おそらくは、怒りや抵抗という一時的で分散化された力は、革命の力たりえないのである。そうではなく、何かの問題について一時的に力が出てきたとき(それは、反原発デモや、反基地運動かもしれない)、それを縒り合せなければならない。そして、その組織化は、政治的力と化す。

多少、納得できたような気がする。抵抗の統一など、そのままでは不可能であり、それこそが「絶望」、「恥辱」、「耐えがたいもの」なのであった。しかし、それらを見出すことは、「この世」において力能を生み出すもととなる。不可能から可能への反転である。

●参照
廣瀬純トークショー「革命と現代思想」
廣瀬純『闘争の最小回路』を読む
アントニオ・ネグリほか『ネグリ、日本と向き合う』
アントニオ・ネグリ講演『マルチチュードと権力 3.11以降の世界』
アントニオ・ネグリ『未来派左翼』
アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(下)
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』
ミシェル・フーコー『知の考古学』
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』
ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
重田園江『ミシェル・フーコー』
桜井哲夫『フーコー 知と権力』
ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『ディアローグ』
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(上)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(中)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(下)
ジル・ドゥルーズ『フーコー』


山下隆博『心の温度』

2014-05-25 23:40:42 | 北海道

新宿ニコンサロンで、山下隆博『心の温度』を観る。新宿西口に行ったついでに覗いたに過ぎなかったのだが、なかなか素晴らしい作品だった。

北海道の、泊原発に近い地域。写真家の生まれた故郷だという。ここでの人びとの生活風景を、メッセージを明示することなく捉えた作品群である。

じっくり観ると、室内の布団、運転手や若い女性の顔、雪景色、(おそらくは)泊原発といった被写体が、非常に精細であり、目を奪われつつ、会場を何周もして凝視してしまう。グラビアに掲載された「アサヒカメラ」誌を開いてみると、ウィスタの大判カメラ(4×5)を使っている。これによる質感は、まだデジタルとは明らかに異なる。

ちょうどトークショーをやっていて、何を思って撮ったのかを聴くことができた。シノゴをあえて使ったのは、ディテールにこだわったからであるという。ただ、手段論よりも(大判を使えば精細な写真ができるのは当たり前だ)、実践という動かし難い事実に、ただならぬ迫力を覚えた。


島洋子さん・宮城栄作さん講演「沖縄県紙への権力の圧力と本土メディア」

2014-05-25 20:48:25 | 沖縄

島洋子さん(琉球新報)と宮城栄作さん(沖縄タイムス)によるアジア記者クラブ主催の講演「沖縄県紙への権力の圧力と本土メディア」を聴いた(2014/5/24、明治大学)。

普段の講義室ではなく会議室での開催。なぜか、学生とおぼしき若い人たちが目立っていた。

尖閣問題に象徴される日中間の緊張が、意図的にクローズアップされ、政治問題化されている。それに伴い、政府のみならず、大手新聞の記者や、一般市民の間に、偏狭なナショナリズムが明らかに高まっているという。沖縄において独自の報道姿勢を貫いている「琉球新報」と「沖縄タイムス」に対しても、風当たりが強くなっているようだ。

実際に、石垣市長選の前に、陸上自衛隊の石垣配備計画について報じた「琉球新報」および新聞協会に対し、防衛省が直接のクレームをつけている。個別の記事レベルで、協会にこのような手段がとられたことは極めて異例だという。

それを含め、島・宮城両氏によるお話には重要な示唆があった。

○沖縄の保守・経済界は、反基地にシフトしている。すなわち、基地があることによる経済成長の阻害が明らかになってきている。この地殻変動は、既に4年前の名護市長選(反基地を掲げた現職の稲嶺市長が当選)において始まっており、今年の再選でさらにその傾向が出てきた。
○「本土」と沖縄との沖縄報道のギャップ。「本土」においては、「また怒っている」という食傷感。沖縄においては、「怒り続けざるを得ない」状況。
○沖縄における反基地は、「運動」ではなく、一般市民のものである。
○尖閣問題や石垣自衛隊問題については、「受苦」と「受益」とのずれがある。「受益」は中央の政治、さらに記事にできる大手メディア。「受苦」は、現場の人、漁業者。
○中国脅威論などによりナショナリズムを煽る言説には、決定的にリアリズムが欠けている。

詳しくはここには書けないので、『アジア記者クラブ通信』に掲載される予定の講演録を一読されたい。(>> リンク

●参照
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』(島氏も執筆)
沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
押しつけられた常識を覆す
渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』


ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』

2014-05-24 09:26:30 | ヨーロッパ

ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』(1985年)を観る。

フンベルトは、ヴェルナー・ペンツェルとともに、フレッド・フリスの音楽活動を追った『Step across of the Border』(1990年)や、ユセフ・ラティーフ晩年の独白をとらえた『Brother Yusef』(2005年)を撮った人である。この映画でも、フレッド・フリスと、ウード奏者アラム・グレチャンとともに音楽を担当している。

ヴォルフスグルッブは、ドイツ南部バイエルン州の山村。そこに、フンベルトの母親エヴァがずっとひとりで住んでいる。彼は、電車に乗って、森と雪のなかに帰ってゆき、エヴァにカメラを向ける。エヴァの語りはおそらくヴィデオで撮られているが、母の寝る姿、薪を割る姿、自分だけの食事を作り食べる姿は白黒の16ミリフィルムで、村の風景やどこかに描かれた素人画はカラーの16ミリフィルムで撮られている。やはり、16ミリの持つにじみやざわめきのようなものに、魅かれてしまう。

エヴァの父親は、ユダヤ人であった。結婚後すぐに移り住んだ山村にも、ナチスの脅威がじわじわと浸透してくる。医者でありながら作家を志す父は、すべてを諦め、ひとり中国へ旅立ち、もう母娘と会うことはなかった。ナチスにより、エヴァは市立学校から公立学校への転校を余儀なくされ、さらに、「ユダヤ人のハーフは公立学校に通ってはならない」、「結婚してはならない」というおそるべき政策が出されることになる。

エヴァは、その生活のなかで多くを学んだのだという。それによって培った心があった。戦後、ドイツにおいても、「まずは服従を学ぶべきである」、「国家のいうことに従わないことはあってはならない」といった言説が虫のように湧いてきたという。エヴァは、そういった毒に対し、とんでもないことだと断言する。まさに、個人の裡に醸成された力だと思えてならない。(ウルリケ・マインホフへのシンパシーも示すのである。)

同様の過ちを犯し、罪と恥から多くを得るべきだった日本はどうなのか。このフィルムを広く上映してみてはどうか。

ところで、エヴァ少女時代の思い出話で出てきた「臭いチーズ」こと「Backsteiner」。家に持ち帰ると、エヴァの母親は本当に嫌がっていたそうである。どれくらい臭いのか、いつか試してみたい。

●参照
ユセフ・ラティーフの映像『Brother Yusef』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
芝健介『ホロコースト』
飯田道子『ナチスと映画』
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
ジャン・ルノワール『自由への闘い』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
アラン・レネ『夜と霧』
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ
プリーモ・レーヴィ『休戦』
『縞模様のパジャマの少年』


スーザン・ソンタグ『ハノイで考えたこと』

2014-05-23 23:03:02 | 東南アジア

スーザン・ソンタグ『ハノイで考えたこと』(晶文社、原著1968年)を読む。

1968年、ベトナム戦争の真っただ中、ソンタグはハノイを訪れた。米軍による北爆はすでにはじまっていた(1965年~)。ホー・チ・ミンはまだ存命中であった。そのような時期、ゴダールはベトナムに行くことができず、おそらくは西側知識人にとって、ベトナムに行くことじたいが大変な事態なのだった。

ソンタグは思索する。ある役割をあてがわれ期待される者が、実際に、その場にあってなにをしうるのか。紋切り型の思考にとらわれないためには、どうするべきなのか。多くの選択肢をもつアメリカ人が、その生活を続けることの誘惑を断ち切ることなどできず、そのうえで、他に選びようのない選択肢しかもたないベトナム人を前にして、いかに振舞うべきなのか。

いまの目で見れば、思索は堂々巡りで、頭でっかちだ。なるほど、パターナリズムは回避しえている。しかし、自己への問いかけを極大化してはいても、ベトナムに対するオリエンタリズムからは脱却することができなかったのだと思えてならない。もちろん、それは同時代の限界には違いなく、否定的な批判の対象にはならない。

意表を突かれるのは、ソンタグが、このことを、状況の分析ではなく、自己革命につながるものとして考えていることである。ただ、それはあやういバランスのもとに成り立っていたことかもしれない。晩年、ソンタグは、NATOによるコソボ空爆を支持したというのだから。

「その人間のうちに、”革命”が発生しかけたのであり、そして、それは進行しつづけるのだ。だから、私は北ヴェトナムで私の身に起こったことが、アメリカ帰国とともに終熄してはいず、いまなお進行中であるのを発見している。」

