Sightsong

自縄自縛日記

栄町市場ライヴ

2007-03-28 01:11:32 | 沖縄
前の前の土曜日、沖縄。何をして過ごそうかと考えていたら、栄町市場でライヴがある。
与世山澄子さんのお店「インターリュード」でコーヒーを頂いてから出かけた。
おじい、おばあの唄と踊りも、ちえみジョーンズもよかった。
翌日、市場内の「生活の柄」に突入しようとしたら、(日曜日も営業とあるのに)疲れたのかお休みだった。


ポスター コンデジ


ライヴ Leica M4, Carl Zeiss Biogon 35mm/f2.0, Provia 400X


ライヴ Leica M4, Carl Zeiss Biogon 35mm/f2.0, Provia 400X


ちえみジョーンズ コンデジ


近くの飲み屋のママたちが三板の練習 Leica M4, Carl Zeiss Biogon 35mm/f2.0, Provia 400X

知名定男の本土デビュー前のレコード

2007-03-24 22:49:20 | 沖縄
先日沖縄で観てきたばかりの知名定男コンサートの印象がとてもよかったので、1978年の本土デビュー(「バイバイ沖縄」、それからアルバム『赤花』)の前の録音を聴いてみようと思い、改めて2枚のEP盤を棚から出した。

『十九の春/二見情話』(大城美佐子、知名定男) 75年
那覇「いーやーぐゎー」の小浜司さんも、レアで素晴らしい盤と紹介している。私も幸運にも持っている、サンプル盤だが(左上にSAMPLEの穴あり)。美佐子先生の、匂いがプンプンする歌がたまらない。

『義理と情/新殿様節』(瀬良垣苗子、知名定男) 77年
何でも「義理と情」とカップリングした「うんじゅが情ど頼まりる」(知名作曲)が大ヒットしたので、A面、B面ともに改めてA面として別の曲と組み合わせて出したのだとか、それがこれかな。瀬良垣苗子さんのしっとりとした声もいいなあ。2005年に、那覇・国際通りの「高良レコード店」に普通に並べてあった(笑)のを購入した。

1975年といえば知名定男30歳、竹中労主宰の琉球フェスティバルに出演してもいる。大城美佐子さんと瀬良垣苗子さん、後に『絆』で共演するのだが、対照的な声と歌い方を持つ2人それぞれと共演しても、知名定男さんの朗々として芯のある30歳そこそこの歌声はとても良い。

といいつつ、それほど熱心な聴き手でもなかったのだけど、もっとあれこれ繰り返し聴いてみようと思う。





代官山で大城美佐子を聴いた

2007-03-21 23:49:38 | 沖縄
代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」(どういう意味だろう?)で、大城美佐子さんを聴いてきた。会場は大盛況。

太鼓が堀内加奈子さん、もう1人の三線と唄が大城琢さん。
3人とも、つい3日前の夜に那覇の「島思い」で聴いたりした。とくに美佐子先生には、「島思い」に入るなり、立たせられて踊らされたので、奇妙な感じだ。

相変わらず、美佐子先生の唄には「気配」があって、今日は愛嬌もあって、素敵だった。
明日(3/22)にもある。「晴れたら空に豆まいて」のサイトではチケット完売と書いてあるが、実際は何とかなっていそうだ。東京では聴くチャンスが少ないぞ。



知名定男芸能生活50周年のコンサート

2007-03-19 23:49:16 | 沖縄
知名定男さんの芸能生活50周年を記念したコンサートに行ってきた。
那覇から高速バスで40分、沖縄北インターで下りてタクシーでうるま市芸術劇場に向かう。
前日、那覇の「いーやーぐゎー」で知り合ったTさんも来ていたので一緒に観た。

私の目当ては鳩間可奈子さん。「子守唄(ファムレウタ)」や「月の美しゃ」などを歌った。堂々としていて、声量があって、伸びやかで、大げさ抜きに声のオーラがあった。ぜひ『ヨーンの道』以来2枚目のアルバムを作って欲しいと思う。

