Sightsong

自縄自縛日記

高江・辺野古訪問記(1) 高江

2007-09-30 23:02:08 | 沖縄
沖縄県東村の高江で、住民の住環境も安全も無視し、環境アセス法もねじまげてまで、米軍のヘリパッド増設が強行されようとしている。このあたりは、米軍に提供している「ジャングル戦闘訓練センター」として、米兵がヴェトナム戦争などのジャングル戦を意識したサバイバル訓練や夜間活動の訓練などを行っているところだ。米軍の行っている戦争への協力という意味で、ことは地元の問題にとどまらない

沖縄で週末を使うことができる折角の機会に、高江と、後述する名護市の辺野古を訪ね、反対している方々と話したいと思った。これは、とりもなおさず、普段は見えない現実が顕わになっている裂け目を覗くことにほかならない。両方とも不便な場所にあって、これまで現場に居つつ情報を発信している24wackyさんに案内していただいた。

9月22日(土)の朝7時、県庁前で24wackyさんの自動車に拾ってもらう。今まで何度もお世話になった、東村の民宿「島ぞうり」さん、それから『ヘリパッドいらない』住民の会共同代表をつとめておられる伊佐真次さんの木工場、伊佐工房に挨拶して、高江の共同売店で弁当を買った。なお、24wackyさんによると、この共同売店に置いてあるジューシー(炊き込み御飯)は絶品だそうだ。残念ながら土、日ともに置いておらず、楽しみは次の機会になった。


伊佐工房の伊佐真次さん Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、GEKKOの2号

10時過ぎに高江の「N-4ゲート」に到着した。



「N-4地区」は、これまでに何台かの工事用車両が強引に入っているところだ。既に、継続して座り込みを続けておられる住民の方々が4人ほどテント内にいた。若い夫婦とお年寄りだ。ここで記帳を済ませた。


「N-4地区」のテントのお年寄り Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、GEKKOの2号


ヘリパッド反対の旗 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、GEKKOの2号

次に「N-1地区」に足を進める。ここは、那覇防衛施設局(現・沖縄防衛局)が、住民を前に居丈高な権力行使を試みたところだ(→参考:JANJAN「防衛施設局による哀しい作業強行 沖縄ヘリパッド問題」)。そのような場所であるためか、ずっと座り込みを続けておられる方々の横10メートルほどの道端に、沖縄防衛局に雇われた警備員が2名、座っていた。私たちが着いたことも、何か動くときの状況も、無線で連絡するのだろう。

ゲートの中には、重機が搬入されてあった。ここからヘリパッド増設予定地までの通路を整備するためだ。先日は、ゲート脇の隙間から砂利などを受け渡したそうだ。ただ、整備のための資材はまだまだ足りないはずだとのことだった。


「N-1地区」のゲート Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、GEKKOの2号


ゲート内の重機と通路 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、GEKKOの2号

ジャングル戦闘訓練センターのメインゲート前を再度通過し、手薄だと言われた「H地区」に向かった。到着するとほどなく、逃げた飼い犬を連れ戻してきた(笑)方と3人で、テントを設営した。しばらく地べたで話をした。


ジャングル戦闘訓練センターのメインゲート Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、GEKKOの2号


連れ戻された犬 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、GEKKOの2号

結局この「H地区」に夕方までいたのだが、亜熱帯林なので天気が変わりやすく、何度か突然雨が降った。目の前の道路に現れる自動車は30分に1回くらい、たぶんほとんどは電源開発の海水揚水発電所を見学に来ている。ただ、貯水池くらいしか見るものがない(発電施設は地下にある)ので、来たと思ったらすぐに戻っていく。私たちもヒマなので、発電所を見たり、散歩したり、サマーベッドで昼寝したり、雑談したりといった具合だ。那覇防衛施設局が沖縄防衛局に変わり、さらに政権交代後のごたごたした時期なので、ほとんど動きがないのだろうという話だった。


「H地区」ゲート前に設置したテント Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP


「H地区」ゲート Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP


ゲートの向こうに通路が続く Pentax LX、200mm★F2.8、Provia400X、DP


綺麗な樹木 Pentax LX、200mm★F2.8、Provia400X、DP


アカバナー Pentax LX、200mm★F2.8、Provia400X、DP


カモミール Pentax LX、200mm★F2.8、Provia400X、DP


チビカタマヤーガサ(尻を拭く葉っぱ) Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP


シダ Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP


高圧線 Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP

結局、日中は何もなかった。だが、そこに居て、見て、このように声をあげることが大事なのだ―――初めて座り込みに参加した者としては微力だが、敢えてそのように言う。

夕刻、テントをたたんで、「N-4地区」に戻った。話していると、貧乏旅行をしている大学生が自転車で通りがかった。伊佐さんが声をかけると、野宿の場所を探していたらしく、みんなの話し相手になった。

以前に差し入れのあった蕎麦、それから島バナナと泡盛が夕食。突然、ゲートから米軍の乗用車がどこかに出て行ったりもした(翌朝も戻ってこなかった)。少し、バラバラバラバラというヘリの音が聞こえたが、近くのヘリパッドではないようだった。