●参照
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』
伊藤千尋『新版・観光コースでないベトナム』
枯葉剤の現在 『花はどこへ行った』
『ヴェトナム新時代』、ゾルキー2C
 


ジェラルド・グローマー『瞽女うた』

2014-05-21 23:32:56 | 東北・中部

ジェラルド・グローマー『瞽女うた』(岩波新書、2014年)を読む。

瞽女(ごぜ)とは、盲目の女性旅芸人であり、つい最近まで存在した。新潟に多かったのは事実ではあるが、九州や中国にもいた。その印象は、消えゆく瞽女の記録を残そうとした地域が新潟であり、また、篠田正浩の映画『はなれ瞽女おりん』によるところも大きいという。

本書は、瞽女の活動や、その変遷を詳しく追っている。知らないことばかりでとても興味深い。

江戸初期には、三味線を手にして人びとの家や宴の場で唄を披露し、謝礼を受け取る方法ができあがっていた。不幸にして盲目になってしまった者たちは、瞽女という生業を行うために家族的な集団となり、芸を次々に伝えていった。芸のネタは、地方によって異なる民謡、三味線や琴の芸能、僧の尺八、仏教の説話、ゴシップ的な語りなど多様であった。おそらく、そういった有象無象を吸収して、独自の世界を創りあげていったのだろう。

とは言え、アナーキー、自由に発展させるばかりの芸能ではなかったようだ。ちょっとやそっとでは覚えられない長い唄物語などは、個人の裁量や工夫で変更することが許されないものであった(集団から放逐された「はなれ瞽女」などはその限りではない)。そういった縛りの下で、唄い方は各々の個性を発揮していたという。

芸と引き換えの謝礼だけではなく、村などからの公的な扶持制度によって、経済的に成り立っていた面もあった。しかし、明治に入り、近代という管理システムと経済産業システムが押し寄せてくる。そのようなシステムの中では、定住せず、管理対象になりにくく、また公序良俗を乱すとみなされる瞽女は、次第に行き場を失っていく。盲目の子をイエの外に出すことも、倫理的でないとされた。そして、資本による消費音楽がエンターテインメントの主流となると、もはや、人びとは娯楽として瞽女の芸を求めなくなっていった。

時代の要請とはいえ、文化は、芸能は、それでいいのだろうか、という現代社会への批判が、本書のメッセージでもある。

●参照
篠田正浩『はなれ瞽女おりん』
橋本照嵩『瞽女』


笠原清志『社会主義と個人―ユーゴとポーランドから』

2014-05-20 23:03:42 | ヨーロッパ

笠原清志『社会主義と個人―ユーゴとポーランドから』(集英社新書、2009年)を読む。

著者は、ユーゴ解体前のベオグラードに留学生として住み、また、ポーランドも研究のフィールドとして、決して一枚岩の物語でも、権力移行の物語でもありえない歴史を、個人の社会参加、個人史という観点から、両国を観察している。

ユーゴスラヴィアは、戦後、ソ連とは距離を置いた共産主義政権を運営した。それは、冷戦時代にあって、単に独自な社会を希求したということではない。チトーを含む主流派とソ連派との間には、陰惨な闘争があった。人々は、監視社会の下で、息を潜めて生きた。セルビアやクロアチアなどの間の民族主義による暴力的な衝突も、外部からは狂気としか見えないものであったが、それは歴史のひとつの帰結でもあった。

その背景には、著者によると、戦時中の虐殺事件(ヤセノヴァツ収容所など)に対して、ドイツとは異なり、事実と歴史を直視せず、政治的処理で対応してきたことがある。加害者と被害者とを明確に区別できない難しさもあった。それに加え、ドイツとオーストリアがクロアチアとスロヴェニアの独立を支持し、さらに米国が有害な善意で介入したことが、ミロシェヴィッチやカラジッチを生んだ。ある時点での、知性の欠如による民族主義の暴走、では片付けられない。

ポーランドでは、ソ連傘下の共産党支配に対し、ワレサ率いる連帯が抵抗し続けた。その結果、80年代には共産党はかなり無力化し、89年以降の東欧革命において、遂に、連帯が政権参加するにいたった。このことは、もちろん、否定しがたい偉業である。しかし、その一方で、ワレサの権力志向、さらには政権に参加し、大統領に選出され、政権運営したプロセスが、あまりにも非民主的であったことを忘れてはならないという。(これは、アンジェイ・ワイダ『ワレサ』を評価できない理由でもある。)

