Sightsong

自縄自縛日記

怪獣は反体制のシンボルだった

2007-06-30 22:24:52 | 思想・文学
実相寺昭雄『ウルトラマン誕生』(ちくま文庫)を読み、ついでに、録っておいた『怪獣のあけぼの』という全12話のドキュメンタリー(実相寺昭雄監修)をまとめて観た。

私はウルトラマン世代・・・といっても期間が長いが、生まれる前の『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』も再放送で繰り返し観ているから、そう言ってもいいだろう。ウルトラマンのことしか考えていなかったこともあったから、だいぶ怪獣の名前を忘れた今でも刷り込まれたものがある。覚える機会が限られた『ゴジラ』や『ガメラ』のシリーズよりも、どうしても心の奥底に占める領域が広い。これはある程度同世代の田舎の子どもに共通しているに違いない。(根拠はないが。)

昨年、そのような私たちの心を衝く展覧会、『ウルトラマン伝説展』(岡本太郎美術館)と、『不滅のヒーロー・ウルトラマン展』(世田谷文学館)があった。こうなると、もう気持ちを掻き立てられてしかたがないのだ。

ガヴァドン、ガマクジラ、ジャミラ、テレスドン、シーボーズ、スカイドンを『ウルトラマン』に送り出し、さらに後の特撮シリーズやATGの映画などを手がけた実相寺昭雄による『ウルトラマン誕生』は、ウルトラマン誕生と活躍の背後にあった逸話や苦労話を集めたものである。そんなわけだから、全部面白い―――

○ジャミラの眼の光が消えるところ、人間味が発露する効果があったが、これはアクシデントだった。
○リアルな水の動きを撮るために、最低でも秒間96コマを使っていた。
○『セブン』の『第四惑星の悪夢』は、ゴダールの『アルファヴィル』のまねだった。
○『怪奇大作戦』の『呪いの壺』に寺が炎上するシーンがあるが、これは10分の1という大きな模型を使った。そのためクレームが続出し、熱のためカメラが壊れた。
○佐々木守(脚本)がスカイドンなどの命名を単純にした(空からドン)。しかし金城哲夫は実現しなかったものの何倍も怪獣の名前を持ち合わせていたはずだ。
○『ウルトラマン』のときは、35ミリをメインのミッチェルとサブのカメフレックス、16ミリをアクション用のアリフレックス2台。(豪華!)
○『ウルトラQ』、『セブン』、『怪奇大作戦』のオープニング画面の作り方

など、キリがない。少しでも少年時代に熱中した人なら、あっという間に読んでしまうと思う。

この本で繰り返し強調されているのは、溢れんばかりのロマンチシズム、それから人間くさい感情の怪獣への投影である。

いろんな人たちが怪獣に夢を見た。
 怪獣という邪魔者に、自分のさびしさを重ね合わせようとしたスタッフも多かった。
 ステージにうき立つ塵の中で、血を通わせようと眠らない夜もあった。
 そんな夜、ひと息つこうとステージから抜け出して、見上げた夜空の星は、近く、大きかった。
 深呼吸をすると、体がいまにも浮いて、夜空へ吸いこまれそうだった。
 ぼくたちは『ウルトラマン』をつくっていたのだが、ひょっとすると、もっと怪獣のほうを愛していたのじゃなかったか。
 ウルトラマンはヒーローとして、たしかにすばらしい力をぼくたちにあたえてくれたが、つくり手のぼくたちが愛おしく思っていたのは、怪獣たちじゃなかったろうか。
」(実相寺昭雄)

怪獣というのは不恰好で、不器用で、大きな図体をもてあまして、結局最後には人間の社会から葬り去られてしまう。時代遅れで、いつも突然に、異次元の過去が現在に登場するイメエジなんです。その意味では、SF的未来から来る宇宙人とはだいぶちがう。怪獣には、原始怪獣が絶滅したように、時代についていけないもの、時代からとりのこされたもののやさしさや、見果てぬ夢があるんじゃないでしょうか。だから、ぼくは、生理的におぞましく、いやらしいかたちをつくることはできませんでした」(ウルトラマンや初期の怪獣デザインを手がけた成田亨の言葉)

特撮も人間くさかった。この本にも、「日本の特撮は伝統芸能」との言葉がある。
そして、『怪獣のあけぼの』でも、飯島敏宏(実相寺昭雄と同様に、ウルトラマン作品を何本も監督)も、人間らしく気持ちの入った特撮の素晴らしさを語っている。

『怪獣のあけぼの』は、成田亨や池谷仙克などの怪獣デザインを、ぬいぐるみという形に造りあげた高山良策を、追ったドキュメンタリーである。ここでも当時のスタッフや協力会社やオタクが登場してあまりにも色々なことを話すので、非常に楽しい。だから、個々の面白い点を挙げていくとキリがないのでやめておく。

ただ、とても納得させられたことは、高山良策の反体制精神、反骨心が、怪獣という形になって現れていたことだ。

高山良策は、日本のシュルレアリスムの第一人者・福沢一郎に師事し、同様に薫陶を受けた山下菊二と親交を結んだ。そして、池袋モンパルナスの仲間と行動を共にした。(モンパルナスはパリのそれと同様に、池袋という低湿地に形成され、下からの、民衆の力として意識された。)

あらためて言えば、シュルレアリスムは自由な発想を命題とするものであるから、おのずと体制とは相容れない。福沢一郎はそのため、「超現実主義に共産主義とのつながりを嗅ぎ取る官憲に過去の作品を理由にして拘束され」(1941年)、「みせしめとして国家権力の脅迫を受けた」。また山下菊二も、戦後民主主義における「社会的政治的弾圧」をテーマとし、小河内ダム建設、安保、三井三池、ヴェトナム戦争などの悉くに対し、絵による抗議を続けた画家だった。(『近代日本美術家列伝』神奈川県立近代美術館編、美術出版社)

そのような環境にあり思想を形成した高山良策は、やはり、怪獣に気持ちを込めていたのだった。その背後には、泥沼化するヴェトナム戦争に加担する為政者たちへの批判があった。

あらためて、『ウルトラマン』をはじめとする作品群には、多くの方々の熱意と、理想と、反骨精神が閉じ込められ溢れ出ていることが実感できるのだ。

高山良策の日記より
巨大な怪獣たちは、この地球そのもののなかにも、その地球に棲む人間どもの心のなかにも。私たちのまわりにはいっぱい悪い怪獣が巣食っているような気がした。
(略)
権力者たちというのは、一番御しがたい巨大な怪獣であるような気がしてならない。



実相寺昭雄『ウルトラマン誕生』(ちくま文庫)


『怪獣のあけぼの』(実相寺昭雄監修)より ペギラの眼には秘密があった!