「N-4地区」の夕暮れ Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP


ジャングル戦闘訓練センター内の夕暮れ Pentax LX、200mm★F2.8、Provia400X、DP


「N-4地区」ゲートから外出する米軍の自動車 Pentax K2DMD、77mmF1.8、TMAX400(+2)、GEKKOの2号

すっかり暗くなった。ときどき現れるのは、凄い速度で走り抜けていく自動車とバイク。走り抜けることばかり考えている結果、多くのヤンバルクイナたちがひき殺されているわけだ。自動車やバイクだけでなく、蛍もあちこちを飛んでいた。それから、近くで働いているSさんが、カンカラ三線を持って現れ、「生活の柄」なんかを歌ってくれた。曇っていたので満点の星空とはいかなかったが、雲の切れ間からたくさんの星が見えた。

貧乏旅行君と、24wackyさんと、3人でテントの下で寝た。やっぱり、気分が高揚しているせいか、なかなか寝付けなかった。24wackyさんが調達してくれた寝袋に入っていても、顔に近づいてくる蚊に悩まされた。

翌朝目覚めると、既に近くで農業をしている方が来ていた。持ってきてくれたウンチェーバー(空心菜)を茹でてもらって、パンや島バナナとあわせて朝ご飯。貧乏旅行君は次の目的地、慶佐次(ヒルギ林のあるところ)を目指して旅立っていった・・・あとで追いついたり追い越したりすることになるのだが。程なく、東京や大阪で基地問題に興味を持っている大学生や社会人が何人も現れた。私たちは、10時ころ、高江を後にした。

あらためて実感したことは、住民が誰も望んでもいない「裂け目」のこちら側にいるのは、決して「反対派」や「活動家」などとして括られる存在ではなく、多くの良心ある人たちだということだ。問題意識ゆえ本土から駆けつける学生も、社会人もいる。もちろん自分たちの生活や安全を守りたいし、戦争に加担するのは嫌だと考える地元の方々もいる。

「知ることからはじまる」など当たり前のことだが、高江という理不尽な裂け目からは、米軍がテロとの戦いという美名のもとに行っているイラクやアフガニスタンでの無差別殺人への国をあげた協力、そしてその事実を曖昧にしながら多くの人の目に触れないところでは権力を剥き出しの形で使う姿、が見える。


食糧 Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP


ウンチューバーは100円で Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP


ゲート脇の看板の裏側 Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP


貧乏旅行君は本土に帰るお金をもう調達できただろうか Pentax LX、24mm★F2.0、Provia400X、DP


『写真工業』誌のM42レンズ特集

2007-09-27 23:59:47 | 写真
今月号(2007/10月号)の『写真工業』誌が、M42マウントレンズの特集を組んでいる。

持っている範囲でさかのぼってみると、今年の4月号、昨年の11月号、それから2003年の4月号でもM42特集。マンネリと受け止められなくもないが、廉価で個性的なレンズが多いことが一定のファンを引きつけているとも言える。これには、一時のロシアレンズブーム、それからコシナのベッサフレックス発売といった経緯も影響している。もちろん、ペンタックスSPなどのしっかりしたボディがあったこと、フランジバックが長めでレンズマウントが小さめだから色々なボディにアダプターを介してつけることができることも大きい。何しろ一眼レフ用だから、レンジファインダー用と違って少々アバウトでもいいし、絞りさえあれば怖いものはない。



今回の特集では、フォクトレンダーのカラースコパレックス35ミリやカール・ツァイスのゾナー85ミリの記事が面白かった。以前リチャード・クー氏が紹介していたディスタゴン25ミリ、確かヨセフ・クーデルカがかつて使ったフレクトゴン25ミリなども、いつか使ってみたいと思う。フレクトゴンは20ミリや35ミリが有名だが、25ミリはあまりない。5年くらい前に、ウェブで確かめて直接ロンドンの「ジェソップス」という中古カメラ店に直接出向いたのだが、売れた後だった。その悔しさもありいまだ興味津々だ。

『写真工業』誌4冊で採り上げられているレンズを表にしてみた(笑)。使ったことがあるのは、もちろんこの一部にすぎない。変な名前のレンズ名をみていると妄想が膨れてくるのは、私だけではないだろう。





もういちど観たい映画(2) 草の上の昼食

2007-09-26 08:01:32 | ヨーロッパ

画家ルノワールの息子ジャン・ルノワールが撮った小品、『草の上の昼食』(1959年)。もう10年以上前にテレビの深夜放送で観た。『大いなる幻影』、『ゲームの規則』、『ラ・マルセイエーズ』などの傑作もいいが、肩の力が抜けたこっちのほうをこそ、もういちど観たいと思っている。

人工授精の良さを唱える博士が、プロヴァンスで昼食会を開く。突然吹いた突風をきっかけに、たががはずれ、天真爛漫なエロチックな世界へと突入していく。ルノワールも撮っていて楽しかっただろうなと思える。

画家ルノワールの、同様に官能的な作品が引き合いに出されることがしばしばだが、その前の印象派の先達、マネによる『草上の昼食』(1863年)のスキャンダラスな衝撃のことも意識にあったに違いない。

もういちど観たい観たいと思って長いが、さっき調べていたら、来年(2008年)2月から「Bunkamura ザ・ミュージアム」で開催される『ルノワール+ルノワール展』(→リンク)、それから併催される『ジャン・ルノワール映画の世界』(ル・シネマ、フィルムセンター、東京日仏学院)で上映しそうな感じ。もういまから楽しみである。親父の画家ルノワールは、色彩が毛虫みたいで好きになれないのだが。


ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見

2007-09-24 22:22:25 | 沖縄
24wackyさんに案内していただき、この9月22日~23日に高江、その足で23日に辺野古に足を運んだ。市民としての意見を発信していくことへの意をさらに強くした。(報告はあらためて。)

