Sightsong

自縄自縛日記

忌野清志郎の絵本

2009-08-31 00:24:10 | ポップス

家族で、ラフォーレ原宿で開かれている「個展・忌野清志郎の世界」に足を運んだ。私も清志郎のことは憎からず思っていたが、それよりもツマがファンだったのだ。

まずはレコードジャケット、ツアーのパンフやポスター、グッズ類、衣装類。写真は繰上和美、蜷川美香、平間至などの「らしい」作品が多い。

しかし何より眼と心が奪われるのは、清志郎の描いた絵だ。絵本の原画は順に観て行ってげらげら笑う。(HISの)細野晴臣や井上陽水、スティーブ・クロッパーらの似顔絵が楽しい。落書きや、子供時代の絵や、ノートもある。

何だか全部、過剰な愛に満ちている。清志郎が亡くなったことへの悲しい気持ちより、現在形の嬉しい気持ちのほうが強い。清志郎の残したものを共有することが「LOVE & PEACE」なんだな、なんて思ったりして。

清志郎が原画を描いた絵本『ブーアの森』(せがわきり・文、TOKYO FM出版、2002年)を買って帰った。原画では、パステルと絵具のぎらぎらした存在感にいいねいいねと言い合いながら観たが、印刷ではそれが随分引っ込んでいる。しかし良いものは良いのだ。少年が眼と鼻からぐしゃぐしゃと涙を流す場面なんてたまらないぞ。

選挙は帰り道に済ませた。気になってテレビに釘付けになった。皮肉は置いておいて、「チェンジ」の芽が出たことは確かなのだ。


6輌編成で彼岸と此岸とを行き来する銀河鉄道 畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』

2009-08-29 23:12:59 | 東北・中部

神田小川町の澤口書店(>> リンク)の店頭に置いてある安売りコーナーは回転が速く、ときどき覗くと発見がある。畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』(文藝春秋、1992年)もそのひとつだ。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(1924年ころ)に憑りつかれ、自宅の庭に銀河鉄道の始発駅まで造ってしまった作者が、車輌構成や大きさ、乗客数、駅間の距離、枕木の素材、動力源などのディテールを突き止めようとする本である。

追求は、賢治のテキストをたよりに、計算したり、願望で創作したり。作者の詩的な主観が全体を覆っているという点で、ひと昔に流行した『○○の秘密』とか『○○研究序説』といったものとは随分異なる。

「人はただぼんやりと知性だけで武装していたのでは、こういう世界は思いつくことができない。」

作者の推理によると、28席ある車輌は6輌編成。銀河は水の中、その水を集めて走る水力機関車。鋼鉄のレールの下にある枕木は雲の鋳物。乗客には生者も死者もいる。光速に近いため、カムパネルラが溺れてからジョバンニと銀河鉄道に乗り、ジョバンニが突然此岸に戻ってくると40分しか経っていない。

もちろんカムパネルラは彼岸へと向かう死者、ジョバンニは生者である。この作品の背景には、妹トシを亡くした宮沢賢治のサハリンへの旅があったことはよく知られている。妹のことを痛切に想い、彼岸と此岸とをつなぐ世界を創出したわけだ。この旅の途中、賢治が書いた『青森挽歌』は悲しいイメージに溢れている。通勤電車で読み、駅を降りて歩く私の中にも、泣いてしまいそうなイメージが残っていた。やはり賢治は天才だ。

「あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか」

それにしても、『銀河鉄道の夜』は素晴らしい作品である。また読み返したい。

●参照
ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」
吉本隆明のざっくり感


『ながいなが~い』、『いつもいっしょ』

2009-08-29 10:00:00 | 思想・文学

インターネット新聞JanJanに、絵本『ながいなが~い』(かつらこ、くもん出版、2009年)と、『いつもいっしょ』(かさいまり、くもん出版、2009年)の書評を寄稿した。

>> 『ながいなが~い』『いつもいっしょ』の読み聞かせ

 2冊の絵本を、2歳の幼児に何度も読み聞かせた。絵本とは、「絵が描かれた本」にとどまるのではなく、読み聞かせのプロセスの中に置いてこそ光ってくる面がある。大人が言葉を発し、その人のオリジナルな声によって子どもに届き、子どもはその言葉を繰り返す。言葉がその時間と空間において共振し、お互いの身体も心も震える。そうしたものではないだろうか。それに、もともと言葉とは、書かれた記号情報などではなかったのだ。

 『ながいなが~い』は、母猫と子猫たちの話。和紙、水彩、クレヨンなどを使っているのか、とても温かみのある絵だ。子猫が大勢であるため、動きも表情もいろいろで、子どもはそれに惹かれているようだった。皿を割ってしまった子猫がいれば、悲しそうな顔で「皿、割っちゃった・・・」と毎回呟き、怒っている母猫、笑っている子猫、眠っている子猫の様子をひとつひとつ真似してみせる。身振りと感情とは、毎回同じようでいて、毎回異なる。追体験とは面白いものだなと思う。

 『いつもいっしょ』は、見開きの左側に短い言葉、右側に動物たちの様子を配したシンプルな絵本だ。だからといって、赤ちゃん向けというわけでもない。なぜなら、「いつもいっしょ」と私が発し、子どもが「いつもいっしょ」と応えるとき、その「いつもいっしょ」には様々な意味が、大袈裟に言えば万感の思いが込められているからだ。

 今回改めて感じたのは、子どもが日常生活において親しみを抱いているものが登場すると、それにまつわるイメージを膨らませていくのだな、ということ。熊が毛布を持って歩いていたり、くるまってごろごろしていたりするのを見て、子どもは、寝るときに無いと駄々をこねるタオルケットのことを思っている。兎が可愛がる縫いぐるみもしかり。豚が寝っころがる浮き輪を見れば、この夏、はじめて体験した海の記憶を引き寄せていることがわかる。つまり、その場のコミュニケーションにとどまらず、生活や記憶の再共有という機能がある、ということだ。

 絵本は楽しい。他の人と共有すればさらに嬉しい。


ジャズメンの切手

2009-08-27 23:33:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヘンリー・スレッギルの新作『THIS BRINGS US TO, VOL.1』(Pi Recordings)が出る(>> リンク)。万歳。「ゾォイド」というグループでの作品であり、ディスクユニオンの解説には「8年ぶりの新作」とあるがこれは間違いだ。LP限定の『Pop Start the Tape, Stop』(hardedge、2005年)以来だから、4年ぶりくらいか(>> リンク)。多少でも破天荒な祝祭音楽ぶりを取り戻していてくれると嬉しいのだが、どうだろう。

そういえばどこにしまいこんだっけと思い出して探すと、引き出しの奥にあった。1995年頃に米国で発行された、ジャズメンの記念切手だ。雑誌で読んで欲しいなあと思っていると、CDとセットで輸入されて売られていた。


一応、悪用されないよう線を入れた(笑)

エロール・ガーナー、ユービー・ブレイク、チャールス・ミンガス、ルイ・アームストロング、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、ジェイムス・P・ジョンソン、コールマン・ホーキンス、チャーリー・パーカー、ジェリー・ロール・モートン(順不同)。ラグタイム・ピアニストたちが入っているのが米国らしい。日本のジャズ・ファンが選んだら、かなり異なるラインナップになるだろう。少なくとも、ビル・エヴァンス、マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズらが外れることはない。

CDは、『Warner Jams - A Tribute To The Jazz Masters』と題されたセッション集で、1人に1曲が捧げられている。同じ時期に出ていたオムニバス集の番外編といったところだ。メンバーは、ケニー・ギャレット、ジョシュア・レッドマン、ウォレス・ルーニー、ラリー・ゴールディングス、ブラッド・メルドー、クラレンス・シー、ルイス・ナッシュ、ブライアン・ブレイドというオールスターズ・・・・・・なのだが、今見ると、何か商売人が多いなあという印象である(失礼)。もう聴くことはほとんどない。


ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』

2009-08-24 23:34:27 | ヨーロッパ

どこかで森永卓郎氏が薦めていて気になっていた、ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』(論創社、原著1912年)。大阪・梅田地下の「萬字屋書店」で見つけて入手した。

日本では戦前、マルクスと並ぶほどの人気があったというゾンバルトだが、論理で体系的に固めるセンスではなく、具体的な逸話の数々によって体系を形作るような方法は、なるほど、マルクス的ではない。とは言え、あくまで数字的な論証にこだわっているのは面白い。

ここで提示しようとしている世界は、(恋愛というより)性愛と贅沢、性愛と資本主義、贅沢と資本主義。タイトル通りだ。舞台は西ヨーロッパ中世、フランス革命前夜までである。

イギリスのスチュアート朝下では、千人を超える新貴族が創出された。それ以上に、本来の貴族ではないが貴族社会の一員である紳氏社会(ジェントリー)、「サー」が付く階層が増殖した。オカネで手に入れることができる身分であった。そういった貴族社会は、憑りつかれたように贅沢を拡大再生産し、ごく一部の人間のみが享受する贅沢は産業社会を牽引した。

面白いのは、贅沢はおのれの身上をつぶしても構わないほどの魅力を持っていたものであり、<成り上がり者>に負けまいとつとめたため、パンも燃料も買えない没落貴族が続出したとの説明を延々としていることだ。この贅沢たるや物凄いもので、400人の召使を抱えた屋敷もあったし、妾への愛がルイ14世をヴェルサイユ宮殿の建造に駆り立てた。オカネの心配をするのは軽蔑すべきことであり、贅沢は個人の家や持ち物へとミニマムな単位と化した。まるで死ぬことがわかっているのに砂浜へと突き進む鯨の群れのようだ。

そして、贅沢があったからこそ、贅沢品を製造する産業、贅沢を提供するサービス、贅沢品に必要な物資を遠距離から運ぶ貿易が発達した。農業の発展も、量ベースの話ではなく、違いや繊細さが駆動することとなった。オカネを使わないと経済がまわらず、皆にオカネが渡らないのだという、<資本主義>なる奇妙なシステムのはじまりであり、これは今でも変わらない。<新自由主義>も、<資本>という装置がオカネを吸い上げ、トリクルダウンどころかその逆流を形作っているのであるから。

この、あまりにも非対称な政治経済は、当然ながら、植民地構造を生み出した。

「奴隷がいる国すべての奴隷総数は、1830年代には682万2759人という数字になった。パリやロンドンのかわいい娘たちが、きまぐれを満足させるためにこのように巨大な黒人の軍団をかかえていたというのは、魅力がないとはいえない考えである。」

贅沢の背景には性愛があった。流行や生活様式を牽引するのは娼婦であり、上流社会の女性は娼婦を模倣した。愛があるところには富もあった。

「フランスでは、愛の生活がしまいには変態性にまで繊細化し、生活はすべて愛のためにだけというありさまが18世紀の本質となった。」

「18世紀の終りに、宮廷に仕える20人の男のうち、少なくとも15人は夫人とではなく、妾と一緒に暮らしているということが伝えられているが、この割合はおそらく真実にきわめて近いものであろう。しかし、たんに宮仕えする騎士が妾をかかえていたばかりでなく、やがて新興成金たちの間にあっても、ある程度貞淑な女にちょっかいをかけることは、よい趣味であるとされるようになった。女をかかえるために必要とされる経費は、相当の財産家の予算内でも最大の額を占めたと、この問題に関する最良の識者はくわしい調査にもとづいた報告を残している。」

そういえば、カウントダウン体制に入った首相が、どこかでオカネがないなら結婚するな、オカネがないと尊敬の対象にならないからなあ、と発言したそうである。今さら言うまでもないが、やはり、シモジモを見下す貴族であった。

●参照 
デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』
『情況』の新自由主義特集(2008年1/2月号)
『情況』のハーヴェイ特集(2008年7月号)
コーヒー(1) 『季刊at』11号 コーヒー産業の現在
コーヒー(2) 『コーヒーが廻り世界史が廻る』
コーヒー(3) 『珈琲相場師』
コーヒー(4) 『おいしいコーヒーの真実』


妙なプロパガンダ劇、『白毛女』

2009-08-23 17:20:00 | 中国・台湾

上海で買ってきたDVD、『白毛女』(1950年)。中国建国直後に作られたプロパガンダ・フィルムと言っていいだろう。このDVDは中国の古い映画シリーズのひとつで、15元(230円程度)。英語字幕が入っているが、シリーズの多くは中国語字幕のみ。中に以下の立派なポスターが折りたたまれて入っていた。

映画としては見るべきところはない。だが、面白い点はそこかしこに散りばめられている。

結婚を控えた小作人の娘。地主がその美しさに目を付けて、小作人の父に対し、借金をすぐ返せぬなら娘を差し出せと迫る。父はむりやり拇印を押されてしまい、結婚式の前の晩、自殺する。娘は地主にいじめられ、挙句にレイプされ、子供ができるや身売りされそうになるが、裏口から山へと逃れる。それまで死んでしまいたいと絶望していた娘は、生き延びて復讐してやるのだと誓う。そして、髪は白くなり、寺に住む白毛女という幽霊だと噂されるようになる。やがて許婚は八路軍に入り、軍とともに地主を罰する。

もともとは1940年代半ばの民間伝説であり、プロパガンダ劇であるいっぽう、死と再生のイニシエーションという神話的構造を内包しているという(藤井省三『現代中国文化探検』、岩波新書、1999年)。また、動乱の1940年代にあって、赤色政権の聖都・陝西省延安を中心とした解放区では、新しい社会意識を代表する理想が形成され、それまでになかった生き生きした女性像の原型が生み出された。そのひとつが『白毛女』なのだという(李子雲/陳恵芬/成平『チャイナ・ガールの1世紀』、三元社、原著2004年)。この時代と政治の象徴を担わされた妖怪ということだ。逆に、悪辣な地主という役を与えられた国民党にとってはいい面の皮だ。

実際、八路軍の兵士たちは非常に美化されて描かれている。もともとは、かわいそうな2人の結婚を応援していた「叔父さん」が、自分の体験を語るところからはじまる。曰く、黄河を西に渡ったらそこには「赤軍」がいて、土地を皆で公平に共有する素晴らしいところだったんだよ、と。そのため、結婚相手を奪われた許婚の男は、同じように決死の思いで黄河を渡る。そして八路軍の服を着て地元に凱旋し、「叔父さん」に、「赤軍」は正式には「八路軍」というんだったよ、と言うのだった。

その八路軍が悪辣な地主を攻撃するときのこと。そのような収奪は抗日のためにならないから、という理由を語るのだ。また、なぜか盧溝橋(らしき、欄干に多数の獅子がある橋)を攻撃し、橋のたもとにある、清の乾隆帝の揮毫「盧溝暁月」の碑を爆破する。日中戦争の契機となった地ではあっても、そのような八路軍による碑破壊の事実はないと思うがどうか。第一、まだ盧溝橋に残されている。 

●参照 盧溝橋


アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』

2009-08-23 07:50:47 | 環境・自然

カニにもいろいろあって、里山のような田舎で育った私が慣れ親しんだのはもっぱらサワガニだった。そのころ川や沢ではよく捕まえたりしたものの、雑菌がいるからすぐ放して後で手を洗いなさい、と教わっていた。

余談ながら、ザリガニも多かった。日本固有のザリガニ(日本ザリガニと呼んでいた)はグレー色で、アメリカザリガニは赤色。時々、ハサミだけ赤色のような「アイノコ」を捕まえて騒いでいた。他の外来種と同じなのか、日本ザリガニは少なくなっているようだった。

科学映像館が配信している『カニの誕生』(学研、1956年)(>> リンク)は、下田の海辺に棲息するアカテガニの生態をとらえた、9分間の短編映画である。海辺で育ったわけでもない私がこのようなカニに親しみを覚えたのは、大人になってからのことだ。アカテガニは、木更津の小櫃川河口、盤洲干潟で見たことがある。(下田にも行きたいのだが、なかなか機会がない。)

アカテガニは名前の通り赤が目立つが、黄色やグレーの部分もある。映像は白黒だから赤色は心の眼で観ればよいし、ナレーションで説明もしている。カニの生態についてならば、有明海や三番瀬のアシハラガニを紹介した下村兼史『或日の干潟』(1940年)(>> リンク)よりもしっかりしていて、餌となる有機物を両手でむしゃむしゃ食べている映像は人間的(カニ的?)で楽しい。

映像の白眉は、満月や新月の日に一斉に産卵する場面だ。無数の卵を抱えたアカテガニは海につかり、一気に放出する。まるで水槽のなかで見るような、クリアな映像もある(海中にカメラを入れた水槽でも設置したのだろうか?)。最初はゾエアと呼ばれるプランクトンとなって浮遊し、やがてカニの形に近づくメガロパとなり、その後、稚ガニとなる。

こういった映像を観た後では、海辺をうろつくカニの姿が実に奇妙で不思議なものに思われる。風景の異化効果が、自然映画の醍醐味である。


小櫃川河口のクリークにあったアカテガニの抜け殻(2008年) Pentax LX、77mmF1.8、ベルビア100


盤洲干潟のアカテガニ(2008年) Pentax LX、77mmF1.8、ベルビア100

●カニ
『カニの誕生』(科学映像館)

三番瀬(1) 観察会【千葉県】(マメコブシガニ、コメツキガニ、)
盤洲干潟【千葉県】(アカテガニ、チゴガニ、アシハラガニ、ヒメアシハラガニ、オサガニ、ヤマトオサガニ、コメツキガニ)
新浜湖干潟【千葉県】(クロベンケイガニ)
江戸川放水路の泥干潟【千葉県】(コメツキガニ、ヤマトオサガニ)
下村兼史『或日の干潟』【長崎県、千葉県】(シラスナカニ、アシハラガニ)
『有明海の干潟漁』【長崎県】(ヤマトオサガニ、シオマネキ)
漫湖干潟【沖縄県】(シオマネキ、ヤエヤマシオマネキ)
またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる【沖縄県】(ミナミコメツキガニ)
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展【沖縄県】(ミナミコメツキガニ)

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)


ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ

2009-08-21 23:41:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラシッド・アリが亡くなった。2009年8月12日、心臓発作、79歳。

ジョン・コルトレーンエルヴィン・ジョーンズの後に組んだドラマーである。エルヴィン・ジョーンズが斧を自由自在に使う達人だとすれば、ラシッド・アリは爆竹がばりばり鳴る龍のようで、絡みつくイメージを強烈に喚起させる。コルトレーンのテナーの音が苦手な私も、アリやアリス・コルトレーンが加わった後期のグループには参ってしまう。そして一番のコルトレーン偏愛盤は、アリとのデュオ・アルバム、『Interstellar Space』(Impulse、1967年)なのだ。

ここでのコルトレーンは、<楽器>と<肉体>の化物と化している。ウルトラレベルの演奏技術を最初から最後まで駆使し続け、気持ちは切れそうで切れない、限界そのものだ。アリもまとわり付き絡みつくだけでなく、時折はコルトレーンの頭上で咆える。

この5年後、フランク・ロウのテナーサックスとのデュオ『Duo Exchange』(Knit Classics Records、1972年)を吹き込んでいる。ロウのサックス技術は、コルトレーンに遠く及ばない。塩辛く、マッチョになりきれず、テンポは転ぶような独自な印象。しかし私が好きなのはロウの人間臭さなのだ。互いのソロの後に乱入するプロセスには興奮する。

このライナーノートに、コルトレーンによるアリ評がある。

「彼が演奏するやり方により、ソロイストは最大の自由を得る。どんな時も、彼がやっていることと共存するだろうとの自信を持って、どんな方向も選ぶことができる。彼はいつでも、多方向のリズムを繰り出しているんだ。」

仕方がないとは言え、ジャズの偉大な音楽家が毎年次々に亡くなっていくのは悲しい。「ニューヨーク・タイムス」の追悼記事(>> リンク)によると、ソニー・フォーチュンとのデュオもやっていたようだ。


井上光晴『明日』と黒木和雄『TOMORROW 明日』

2009-08-21 01:15:33 | 中国・四国

井上光晴『明日 ― 一九四五年八月八日・長崎 ―』(集英社文庫、1982年)は、長崎における原爆投下の前日を描いた作品である。「あとがき」によると、ここに登場する人物にはそれなりのモデルがいるということだが、「嘘つきみっちゃん」の言であるから実際にそうなのかはわからない。

その日。あるふたりは結婚式を挙げ、同じ日、新婦の姉は赤ん坊を産む。そして、結婚式に集まった親戚や友人たちそれぞれの日常が、入れ替わり立ち代り浮上する。語り手は唐突に交代し、視線も感情も交錯する。最初はよくつかめないながら、次第に複層的な世界に引き込まれていく、井上光晴の語り・騙りである。

じっとりと暑い日、戦争の窮乏期にあって、いくつもの卑屈さや差別がある。これを目に見えるパフォーマンスで表現することは難しいだろうと感じる。

井上光晴の想像力は、出産時の苦しみの独白で極みに達する。こればかりは、体験できない自分には共感しようにもできないのだが。

「こんなことはもうたくさんだ。私にはできない。どうにかなってしまったのだ。何かよくないことが起こりかけている。私は多分このまま死ぬ。ねじれた川。私の前で黄金色の水がうねり忽ち渦となる。あれは何。粒状のものをいっぱいつけた透明な紐は。暗緑色に輝く無数の粒はぷちぷち音を立ててつぶれ、そこからまた新しい粒が生まれる。蛇よ、蛇の卵よ、と誰かがいっている。燃やすとよ、早う。火で焼いてしまわんと大ごとになるけんね。」

翌朝までかけて無事赤ん坊を出産し、新しい一日がはじまる。この日のカタストロフを待たずに作品は終わる。

おそらく誰もが想像してしまう「その日」は、ヒロシマナガサキの後でも、私たちにとって永遠に「明日」なのだ。明日になればまたその明日。いつ訪れるかわからない、その「明日」。

仙台行きの新幹線で読み、日帰りしてから、黒木和雄『TOMORROW 明日』(1988年)を観た。原作のエッセンスはうまく活かされてはいる。ただ、決定的な欠陥がある。

狭い袋小路にあって、人びとの差別的な感情、鬱屈した感情が描かれていない。示されているのは、朝鮮人や捕虜となった米国人への差別的な行為であり、あくまで目に見えるパフォーマンスである。それだけでなく、明瞭に発声する劇では駄目だろうと思う。

それに輪をかけて、桃井かおり、佐野史郎という、顔に「演劇」と書いてある役者のパフォーマンスであっては、日常からかけ離れた世界にしかなっていない。井上光晴による、出産時の想像力の飛翔に比べ、大汗をかいて苦しむ桃井かおりの姿はどうしようもなく格落ちだ。

●参照
井上光晴『他国の死』
原爆と戦争展
原爆詩集 八月
青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』
『はだしのゲン』を見比べる
『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために


藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』

2009-08-19 23:22:20 | 中国・台湾

藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』(岩波新書、1999年)は、中国の東側に位置する4都市、北京、上海、香港、台北それぞれを取り上げて、都市の成り立ちと世俗史を描いている。

もう10年前の本であり、「現代世俗」のエッセイとしてはいかにも古い。それは仕方がないこととしても、都市の成長を第一に評価する視線が大変気になるところだ。日清戦争後の日本による台湾支配を、都市成長、経済成長の原動力として正当化しているようにも感じられるのである。躊躇せずに、台北を中国の都市に含めてしまうことも同根のものではないか。

それは置いておくとして、興味深い指摘がいくつもあった。

北京の四合院は、紫禁城とならぶもうひとつの城中城であり、小さな共同体の群れであったということ。魯迅の家に住み、日本では中村彝が肖像画を描いた詩人エロシェンコは、「僕の北京は小さい静かな北京」と語っていた。

30年代上海の夜を牛耳った秘密結社・青幇(チンパン)は、欧米に支配された租界を、夜奪い返すナショナリズムでもあった。著者によれば、当時の上海を描いた映画のことごとくが、ノスタルジックな「冒険者たちの楽園」イメージにとどまっているという。

香港と台北には足を運んだことがない。そのためか、読んでいてもあまり共感できない。それでも、エドワード・ヤンを観たいという気持ちは強くなってくる。もう少し後に書かれていたら、映画評の対象にジョニー・トーも入っていたことだろう。

●参照
伴野朗『上海伝説』、『中国歴史散歩』
竹内実『中国という世界』
魯迅の家(1) 北京魯迅博物館

●中国の古いまち
北京の散歩(1)
北京の散歩(2)
北京の散歩(3) 春雨胡同から外交部街へ
牛街の散歩
上海の夜と朝
上海、77mm
盧溝橋
平遥
寧波の湖畔の村


野中広務+辛淑玉『差別と日本人』

2009-08-17 22:45:15 | 政治

異色の政治家・野中広務と、在日朝鮮人であることを意識して発言する辛淑玉との対談、『差別と日本人』(角川書店、2009年)。野中に対するインタビューであるため、一読には時間がかからない。辛はときに野中に鋭く迫るが、やはりこのような企画である以上、両者の人間味を引き出し、お互いに持ち上げて終わる。内輪受けは私ははっきり言って好きではない。