やんばるの安全と自然と平和の強制破壊、HCB、読みニケーション

2007-06-29 00:14:31 | 写真
豊穣な生態系を持つやんばるの森の、沖縄県東村に、米軍のヘリパッド増設が強行されようとしている。

もちろん、近くに住んでいる方々は、グリーンベレーにも、夜間無灯火ヘリの訓練にも、すぐ墜落するヘリ・オスプレイ配備にも、脅かされることになる。環境アセスは形骸化し、事実上無視されている。

●『「癒しの島」から「冷やしの島」へ』より、「ヘリパッド来週着工

●『やんばる東村 高江の現状』より、「防衛施設局に行ってきました

この国を見よ、この人を見よ。


玉辻山からやんばるの森を見る、2005年 Minolta Autocord、コダックポートラ400VC

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アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真展『De qui s'agit-il?―――彼はいったい何者だ?』(国立近代美術館)を観た。
昨年、大阪の天保山にあるサントリー美術館で観て以来だ。

何度もみているような作品群だが、やはり実際のプリントに触れると嬉しい。
面白いのは、撮影後ほどなく(ほとんどはブレッソン自身によって)プリントされたヴィンテージプリントが、ネガの調子を最適に発揮しようとプリントされたものに比べて、雰囲気が随分異なることだ。これは同じネガからの作品を見比べてみると発見がいろいろあって愉しい。

・「はじめての有給休暇」では、水辺で遊ぶ人々に視線がシフトし、前景の草叢は暗めだ。
・スペインの、窓から顔を見せる警官の写真は、サイズが小さい。随分ピンボケだからかな。
・ロンドンの光景は、随分と靄っている。

自分の好みは、バリのダンサーが準備の時間に見せた表情、メキシコの光と影が交錯するけだるい坂、リヴァプールの廃屋の前を横切る子どもなど、光量の少ないところでのスナップだ。これらの所謂「決定的瞬間」が作られた歩留まりは、どれほどのものだっただろう。できれば、コンタクトプリントを見てみたいものだ。

うつむいたエルンスト、動くジャコメッティ、橋に立つサルトルなんかもとても魅力がある。

バルナックライカで撮られたと思しき時代の写真は、フィルムのパーフォレーションに露光されていたりするのも愛嬌。やっぱり黒いM型ライカを持ったブレッソンは格好いい。ルノワールの『ゲームの規則』に役者として出ていたことは初めて知った。

また時間に余裕を持って観たい。



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息子に買った『ルパン対ホームズ』(ルブラン原作、南洋一郎・文、ポプラ社)を、自分も読んだ。「読みニケーション」のつもりが、懐かしく、わりと面白いのだった。

表紙に書かれた原題に「Herlock Sholmes」(エルロック・ショルメ)とある。シャーロック・ホームズではない。
調べてみると、一度ドイルからクレームがつき、ルブランがアナグラムでパロったものらしい。これが「ホームズ」として訳されているところ、おおらかというか著作権に鈍感というか。(もう百年前の作品だが。)

このルパンとホームズは、闘いの前に、にこやかに乾杯しつつ、心のなかでは燃え上がっている。

レスラーやボクサーが、すさまじいたたかいの前に、握手するように、怪盗と名探偵は、かたく手をにぎって微笑しあった。
 ホームズとルパンは、古くからの親友のように談笑し、おたがいの健康のために乾杯しあい、今後の健闘をいのりあった。が、心のなかでは、負けるものかとすさまじい闘志をもやしていた。

『ルパン対ホームズ』(ルブラン原作、南洋一郎・文、ポプラ社)

このあたり、江戸川乱歩原作の映画『黒蜥蜴』(深作欣二)において、明智小五郎(木村功)と黒蜥蜴(丸山(美輪)明宏)とが闘いの途中にバーで相対し、「勝つのはこっちさ。」と心の声をハモらせるシーンなどが思い出されて笑えてくる。

確か乱歩の作品にも、ルパンやホームズが出てくるものがあったような記憶がある(もちろんポプラ社版)。『黄金仮面』では、明智とルパンが対決するらしい、覚えていないが。今度、探して再読してみよう。



『ひめゆり』 「人」という単位

2007-06-27 22:31:24 | 沖縄

ポレポレ東中野で、ドキュメンタリー映画『ひめゆり』(柴田昌平)を観た。

行こうと思えばもっと早く行けたのだが、今になった。受け止めきれないほどのメッセージが刺さり覆いかぶさってくるに違いないことを思い、少し怖いというか、気が重かったわけである。

そして、実際に受け止めきれなかった。それぞれの経験を吐露される方々と相対するような気になり、悲しくてやり切れず、終わったらすぐに映画館を後にした。情けないかな、大島渚『夏の妹』で、ひめゆりの塔の前でビールを片手に呆然とよろめく殿山泰司と同じである。

ただ、これを「カタルシスを得るための感動映画」に堕してしまわないためには、この重さを受け止めようとする個々のありようが問われるのだと思う。泣いてしまって恥ずかしかろうが、加害者の一味として(この国の国民であることはそれを意味する)気まずい思いをしようが、それぞれが、このメッセージを澱として気持ち悪く残しておかなければならない。その意味で、宮本亜門がチラシで謳っているように、皆に観てほしい。 ひめゆり学徒の生き残りのある方は、目の前で女友達が無惨に死んでしまうのを見る。婦長に告げたところ、「これが戦争なのだ」と言われ、もしそれが本当なら、何度も同じ体験をしなければならないのかと悟り嗚咽する。

どんな人間であっても、そのように心の一部がざっくりと抉りとられることに何度も耐えられるわけがない。 しかし、私たちは、これを自分のことに置き換えて想像する義務がある。もし肉親だったら?火炎放射器の向こうに自分がいたら(当然、米軍の記録フィルムは火を噴く側から撮られている)?忘れなければ苦しい記憶を刻み込まれたら?ましてや戦死が美化などされてしまったら?・・・ 確実にいま言えることは、この個々の「人」単位の声は、過去の記録にとどまらず将来の私たちにつながっているということだ。ひめゆり学徒の方々の証言に耳を傾けるとき、「一人」が、同時に「全て」を覆うことが痛いほど感じられる。日本が「戦争をする国」になってしまうとき、それに伴う私たちの戦死は、それが一人であっても「全て」なのだと思う。 このときに、政治家、権力者、為政者は、間違いなく「一人」側にはいない。現首相が、岸信介を例に挙げて「一人」側に立たない政治家のあり方を正当化し、また、現防衛大臣が、戦争による犠牲者を数で判断すると考えていることを思い出せば、これは杞憂ではないだろう。

「日本が「戦争をする国」になっていくとすれば、彼ら(注、為政者)は必ず、国民の犠牲、まずは兵士の犠牲にどこまで国民の意識が耐えられるかを考えるはずです。百人中の10人(注、現防衛大臣による犠牲者数のたとえ話)、つまり一割というのは恐るべき数字です。(略) はっきりしていることは、そのときに為政者は自分たちを必ず生き残る側、安全な側に置き、国民に犠牲を求めているということです。 沖縄戦は、全くそのようにして行われたわけです。 (略) 沖縄戦の記憶の改竄を許さず、沖縄を犠牲にして強化されてきた「日米軍事同盟」とは異なる道を見出さなければならないと思うのです。」 (高橋哲哉『浮かび上がる「靖国」の思想 教科書修正の背後にあるもの』、『世界』(岩波書店)2007/7所収)


デレク・ベイリーの『Standards』

2007-06-27 00:28:21 | アヴァンギャルド・ジャズ
稀代の即興演奏家、デレク・ベイリーが亡くなったのは、2005年のクリスマスだった。

破壊へのベクトルを持つ演奏家ではなく、とても論理的で構成主義的な面を感じさせる演奏家だったのだろうと思う。実際、即興演奏に臨む態度としては、練習やある素材を土台とした音楽的なヴォキャブラリーを確実に意識していた。

私の練習は以上のようなものだが、これらを総合して異端とみる即興演奏家もいるに違いないとおもう。演奏するごとに、そこに生じてきたあらゆるものと唐突な対面をするやり方を好む人もあるだろう。準備されて裃を着た音楽、慎重に備蓄された武器弾薬といった性格をもつものにいっさいうすめられていない、自己完結した唯一無二の経験をこそしたい、というわけである。私もこのような観点に憧れているが、私自身の経験からいうと、そのいきつく先は唯一無二の経験の連続ではなく、複製された経験の連続なのである。論理的な理想をいえば、このような即興演奏を一度して、あとはけっして演奏しないにこしたことはない。そのようなわけで、私はもうひとつの方法、つまり練習をするアプローチのほうを選んでいるともいえる。ソロ・インプロヴィゼーションでえられる夢中状態の連続というのは、私にとって練習に対する褒美のようなものなのだ。
デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション 即興演奏の彼方へ』(工作舎)

このことをはからずも認識させられたのが、2002年に発表されたデレク・ベイリーのソロギター作『Ballads』(TZADIK)だった。あのデレク・ベイリーが、スタンダード・ナンバーを、しかも曲をいとおしむように演奏しているということは、私にとってもかなり衝撃的だった。アンソニー・ブラクストン『In the Tradition』(Steeple Chase)を発表したときも同じようなセンセーションを持って迎えられたのだろうか。

このたび亡くなってから1年以上が経ち、突然発表されたソロ・ギター作が『Standards』(TZADIK)である。

聴いてみると、雰囲気が『Ballads』と随分違う。『Ballads』は、曲を短く、メロディ中心に、純度の高い形に仕立て上げたものだが、『Standards』は、1曲ずつが長い。そして主旋律は、曲の最後になって現れる。それまでのフリー・インプロヴィゼーションは、ベイリーならではの雅な、脳の色んな箇所のシナプスが活性化されるようなものだ。これはもう、昔の演奏であろうとこれであろうと、泣きたくなるほど嬉しい。

曲それぞれの最後に、宝物のようにではなく、淡々とスタンダード・ナンバーのメロディに移行すること。これは即興演奏におけるヴォキャブラリーに関して、一見その場限りの創造であるものと、素材・手癖とを、公平に見ていたことを示すものだろう。楽器は異なるが、エヴァン・パーカー(サックス)が、50分弱もある演奏の中で、何の衒いもなくコルトレーンの「ナイーマ」に移行したことも思い出す(Orselli-Parker-Salis『TRUE LIVE WALNUTS』)。

『Standards』の曲は、わかるように改名されて変なタイトルになっている。

「When Your Liver Has Gone」は、「When Your Lover Has Gone」。「恋去りしとき」ではなく「肝臓去りしとき」というわけだ(??)。「Frankly My Dear I Don't Give a Damn」は、映画『風とともに去りぬ』でのレット・バトラーの台詞(知らないね、勝手にすればいい)であり、「Gone With The Wind」が引用されている。また「Don't Talk A bout Me」は「About」ではなく、引用されているのは「Please Don't Talk About Me When I'm Gone」。「Nothing New」も「What's New」。これらは『Ballads』でも短く演奏されている。

この演奏にいたる経緯は、2001年のクリスマス(亡くなるちょうど4年前)に、ベイリー夫妻がイクエ・モリとジョン・ゾーンとをホテルの夕食に招待していたときにさかのぼるようだ。そのあとにベイリーが演奏した記録が、この出たばかりの『Standards』であり、実際には2002年になってジョン・ゾーンのもとに届けられた音源が『Ballads』となったわけである。ベイリー自身は、曲へのアプローチを再考してそうしたらしいが、死後、夫人の許可を得て『Ballads』の兄弟作が出たということになる。

とにかく堪らなく素晴らしい演奏である。
さっき聴いていたら、妻は「何だ、また、掻きむしりじじいを聴いているのか」と言いつつも、それらのスタンダード曲のCDをあさってくれた。ビリー・ホリデイとデレク・ベイリーを聴き比べることができるのは幸せだ。しかし、最後の来日の機会が体調不良で叶わず(新宿ピットインで、大友良英、吉沢元治と各日デュオを行う予定だった)、楽しみにしていた私も結局実際の演奏を目の当たりにすることができなかったのはとても残念に思うのだ。


デレク・ベイリーの『Ballads』と『Standards』(TZADIK)


デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』(工作舎)


エヴァン・パーカーが参加した『TRUE LIVE WALNUTS』(SPLASC(H))

ニライカナイからの大蒜

2007-06-24 23:06:00 | 食べ物飲み物
妻が、映画『ニライカナイからの手紙』(熊澤尚人)を観て、蒼井優とそのおじいが食べる大蒜漬けを作った。

ちょっとググって、『雨のち晴れ「安里家のニンニク漬け~♪」』を見つけたようだ。

漬けはじめてから2週間くらいでかじると、息子はぐわっと言って出した。妻は、作っただけで満足だと言明した。

1ヶ月が過ぎたので、食べることのできる唯一の者である私が食べた。
舌はもうあまり痺れないが、もの凄い匂いが鼻腔を直撃する。嫌いではないが強烈すぎる。

まだ早いのだろうか。
島大蒜でないと駄目なのだろうか。
明日の朝は元気になっているだろうか。
本当に蒼井優はこれを食べたのだろうか。

と書いてから、あらためてググってみると『島にんにくの地漬け』のレシピに、「6ヶ月から1年」とあった・・・。待てばきっと旨くなるんだな。


たくさんの瓶漬け、2週間もの、1ヶ月もの

以下、上記ブログ『雨のち晴れ「安里家のニンニク漬け~♪」』の転載

<準備>
(1)ニンニク 1kg(外皮はむいておく)
(2)氷砂糖 200g
(3)酢 50CC
(4)塩(粗塩)50g
(5)水 600CC
(6)漬物容器(梅酒用の容器等)