==========

辺野古のアセス法違反のアセスについて、これまで整理した内容をもとに、意見書を作った。これはFAXで沖縄防衛局に送付する(→2007/9/26送付済、FAX番号098-866-3375)。

なお、国民としての声なので直接送ったが、グリーンピースなどでも取りまとめているようだ(その場合は取りまとめるために1日前の9/26までに送付→リンク)。



普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書に対する意見書
                              2007年9月26日
沖縄防衛局長 殿

                              住所
                              氏名 

『普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書』(那覇防衛施設局(旧)、2007年8月)に関して、次の通り意見を提出する。

1.方法書の位置付けが、環境影響評価法に則っていない

以下の通り、今回告知・縦覧された方法書は、環境影響評価法の定める過程に明らかに違反しており、正当な順序に則った環境影響評価を最初の段階から行うべきです。

○方法書は現地調査に関して作成されるものだが、方法書確定に先立って、現地調査の一部に形式上なりうる調査が、事前調査としてなされている。これは環境影響評価法の理念(公正さを確保するためのスコーピング手法の適用)に、原則から背いている。
○事前調査として想定されている調査のレベルは、「調査・予測・評価の計画立案のために必要な情報を得ることが目的であり、情報収集の手段としては、既存文献調査を中心に専門家等へのヒアリング、現地概略踏査を加えて、得られた情報を整理する」といったものであり(i)、現在まで実施されている事前調査はそれを大幅に踏み越えている。ましてや、反対する住民が居る中での強行、自衛隊掃海母艦の利用なども鑑みれば、とても方法書作成のための調査とは位置付けられない。
○サンゴの調査時期を逃すと事業自体が1年遅れてしまうことが挙げられているが(ii)、事業の実施そのものの妥当性も含めて環境影響評価を行うべきであり、事業を行うことを前提に環境影響評価の実施時期を逆算することは不適切である。
○方法書の検討を経ずに行われている事前調査が、現地調査の一部として位置付けられることはない、との前提で、方法書の妥当性が検討されるべきである。
○国防問題および外交問題は、環境問題に優先するものではない。

2.方法書の告知・縦覧が、国民の意見を取り入れるためには不十分

以下の通り、方法書の告知・縦覧方法が不十分な水準であったため、国民の意見を聴くための前提として成り立っていません。

○頁数が非常に多い「方法書」は、沖縄県内5箇所のみで縦覧され、閲覧者への配布・貸出・コピーは認められないものだったが、これでは国民は十分に方法書の妥当性を検討することができない。
○環境の公共性の観点から見て、沖縄県以外の国民に対する開示が事実上なされないことは不適切である。

3.事前調査の手法に問題がある

本意見書は方法書に関するものではありますが、事前調査が現地調査の一部をなす可能性を鑑み、事前調査として行った該当部分の調査方法が、方法書において想定されているものとして述べます。事前調査の結果、問題点があるとされた箇所については、方法書自体に誤りがあるということになります。すなわち、方法書も、もちろん事前調査も、調査方法の手法から不適切です。

○パッシブソナーは、タイなどジュゴンが群でいる(交信のために鳴く)場所に効果的で、沖縄のように数が少ないと鳴くことは少ないため、ジュゴンの存在証明に不向きであると指摘されている。
○パッシブソナーの設置(30箇所)、水中ビデオカメラの設置(14箇所)、調査機器全てへのライトブイ(夜間も点滅するブイ)の設置(112箇所)により、ジュゴンが調査海域を避け、周辺にある魚網に捕獲され、死亡してしまうことが危惧されると指摘されている。
○機材の足やワイヤーによって、生きたサンゴが損傷したことが発見されている。その損傷状況についての調査が遅延していることも不適切である。
○サンゴ調査機材の設置箇所数・設置密度に関して十分な説明がなされていない。

4.方法書に記載すべき内容が不十分

方法書は、以下に示すような重要な項目についての記述が不十分です。

○「2.2.4 対象事業に係る飛行場の使用を予定する航空機の種類」として、「米軍回転翼機及び短距離で離発着できる航空機」と記載されているが、環境影響評価法の省令(iii)において要求される記載水準と比較して不十分であり、具体性を欠く。
○滑走路の幅や、護岸工事の図示がない。護岸工事については、構造の方式を簡単に示し、「護岸構造の具体的な内容については、今後の詳細検討の結果等を踏まえ最終的に決定します。」と、未決定事項を記載していることは不適切である。
○環境影響評価の方法について、「既存調査事例などを参考にして、今後開発される調査手法も含めて現地調査を行います。」と記載してあるが、方法の妥当性を問うべき「方法書」において、将来の手法を候補に入れるということは不適切である。

                              以上

(i) 環境省「生物の多様性分野の環境影響評価技術検討会中間報告書 生物多様性分野の環境影響評価技術(I) スコーピングの進め方について」(平成11年6月)
(ii) 「第2回普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会」概要
(iii) 「飛行場及びその施設の設置又は変更の事業に係る環境影響評価の項目並びに当該項目に係る調査、予測及び評価を合理的に行うための手法を選定するための指針、環境の保全のための措置に関する指針等を定める省令」および「防衛省が行う飛行場及びその施設の設置又は変更の事業に係る環境影響評価の項目並びに当該項目に係る調査、予測及び評価を合理的に行うための手法を選定するための指針、環境の保全のための措置に関する指針等を定める省令」