著者は、かつて共産党政権で権力の一端を握った者たちに対する追跡調査を行っている。かれらの中には、所与の環境下で、「誰かがやらなければならない」仕事をまじめにこなした者が少なくなかった。もちろん、それだけでは、ナチ官吏として自分の仕事をこなしたアドルフ・アイヒマンや、旧日本軍において率先してアジアの人々を殺した兵隊と、本質的なちがいはない。ただ、連帯の側にも、権力にすり寄り、組織の手先として活動した者も多かったことを、同時に考えなければならないのだと書いている。

そして、もっとも大事なことだが、多かれ少なかれ社会参加はなんらかの権力に加担することを意味する。著者の不快感は、その個人史における記憶が、各々自身によって微妙に修正されていることにあった。これも、何も東欧に限った現象ではない。

「・・・成立した政治システムは独自のメカニズムで人々を惹きつけ、彼らの夢や意志まで包み込んで動き始めることになる。このような国家や社会システムの下で、一般の人々は日々、何を考え、職場や地域でどのように生活していたのであろうか。
 この問いかけは、人々それぞれの立場の逆転を意味し、過去との関係で自らを相対化することを求める。つまり、市民一人ひとりが被害者ではなく、場合によっては加害者として過去の体制と向き合うことを求められるということなのである。遠い過去の場面や職場での自分自身を歳月の堆積の下から掘り起こし、今の自分の目で見つめなおさなければならない。」

●参照
アンジェイ・ワイダ『ワレサ 連帯の男』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』 


ウィリアム・パーカー『... and William Danced』

2014-05-20 07:36:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィリアム・パーカー『... and William Danced』(ayler records、2002年)を聴く。

William Parker (b)
Hamid Drake (ds)
Anders Gahnold (as)

中古盤を見つけたのだが、パーカーのピアノレス・サックストリオ。しかもドラムスがハミッド・ドレイク。しかもayler records。これは聴かないわけにはいかない。

アンダース・ガーノルドというアルトサックス奏者は初めて耳にする。調べてみると、スウェーデンのベテランであるらしい。そして、この人の演奏がツボをつきまくってくるのである。極太のマッキーで描いたようなぶっとい音に、調味料レベルを超える量の塩辛いノイズを混ぜている。しかもバップ色満点。

もちろん、パーカーのベースは絶好調。腰から下は安定して揺らがないうえに、柔軟。聴く者の頭蓋全体を揺るがし続ける。最強のベーシストである(なにが最強なのかわからないが)。

●参照
ウェイン・ホーヴィッツ+ブッチ・モリス+ウィリアム・パーカー『Some Order, Long Understood』
ダニエル・カーター『The Dream』、ウィリアム・パーカー『Fractured Dimensions』
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』
ウィリアム・パーカー『Luc's Lantern』
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色
ジョー・ヘンダーソン+KANKAWA『JAZZ TIME II』、ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』


岡田正彦『人はなぜ太るのか』

2014-05-19 23:35:03 | スポーツ

岡田正彦『人はなぜ太るのか ―肥満を科学する』(岩波新書、2006年)を読む。

ダイエットほど、無数の有象無象の情報で溢れている分野はなかなかないだろう。そんな中で、ナニナニ法ダイエット本や、テレビショッピングの効き目があるのかどうかわからないツールを買うよりは、本書のように、肥満の理論や科学的知見と、それに基づくアドバイスを示してくれるものをしっかり読んで、重要な箇所を頭に叩き込んだほうが、はるかに有用だと思う。

いろいろと興味深い指摘がある。

血糖値を急速に上げる食品(パンやアイスクリームなど)よりも、ゆっくりと上げる食品(ソーセージ、ヨーグルト、グレープフルーツ、りんご、梨、ゆでたスパゲッティなど)の方が、合計して同じカロリーであっても、太らない。
○極端な食事はよくないが、その前提で、炭水化物と脂肪は、やはり抑えなければならない。 
BMI(=体重/(身長×身長))はすぐれた指標。これが25未満であれば、どのあたりが最適かを言うことは難しい。ある実験では、24の人がもっとも死亡率が低いという結果が出た。
体脂肪率は、測定条件による変動が大きく、あまりあてにならない。また、その中で内臓脂肪がどの程度かについてはわからない。 
○運動だけでもダイエットだけでもダメ。両方やるべし。筋トレも必要。
○酒は太る原因にはなりにくい。カロリーだけでは判断できない。 