<作り方>
(1)ニンニク(大)は小さくばらして水に2時間位つける(内皮付)
(2)水の中でふやけて皮がむきやすくなるときれいにむき、根の部分を切り取る
(3)むいたニンニク1kgに対して塩50gを入れて全体にまぶす
(4)1~2日おいてニンニクの水を切る(しぼる)
(5)水600cc、氷砂糖200gを鍋で煮て十分に冷やす
(6)酢50ccを冷やした汁に入れ、よくかきまぜてからニンニクを漬ける


沖縄戦に関するNHKの2つの番組と首相発言

2007-06-23 23:44:19 | 沖縄
きょう6月23日は慰霊の日である。1945年6月23日に、沖縄戦の組織的戦闘が終わった。

NHKの『クローズアップ現代』枠で6月21日に放送された『“集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~』と、2年前の2005年6月25日に放送された『NHKスペシャル 沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~』の再放送を観た。

『クローズアップ現代 “集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~』では、先日6月9日の「6.9 沖縄戦の歴史歪曲を許さない沖縄県民大会」(→『「癒しの島」から「冷やしの島」へ』参照)での様子を皮切りに、金城重明氏をはじめ、さまざまな体験者の方々の声を紹介していた。

どのような形にしようとも、「集団自決」は、日本軍、さらには当時の日本政府に起因する世論と教育とによって引き起こされたことであること、がわかるような内容となっていた。そして、このたびの教科書検定(日本軍の「集団自決」への関与を削除)に対する大城将保氏 (「沖縄県史」編集委員) の怒りが印象的だった。

ただ、気になる点として、NHKのアナウンサーがすべてに「いわゆる集団自決」という表現を使っていた点がある。最初は、「集団自決」という言葉を実態を反映していないものとしてカッコつきで扱う(実態は日本軍による住民虐殺)という考えからかと思った。しかしむしろ、どのようなクレームがついても対応できるような、ただの「保留」であるように感じられた。

『NHKスペシャル 沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~』では、読谷村における「集団自決」の生き残りの方により、その様子が語られた。壕では、米軍が上陸したというので、すでに世論と教育を通じて「米軍に酷いことをして殺されるくらいなら自決すべき、そして自分の前に家族を死にゆかせるべき」とマインドコントロールされた方々が、布団に火をつける。煙の中で、この生き残りの方は、先に亡くなった方々を「羨ましく」思いつつ、他の方々につられて「外で死のう」とする。出たときには、後ろにいたはずの子どもがいなくなっていたという。そして、その心の傷を、これまで家族にも話さないできたという。

このような体験を語り始めてこられた方々の涙が出るほどの気持ちを前にして、マインドコントロールに疑いを持つ者、軍隊の「直接命令」があったかどうかに話を矮小化しようとする者、また国と軍隊に奪われた死を「殉国死」に美化しようとする者の、想像力の欠如については、強調してもしすぎることはないだろう。

そして、大宜味村の渡野喜屋(いまの白浜)では、疎開していた読谷村の住民を日本軍が虐殺する「渡野喜屋事件」があった(→JANJAN「渡野喜屋事件を知ってますか?」参照)。あの綺麗な塩屋湾、珍しい銭石がある塩屋湾(→過去の記事)でも、日本軍は、子どもたちをも手にかけたのだ。

多くの方の「記憶」と「証言」を前にして、慰霊の日に沖縄を訪れた首相の発言がいかに空虚で醜いものかと思う。

『琉球新報』 2007/6/23
教科書検定 撤回は困難と首相認識示す
「安倍晋三首相は23日午後、沖縄全戦没者追悼式出席後、記者団の質問に答え、沖縄戦の「集団自決」への軍関与を削除した文部科学省の教科書検定について「これは(文科省の)審議会が学術的観点から検討している」と述べ、検定の撤回は困難との認識をあらためて示唆した。
 首相は沖縄戦について「集団自決を含むいろんな悲惨な出来事があった」と言及。県議会や市町村議会で検定撤回を求める意見書可決の動きが広がっていることについては「悲惨な出来事が住民の心をも深く傷つけたとあらためて認識した」と述べるにとどめた。
 米軍再編については「地元の声に耳を傾け、抑止力維持と地元の負担軽減の観点から着実に進めなければいけない」との考えも重ねて示した。
 安倍首相は同日午前に来県し、国立沖縄戦没者墓苑で献花した後、追悼式に参列。あいさつで「沖縄の方々が塗炭の苦難を経験されたことを私は大きな悲しみとする。国際平和を誠実に希求し、不断の努力を行うことを誓う」と述べた。
 在日米軍再編の推進も強調。ことしが復帰35年に当たることにも言及し、沖縄の自立経済構築とに向けて取り組む姿勢を強調した。」


そのなかで私たちはどう考えるか。川田洋氏はかつて、沖縄への訪問者を「観光客」「権力者」「生活者」に分けて論考した。いまの私たちの多くは、おそらくは「観光客」である―――しかし、「想像力」ある観光客として、あるいは「想像力」ある本土の生活者として、他人事にとらえることはできない。

おそらく「観光客」としての規定性から完全にまぬがれえた沖縄訪問者がいるとすれば、この数年の間にかぞえられるのは防衛庁長官中曽根と、第三次琉球処分官山中だけだったのではあるまいか。
 権力者は、まさにその権力者として持つ意志の力によって「観光客」たることからまぬがれたのだ。だとすれば、「観光客」から脱出しようとするなら権力者の階級性とサシでわたりあうに足る階級性を身に帯びるか、さもなければ一人の<生活者>として沖縄の<生活>にのめりこんでゆくしかない。

川田洋『<国境>と女たちの夜明け』(「映画批評」1971年7月号)、仲里効『オキナワ、イメージの縁』(未来社)より引用



ポール・ブレイの新作ソロピアノ

2007-06-23 08:26:54 | アヴァンギャルド・ジャズ
ポール・ブレイがソロピアノ作『Solo in Mondsee』(ECM)を発表した。

正確なレビューは書けない・・・すぐに他のことを考えるか、寝てしまうからだ。退屈なわけではなく、その逆である。

もともと何かのスタイルを代表するような捉え方はされず、内省的とも耽美的とも言われてきたと思う。もうブレイは70代も半ば、その現在の姿は、「ブレイそのまま」なのだと思った。つまり、これがジャズシーンに与える影響や第三者からの評価を気にする位置を超えて、とにかく自らがピアノを弾いている姿―――あくまで勝手な印象だが。

10曲の曲想はそれぞれ違うような気もするが、気が付くとデジャブ感もある。和音には微妙に不協和音が混じり、「よくわからない美しいメロディ」が、よじれ、時間軸を無視して出てくると思うと過ぎ去っている。

これは、思索や睡眠への誘導と同じである。だから何度も聴くことになる。

これを変態的と呼ぶとすれば、故ジョン・ルイスが晩年の1999年、80歳近くで発表したソロピアノ『evolution』(Atlantic)を何となく思い出してしまった。これも「ジョン・ルイスそのまま」だった。

感想にも何にもなっていないが。





三番瀬にはいろいろな生き物がいる(2)

2007-06-20 22:15:01 | 環境・自然

沖縄県北部の東村では、米軍のヘリパッド増設が強行されようとしている。やんばるの自然や住民の方々の安全を脅かすものであり、環境アセスはまともになされていない。「戦争をする国」への一環でもある。本土の私たちの問題でもある。

その、東村高江の方がブログを開設している。『やんばる東村 高江の現状 ロハスな暮らしの上空に戦争のためのヘリが舞う

注視して、可能ならリンクを広めてほしいとのことだ。

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先月に続いて、三番瀬フォーラム主催の干潟散策会(2007/6/17)に参加した。息子と一緒に、また夢中になってしまう。

カメラは、PENTAX K2DMDに、M100mm/f4マクロ、さらに偏光フィルタを付けていった。フィルムはコダックの400UC、全部サービス判の同時プリントで済ませた。

船橋漁港から、船で、貝殻山へ行く。これは自然にできたものだそうだ。


干潟と違って水は澄んでいない


貝殻山にはあさり、シオフキ貝、牡蠣、マテ貝、ムラサキイガイなどの殻がある

1ヶ月前との違いは、ゴカイの卵塊がいっぱいできていたこと。1つの卵塊の中には、数万の受精卵が入っている。見渡す限り、モンブラン(ゴカイの糞)と卵だらけだ。


タマシキゴカイの糞と卵


スゴカイの巣とカンザシゴカイの巣

ミズクラゲもあちこちにいた。アカクラゲは見当たらなかった。


ミズクラゲ

フジツボは岩壁や漁業権の境を示す棒にぎっしり住んでいた。また、アカニシの卵(うみほおずき)もぎっしり。アカニシは内臓から古代貝紫の色素がとれるそうだが、卵も紫色だった。


フジツボ


屍体にむらがるアラムシロガイ、アカニシの卵(うみほおずき) ホヤもいっぱい見つかった。ちょっと私には食べられない生き物だ。


何かのホヤ、カタユウレイボヤ

ここの牡蠣も食べられるそうだ。他の牡蠣の貝殻がくっついていた。昼ごはんには、スタッフの方々があさり汁を作ってくれた。あさりは、今年、三番瀬ではほとんど見当たらなくて心配だということだ。それから、三番瀬で取れたホンビノスガイも振舞ってくれた。ホンビノスガイは、海の家あたりでは「白ハマグリ」として売られているそうで、それが目当てで潮干狩に来ている人も多いとのことだ。


牡蠣、昼ごはんのあさり汁(三番瀬)


とらえられたハゼ


仲里効『オキナワ、イメージの縁』、オイルの染み

2007-06-20 08:28:14 | 沖縄

仲里効『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』を読んだ。ここでは、「オキナワ」こそが、内部と外部との「はざま」において振動し、その構造がインペリアル/コロニアルな姿を描き出している。そして、クサビとなっているものは「復帰」である。

いくつもの映画やテキストが論考の種として提示されている。

竹中労によって「反乱」ではなく「安定」であると批判された大島渚『夏の妹』が、あえてそのような通俗的な構造を選び、ヤマトゥとの間で殺しも殺されもしない関係を描いたものであることが、この本で、あぶりだされる。そして、ヤマトゥ、オキナワそれぞれの立場に居直って見かけ上和解しているかのように見える登場人物たちが、実は白い喪服を着ていることも。それが、「観光」「メロドラマ」として顕現しているということになる。

『夏の妹』は、その奇妙さが気になって私も繰り返し観ている映画であり、「オキナワに殺されにきたヤマトゥ」である殿山泰司が、ひめゆりの塔の前でオリオンビールの缶を手に、暗黒舞踏のようによろめく、そしてそれをカメラが距離を置いて捉えるところを、大島渚が観客に対して打ち込んだ「違和感」というクサビだろうと、個人的には感じている。

それにしても、やはりこの本でとりあげている今村昌平『神々の深き欲望』の、「らしい映画」としての胡散臭さと、『夏の妹』の今に残るクサビとしての力との違いは何だろう。私が個人的に今村昌平について「大げさで、時代におもねった」ものと感じている気分は、解消されていない。

「撮られる島」から「自ら語る島」への転換を作品にし続けている高嶺剛については、そのありように仲里氏が感情移入し、他の大島渚や東陽一や今村昌平のようには距離を置いて眺めていないように感じられる。それもそのはずで、現在進行形の関係であり、仲里氏は高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』の脚本にも携わっている。

『つるヘンリー』には、「メカル監督」なる人物が登場する。明らかにジョナス・メカスへのオマージュであり、実は高嶺剛自身がメカスの『リトアニアへの旅の追憶』を観て、映画の「作品化」をはじめたことが、この本で明らかにされる。

実は私の持っている『つるヘンリー』のヴィデオも、メカス来日時のレセプション・パーティー(メカスのファンなので・・・)で高嶺さんを見かけ、つないで頂いて買ったものだ(無理言ってすみませんでした)。それだけに、高嶺剛のメカスへの思い入れを確認できたのは嬉しい。

他にも、「集団自決」や「観光」に関する論考が多くなされている。そのいくつかは強烈であり、知ったかで引用することもためらわれる。何度も行きつ戻りつして再確認することが求められる本だと思う。

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銀座ニコンサロンで、上本ひとし写真展『OIL 2006』を観た。

山口県下松のコンビナート近くにおいて、駐車場に血痕のように残された「油の染み」を記録したものである。

作品は大きな印画紙(イルフォード)にプリントされ、壁に直接ピン止めされている。このインスタレーション的なやり方が、下松の「地霊」を私たちに感じさせる上で効果的なものになっている。実は、この写真群は、去り行く重化学工業への上本さんの追悼でもあるようだ。

上本さんと少しお話をさせていただいた。同郷人とわかると、山口の言葉でいろいろと考えや方法を教えてくれた。6×7を中心に使い、これだけ大きいと1晩で完成できる作品は1点、2点なら徹夜になってしまうそうだ。

そのような、丹念で執念を持った仕事により、地霊を呼び出せているのだと思った。


沖縄「集団自決」問題(4) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第1回「教科書検定─沖縄からの異議申し立て」

2007-06-19 00:23:23 | 沖縄
大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」(沖縄戦首都圏の会)の連続講座第1回「教科書検定─沖縄からの異議申し立て」に参加してきた(2007/6/18、岩波セミナールーム)。参加者は40人くらい。

高嶋伸欣さん(琉球大学)が、教科書の検定を受けた経験、処分取り消しの裁判を起こした経験から、これまでの経緯と背景を解説された。

最初に、『沖縄戦の証言』というヴィデオの上映があった。戦時中の様子とともに、金城重明さんの「集団自決」体験、朝鮮半島から連れてこられた軍夫への酷い仕打ち、韓国の「ナヌムの家」(元、日本軍の慰安婦が共同生活をしている場所)などの様子が映し出された。ひめゆり学徒の方による「肉片になった友達の死体が記憶に残り、耐えられない。顔がいまだに消えない」との証言、白梅学徒の方による「日本の軍人が、壕の中で泣いている子どもの口にタオルを巻いて殺した」との証言を、私たちはどれだけ受け止められるか。そして火炎放射器を使う米軍の先にいた方々のことを、如何に想像できるか、という、受け手のあり方が問われているのだと感じた。戦争においては「お年寄りと子どもと障害者が死んでいる」ことも、「戦争はまだ終わっていない」ことも、これから繰り返し思い出すべきことだろう。

高嶋さんの指摘として、沖縄人、本土の人間の両方を刺すものがあった。

●1995年の米兵少女暴行事件の際、沖縄の集会において「沖縄県民よ頑張れ 東京から応援に来たぞ」というプラカードがあった。しかし、これはそもそも本土でこそ問題にすべきことではなかったのか。
●米海兵隊の演習を、沖縄から大分や北海道で分散して行った際(分散のための予算は私たちの税金)、「移転反対」との声があった。移転反対とされては、沖縄人は何も言えないだろう。その注意喚起をしたら、翌年から「米軍に帰れ」になった。
●一方、沖縄人はなかなか遠慮して発言しないことがある。大宅壮一は、沖縄における戦時中の皇民化教育の浸透ぶりを「動物的忠誠心」と表現した。
●沖縄タイムスには、復帰の日に、憲法の全文が掲載された。沖縄にとっては、憲法は決して「押し付け」ではなく、「無権利状態」から勝ち取ったものだった。
●また、沖縄タイムスは、国民投票法の全文を3頁を使って掲載した。一方、本土の新聞は朝日1頁、読売はごくわずかというひどい状況だった。
●こういったことは、単なる沖縄問題ではなく、現政権の政治思想をあらわすものだ。したがって、「沖縄がんばれ」ではなく、各地の主権者の問題としてとらえられるべきだ
●大田昌秀曰く(『醜い日本人』サイマル出版)、このような差別と不公平を黙認して気にもとめないのが、本土の知識人と一般人である

そのような、本土の私たち自身こそが持つべき問題意識を前提とした話だった。

また、これまでに教科書の記載を撤回させた事例が過去に2つあること、そして今週末まで、現首相が沖縄慰霊の日(6/23)に訪沖するのを前にした動きが注目点だとの指摘もあった。

さて、あとはこれを如何に私たち(多くの良心的、かつ、これらが判断材料に入っていない人たちを含む)が共有するかだ。


高嶋伸欣さん



コダクロームのマチエール、記録、「週刊金曜日」の沖縄特集

2007-06-17 20:41:41 | 写真
神保町のgallery福果(喫茶さぼうるの横)で、中村愼太郎の写真展『旅のマチエール』を観た。過去30年間に、35ミリと110のコダクロームを使って記録された旅のスナップである。

壁のプリントは35ミリだが、面白いことに、110はスライドマウントをライトボックスに並べ、各々がルーペで覗き込む仕掛けになっている。リバーサルを使う人が常に残念に思っているのが、透過光で見たはずの鮮やかさが、プリントした際にはくすんだような色合いになっていることだ(しかも、現在ではほとんどデジタルプリントになってしまった!)。110のリバーサルが富士フイルムの特殊用途製品として最近まで生き残っていた(いる?)のは知っているが、コダクロームもあったのだ。小さいサイズながら、覗いてみるとディテールが嘘のように顕れる。そしてコダクロームの独自な渋くかつ鮮やかで深い色合い、見事に小宇宙を作り出している・・・ライトボックスなのに。

確かに、私も以前使っていた8ミリフィルム(スーパー8)のコダクロームも、編集のため覗くと、それはもううっとりするものだった。こうしてみると、110はスーパー8より大きいことに気付く。

35ミリでは、秋田の鳥海山で薄暗がりの中に居るバス、鳥海山の尾根、そして大館の建物の中、といった写真が素晴らしかった。この表現力は、とてもデジタルの及ぶところではないと思う。

コダクロームの国内現像は今年いっぱい、そして35ミリフィルムはヤフオクか何かでないと入手できない(「コダクロームがなくなる」参照)。もちろん8ミリフィルムなどなくなっている。コダクロームは、ニッチ市場としても生き残れなかったわけだ。ネガ・リバーサルのデジタルプリント化、銀塩カメラの衰退などとともに、とても残念に思う。自分で全部やるのが一番と思い、白黒のプリントをなんちゃって暗室でやっているが、これとても薬品の入手がだんだん厳しくなっているのだ。とにかくどこかで下げ止まってほしい。

ところで、この写真家はどのような方だろう。とても気持ちのいい視線だった。




新宿ニコンサロンでは、飯田勇写真展『越境地帯』を観た。

中国と北朝鮮の国境付近、両国の様子を記録したものである。テレビなどでは「脱北者」の状況を報じていて、あまりにも非日常・異常な事態にのみ心を奪われる。この写真展も例外ではなく、北朝鮮から逃げてから貧しい生活をしている人々、売春をしている人などの記録がある。しかし、「真実」らしいセンセーショナルな記録は色眼鏡にもなりうるものだ

そのような色眼鏡を多少なりともずらしてくれるのは、平壌でのサラリーマンの通勤風景や、農村の川での洗濯風景である。時代や文化の違いこそあれ、これはわれわれの風景だ「異常な国」と大掴みでしか扱わないいまの状況が、突然いびつなものに感じられてくる

写真としては記録優先なんだろうね、としか見えない出来だが、それはそれ。上述の写真とは対極に位置する。





『週刊金曜日』(2007/6/15号)では、「沖縄復帰35年・ここまできた米軍と自衛隊の戦争体制」を特集している。

新崎盛暉氏(琉球大学)は指摘する。
○政府が辺野古にこだわるのは、軍事化政策推進の躓きとなるという判断からだろう(反基地の動きに弾みをつける)。
○教科書改悪(「集団自決」)および辺野古への自衛隊投入について、反対に向けた沖縄での社会的雰囲気は高まってきている。しかし、35年前に見られたような、本土との意識差は狭まっているのか?