もういちど観たい映画(1) ゴーヤーちゃんぷるー

2007-09-21 08:08:52 | 沖縄

すでに閉館した、沖縄県名護市の「名護シアター」で観た。東京では、1年遅れで、恵比寿の東京都写真美術館で短い間上映しただけだった。

いじめによって「引きこもり」になり、西表島を訪れる主役が多部未華子。そこで出会うユタが大城美佐子、探していた母が風吹ジュン鳩間可奈子も登場。主題歌が神谷千尋の「ティンジャーラ」

良くできた映画かと言われると微妙だが、見所は満載だった。テレビで放映するか、DVDで出すかしてほしいと思う。


『ゴーヤーちゃんぷるー』(松島哲也監督)のチラシ

主題歌がおさめられたCD、神谷千尋の『ティンジャーラ』(2004年)


ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見を出す前に(3) 「方法書」の問題点

2007-09-19 23:39:32 | 沖縄
今回の環境アセスの対象事業には「飛行場」が含まれている(もうひとつは「埋立て、干拓」)ので、「方法書」には、航空機の種類を具体的に記すことが定められている

環境影響評価法(以下、アセス法)では、「方法書」の作成にあたって、事業の種類ごとに主務省令で定める項目を記載しなければならない。飛行場については、『飛行場及びその施設の設置又は変更の事業に係る環境影響評価の項目並びに当該項目に係る調査、予測及び評価を合理的に行うための手法を選定するための指針、環境の保全のための措置に関する指針等を定める省令』、あるいは、『防衛省が行う飛行場及びその施設の設置又は変更の事業に係る環境影響評価の項目並びに当該項目に係る調査、予測及び評価を合理的に行うための手法を選定するための指針、環境の保全のための措置に関する指針等を定める省令』が、それに該当する。

以下、アセス法抜粋
 第二節 方法書の作成等
(方法書の作成)
第五条  事業者は、対象事業に係る環境影響評価を行う方法(調査、予測及び評価に係るものに限る。)について、第二条第二項第一号イからワまでに掲げる事業の種類ごとに主務省令で定めるところにより、次に掲げる事項を記載した環境影響評価方法書(以下「方法書」という。)を作成しなければならない。
一  事業者の氏名及び住所(法人にあってはその名称、代表者の氏名及び主たる事務所の所在地)
二  対象事業の目的及び内容
三  対象事業が実施されるべき区域(以下「対象事業実施区域」という。)及びその周囲の概況
四  対象事業に係る環境影響評価の項目並びに調査、予測及び評価の手法(当該手法が決定されていない場合にあっては、対象事業に係る環境影響評価の項目)


以下、省令抜粋(『防衛省が行う・・・』)
(方法書の作成)
第二条  令別表第一の四の項のイ、ロ又はハの第二欄若しくは第三欄に掲げる要件に該当する防衛省が行う対象事業(以下「対象飛行場設置等事業」という。)の実施を担当する防衛施設局長又は防衛施設支局長(以下「防衛施設局長等」という。)は、対象飛行場設置等事業に係る方法書に法第五条第一項第二号 に規定する対象事業の内容を記載するに当たっては、次に掲げる事項を記載しなければならない。
一  対象飛行場設置等事業の種類(設置の事業又は変更の事業の別及び変更の事業にあっては滑走路の新設を伴う事業又は滑走路の延長を伴う事業の別。第五条第一項第一号イにおいて同じ。)
二  対象飛行場設置等事業が実施されるべき区域(以下「対象飛行場設置等事業実施区域」という。)の位置
三  対象飛行場設置等事業の規模(設置の事業又は滑走路の新設を伴う変更の事業にあっては滑走路の長さ、滑走路の延長を伴う変更の事業にあっては延長前及び延長後の滑走路の長さ。第五条第一項第一号ハにおいて同じ。)
四  対象飛行場設置等事業に係る飛行場の使用を予定する航空機の種類
五  前各号に掲げるもののほか、対象飛行場設置等事業の内容に関する事項(既に決定されている内容に係るものに限る。)であって、その変更により環境影響が変化することとなるもの


一方、今回の「方法書」には、上の第四号に関しては、次のようなごく簡単な記載のみがなされている。

2.2.4 対象事業に係る飛行場の使用を予定する航空機の種類
米軍回転翼機及び短距離で離発着できる航空機


これが、省令で求められている「航空機の種類」を満たすかといえば、おそらく不十分だろう。この背景には、米軍が開発・配備をすすめているティルトローター機(垂直・短距離での離着陸のため、プロペラに似た回転翼・ローターを、機体に対して傾ける航空機)であるV-22(通称オスプレイ)を、辺野古にも配備する方向であることを明らかにしたくない意向があるようだ。というのは、V-22は試作・初期段階において事故を多発したからである。仮に実戦配備段階では事故が起きないような対策がなされているとしても、確率はゼロではありえない。そして、住民がおり、多様な生態系を誇る森に、万が一、これが墜落したらどうなるだろうか

さらには、滑走路の幅や、護岸工事の図示がない。「方法書」では、護岸について、構造の方式を簡単に示し、「護岸構造の具体的な内容については、今後の詳細検討の結果等を踏まえ最終的に決定します。」と、未決定事項を記載している。

次に環境影響評価について見る。

本来、本格的な「事前調査」は「方法書」確定の前にあってはならないが、政府は「事前調査」を「現況調査」の一部として組み込むことを検討しているようだ。(アセス法破壊も甚だしい。)

仮にその場合、「方法書」に記載してある調査方法に、「事前調査」でなされている方法が組み込まれているはずだ。

表1 ジュゴンについての調査手法

(「方法書」により作成)