そんなわけで、筋トレ、有酸素運動、炭水化物の抑制という3点セットは正しいのだとわかった。

●参照
やっぱり運動ダイエット 


アンジェイ・ワイダ『ワレサ 連帯の男』

2014-05-19 07:31:00 | ヨーロッパ

アンジェイ・ワイダ『ワレサ 連帯の男』(2013年)を観る(岩波ホール)。ここでワイダの映画を観るのは、『コルチャック先生』、それから『灰とダイヤモンド』のリバイバル上映以来である。

レフ・ワレサ(ヴァウェンサ)。1970年頃から労働運動や政府批判を開始し、幾度となく当局に投獄される。つねに監視下にあり、また当局からも、運動内部からも、ときには市民からも、苛烈な批判を受けることもあった。それでも、ワレサは心を折ることなく、「連帯」を率いて、ポーランドの民主化を主導していく。そして、ついに大統領となる。

あらすじはこれだけであり、実際に、映画もほとんどそれだけだ。上映後出てきた観客のなかから、「ほとんどワレサの成功物語だけになっていた」、「投獄されて受けたはずの拷問が、なぜほとんど描かれないのか」、といった声も聞こえてきた。物足りなさはわたしも同じである。おそらく、ワイダは祖国の英雄に呑まれてしまったのだろう。

当局が国内的には威張りながらも、ソ連に対しては戦々恐々としている姿は興味深いものだった。

ところで、1980年に、ワレサの許をイタリア人女性ジャーナリストが訪れる場面がある。当然、建物の外で当局が監視しているのだが、そのときに当局が使っていたカメラは、ソ連Zenit(クラスノゴルスク機械工場)製のダブルラン・スーパー8(16mmフィルムの100フィートのリールを右左で2回使う8ミリカメラ)であるQuartz DS8-3に見えたが、どうだろう。


林壮一『マイノリティーの拳』、ジョイス・キャロル・オーツ『オン・ボクシング』

2014-05-18 23:39:45 | スポーツ

林壮一『マイノリティーの拳 世界チャンピオンの光と闇』(新潮文庫、原著2006年)を読む。

なぜ日本語の本のオビに、ジョージ・フォアマンの推薦文が記されているか。一読してわかった。著者は、米国のボクシングに魅せられ、米国に渡り、数々のボクサーたちと接しながら生活してきた人だからだ。

なるほど、面白い。そして哀しい。多くの黒人やヒスパニックの少年たちは、貧困と差別のなかでもがき、その生活から脱出するために、ボクシングを選んだのであった。長じて世界チャンピオンになった者たちは、最初から「モノが違った」らしい。ほとんどの者は、普通の「モノ」しか持たない。「モノ」を持っていても、かれらを食い物にするだけのプロモーター(ドン・キングのような)に搾取され、たとえチャンピオンになっても、一部の者を除いては、いい暮らしはできなかった。著者の視線は、その、多くの者に向けられている。

勅使河原宏が2本のドキュメンタリー映画『ホゼー・トレス』『ホゼー・トレス Part II』を撮ったホセ・トーレスは、名伯楽カス・ダマトに見出され、人間性とボクシングの両方を教え込まれた。聡明だったトーレスは、世界チャンピオンになり、また、自らの出自を意識し、マイノリティーの視点を持った文筆家としても名を成した。

トーレスとは反対に、やはりダマトが見出したマイク・タイソンは、凄まじい勢いで世界の頂点に立ち、すぐに、同じかそれ以上に凄まじい勢いで転落した。著者は、兄弟子トーレスの言葉を借りて、タイソンの精神的な弱さを浮かび上がらせてゆく。第1章ではあるが、これがわたしにとっては本書の白眉である。

多作の作家、ジョイス・キャロル・オーツも、ボクシングに関する著作『オン・ボクシング』(中央公論社、原著1987年)をものしている。

ここに書かれているのは、ボクシングという異常なスポーツ、あるいはスポーツではなく衝動、活動についての、オーツの思索である。

なぜ多くの作家が、ボクシングに魅了されたのか。オーツが言いたいのは、おそらく、それが本質的に言語によって表すことができず、ひょっとしたら言語というものに反していて、言語の活躍場所があるとしたら、やっと、再現のステージになってからだからだ。しかも、再現というものが、ボクシングと相対立している。

ただ、そのように思索するオーツが、自ら限界を示してしまっているように思える。おそらく、フォアマンが45歳で世界チャンピオンに返り咲くなど、想定外もいいところだっただろう。そして、本書が書かれた当時、絶頂を極めつつあったタイソンについても、その醒めた目を観察してはいても、やはり、激烈なる転落は想像できなかったに違いない。

●参照
勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』
マーティン・スコセッシ『レイジング・ブル』(ジェイク・ラモッタがモデル)
ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye』