石川文洋氏はベトナム戦争の従軍カメラマンとして有名であり、その後も、ベトナムの様子を取材し続けている。『ベトナム 戦争と平和』(岩波新書、2005年)は、それによる豊富な写真とともに、いかに米国がベトナムにおいて無差別虐殺を行ってきたかを示すものだ。勿論その罪は、米国だけでなく、米国に追従してサイゴン政府を支援し、沖縄を米国の軍事行動のために提供した日本も負っている。
1883年、フランスがベトナム全土を植民地支配。
1945年、日本軍がフランス軍を武装解除、ベトナム帝国を樹立。
同年、ベトナム帝国は日本の敗戦によりすぐに崩壊。
同年、ホー・チ・ミンがベトナム民主共和国樹立の独立宣言。
1946年、フランスが再介入、戦闘開始。
1954年、北部ディエンビエンフーにおいてフランス軍敗退。
1955年、米国がベトナム共和国(南ベトナム、サイゴン政府)樹立。
1964年、米国による北ベトナム爆撃(トンキン湾事件)。
1965年、米国による北爆開始。
1969年、米国の撤退開始。
1975年、南ベトナム降伏、ベトナム戦争終結。
1979年、中越戦争。
1991年、中国とベトナムが関係正常化。
1995年、米国とベトナムが国交正常化。
冷戦構造にあって、フランスに代わる米国の介入は、戦争の泥沼化を引き起こし、数多くのベトナム住民を虐殺した。ジャングルにおいて、ベトコンと区別がつかないため、とにかく攻撃したのだった。
この過程で、米軍は枯葉剤を使用し、そのために、ベトナムでは今にいたるも多くの障害児・奇形児が生れている。そして、手こずるジャングルでの戦闘訓練のため、沖縄北部・やんばるの森に北部訓練場をつくりだし、今も返還されずに残されている。また、沖縄でも枯葉剤を使用していたことが判っており、その被害も次第に明らかになってきている。まさに、ベトナム戦争は現在につながっているのである。
本書に収録された写真群には、慄然とさせられる。相手側兵士の肝臓を生で食べるために腹がえぐられた死体(戦死しないという迷信)。見せしめのために放置された死体。米軍に怯える農民たち。武器など持っていないにも関わらず、不審な動きをしたために米軍に撃たれた住民。家族の死体を前に呆然とし、泣き崩れる住民。枯葉剤の影響で、腕や脚や眼球がない子どもたち。
それでも米国は敗れ、なお世界の各地で同じことを繰り返している。ベトナム戦争を歴史の記載にとどめず、そのことを顕在化させ続けるためにも、このような本は広く読まれるべきだ。
●参照
○石川文洋の徒歩日本縦断記2冊
○金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
○石川文一の運玉義留(ウンタマギルウ)
○『米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?』
○枯葉剤の現在 『花はどこへ行った』
○東村高江のことを考えていよう(2007年7月、枯葉剤報道)
○ハノイの文廟と美術館
○ハノイの街
○『ヴェトナム新時代』、ゾルキー2C
○中国プロパガンダ映画(6) 謝晋『高山下的花環』(中越戦争)