こう見ると、「来遊状況」のみが、強行された「事前調査」によってカバーされていることがわかりそうだ。「生育状況」について、沖縄本島全域の航空調査などは形式上容易であろうし、「海藻藻場の利用状況」について、ずいぶんと広いエリア(天仁屋崎から金武湾を含み伊計島までの沿岸海域)の調査を「マンタ法」であれ「潜水調査」であれ実施を阻止することは、きっとこれまでよりも困難であろう。

となれば、「来遊状況」に関しても「方法書」で確定する調査方法に則って順番どおり調査すべきところを、「方法書」を示さず無理やり調査していることについて、認められないと主張すべきだろう。

留意すべきかと思われる点として、「既存調査事例などを参考にして、今後開発される調査手法も含めて現地調査を行います。」と記載していることが挙げられる。「方法書」において、将来の手法を候補に入れるということは不適切ではないだろうか。

【参考資料】
○『環境影響評価法(平成九年六月十三日法律第八十一号)』(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H09/H09HO081.html)
○『飛行場及びその施設の設置又は変更の事業に係る環境影響評価の項目並びに当該項目に係る調査、予測及び評価を合理的に行うための手法を選定するための指針、環境の保全のための措置に関する指針等を定める省令(平成十年六月十二日運輸省令第三十六号)』(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H10/H10F03901000036.html)
○『防衛省が行う飛行場及びその施設の設置又は変更の事業に係る環境影響評価の項目並びに当該項目に係る調査、予測及び評価を合理的に行うための手法を選定するための指針、環境の保全のための措置に関する指針等を定める省令(平成十年六月十二日総理府令第三十八号)』(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H10/H10F03101000038.html)
○『V-22(航空機)』(『ウィキペディア』、http://ja.wikipedia.org/wiki/V-22_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F))
○『普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書』(那覇防衛施設局(旧)、2007年8月)
○『辺野古における違法「環境現況調査」の即時中止と、環境影響調査「方法書」の即時撤回を求める声明』(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団・東恩納琢磨、2007/8/14)
○『アセス方法書学習会 目的も規模も違法』(真喜志好一、『沖縄タイムス』2007/8/27)
○『29日に辺野古アセス学習会 問題多い方法書縦覧』(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団・土田武信、『琉球新報』2007/8/27)


ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見を出す前に(2) 「事前調査」の問題点

2007-09-19 01:18:36 | 沖縄
事前調査」には、方法上の不適切さが指摘されている。勿論、アセス法の正当な順序に沿って「方法書」を作成し、縦覧のうえ多くの方からの意見を取り入れれば、回避できたはず、との謗りを免れないだろう。

ここでは、「方法書」ではなく既に強引に行われている「事前調査」について、専門家や生態系の実態に詳しい方による指摘を整理する。

「方法書」への意見には直接関係しないが、そもそも「方法書」があるべき調査であることを鑑みれば、意見に含めてもよいと思う。

表1 「事前調査」の方法について指摘されている問題点

(*1) 『命湧くジュゴンの海を守りたい』(浦島悦子、『週刊金曜日』2007/9/7所収)
(*2) 『「現況調査(事前調査)」関連資料』(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団・編集、海上ヘリ基地反対・平和と名護市政民主化を求める協議会・発行、2007年6月)
(*3) 『リーフチェッカー’さめ’の日記 あきれる○○の実態』(ブログhttp://shark.ti-da.net/e1628541.html、2007/6/28)
(*4) 『リーフチェッカー’さめ’の日記 現在の状況・・・さまざまな観点から【追記あり】』(ブログhttp://shark.ti-da.net/e1600167.html、2007/6/6)


【追記】 一坪反戦地主会関東ブロックのYさんからの情報。辺野古実行委員会(35団体で構成)が、山内徳信参議院議員とともに、環境省・防衛省への申入れをした。6月14日に実行委が申入れで要請した「サンゴ損傷をめぐる写真撮影などの調査」は、防衛省は「調査での写真はまだない」「事前調査が終わるまでに調査」との回答だったとのことである。

粉もん、『かもめ食堂』

2007-09-18 00:00:07 | 食べ物飲み物
大分県のかぼすを頂いたので、すりおろして練り合わせ、なんちゃって「くがにめん」(本家はシークワーサーの絞り滓を使った、大宜味村の「笑味の店」)になった。なお、作ったのは妻である。



そのあと、パンを作成。チョコチップでイヌガミスケキヨが幾つもできていく・・・なお、作ったのは息子である。



『かもめ食堂』(荻上直子、2006年)を観たら、シナモンロールを作って、旨そうに食っていた。ちょうどタイミングよく、『東京新聞』日曜版で、ロケに使われたフィンランドの食堂が出ていた。映画のあとで読もうと思っていたら、油断した隙に、赤ん坊にむしゃむしゃ食われてしまった(もちろん、出させたが・・・)。フィンランドの1人当たりコーヒー消費量は世界一だそうだ。


新聞の残がいと『かもめ食堂』のシナモンロール製作場面

余談のついでの余談。

週末、浦安魚市場の「えびの桑田」で鮪と青柳を、「丸善青果」で山形のだだちゃ豆、船橋の白茄子を調達した。鮪は少し残ったので、づけにしておいて焼き、「わしたショップ」で量り売りで買ったもずくと和えて食べた。白茄子は初めて食べたが、焼いても焼き茄子独特のにおいが無く、えごま味噌を付けるととても旨かった。



ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見を出す前に(1) 正当性

2007-09-17 08:58:23 | 沖縄

沖縄、辺野古に基地を建設する「ため」の環境アセスが実施されつつある。まずは、その「方法書」に関して、ひっそりと縦覧されている。私たちの意見は9月27日まで提出できるので、その前に問題点の整理をしたい。

環境影響評価法(以下、アセス法)では、事業の種類によって、規模が大きいものを「第一種事業」、それに準ずる大きさの手続きを行うか否かを個別に判断する「第二種事業」をそれぞれに定めている。「普天間飛行場代替施設建設事業」(以下、辺野古基地建設)については、対象事業のうち、「飛行場」と「埋立て、干拓」の双方ともに第一種に相当する。すなわち、法によるアセス実施が義務となっている

表1 アセス法の適用

(資料をもとに作成)

アセス実施は、以下のような順序でなされる。

図1 アセスフロー (資料をもとに作成)

1999年施行のアセス法では、それ以前の「閣議アセス」から、住民意見の提出機会の増加、スクリーニング(第一種・二種の適用判断)、スコーピング手法の導入(方法書を公開し公平性を確保)、生物多様性や住民の自然との触れ合いに及ぼす影響も調査内容に加えることなどが追加変更されている。 この、スコーピングが正当・公平になされるためには、方法書を正当に作成し、住民等の意見を十分に吸い上げて反映させることが必要となる。そして、正当な方法書を作成するために、影響要因の抽出および地域特性の把握が想定されている。地域特性の把握のためには、スコーピング段階では以下のように調査の位置づけがなされている。

図2 スコーピングの流れ (出典:環境省「生物の多様性分野の環境影響評価技術検討会中間報告書 生物多様性分野の環境影響評価技術(I) スコーピングの進め方について」(平成11年6月))

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環境省「生物の多様性分野の環境影響評価技術検討会中間報告書 生物多様性分野の環境影響評価技術(I) スコーピングの進め方について」(平成11年6月) 2 生物の多様性分野のスコーピングの考え方と実施手順 2-1 スコーピングの考え方 6)「地形・地質」「植物」「動物」「生態系」のスコーピングの留意点 (1)スコーピング段階における調査の留意点(略)調査・予測・評価の計画立案のために必要な情報を得ることが目的であり、情報収集の手段としては、既存文献調査を中心に専門家等へのヒアリング、現地概略踏査を加えて、得られた情報を整理することになる。

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(出典:環境省「生物の多様性分野の環境影響評価技術検討会中間報告書 生物多様性分野の環境影響評価技術(I) スコーピングの進め方について」(平成11年6月))

一方、沖縄防衛局(2007年9月1日の防衛施設庁と防衛省との統合に伴い、那覇防衛施設局から改称)は、「事前調査」と称して、「方法書」に基づかない調査を実施している。これはサンゴ類産卵の着床調査、ジュゴンの鳴き声の調査など非常に大掛かりなものであり、また、反対する住民が居る中での強行、自衛隊掃海母艦の利用なども鑑みれば、とても方法書作成のための調査とは位置づけられないものと言うことができる。

「事前調査」は、むしろ「方法書」確定の後に実施されるべき「現地調査」の一部として、順序を飛び越えて実施されたものとみることができる。これが、政府による強引なアセス法違反であることは明らかだ。 なぜアセス法に違反してまで「事前調査」を行うかの理由のひとつとして、サンゴの調査時期を逃すと事業自体が1年遅れてしまうことが挙げられている。

小池百合子防衛大臣(当時)との確執で話題になった守屋防衛事務次官(当時)は、昨年末(2006年12月25日)の「第2回普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会」において、以下のようなスケジュールを想定している。なお、協議会には、高市沖縄北方対策大臣(当時)、久間防衛庁長官(当時)、麻生外務大臣(当時)、若林環境大臣(当時)、塩崎官房長官(当時)、仲井眞沖縄県知事、島袋名護市長、宮城東村長らも出席している。

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●「方法書」に対する知事の意見: 2007年3月後半~5月中旬 ●「現地調査」特にサンゴ調査: 2007年6月(産卵)、9月(着床)、12月(成長) ※これが実施できないと「現地調査」の開始が2008年6月以降になってしまう

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(出典:「第2回普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会」概要より)

すなわち、昨年末時点では、「方法書」の公告・縦覧を2007年明け早々に実施する予定であったが、沖縄県との協議などが理由で遅れてしまったために、本来「現地調査」で行うべきサンゴの調査を「事前調査」として強行したということが理解される。

これが、本来のアセス法の目的から大きく逸脱し、事業の「ためにする」、本末転倒の調査であることは言うまでもないだろう。 さらに、桜井国俊氏(沖縄大学学長)は、米軍基地については、軍事機密があるために日本政府は事業内容を把握できず、アセスはそもそも成立しないとしている。

さて、「方法書」の公告・縦覧だが、沖縄県と名護市は「方法書」の受理を保留した。しかし、今度は「方法書」を送付されたため、受け取りを拒否できない状況になった。知事は縦覧終了後60日以内(~2007年11月中旬)に意見を出さなければならないが、仮に出さない場合には国から「不作為」を理由に訴えられることが考えられる(2007/8/7、沖縄タイムス)。実際には、これまでのスタンスからみても、強硬姿勢を貫く可能性は低いとみられる。

また、国民等に対する縦覧も、説明責任という面で不十分極まるもの(むしろ縦覧できないようにして時間が過ぎるのを待つ)だと言える。300頁以上の「方法書」は、沖縄県内5箇所のみで縦覧され、閲覧者への配布・貸出・コピーは認められないものとされた。「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」が情報公開制度に基づき開示請求したところ、開示は2週間後、コピー代約4,000円だったという(縦覧期間が1ヶ月なのに)。環境の公共性、住民安全を確保する国づくり、他国の戦争に加担しない国に住みたいとの希望、といった観点から見ても、本土の人間に対する開示が事実上なされないことは間違っている。なお、私は、「沖縄一坪反戦地主会関東ブロック」の方にご好意で分けていただいたばかりだ。

続けて、「方法書」の中身、「事前調査」の問題点、について、順次整理していこうと思う。


『日中戦争』、鬼海弘雄写真展『東京夢譚』

2007-09-16 21:27:40 | 中国・台湾

小林英夫『日中戦争』(講談社現代新書、2007年)がわりと話題になっているらしい。確かに新鮮な視点で面白かった一方、読んでから一週間余り、ちょっと割り切れない気持ちがあるのは確かだ。

著者の小林氏は、戦争の発想を「殲滅戦」と「消耗戦」とにわけ、その特質を見ている。それによると、日本の戦争の基本的な発想にある「殲滅戦」を支えるのが軍事・産業力のハードパワー、やるかやられるか、だ。第二次世界大戦では、日本は、米国に比べて「竹槍」に例えられるほどハードパワーが劣っていたと考えがちだが、ことアジア地域においては群を抜いていたとしている。一方、それに相対する中国の蒋介石は、「消耗戦」および外交・宣伝といったソフトパワーを、確かな戦略のもとに遂行していたとする。

確かにそうなのだろうと、近現代史を振り返ってみることのできる私たちには、まずは納得できる。しかし、これにより、蒋介石という人物を持ち上げすぎではないか、また、考え方の相違が現代の外交や企業経営にまで、国の違いとして現れているとすることは、少々単純に過ぎるのではないかと思える。

殲滅戦略的な発想しか持ちえなかった日本は、(略)まさに息の根が止まるまで果し合いを演じるよりほかに、戦争を終結させることができなかったのである。」とする点は、半分は理解できつつも、やはり戦争に対する考え方のみで事を片付けてしまっていいのかという気がする。もちろん、ここから色々な考えが派生する新鮮な問題提起ではある。

この本では、日本政府の傀儡政権ともいうべき南京政府の汪兆銘政権についても大きくとりあげている。そして、和平という理想を掲げ、蒋介石と袂をわかち、その結果日本政府に欺かれ利用された汪については、終焉に至る悲劇的な過程を淡々と説明しているにとどめている。おそらく汪は魅力的な人物だったのだろうと感じる。それを伝えるために、変な結論を読者に与えないのは、却って良いことなのだろうと思う。

例えば、桶谷秀昭『昭和精神史』(文春文庫、1992年)では、汪のことを「事の成否を商量するレアリズムをあまり信用しない」政治家であり、むしろ「事に殉ずる美しいパトスを窮極に重んじた」としている。要は、理想に燃えつつも政治家としてはダメ、結果的に日本の軍国政治に利用された人物ということだ。その前提のもと、桶谷氏は汪の和平論に基づく行動を賞賛し、そのうえで、「汪兆銘の南京政府が日本の傀儡政権というなら、重慶政府は米英両国の傀儡政権なのである。」「事の成否を分けたのは、1945年に日本が敗北し、米英が勝ったという一点に尽きるのである。しかし、思想の論理からすれば汪兆銘の和平論がまちがってをり、蒋介石の抗戦論が正しいといふ保証はどこにもない。」と、筆をすべらせている。この考え方に、特攻をはじめとする「美しい戦死」の思想、負けたから日本が責めを負うのだとする偏った相対化、を嗅いでも無理はないのではないか。

相対化をいうなら、「40年3月、汪兆銘は南京に政府をたて、国民政府の「遷都」を宣言した。しかし汪に同調したものはごく少なく、日本占領地の中央傀儡政権以外のなにものでもなかった。」(姫田光義ら『中国20世紀史』、東京大学出版会、1993年)のような「程度の話」を前提に考えるべきだろうか。

話がずれた。『日中戦争』の白眉は、終章の「『検閲月報』を読む」である。関東軍は、中国国内、戦地から内地、内地から戦地への郵便物を検閲し、その処分事由とともに保存していた。ソ連軍侵攻の際に、関東軍がそれを穴に埋めたが、1953年に吉林省で発見され、修復を経て2003年に公表された、というものだ。

当然、戦地の実情を伝えるもの、厭戦的な考えを書いたものなどが、そこに集められている。

「戦争くらい嫌なことはありません (略) 余り申せませんが第一線にいる兵隊、皆戦争が嫌いだ々々と云っております」
「内地はとても兄さんが想像していらっしゃる所じゃありません 何もかも新体制新体制で個人の自由というものは絶対に許されないのであります」
「来た当時は手や足の無い子供たちが停車場へ汽車の着く度に進上々々と云って食物を呉と云って来るのです 其れは皆日本の爆弾にやられたのだそうです」
「(略)首を切ったときの気持ちは実になんとも言えんな、然し断末魔の顔だけは忘れられん (略) 僕も殺人前科何犯か判らぬ、然し戦場では治外法権だからな」