強く印象に残るのは、自民党という巨大な内部調整生物ぶり、そしてまさにその中で調整役を果たし続けたスライムのような野中の存在感だ。政治家として異色であっても、それは決してヴィジョンの輝きによるものではない。異色な調整役であったということである。

従って、そのぬらぬらとした集団においては、受苦を極限まで(あるいは平均的に)少なくすべきというヴィジョンに基づいた政策など採用されない。調整の要素にならない、少数者の声や弱者の声は汲み上げられることはない。その姿が垣間見えても、メディアも理念・哲学といったものと無縁と化しているため、少数者の怒りという矮小化された問題で片付けられる。

「一般に、日本の社会は、そのリーダーに政治的な思想性や時代に対する先見性を求めない。求められるのは、ムラの利益のために、けっして「恥を外にさらす」ことなく、かいがいしく人々の「世話」をしてまわることだ。そして、原理原則や公平さなどとは無関係に、とにかく「もめごとを処理する」こと。この延長線上に日本の政治がある。」

「野中氏が足を踏み入れることになった自民党は、学識を必要としない社会だった。
 いわんや世界観や、理想や、見識や、文化的視座や政策科学的合理性などまったく必要ない。」

調整の結果であるから、政治的成果は何だか矛盾だらけのものとなる。「国歌国旗法案」も、いわゆる「従軍慰安婦」に向けられた「アジア女性基金」も、沖縄軍用地の「特措法」についても、野中の説明はちぐはぐだ。調整の結果、そのようにしかなりえなかったのだ、といった説明でしかありえない。そのようななかでも、時折強靭な個人の考えが顔を覗かせるところが、ある意味では魅力でもあったのだろう。

野中は、特措法成立(1997年)のとき、最後に個人的な意見を述べている。かつて、園部町長として沖縄を訪れたときのことである。

「沖縄行きの目的は、沖縄戦で2504人もの京都の人たちが命を落とした宜野湾市に慰霊碑を建てることだった。空港から現地へ案内してくれたタクシーの運転手がいきなり車を停め、「あのサトウキビ畑のあぜ道で私の妹は殺された。アメリカ軍にではないです」と言った。野中氏はその時の体験を話した上で、次のように述べた。
「この法律が、沖縄を軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないように、古い、苦しい時代を生きてきた人間として、国会の審議が大政翼賛会のような形にならないように、若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります」」

魚住昭『野中広務 差別と権力』(講談社文庫、2006年)によれば、これは正直な意見であると同時に、小沢一郎と手を組んで改正案を成立させた梶山静六に対する当てつけでもあった。梶山は怒りで血の気が引いていたという。

その一方で、野中は辺野古基地建設には拘泥し続けた。名護市の住民投票の際にも、基地賛成票を集めるべく、カネ(振興策)を提示し、地元建設業や防衛施設局(当時)の戸別訪問を現地入りまでしてプッシュしている。(このときは歴史的な住民投票により、基地にノーが示されている。)

理屈や理念では説明できないところだ。いや、ネゴシエーション、寝技が政治だと決めてかかる人にとっては不自然ではないのかもしれない。

北朝鮮との国交正常化交渉においては、1990年の金丸・田辺訪朝に関わっている。このとき既に、野中は金丸の「(訪朝の)相談役」「参謀」「(北朝鮮についての)師匠」であったという(高崎宗司『検証 日朝交渉』平凡社新書、2004年)。「日本と北朝鮮が国交を樹立するチャンス」として3度目のとき(同書)である。北朝鮮に先制攻撃ができるという、要は米国と組んで空爆だという考えすらを首相が発言しているいま、野中広務という政治家にはもっと朝鮮の平和問題に取り組んでほしかったと思う。

が、様々な政局のなかで、成り行きで「汚れ役を引き受けた」ことを得々と語るようでは、うまい調整役であったことを言い換えているにすぎない。本書でも、日朝交渉の話は、いつの間にか、あるべき外交姿勢の話にすりかわっている。

参照
魚住昭『野中広務 差別と権力』
高崎宗司『検証 日朝検証』 猿芝居の防衛、政府の御用広報機関となったメディア


沖縄の地学の本と自然の本

2009-08-16 22:37:51 | 沖縄

■『沖縄の島じまをめぐって』(沖縄地学会編著、築地書館、1997年)

これまで、沖縄の地学的な成り立ちを把握するために、これを読んでいた。解説だけでなく、実際にどこに行けば何を観察できるかが書いてある点がわかりやすい。しかし古い本なので、どこそこの裏手に露頭があって、などと書いてあるが、現在もそうなのかわからない。

3年ほど前、大宜味村の塩屋湾で、解説に従って砂浜を探った。確かに星の砂などと同様に有孔虫の殻である銭石をいくつも見つけることができた。コインがざっくざっく拾える浜というわけなのだ。(>> リンク

良い本なので、図書館で使うシール状のビニールを貼って大事にしている。

参照
星の砂だけじゃない(沖縄県の塩屋湾の銭石のこと)