それから元ネーネーズの吉田康子さんを実際に見るのは初めてだったが、艶があって色っぽい声。

主役の知名定男はというと、ゲスト中心の前半のあと、後半に民謡から沖縄ポップスまでを聴かせた。
本人が、自分の貢献もありポップスの楽器と沖縄音楽とが融合した、との矜持を示したように、パイオニアならではの編曲、叙情的な詩、独特のメロディー、そしてあのマイルドな声を味わうことができて、大満足だった。78年の作品『赤花』からも、「ジントーヨー・ワルツ」、「キジムナー・ブルース」(これはネーネーズだけ)、「バイバイ沖縄」(ネーネーズと)を選んでいた。民謡もごった煮ポップスも超一流なのだなと思った。

那覇に戻ってから夜中訪ねた「島思い」には、「いーやーぐゎー」で話したYさんもTさんも来ていた。
別の方は、知名定男のコンサートはポップスでまとめるよりも、民謡で盛り上げて皆にカチャーシーを躍らせるようなものであるべきだと言っていた。コンサートには老若男女入り混じっていて、どれかにするのはなかなか難しいのかな。




1時間前から行列


帰りのバス停では、孫の帰りを待つおじさんがテグスで草刈用の道具を作っていた


赤花


ヨーンの道

私の家は山の向こう

2007-03-16 23:53:18 | ポップス

テレサ・テン(鄧麗君)の歌は、「時の流れに身をまかせ」が好きだった。しかしそれくらいで、あまり聴かないでいた。

1995年に亡くなったと新聞で読んだときには、突然のことで驚いた。台湾のスパイ説などいろいろなゴシップがあった。

その後、たまたま観た『ラブソング』という香港の映画で、主人公たちの人生に重ね合わせるようにテレサ・テンの歌と死が語られていて、ちゃんとテレサの歌を聴きたいと思った。中野の中古CD屋に置いてあった『淡淡幽情』というアルバムを買って聴いたら、声があまりにも素晴らしくて心に残るものだった。

それで、出たばかりの有田芳生『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文春文庫)を読んだ。

テレサが台湾、香港、日本でファンをどんどん増やしていく一方、自らのルーツである中国でのコンサート開催を夢見ながらも、心の解放を求めた気持ちや行動は、1989年の天安門事件に押しつぶされてしまう。天安門広場に何台もの戦車が現れたとき、私は大学に入ったばかりで、事態がよく呑み込めずテレビで見ていた。その後の東欧革命やロシアのクーデターなど、まさに時代のうねりがあった、そのことを思いながら読み進めていったら、こみ上げてくるものがあってどうしようもなかった。

有田氏の取材は、天安門事件以後、テレサがパリやタイで過ごした頃についてはあまり捕捉できていない。情報源が少ないことがその一因だろう。しかしそれだけに、テレサが心に傷を負って暮らす時間がどうしようもなく過ぎていく様が、悲劇的に心に刺さってくる。

テレサは、結局、中国大陸で歌うことはなかった。有田氏は、2008年の北京五輪で、テレサが歌う姿を想像している。観客もテレサも興奮している。『淡淡幽情』の曲を中心にして、最後に「時の流れに身をまかせ」を歌う。

CD『淡淡幽情』の解説でも、中国音楽プロデューサーの中山真理氏が、多くの中国国民たちが期待に胸を膨らませてテレサ訪中を迎えるシーンを想像している。多くの人が、そのように国を超えて偶像として考えてしまうテレサの存在感は何なのだろう。

中村とうよう氏は、テレサの歌を「聞き手を慰撫する仏の境地だった」と振り返っている(『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書)。もっとテレサの歌を聴きたいと思う。


MIR-20Mで撮る妙見島

2007-03-14 00:36:22 | 写真
ロシア製のM42レンズ。
MIR(ミール)の20mmには、この後で出されたタイプもあって、そちらの方がきっとコーティングがしっかりしているのだろうと思う。しかし、こちらの前期型はつくりがしっかりしていて、逆光にもわりと強い。

前玉が凄く大きく、見かけだけは大迫力

ただ、発色が異常に地味である。コダクロームを使ったら、さらに地味になった。




浦安橋から旧江戸川 Honeywell Pentax SP500, Mir-20M, コダクローム64


妙見島 Honeywell Pentax SP500, Mir-20M, コダクローム64


妙見島 Honeywell Pentax SP500, Mir-20M, コダクローム64

PENTAX FA★200mm/f2.8 で撮る旧江戸川

2007-03-13 00:09:04 | 写真
200mmを持って旧江戸川沿いの道を散歩した。
見通しの良い場所だと、こんな望遠でのスナップも楽しい。
FAスターレンズなので、AFとMFの切り替えが機能的で、動作感触も良い。
最近、ペンタックスからデジタル対応のDA 200mmレンズが発表されたが、銀塩でこれが気に入っている。


行徳船が出入したはずの水門 Pentax LX, FA★200mm/f2.8, コダクローム64


潮吹き Pentax LX, FA★200mm/f2.8, コダクローム64


メカニカルな杭 Pentax LX, FA★200mm/f2.8, コダクローム64


杭と舟 Pentax LX, FA★200mm/f2.8, コダクローム64


佃煮の匂いがする煙突 Pentax LX, FA★200mm/f2.8, コダクローム64

コミュニティバスを第三セクター化しては困る

2007-03-11 22:04:38 | 関東

千葉県市川市のコミュニティバス、2005年から「社会実験」として運行している。100円である。

今日、バスの中でアンケート結果をもらって読んだ。

今年度(2006年度)は、運行経費1億円に対して、運賃収入4,000万円、赤字6,000万円だそうである。
もともと民間が採算性を考えて入っていない結果不便なエリアだったわけで、そこに社会的な事業として行政が関与しているのであり、赤字はまあ当然である

いろいろ考えはあるだろうが、私はその不便エリアに住み、またバス導入を微力ながらプッシュした経緯もあり、何とか続けて欲しいと願っている。

さて、そのアンケートの中で一番ひっかかった点。
コミュニティバスの今後の運営体制として、「行政主体」よりも「地元住民、行政、バス会社の協働による運営」を望ましいとする回答が相当多い。何を目的として、このような曖昧な設問をしたのだろうか。一見、一番前向きな選択肢であるように思えるではないか。

「地元住民も協力=受益者負担として100円以上の運賃を払う」という解釈で、WTP(Willing to Pay)的に、最適な運賃(160円、200円など)を導き出すのならまだ良いが、まさか第三セクターによるバス経営を考えているのだとしたらゾッとする赤字前提の甘えた経営、無責任体制の挙句、破綻するという事例はたくさんある

必要だから乗るのであって、値上げによる価格弾力性は高くないはずだ(場合によっては、アンケート結果よりも)。せめて150~200円あたりにして回数券を売るなどの方法を採って欲しいと思う。

アンケート結果は → ここ


岡本喜八の「幻燈辻馬車」

2007-03-08 22:41:48 | 思想・文学
岡本喜八監督が亡くなって2年になる。

先日、NHKで、岡本喜八が病におかされつつ、新作として準備していた『幻燈辻馬車』の脚本を修正し、完成に近づけていた様子のドキュメンタリーがあった。それで、電子ブックで、山田風太郎の『幻燈辻馬車』(上・下、文芸春秋)を購入してザウルスで読んだ。

もう面白いのなんの、奇怪な人物が次から次へ、虚実取り混ぜて登場してくる。ここで物語にエネルギーを与えているのは、明治十年代の壮士たち、明治政府への敗北を運命付けられたような自由民権の運動家たちである。それも、ぺらぺらなアンチ体制のヒーロー達ではなく、裏切り者、政府のイヌ、警察のイヌなど、表裏と時間軸が交錯しまくる。

このような奇人変人のアウトローを描く映画監督として、岡本喜八は天下一品だったし、この映画が実現していたとしたらさぞ面白かっただろうと思う。『独立愚連隊』、『侍』、『赤毛』、『殺人狂時代』、『肉弾』、『近頃なぜかチャールストン』、・・・そういった喜八のアウトロー映画に、たまらなく刺激的な映画が多い。

『幻燈辻馬車』でも、もし喜八だったらどのように料理したのだろうか、と想像したくなるシーンが多い。

たとえば、壮士と警察のイヌとの決闘。

フロックコートのステッキからも、白刃がほとばしった。突っ込んで来た敵の剣先をはねのけた。はねのけた白刃は稲妻のように宙にあがって、つんのめって来る頭部を斬り下ろした。―――高速度撮影でもしたら、以上の経過が見て取れたであろう。

たとえば、中風を病んで半身不随になったかつての剣の達人と、嘉納治五郎との対戦。

半身不随はハンディキャップにはならなかった。それはかえって、相手を驚愕狼狽させる奇怪な襲撃のフォームとなった。
 『突き、突きい!』
 それは、キ、キ、キイッとも聞え、まさに怪鳥のさけびとしか思われなかった。
 そして、一本足で飛びに飛ぶ姿は、黒い五位鷺というより、これまた怪鳥としか見えなかった。枯葉がその姿をめぐって旋転した。


このような活劇的シーンだけでない。多くの人物に(それが実在の人物であってもそうでなくても)、作者山田風太郎の愛情が注がれているのがよくわかる。

仲代達矢が演じることになっていた主人公の馬車屋の息子(これは真田広之)は、すでに戦で亡くなり、形見の娘が呼ぶときにだけ幽霊となって現れる。それが自虐的でユーモラスであり、頼もしい。だが、次第に現れることができなくなる。このあたりの期待の持たせ方は本当に上手い。

岡本喜八は、幼児体験として、「コウモリ直しの老人」に「富山の薬売り」が「ヨロイ通し」を持って突っ込んでいったところ、老人は傘でそれを叩き落とし、目にも止まらぬ早業で返り討ちにした、という情景を覚えているそうだ。また、老人はその後に空を見上げて「雨か・・・?」と呟いたという。(『ただただ右往左往』岡本喜八、晶文社

動と静、愛すべき奇人変人、ストーリーテリングの上手さといった要素が、山田風太郎と岡本喜八とに共通してあったのだと思う。

昨年、みね子夫人がその意志を引き継いで映画を作るとのニュースがあった。
喜八ではないが、完成したら是非観に行きたい。



行徳船の終点

2007-03-07 00:11:13 | 関東

行徳船の終点はこのあたりに違いない。
仕事のついでに見てきたが、特に表示は見当たらなかった。

隅田川からちょっと入った日本橋川、日本橋小網町あたり。箱崎インターの近く。

浦安から東西線に乗って茅場町で降り、歩いてきたが、家から1時間もかからない。
行徳船は上りで3時間くらいかかったそうだから、10時の打ち合わせに間に合うためには、遅くとも、たとえば市川市島尻の乗り場(「一軒家」)から7時の便には乗らなければならない。始発は6時くらいだったらしい。(『行徳郷土史事典』鈴木和明著、文芸社)


コンデジ

始点はこのあたり


環境会議

2007-03-06 01:23:18 | 環境・自然
『環境会議』(宣伝会議、2007年春号)に、「温暖化をめぐる世界の『いま』」という文章を書いた。(タイトルは編集者が勝手につけた)

日本が環境後進国に脱落する日は近いと危惧しているのだが、他の方もそう懸念しているみたいだ。

ところで、この中に、石鹸と合成洗剤とのヘンな比較をして、ずいぶん合成洗剤の肩を持った記事があった偏った石鹸派の私としては気になるので、あらためて最近の議論をチェックしてみようと思っている。



ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱

2007-03-04 23:58:13 | アヴァンギャルド・ジャズ
ヘンリー・スレッギルは、1990年になって、新たなユニット「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」での作品を発表し始める。
編成は、スレッギルのアルトサックスやフルートのほかに、チューバ2人、ギター2人、トロンボーンまたはフレンチホルン1人、そしてドラムス1人。ベースの役目をチューバ2人に負わせ、その「うねり」の上をブランドン・ロスのギターや、バンマスにしてトリックスター、スレッギルが踊るわけだ。