これに関して、新藤健一氏による、辺野古は核兵器も含め戦略拠点として整備されていくとの指摘は恐ろしいものだ。



浦安魚市場(8) めばる、鯛のあら、枇杷

2007-06-16 21:11:49 | 関東

最近、鯨の竜田揚げを食べたくなっていたが、妻に「肉だし、揚げ物だし」と反対された。
それで、旬のめばるがあちこちに置いてあったので、「池茂水産」で3尾。
それから、「金又」で、鯛のあら。その場で鱗を取ってもらい、かぶとを真っ二つに切ってもらった。豪快さに見とれていたら、横にいた他のお兄さんも買っていった。
魚市場外のアーケードが撤去されて入りやすくなったので、「須賀青果」で千葉の枇杷をおやつ用に買った。

めばるは普通煮付けにするみたいだが、1尾だけ塩焼にしてみた。味はちょっと物足りないから、こってりと煮付けるのには意味があったということがわかった。

鯛は昆布、葱の青い処と一緒にスープを取った。残りは身をほぐして、砂糖、潮、酒、醤油ととにかく炒り続けて、でんぶにした。身をほぐすのと、骨や鱗をとるのと、炒るのとに根気がいるが、何回分ものスープとでんぶができた。これで500円は安いと思う。ご飯にのせると堪らないのだった。

枇杷も旬。セザンヌが生きていたら、ビニールも描くのかなと馬鹿なことが頭に浮かんだ。


めばる 煮てさ、焼いてさ、食ってさ


鯛のあら 金色のスープとふわふわのでんぶ 旨い、旨過ぎる


枇杷 手をべとべとにして食う


「新基地建設に襲われる海とシマ。人々は闘う」 ルポにおける写真の力

2007-06-16 01:01:21 | 沖縄
沖縄において基地問題などを写真に記録してこられた山本英夫さんのスライド上映会(2007/6/15)。
金曜日のせいか行きにくい場所のせいか、参加者は極めて少なかった。
しかし、改めて、ルポにおける写真の力というものを感じた。

山本さんは95年の米兵少女暴行事件以来、沖縄を頻繁に訪れている。そのため、本人の眼と記憶とが提示され、実態を「感じる」とともに問題に移入することに誘導できるのだと思う。

狭く言えば、ヴァーチャルな体験としてのイマージュであるから、2日目の6/16(土)に足を運ぶか、次の機会に山本さんに披露してもらうしかない。しかし敢えて印象に残った断片を挙げると

●本土の巨大資本のホテルや米軍が私物化しているビーチを見て、相当な違和感を覚えること。実際、米軍はともかく、リゾートホテルはインフラ整備にしても他の財にしても本土に落ちるかもしれないことは記憶しておくべきだろう。
●先般撤去された、読谷の「象のオリ」近くでは、爆弾の破片がいっぱい見つかり、実際に「重い」こと。
●嘉手納や普天間をちょっと上から俯瞰すると、生活圏の隣に軍隊が居ることの歪みが見えてしまうこと。われわれは、フェンスをもはや「風景」化している、と言ってよいのだろうか。
●米海軍の艦船を、やはり風景の中に置くと、その黒い鉄の塊が無視できない大きさになってくること。
●辺野古での基地誘致の看板(「村興し、街づくりのチャンスです」「子や孫に職場を誘致」など)により、写真の中にいる通りすがりの人々と一緒にだまされてみる。
●「オカネ」ほしさに基地側についた方々の姿。
●辺野古で人々の無事を祈願し太鼓を独り叩く女性の姿。
●リボンのついたキャンプシュワブの鉄条網と、その向こうの美しい朝焼け。
(ここで『ホテル・ハイビスカス』を思い出すとどうか。)

このような取材は、山本さん自身が書いているように、「自分は何者なのか」を常に突きつけられるものなのだろうと推察させられる。



オーネット・コールマンの最初期ライヴ

2007-06-15 00:51:54 | アヴァンギャルド・ジャズ
オーネット・コールマンがデビュー作『サムシング・エルス』を吹き込んだ1958年の秋、ポール・ブレイは、デイヴ・パイクをクビにして、オーネットとドン・チェリーを自分のグループに招き入れた。このCD『Complete Live at the Hillcrest Club』は、そのときの録音として世に出ていた2枚のレコード、『The Fabulous Paul Bley Quintet』と『Coleman Classics vol.1』をカップリングしたものだ(出たばかり)。初めて聴いた。

「私たちは、こんな話をした。
「なあ、おれたちはもう長いこと、このクラブでやってきたし、これからもおれたちがいたいだけ、ここにいられるはずだ。だがもしデイヴ・パイクをクビにして、ドンとオーネットを入れたら、一週間ともたないだろうよ。一晩でも持てば、運がいいほうさ。いったい、どうしたものかね?」
私たちは顔を見合わせると、声を合わせてこう叫んだ。
「デイヴ・パイクをクビにしよう!」」

(ポール・ブレイによる回顧、『オーネット・コールマン ジャズを変えた男』(ジョン・リトワイラー、ファラオ企画)より)

ブレイだけでなく、チャーリー・ヘイデンも、自分の仲間を見つけたと思い狂喜したばかりだったようだ。だから、この録音を聴くと、その意気込みが思い切り伝わってくる。もっとも、ブレイは音楽全体になじんでいないように聴こえるが、これはコードからの自由を目指したオーネットの音楽とピアノとの溝かもしれない。しかし、このような音楽をいま聴く上では、そんな暗い指摘はすべきでない。

ブルース色が濃いことは当然としても、チャーリー・パーカーの曲を演っているように、ビバップの尻尾が明らかなことには驚かされる。そして、その文脈でのオーネットのテクが素晴らしいことも、嬉しい発見である。

ただ、パーカーと明らかに異なる、「ただごとでない緊張感」は何だろう。コードを自在に扱うことからの逸脱(限界?)か、それともスラーの多用か。まあこれこそが天然のオーネットの音色だと言ってしまえばいいのかもしれない。

オーネットは昨年(2006年)来日し、ダブルベース2本(ピチカートとアルコ)、息子デナードのドラムスを引きつれ、まだ衰えていないところを見せつけた。確かにアルトサックスの音の張りは60年代ほどはないが(当たり前だ)、声=音色はオーネットそのものだった。その前、1998年の東京シティフィルハーモニック管弦楽団とのプロジェクト「アメリカの空」では、よろよろの好々爺に見えて心配していたのだが・・・みんな寝ていたし。さらに前の来日となると、1992年、汐留の「東京パーン」での「裸のランチ」だったが、このときはオーネットのことがよくわからなかったので行っていない。(歌舞伎町「ナルシス」のママによると、素晴らしい演奏だったそうだ。)

新旧の録音どれを聴いても、オーネットはオーネットなんだということを再確認させられて、とても嬉しい。

ジョン・ゾーン あなたは少年の頃からブルースを聴いていたんですか?
オーネット・コールマン 俺がブルースマンたちの間で大きくなったのか、と君が訊ねているのなら、俺はその質問をこう解釈するよ。「あなたは黒人たちの間で大きくなったのか」とね。だが基本的には、苦しみは必ずしもブルースの同義語ではない。

(「スパイVSスパイ」、ジョン・ゾーンとの対談、『ユリイカ』1998年11月号)