■『琉球列島ものがたり 地層と化石が語る二億年史』(神谷厚昭、ボーダーインク、2007年)

今夏、那覇で見つけ、あっ読みたかったのはこれなんだと喜んで入手した。著者は上述の『沖縄の島じまをめぐって』でも書いているひとり。島によって別々に記述しているのではなく、トピックや時代によってまとめている。

古生代以降の琉球弧の隆起沈降やプレート運動をうまく整理してあって、とても面白い。とは言っても地学は常に変わっていくパズルであるから、ときどき混乱してしまう。

沖縄の赤土には北部の国頭マージと中南部の島尻マージとがあり、前者は強酸性、後者は中性~弱アルカリ性。その理由で、北部では化石が分解してしまいあまり見つからないのだ、という説明に納得させられる。やんばるでシャワーを使っていて、手拭の色が急速に落ちたのも酸性のせいかな。

島尻マージの成因だが、琉球石灰岩の分布と重なっているため、石灰岩が風化して赤土と化したと考えられていたらしい。少なくとも、『沖縄の島じま・・・』にはそのような示唆がなされている。ところが本書によると、大陸からの風成塵が相当入っているようで、定説はまだないようだ。そのような研究状況も書かれてあって好感を覚える。本書には、島尻マージ内のマンガン塊についても解説してあって、やはり石灰岩の風化とばかりは言えないという。東村の宇出那覇にもあるようで、今度、民宿「島ぞうり」に泊まることがあれば気にとめておこうと思っている。

これだけでなく内容は盛り沢山で、例えばあまりにも独特な自然史を持つ南大東島にやっぱり行きたいなあと思わせる解説もあり、困ってしまう。このような本は一度読んでおしまいではない。

参照
『赤土問題の基礎物理化学的視点』(沖縄の赤い海)
ウデナハ売店(沖縄の共同売店)

■『磯の生き物』、『海岸植物の本』、『亜熱帯沖縄の花』(屋比久壮実、アクアコーラル企画)

自然や街で何かを見るとやはり確かめたくなるのであって、このような写真付、1頁1種というつくりの本は嬉しい存在だ。とりあえず気になる3冊を入手し、あとで名前を確認したりぱらぱらめくったりして楽しんでいる。著者がすべて同じことは、後で気が付いた。

参照
東京の樹木

 

■『環境読本 消えゆく沖縄の山・川・海』(沖縄県教育文化資料センター 環境・公害教育研究委員会編、2003年)

おそらく学校の副読本なのだと思う。尊敬していた、故・宇井純氏が巻頭文を寄稿しているため、読まないわけにはいかない。

やんばるの森林や川の生物多様性、林道による森林破壊、リュウキュウアユ、タナガー(テナガエビ)、赤土汚染とサンゴの死滅、外来魚問題、基地、破壊的なリゾート、干潟、ジュゴンなど、ひとつひとつのテーマについて、おざなりな解説ではなく、実際の姿を提示しているようだ。このような、専門書ではなく、まともに沖縄の自然環境問題を概観したものは、東京の書店では見つけることができない。


漫湖干潟

2009-08-16 13:00:00 | 環境・自然

那覇市外の南、豊見城市との間に、漫湖干潟がある。国場川と饒波川との合流するところで、名前とは違って湖ではないが、汽水域である。沖縄本島でラムサール条約の登録湿地に指定されているのはここだけだ。もっとも、他にも大事な干潟・湿地はたくさんある。(東京湾でラムサール条約に登録された場所が谷津干潟だけ、というのと同様。)

近くには「漫湖水鳥・湿地センター」があり、まずは満潮時に足を運んだ。クロツラヘラサギという貴重な鳥の剥製があったり、地図や展示が工夫してあってとても良い感じの場所だった。2階には双眼鏡が並べられていて、バードウォッチングができるようになっている。 なんだか行徳の野鳥観察舎と似ている。職員の方も親切で、みんな缶バッジをもらってしまった。

時期的には鳥が少ないようで、ダイサギダイシャクシギを見つけた程度。改めて干潮時に出かけた。漫湖公園から干潟に下りることができるようになっていて、マングローブや生き物をじろじろ観察した。息子の夏休みの自由研究も兼ねて、なのだ。

カニはやはりうじゃうじゃいる。白いシオマネキ、爪が赤いヤエヤマシオマネキ。いつまでも片手で潮を招いているのは愛嬌がある。もちろん近づくと一斉に姿を隠す。トビハゼも敏捷である。

マングローブは、このあたりはメヒルギが多いようで、胎生種子(泥に刺さったところで発芽する)が「漂木」(牧野富太郎)の通り漂っていた。


干潮時の漫湖 FUJI GW680III、Kodak VC400、ネガプリント


ヤエヤマヒルギ FUJI GW680III、Kodak VC400、ネガプリント 


メヒルギの胎生種子 Leica M4、Biogon 35mmF2、Rollei Retro400、イルフォードMG IV RC、2号


シオマネキ


ヤエヤマシオマネキ


トビハゼ

シオマネキの動きは見ていて飽きない。デジカメで動画を撮ってみた。
>> シオマネキの動画(15秒)

