Sightsong

自縄自縛日記

2012年8月、ベトナム・イェンバイ省のとある町

2012-08-31 23:42:17 | 東南アジア

ハノイから自動車で7時間くらい北上したところにある、イェンバイ省のとある町。

市場の女性が笑いながら声をかけてきた。あれは何と言っていたのか、と、同行のベトナム人に訊いたところ、「どこの民族?」


ガソリン給油器


店先のドライアニマル


赤ん坊


迫力の腸詰


少数民族の女性


子ども


床屋


金物屋


ベッド運搬


保護色の水牛


おじさんは俺を撮れと叫んで腹を出した


山と霧


棚田


東屋


モン族のふたり


子ども


コーンの色は鮮やか


ライスペーパー乾燥中

※写真はすべてPentax LX、FA77mmF1.8、Fuji Superia 400にて撮影

●参照 ベトナム北部
2012年6月、サパ
2012年6月、ラオカイ
デイヴィッド・マーティンという写真家
ベトナムのヤギ三昧
ベトナムで蜂食い

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2012年8月、ハノイの湖畔

2012-08-31 07:35:29 | 東南アジア

ハノイはホン川下流のデルタ地帯にあり、大小の湖がある。低湿地だからではあるが、中には、かつて蛇行した川の一部分が切り離されたものもある。

湖畔は解放感があって、歩いたり休んだりする人たちの表情も違うように見える。もちろん、夜はカップルが増える。

散歩していてフィルムが無くなったので、ホアンキエム湖の横にあるカメラ店に入った。ほとんどデジタル製品のなかに、フィルムもひっそりと置いてあった。感度400はない、100と200だけだという。富士フイルムの海外仕様製品である200のネガカラーを買った。


ふたりの女の子


静かに座る人


すかさずVサイン


楽しそうだな

※写真はすべてPentax LX、FA77mmF1.8、Fuji Superia 200にて撮影

●参照
ハノイの文廟と美術館
ハノイの街
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
2012年6月、ハノイ
ハノイのMaiギャラリー
2012年8月、ハノイ

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2012年8月、ハノイ

2012-08-30 23:33:20 | 東南アジア

ハノイにはとにかくバイクが多い。これが北京なら自転車、ジャカルタなら自動車だ。警官の目が届かない夜間や郊外ではそうでもないが、昼間の市内のヘルメット率は100%に近い。

そして、暑いけれども、歩きながら上を見ても下を見ても楽しい。上を見ると、洒落た窓や増築を繰り返した生活空間、猫、無数の電線が否応なく目に飛び込んでくる。下を見ると、しゃがんで麺をすすったり四方山話をしている人、工作している人、あの世で使うための紙幣・・・。


肉が焼ける匂い


RADIO


道を尋ねたら完全に無視された


線路脇も生活


バイク


Ba Haoって何だ


商店街の子ども


二次元と三次元のバイク


もの売り

※写真はすべてPentax LX、FA77mmF1.8、Fuji Superia 400にて撮影

●参照
ハノイの文廟と美術館
ハノイの街
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
2012年6月、ハノイ
ハノイのMaiギャラリー

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ゲイリー・トーマス『While the Gate is Open』

2012-08-30 07:24:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

ゲイリー・トーマス『While the Gate is Open』(Bamboo、1990年)を500円で見つけ、懐かしさのあまり確保してしまった。


Gary Thomas (ts, fl)
Kevin Eubanks (g)
Renee Rosnes (p, syn)
Dave Holland (b)
Anthony Cox (b)
Dennis Chambers (ds)

ソニー・ロリンズの演奏が有名な「Strode Rode」「The Song is You」をはじめ、スタンダード曲をゴリゴリとしたテナーサックスで押していく作品。コードからアウトしたところでフレーズを組み立てていく演奏は、マイケル・ブレッカーらの影響も受けたのだろうが、いま聴いても、この人の個性は際立っている。

今回聴いてみて、ふたりのベーシストの違いが顕れていて面白かった。大御所デイヴ・ホランドは、サウンドの全体を硬く突き続け、集団を鼓舞している。一方のアンソニー・コックスは、より柔軟に歌うようなソロを聴かせる。