人種的にも音楽的にも差別を受け続けたオーネットだが、このように、ビジョンはその抑圧を超えて遥か宇宙的だったのだと思わせられる。のちに、オーネットはバックミンスター・フラーとも対比されるようになる(シャーリー・スコットによる映画『Made in America』にも、モントリオールのバイオスフィア内でオーネットが語るシーンが出てくる)。



『世界』 「沖縄戦」とは何だったのか

2007-06-14 00:19:32 | 沖縄
2007年7月号の『世界』(岩波書店)では、『「沖縄戦」とは何だったのか-「集団自決」問題を中心に』という特集を組んでいる。執筆者は、石原昌家、高橋哲哉、目取間俊、仲里効、新城郁夫の五氏。

●石原昌家 『書き換えられた沖縄戦 「靖国の視座」による沖縄戦の定説化に抗して』

先日行われた「沖縄戦首都圏の会」での講演内容(→報告)を確認する形となった。

近い将来、日本が戦争に巻き込まれるか加担するかの場面に備え、現政権は「軍民一体」を醸成しようとしていること、またそのために、過去の都合の悪い記録・記憶(為政者にとって)を消し去ろうとしていることが示されている。軍隊が国民を守らず、殺害したり死に追い込んだりさえすることが、われわれの共通認識になることが不都合だからである(為政者にとって)。

ここで石原氏が強調していることは、

○「集団自決」は、「戦闘員の煩累を絶つため崇高な犠牲的精神により自らの生命を絶つ者」(旧防衛庁資料、1968年)などではなく、「軍事的他殺」であり、「強制集団死」に他ならない
○「集団自決」は、日本軍が植えつけた米軍への究極の恐怖心に起因するものであり、日本軍の指導・誘導・説得・強制・命令などによって発生した

であり、現在の大江・岩波裁判にあるように「直接的な命令」があったかどうかを争点にしていることが戦略的であることがよくわかる。

結語として、石原氏は、今後「国内戦場を想定した「有事法制」下の日本は、「軍民一体」・「戦意高揚」を促すさまざまな法律を準備していく」であろうことを警告している。唯一の地上戦が行われた沖縄、それが今後の国内戦想定のもと消され、改竄されていくということだ。

先日の講演では、この石原氏の原稿において字数の関係からカットした部分を、石原氏自ら配布している。そこでは、特に、福田政権以降、「強盗戸締り論」や「ソ連脅威論」を煽ることによって、「国防予算」の増大を図る世論形成が行われたことが示されている。これは、まさに、現在の「北朝鮮脅威論」「中国脅威論」などと同じだ。

●高橋哲哉 『浮かび上がる「靖国」の思想 教科書修正の背後にあるもの』

今号で最もハッとさせられる指摘があった。

○歴史観に関する限り、日本の極右勢力が政権をジャックしてしまったのが実態
○憲法と教育基本法(首相のいう「戦後レジーム」)が、軍と靖国と愛国心教育の復活をぎりぎりのところで阻んできていた
○憲法改定は、日本軍の復活に他ならない
○仮に戦死者が出たときに、その死を、美しいものとして顕彰し讃えることによって、「戦争をする国」を成り立たせる
○これはそのままの「戦前回帰」ではなく(昔のような姿の復活はいくらなんでも難しい)、新たなグローバルな戦争を行いやすくするための動きと見るべき
○つまり、現政権は、国のために命をなげうつことを国民に向かって要求しているのだということをはっきりと知る必要がある
○為政者は犠牲者側には決してならない(現首相が、祖父である岸信介について、それを正当化して評価している)

●目取真俊 『ある教科書検定の背景 沖縄における自衛隊強化と戦争の記憶』

米軍基地問題と軌を一にして自衛隊強化が行われていること、また、その自衛隊は決してわれわれ国民を守るものではないことが、示されている。目取真氏の下地になっているもののひとつが、家族や住民から聞き取り続けた「記憶」であり、これこそを実態的な根拠となるものだろう。その意味で、教科書修正に象徴される、記憶を「なかったことにする」のは、逆に、記憶が再軍国化に向けてもっとも都合の悪いものだということを、如実に示しているのだということになる。

仲里氏、新城氏を含め、五氏に共通した主張は、教科書や政治における「沖縄戦」の扱いは将来の日本全体の軍国化に直結していること、それは架空の脅威などではなく着実に迫ってきていること、である。

前政権のパフォーマンス、それも郵政民営化など限られた政策(をネタにしたイメージ合戦)に勝った現与党が、いまだに、数にものを言わせて好き勝手をしているわけだ。では与党の中に「良心的政治家」はいないのか―――と考えても、おそらく政治のダイナミクスはもはやそれに期待できないものだろう。まさに数の暴力に対する歯止めとして、7月の参院選の結果に期待するべきなのだろうか。

この流れを押しとどめるどころか、沖縄を「癒しの島」としか捉えず、気付きもしない風潮が、明らかにある。いいじゃないですか、休みに沖縄に行ってリゾートホテルに泊まり、国際通りでおみやげを買うだけだし、政治のことや昔の戦争のことを知らなくたって―――これは、無邪気なのではなく、犯罪的でさえあることを知る義務が、われわれヤマトンチュにはあるのだろう。また、自分が過去の戦争に加担したわけでなくても、申し訳なさと、後ろめたさを感じ続けることが、将来われわれや子どもたちが新たな戦争に加担し、犠牲になることの抑止力のひとつにはなるだろう、間接的には。

目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年』(NHK出版)より

「ここで私達が考えなければいけないことは、沖縄の住民を虐殺した日本兵で、戦後、みずからの行為を悔い、謝罪し、虐殺にいたった経緯や理由を自己検証した日本人がいないということです。」

「沖縄大好きヤマトンチューは、自分が気に入った「沖縄」をつまみ食いするだけで、気に入らないところは無視してすませます。今の「沖縄ブーム」は、ヤマトンチューにとって都合の悪い沖縄の歴史や現実を見ないために利用されています。」

「沖縄戦の中で、人に語れない体験をした人達が数知れずいます。そして、死者は何も語り得ないし、絶対の沈黙のかなたに置かれています。せめて、彼らがどう生き、どのように死んでいったかを知ることで、彼らの語られなかった言葉を考え続けることが大切だと思います。」

「特攻を美化する言説というのは、沖縄での飛行兵達の無惨な死の有様を見ないことによって成り立っているのではないかと思います。」

「何よりも、沖縄に巨大な米軍基地があり、在沖米軍が東アジアだけでなく、中東にも展開していることによって、私達はアフガニスタン、イラクに対する米軍の侵略戦争といやがうえにも繋がりを持たされています。」

「そして「戦後六十年」が経った今も沖縄に軍事基地を集中させ、一部の地域を除いては日米安保体制の負担を感じることもなく生活している。その醜さを日本人は自覚すべきです。」