夜にだけ花を咲かせるサガリバナも、広い意味ではマングローブに含まれる。帰り道に奥武山公園の駅まで漫湖公園を歩いていたら見つけた(もちろん咲く前)。これはこれで嬉しかったのだが、数日後、那覇の街路樹として咲いているサガリバナを見つけたときには、ちょっと感激してしまった。


開花を待つサガリバナ Leica M4、Biogon 35mmF2、Rollei Retro400、イルフォードMG IV RC、2号

ところで、7月25、26の土日に豊見城市の豊崎ビーチハーリーの大会が開かれていた。ハーリーの発祥が漫湖だという由来にあやかって、昨年から復活させているイベントということだ。タクシーで「ハーリーやっているらしいので・・・」と話すと、普通は終わっている、もう季節外れだねと言われてしまった。


豊見城のハーリー FUJI GW680III、TMAX400、イルフォードMG IV RC、2号


豊見城のハーリー Leica M4、Biogon 35mmF2、Rollei Retro400、イルフォードMG IV RC、2号

●沖縄の干潟
糸満のイノー、大度海岸
泡瀬干潟の埋立に関する報道
泡瀬干潟の埋め立てを止めさせるための署名
泡瀬干潟における犯罪的な蛮行は続く 小屋敷琢己『<干潟の思想>という可能性』を読む
またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展 

●マングローブ
科学映像館の熱帯林の映像(胎生種子が下の泥に突き刺さる)
荒俣宏・安井仁『木精狩り』(ヒルギ=「漂木」=「干る木」)
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』(海辺のヒルギ、染物に使う)
沖縄県東村・慶佐次のヒルギ
沖縄県東村のサガリバナ(下がり花)
那覇のサガリバナ(下がり花)(那覇でも街路樹になっている)

●三番瀬
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い

●東京湾の他の干潟
盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
江戸川放水路の泥干潟 (千葉県市川市)
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)

●その他
加藤真『日本の渚』(良書!)
『海辺の環境学』 海辺の人為(人の手を加えることについて)
下村兼史『或日の干潟』(有明海や三番瀬の映像)
『有明海の干潟漁』(有明海の驚異的な漁法)
理系的にすっきり 本川達雄『サンゴとサンゴ礁のはなし』(良書!)


鳩間可奈子+吉田康子

2009-08-16 01:56:22 | 沖縄

知名定男のライヴハウスがコザから那覇に移転されて「島唄」となった。毎週1回、鳩間可奈子吉田康子が唄っているというので聴きに出かけた。

ハコの中は、民謡酒場ではなく、妙に広いコンサート会場。客はさほど多くなかった。六本木の島唄楽園で鳩間ファミリーの公演があるときには、即座に予約で満員になるのに。

2人とも、直に聴くのは、2007年3月にうるま市記念芸術劇場で行われた「知名定男芸能生活50周年記念公演・うたまーい」以来だ。鳩間可奈子の声の音圧は相変わらず物凄い。こればかりはCDでは充分にわからない。吉田康子の余裕と色気も変わらない。


吉田康子 Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、TRI-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号


鳩間可奈子 Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、TRI-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号


吉田康子 Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、TRI-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号


鳩間可奈子 Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、TRI-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号

●参照
鳩間可奈子の新譜『太陽ぬ子 てぃだぬふぁー』
知名定男芸能生活50周年のコンサート


上海、77mm

2009-08-15 08:48:26 | 中国・台湾

先月所用で立ち寄った上海での収穫は、蔡玉龍(ツァイ・ユーロン)という書家の存在を知ったことだった。知的で温和な人だった。

いままで上海では時間の余裕がなく、散歩さえろくにできなかったが、今回は短いながら時間を見つけて歩くことができた。朝食がてらぶらぶら歩くと、太極拳、ストレッチ、バドミントンなど身体を動かしていて、そうでなくても通り沿いに座って四方山話をしていたりする様子が嬉しい。少なくとも、東京の朝のような孤独感とはまったく異なる社会だ。南京通のような、大都市・上海の中心の繁華街であっても、である。

ペンタックスの77mmF1.8は昔からとても好きなレンズで、中望遠ではあってもスナップ的に使える。小さなペンタックスMXに付けるとアンバランスな姿で楽しい。


蔡玉龍さん PENTAX MX、77mmF1.8 Limited、Tri-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号


莫干山路 PENTAX MX、77mmF1.8 Limited、Tri-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号


南京路近く PENTAX MX、77mmF1.8 Limited、Tri-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号


南京路近く PENTAX MX、77mmF1.8 Limited、Tri-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号


太極拳 PENTAX MX、77mmF1.8 Limited、Tri-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号


太極拳 PENTAX MX、77mmF1.8 Limited、Tri-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号

●参照
上海の莫干山路・M50(下) 蔡玉龍の「狂草」
上海の麺と小籠包(とリニア)

●中国の古いまち
北京の散歩(1)
北京の散歩(2)
北京の散歩(3) 春雨胡同から外交部街へ
牛街の散歩
上海の夜と朝
盧溝橋
平遥
寧波の湖畔の村