最近はめっきりリーダー作を出さなくなっているようだが、また聴き直してみたい。ラップとの共演が当時話題になった『Kold Kage』とか、ジャック・デジョネット「Special Edition」の諸作とか、また手に入るかな。一昔前の流行というには勿体ない。

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ベトナムで蜂食い

2012-08-29 23:47:55 | 東南アジア

ハノイから自動車で5時間くらいの町。昼食を取った食堂の店頭には、蛙やら小さな貝やら沢蟹やら、なかなかの顔ぶれ。その中には蜂もあった。

巣から取り出した蜂の子だろうか、日本でも食べている地域があり、昔一度だけ食べたことがある。

仕事仲間が囲んだテーブルには家庭料理が並んだが、肝心の蜂の炒め物は、隣りのベトナム人グループだけが食べている。折角なので一口もらった。塩味が効いていて、外側がカリッとして、中は小海老のようだ。結構旨かった。

しかし、自分は食べ物には保守的なので、それだけにとどめて、ハノイ・ウォッカで味を忘れることにした。

●参照
ベトナムのヤギ三昧

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ベトナムのヤギ三昧

2012-08-29 07:30:49 | 東南アジア

ハノイから北部に5時間程度の町で、ヤギ料理を食べた。


「De Nui」とはヤギの意味らしい

日本には沖縄を除いてヤギ食文化がないが、平川宗隆『沖縄でなぜヤギが愛されるのか』(>> リンク)によれば、東アジア(韓国、台湾)、東南アジア(フィリピン、ベトナム、インドネシア)、南アジア(インド)にもヤギ食文化はあり、むしろヤマトゥが例外的だということになる。わたしにとっても、沖縄でヤギの刺身とヤギ汁を1回ずつ食べて以来のヤギ食だ。

とは言っても、ハノイで頻繁にヤギが食べられているわけではなく、むしろ良いヤギ肉を使う店を見つけるのは難しいという。そんなわけで、郊外で、つぶしたばかりの新鮮なヤギ肉を食べる機会に恵まれるとは、実に幸運なことだった。

最初はホルモン。スターフルーツ、葱、そして臭み取りのためか大量のスパイスとともに炒められており、肉はコリコリしている。汁気が多い。

次は脂身の多い部位で、やはりスターフルーツ、葱とともに炒めてある。ライスペーパーに包んで食べる。爽やかな酸味はレモングラスか?

3皿目はカレー煮のようなもの。揚げパンのような一風変わったフランスパンに窪みを作り、中に入れて食べる。パンもヤギも果てしなく旨い。


カレー煮を撮り忘れた

4、5皿目は正肉(のどこか)。胡麻とスパイスの風味が効いている。旨いのだが、もう満腹で食べられない。はじめに5皿あると通知されていればペース配分ができたのに。

『沖縄で・・・』には、「ヤギ鍋」、「雌ヤギの乳房のスライス焼」、「生血と生肉のプディン」(動脈血を塩で固め、それに生肉を入れただけ!)も紹介されている。これらはもっと凝った料理なのかもしれない。

これで、沖縄のヤギ汁にヨモギを入れ過ぎて目を白黒させたトラウマは解消できた。もうどんどんいらっしゃい。


フランス軍に対抗した大砲か?

●参照
平川宗隆『沖縄でなぜヤギが愛されるのか』
恩納村のヤギ汁

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蔵原惟繕『南極物語』

2012-08-28 23:55:35 | アート・映画

蔵原惟繕『南極物語』(1983年)を観る。

小学生のときにテレビで観て以来である。懐かしさは覚えるものの、何の感慨もない。うーん。

何しろ俳優陣が豪華。高倉健、渡瀬恒彦、岡田英次、夏目雅子(美しい!)、荻野目慶子(その妹も登場するが荻野目洋子ではない)、岸田森(遺作)。健さんはいるだけで絵になる。はやく『あなたへ』に駆けつけなければ。

南極観測船・宗谷は、やはり小学生のとき引退し、宇部だか下関だかの港で行われた「さよなら南極観測船宗谷」というイベントに連れて行ってもらった記憶がある。その後、お台場の「船の科学館」で、久しぶりに見学した。いまでは「船の科学館」は閉館しているが、宗谷を見学することはできるという。その隣に繋がれていた青函連絡船・羊蹄丸は、どこかに買われていったのだったか。

ところで、昔、犬を飼っていたにも関わらず、いまの自分は犬恐怖症である。アジア諸国に行くと、当然、どこにも犬がいて、過剰に反応しては笑われている。ヴィエンチャンで、映画館の廃墟に足を踏み入れた途端に、中にいた犬が唸り吠えながら走ってきたことがあって、さらに恐怖心が増大した。なぜみんな怖くないのか。

●参照
『アース』と『ホワイト・プラネット』
林真理子『RURIKO』(蔵原惟繕に関する記述)

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ハノイのMaiギャラリー

2012-08-28 19:06:16 | 東南アジア

今年二度目のハノイ。ちょっと空いた時間に、『Lonely Planet』に紹介されている「Maiギャラリー」に足を運んだ。

意外に立派な建物で、4階までさまざまなアーティストの絵が展示されている。自分の他に観客はおらず、ずっとギャラリーの女性が監視するように歩いて付いてきた。

なかでもふたりのアーティストによる作品が気になった。

ファム・ゴック・ミン(Pham Ngoc Minh)は、絵具をぼってりと盛り上がらせて、湖やカリカチュア化した女性を描いている。

グエン・バオ・ハー(Nguen Bao Ha)は、赤や青の鮮やかな単色をバックに、ハノイの家々をコラージュ風に配している。上海で観た、孫驥(スン・ジ)の「Memory City」と題された作品群(>> リンク)を思い出した。

参照
バンコクのThavibuギャラリー

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1984年12月8日、高木元輝+ダニー・デイヴィス+大沼志朗

2012-08-19 10:11:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

先日ライヴハウス「七針」で、ドラマーの大沼志朗氏と話をしていて、そういえば大沼さんのプレイを前回聴いたのはもう10年以上前、高木元輝さんとの共演だ、と伝えたところ、いろいろと高木氏の逸話を語ってくれた。

そして、この間、家を整理していたら、随分前に共演したテープが出てきたんだよ、スゲー良いんだよ、との仰天する話。程なくして、そのテープを送ってくださった。

高木元輝(ss, ts)
Danny Davis(as, fl)
大沼志朗(ds)
松本「彗星倶楽部」にて、1984年12月8日録音

ダニー・デイヴィスはサン・ラのグループに長く所属したプレイヤーで、妙な押し出しの強いサックスを吹いている。それに高木元輝の野蛮なテナーサックス、大沼志朗の大きな波のようなシンバルが絡んでいく。大沼氏に聞いた通り、凄い記録だ。

高木元輝のテナーサックスに接するたびに、圧倒されつつ何か割り切れないような思いを抱く。野太いといえばそれまでだが、強烈な臭気を放つ獣のようであり、また外からの攻撃をものともしない甲殻類のようでもあり、しかし人間くさく優しいアジア・ブルースでもある。ソプラノサックスになると、ロジカルな感じというのか、内省的というのか、また違った印象を受ける。

いや何ともこれは・・・。


高木元輝+大沼志朗、2000年 Pentax MZ-3、FA50mmF1.4、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用

●参照
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『新海』、高木元輝+加古隆『パリ日本館コンサート』
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの『苦悩の人々』、高木元輝のマウスピース、リスボンの古谷暢康
高木元輝の最後の歌
広瀬淳二+大沼志朗@七針

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伊坂幸太郎『グラスホッパー』

2012-08-19 01:36:59 | 思想・文学

伊坂幸太郎『グラスホッパー』(角川書店、原著2004年)を、「kobo Touch」で読む。

実に奇妙奇天烈な、殺し屋たちの物語だ。依頼を受け、道路脇から背中を押して自動車に轢き殺させる「押し屋」。政治家やその秘書などを自殺させる「自殺屋」。誰もが嫌がる類の殺人を行う殺し屋。毒殺専門の殺し屋。彼らを支える「劇団」。情報通。