ニュー・エアー」のあと、80年代に「セクステット」において、オーケストラルなもののリソースを使って少人数の機動性を活かした(ケビン・ホワイトヘッドによる『Spirit of Nuff... Nuff』解説)経験を発展させたとも考えられるが、根っこはもっと前にあった。

1979年に公表した『X-75 Vol.1』(Novus)は、ベース4本による「うねり」の中を、スレッギルとジョゼフ・ジャーマンが泳ぐ試みであった。「Vol.2」が出なかったことは、おそらく商業的にも続けられなかったのだろう。しかし、10年以上を経て、微分的なベースよりも連続的なチューバを使って、この未完のプロジェクトが再浮上したのである。

「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」の作品としては以下が残されている。

■Spirit of Nuff... Nuff (Black Saint, 1990)
■Live At Koncepts (TMR, 1991)
■Too Much Sugar For A Dime (Axiom, 1993)
■Carry The Day (Columbia, 1995)
■Makin' A Move (Columbia, 1995)


完成度は様々だが、「ジャンルの横断、混淆、折衷など、いわば今日的な問題を孕んで」(千葉文夫『ファントマ幻想』、青土社)いるクルト・ワイルともイメージが重なる。実際に、スレッギルは1985年のオムニバス盤『Lost In The Stars ? The Music Of Kurt Weill』(A&M)にも編曲・指揮で1曲だけ参加している。

ただ、ワイルも祭祀もその背中には暗くて重いものがある。「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」も、豊穣で猥雑ながら暗い音楽との一面があり、リスナーにとっては少々辛いところである。そのため、狂躁的に明るく珍妙な部分があると、そのアルバムは聴く者の脳を揺さぶって離さないものとなるような気がする。

その意味で、素晴らしいアルバムは「Try Some Ammonia」と「Better Wrapped/Better Unrapped」という、ラジオ用にも編集された2曲を含む『Too Much Sugar For A Dime』と、アフリカのパーカッションと歌のあとにトニー・シードラスのアコーディオンがテンションを妙なところに高め、トリックスターのアルトサックスがお出ましになる「Come Carry the Day」を含む『Carry the Day』、それから既述した『Makin' A Move』だと思う。

『Too Much Sugar For A Dime』は、「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」として唯一日本盤が出た作品であり、プロデュースがビル・ラズウェル、ジャケットが大竹伸朗という異常な顔ぶれである。「渋さ知らズ」ファンにも改めて聴いてほしいと思う。お祭りの非日常性、怖さ、底なしの楽しさが詰まっている

「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」には、アフリカやアジアの要素も入っている。これは「こざかしいアンチ西側価値観」ではない。「ケモノは自分で作ろうと思ってケモノ道は作らない。ただ毎日そこを歩くだけだ。」と言う大竹伸朗(『カスバの男』、集英社文庫)が、出自はケモノでもないくせにケモノ的な作品を作り続けているのにも近いイメージがある。

スレッギルはこの後、「Make a Move」や「Zooid」というグループでの活動に移行するが、今世紀になってから極端に寡作になっているようだ。

ところで、ピアニスト、マイラ・メルフォードは『Makin' A Move』に存在感のある参加をしている。楽器こそ違え、自己のバンドではトリオから2管クインテットに中心を移しており、スレッギルの「サーカス・ミュージック」の流れを受け継いでいるとも評価されている(ジョン・アンドリュースによる『アバヴ・ブルー』評、DOWNBEAT 1999年11月)。













ピクセル大伸ばし

2007-03-02 00:49:11 | 写真
オリンパスギャラリーでやっていた「地球温暖化の目撃者-岩合光昭スペシャル」を覗いてきた。
シロクマなどの大きな写真は、デジタルのピクセルが目立ちまくっていた
なんで大伸ばしにして見せる必要があるのだろうと強く疑問に思った。
岩合氏、前はライカR6.2などを使っていて写真のクオリティも高かったと思うのだが、こんなものだろうか。
WWFが後援をしているが、温暖化の脅威を示す展示としても中途半端でお粗末。
このギャラリー、最近も旦那芸のつまらぬ写真展を開催していた。