さながらそれは「殺し屋業界」である。それぞれが、互いに微妙に存在を意識しながら接点をもたないはずが、ある事件をきっかけに、衝突へと突き進んでいく。

おそらくは、自殺した後に陰謀を囁かれた政治家たちの存在が、発想のきっかけではなかったか。あまりのストーリーテリングの巧さに、本当にこの業界があるように思えてならなくなる。

殺し屋たちや、復讐のために業界に入った主人公は、皆、自らの内なる声を聞く。それが幻影となり、身を滅ぼす者もある。しかし、主人公のように、大事に思っていた他者の声を聞く者は、対照的に、とにかく生き抜くことになる。

生きることは生きることだというトートロジー、あるいは『ゴールデンスランバー』で描いたように、逃げると生きるとの重なりが、大きなメッセージとなって最後に襲ってくる。この作家に、また、妙に心を動かされてしまった。

●参照
伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』と中村義洋『ゴールデンスランバー』
伊坂幸太郎『重力ピエロ』と森淳一『重力ピエロ』
齋藤惣菜店のコロッケと伊坂幸太郎のサイン

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ジョセフ・フォン・スタンバーグ『上海特急』

2012-08-18 22:19:52 | 中国・台湾

ジョセフ・フォン・スタンバーグ『上海特急』(1932年)を観る。中古DVDが105円だった。

スタンバーグとマレーネ・ディートリッヒが組んだ作品としては、1930年に『嘆きの天使』と『モロッコ』、1931年に『間諜X27』、そして本作はその翌年。ふたりにとって絶好調の時期に違いない。

1931年、北京から上海へと向かう特急列車が映画の舞台。ちょうど国民党が北京を北平と改称していた時期であり、駅の場面でも両方の名前が併記されている。「上海リリー」と呼ばれる魔性の女(ディートリッヒ)は、かつての恋人である英国将校と列車で再会する。謎めいた中国女性、頑固な英国女性、頑固な牧師など、さまざまな人が乗り込む列車は、突然、革命党(共産党)に止められる。党の悪辣な司令官チェンは、逮捕された仲間を取り戻すため、人質を探していたのだった。チェンは英国将校を選び、中国女性を暴行しさえする。将校を愛するリリーは、自分の身を投げ出して、彼を救おうとする。

ソフトフォーカスで、しかも顔の陰影を強調したライティングでのディートリッヒは、もう美しい限りなのだ。「妖艶」とは「妖しい」と「艶っぽい」、その通りである。当時の観客の眼を釘づけにしたのも無理はない。

スタンバーグの演出はさすがに手馴れている。北京の狭い路地を特急列車(とはいっても蒸気機関車)が走る様子など、きっと遠い中国への興味をかきたてるものだっただろう。「魔都」上海も、両大戦の間にあって、ヨーロッパ列強諸国が投資し、繁栄した時期であり、多くの視線を引き付けていたのだろう。

とは言え、その視線はやはり歪んでおり、どうしてもアジアへの蔑視を映像のそこかしこに見出さざるを得ない。

東北において満州国建国の策動を行っていた日本は、間もなく、上海事変を引き起こすことになる。

わたしは北京と上海の間を陸路で移動したことはないが、いまでは新幹線(高速鉄道)が開通している。何年か前、ちょっと内陸に行くにも列車に乗り苦労していたことを思い出せば(二日酔いで文字通り死にそうになったこともある)、いまの中国における高速鉄道網の整備ぶりにはあらためて驚かざるを得ない。しかも、上海にはリニアモーターカーまである。

●参照
新幹線「和階号」
郭昊(グォ・ハォ)による雪や靄のけぶる中に見える列車の絵
王福春『火車上的中国人』
中国の蒸気機関車
上海の麺と小籠包(とリニア)

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オスプレイの危険性(2)

2012-08-18 10:59:52 | 沖縄

この6月27日に、オスプレイの危険性に関して防衛省が回答を示している。それに関して一坪反戦地主会のYさんが送ってくださったレビュー表(下)によると、やはり問題がいくつも指摘できるようだ。何より、「安全」だとの回答はなされていない。

2012年4月にモロッコで起きた事故については、米海兵隊が「機体の欠陥によるものではなく、パイロットの操縦ミス」だとする調査報告書を公表している(>> 沖縄タイムス記事)。これまでの事故について防衛省回答をみても、同様に片付けているものが目立っていることがわかる。そもそも、人為ミスにより事故が起きるような機体こそ、欠陥があると言うべきなのではないか。

なお、オートローテーション機能(エンジン停止時にもプロペラによる浮力が働く)についても、この期に及んで、防衛大臣が危険性認識を示している(>> 沖縄タイムス記事)。


※クリックで拡大

●参照
10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会(オスプレイ阻止)
オスプレイの危険性
6.15沖縄意見広告運動報告集会
オスプレイの模型
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
二度目の辺野古
2010年8月、高江
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
高江・辺野古訪問記(1) 高江
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
ヘリパッドいらない東京集会
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
「やんばるの森を守ろう!米軍ヘリパッド建設を止めよう!!」集会(5年前、すでにオスプレイは大問題として認識されている) 

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中野聡『東南アジア占領と日本人』

2012-08-18 00:25:15 | 東南アジア

中野聡『東南アジア占領と日本人 帝国・日本の解体』(岩波書店、2012年)を読む。

本書は、軍人や、宣伝のために駆り出された作家たちの「語り」を通じて、日本の「南進論」の根本的な矛盾や実相を浮き彫りにしている。なかには、検閲を意識してか実状を避ける者もある。回想において偏った記憶のみを綴る者もある。それらを含め、ひとつの歴史が形作られている。

後藤乾一『近代日本と東南アジア 南進の「衝撃」と「遺産」』(>> リンク)が説いているように、「南方占領」は、第一義には資源の獲得(石油、鉄、稀少資源、ゴム、米など)が目的であり、「大東亜共栄圏」構想など欺瞞にほかならなかった。しかし、本書によれば、それは中長期的な戦略を練った上での方針ではなく、日本の対外政策に対する米国の予想を超える反発や、ヨーロッパにおけるドイツ軍の優勢という好機を受けての結果に過ぎなかった。政府や日本軍のなかに批判的な意見も多くあったが、その声は押しつぶされていく。

欺瞞とは、国家自存のため資源獲得に動くのであり覇権のためではないとアピールすること、それは秩序安定のためでもあると言うこと、やがて、資源獲得のためであるにも関わらず「聖戦」「大東亜共栄圏」を謳うこと、すなわち本質を大義で糊塗すること。しかしその大義とは、他者、すなわち占領される者との相互理解や共感を前提としない、独りよがりなものであった。

他者と解り合おうとしないばかりでなく、日本の東南アジア支配は、在来農業を歪め、物流を機能不全に陥らせ、当然、日常生活を破壊した。いまだ神話のように残る、日本は結果的に東南アジアの独立に手を貸し、経済発展にも貢献したのだというクリシェは、実態に基づかないものであることがわかる。

「宿主と中長期的に共生できる見通しがなく、宿主を死に至らしめる寄生者は宿主から見れば排除すべき病原体でしかない。そのような意味において、日本の軍事支配は、東南アジアを数年で飢餓と死に至らしめる存在でしかなかった。そして日本帝国にできたことは、占領地の経営ではなく、暴力と武威による、帝国の最も古代的な形態としての戦利品の略奪に過ぎなかったのである。」

日本政府は、「独立」という言葉を出し入れした。すなわち、西欧支配からの解放など方便であった。ビルマやフィリピンには傀儡政権を、仏印のベトナム・カンボジア・ラオスにも敗戦直前に傀儡政権を打ち立て、インドネシアには最後まで形だけでも独立を与えなかった。東條英機は、傀儡政権を日本の「弟」であるかのように見なす「満州国モデル」を信奉していたという。しかし、当の東南アジアの側は、決して日本の言うがままに従っていたわけではなかった。 

やがて、この独りよがりで暴力的な国家経営は破綻する。著者は、このときはじめて日本人が他者としての東南アジアと接したのだとする。中には、インドネシア・ナショナリズムという「他者の正義」に魅了され、独立運動に自らを同一化させた日本人も現れたのだという。勿論、それは日本の支配という歴史とはまったく別のものとして見るべきである。

それが現在の日本において実をならし続けているのか。わたしには、国境問題を巡り、他者には国境問題など存在しないとして議論を拒否し、その逆の行動に遭うや極めてヒステリックな反応を示す日本が、他者との相互の応答を身に付けているとは思えない。

●参照
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
波多野澄雄『国家と歴史』
高橋哲哉『戦後責任論』 

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ギル・エヴァンス+ローランド・カーク『Live in Dortmund 1976』

2012-08-17 07:58:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

ギル・エヴァンスのオーケストラに、何とローランド・カークがゲスト出演している録音が日の目を見たと知り、ようやく探しだした。『Live in Dortmund 1976』(Jazz Traffic、1976年)である。

1曲目と最後の5曲目が、ビリー・ハーパー作曲の「Thoroughbred」と「Priestess」。とは言えテナーサックスはジョージ・アダムスであり、ハーパーは参加していない。アダムスの熱いソロも良いし、ジョン・ファディスの高く高くへと攻め続けるトランペットも、ルー・ソロフの落ち着いたトランペットも悪くない。ただ、全体的なサウンドは、ギルの録音としては凡庸なものに聴こえる。

4曲目の「Freedom」は、ジミ・ヘンドリックスの曲である。この録音の前に吹き込んだジミヘン集『Plays the Music of Jimi Hendrix』(RCA、1974-75年)の勢いを続けていたということだ。しかし、これも印象は薄い。どうやらもとの録音では、ジョン・ファディスがヴォーカルも担当していたということで、できれば編集しない録音を聴かせてほしかった。

このアルバムの価値は、何と言っても、ローランド・カークの客演にある。2曲目のセロニアス・モンク曲「Rhythm-A-Ning」ではサックス類を、3曲目のカークのオリジナル曲「Theme for the Eulipions」ではそれに加えハーモニカを披露している。

カークは前年(1975年)に倒れ、このときは半身不随、片手だけで演奏していたはずだ。それにも関わらず、循環呼吸による息継ぎなしのサックスとハーモニカ、サックス2本の同時演奏(以前ならもっといけた)、そして何と言っても長いソロの中で変調し、悦びと哀しみを惜しみなく溢れださせる音色を、聴くことができる。

やはりカークは唯一者だった。翌年の1977年、カークは再度の発作であの世へと旅立つことになる。

●参照
ギル・エヴァンス『Plays the Music of Jimi Hendrix』

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「kobo Touch」を入手した

2012-08-16 01:08:43 | もろもろ

悪評ばかりが聞こえてくる「kobo Touch」を、入手してしまった。JALのマイレージをWAONにして使ったので出費はない(という錯覚)。

楽天社長の強気のコメントは愛嬌として、最初のセットアップも改善されたためか特に問題なく終わった。早速、いろいろと仕入れて通勤時に読んでいる。使い勝手は快適とは言い難いが決して悪くもない。一度充電すれば、普通に読んで1ヶ月くらい持つと言う。よしよし、来週ベトナムに持っていこう。

これで7000円台。単に本を読もうとするならコストパフォーマンスが良いというべきではないか。

確かに、日本語の本の品揃えはまだまったくダメであるし(今後、EPUB規格の電子書籍がどれだけ出てくるのだろう)、ウェブ上の検索機能など最悪に近い。

しかし、非常に多くの青空文庫の作品群を無料で楽に読むことができるのは素晴らしいことだ。スマホやパソコンではちょっと読む気にならなかったのだ。これだけで元を取ったような気分になる。

また、英語の書籍はそれなりに多く、辞書機能を活用すれば(日本語での辞書機能ははっきり言って使いにくい)、読書が進む。そんなわけで、ポール・オースターの未読作品『Man in the Dark』を仕入れてしまった。

・・・とか言って、アマゾンがKindle日本版を出したら、そちらも欲しくなったりして。


青空文庫の夏目漱石『余と万年筆』 ペリカンを酷評している


ポール・オースター『Man in the Dark』 辞書機能がグッド

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