こういった数々の言葉がすべて渡るべき人の手に渡っていたなら、どうだったのだろうか。歴史は多少なりとも変わったか。

これらは、検閲というフィルターで濾されることで、日本近代史の闇のなかに消えていった。これらの事実は国民的常識として定着することなく、海外の常識と大きく乖離したまま、現在に至っているのである。」 と、小林氏が指摘する点は、中国での戦争によらず、戦争の実相をかき消そうとする動きとして、今なお残っている。

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銀座ニコンサロンで、鬼海弘雄写真展『東京夢譚』を観た。

リアリズムなどと一言で言える域を踏み越えた、素晴らしいグレートーン。大森、佃、秋葉原、駒場、愛宕、どこでも写された街や建物に、懐かしさとも実在感とも言えるような気分の静かな昂りを感じる。

写真家がおられたので、グレートーンの秘密を聴き出そうとした。カメラはハッセルにプラナー、フィルムはTri-Xかプレスト、印画紙はオリエンタルとイルフォード(大きいもの)のバライタ。秘密に対する答えは、「味の素(笑)・・・いや、何も特別なことはしていない。リバーサルを撮るくらいの気持ちで露出を決めるくらいだ。」というものだった。

でも秘密にしか見えないのだった。


サインを頂いた


『季刊クラシックカメラ13 ツァイスレンズの神話にせまる』より


ポール・オースターの『ガラスの街』新訳

2007-09-15 22:46:08 | 北米

雑誌『Coyote』(No.21、スイッチ・パブリッシング)が、ポール・オースターの特集を組んでいる。目玉は『ガラスの街』(City of Glass)の柴田元幸による新訳である。

この、オースター初期の小説は、もともと別の翻訳者により、『シティ・オブ・グラス』(角川文庫)として出されている。カタカナ題名のダサさはともかく、他書の柴田訳の素晴らしさゆえ、ちょっと残念でもあった。(今回、面倒くさいし、訳を比較するような暗いことはしていない。)

実は、一旦は白水社のシリーズのひとつとして(駆け出し時代の)柴田氏が訳すことになっていたが、その後すぐに先をこされていたことがわかった、という裏話があったらしい。だから、今回の新訳は、訳しかけの原稿用紙を見直すことからはじまったということだ。

オースターの魅力は、明るくても暗くてもこっ恥ずかしいほどのおとぎ話にあると思う。それも、ニューヨークのような大都市という、手のつけようがない混沌に生息する人々を主人公にしている。この作品も、改めて読んでみて面白かった―――「おとぎ話」として形をまとめようとしていることが少し気に入らないが。

『ガラスの街』には、漫画版もある(『シティ・オブ・グラス』デビッド・マッズケリ、講談社)。光と影のコントラストを基調にした作画は、明るくて暗いオースターの作風とマッチしているようで、気にいっている。この作品は、既に映画化された作品(『偶然の音楽』、『スモーク』、『ブルー・イン・ザ・フェイス』、『ルル・オン・ザ・ブリッジ』)よりも、映画の文脈に乗りやすいような気がする―――受けないかもしれないが。

映画といえば、この雑誌で、『The Inner Life of Martin Forest』、それから『最後の物たちの国で』も映画化が進んでいることを知った。映画ばかりではなく、もうオースターは小説も『The Book of Illusions』、『Oracle Night』、『The Brooklyn Follies』、『Travels on the Scriptorium』と発表し続けているらしい。考えると、その前の作品『ティンブクトゥ』が発売されたことをパリのメトロの広告で知り、帰国の飛行機で読み始めたのが99年。そのくらい熱心なファンだったのに、何故かその後ほっといていた。7年も経てば色々発表しているのは当たり前だ。

わりに柴田訳は完成するまでに時間がかかるので、気が向いたら入手しようと思っている。オースターの英語は平易なので、途中でやめるリスクも低い。


おりひめ神社のスダジイ Pentax 77mm/f1.8 Limited

2007-09-15 12:46:55 | 関東

市川市、本八幡にあるショッピングセンター「ニッケコルトンプラザ」。ニッケって何だろうなと思っていたが、日本毛織の愛称だった。

その横に、「おりひめ神社」がある。日本毛織が合併した共立モスリンの工場敷地内に、昭和初期に建てられたものらしい。そのときに、伊勢神宮から、アマテラスを勧請している。織物工場の安全だからおりひめなのだろう。

森には、立派なスダジイ(イタジイ)があった。やんばるにあるのと同じ照葉樹であり、やはり鎮守の森にふさわしい気がする。


おりひめ神社のスダジイ Pentax MX、FA77mm/f1.8 Limited、コダクローム、ダイレクトプリント


おりひめ神社のスダジイ Pentax MX、FA77mm/f1.8 Limited、コダクローム、ダイレクトプリント


November Cotton Flower

2007-09-14 08:25:32 | もろもろ
自宅のヴェランダで、綿の花が咲いていた。私自身はヴェランダにそれがあることをよく知らなかった。

種の袋の説明によると、開花してから2ヶ月くらいで実が開くそうだ。これが「綿花」となる。

米国南部の綿花畑で働かされた黒人奴隷の歴史がある。それをテーマとした、叙情的なアルトサックスを吹くマリオン・ブラウンの作品も、2ヵ月後の11月をタイトルとしている。家の綿花は11月に咲くかな。


綿の花と綿の実


マリオン・ブラウン『November Cotton Flower』

1日経ってみると、花が赤くなっていた。




『インパクション』、『週刊金曜日』、チャベス

2007-09-12 23:30:48 | 中南米

安倍首相が辞任を表明した。

批判は腐るほどあるが、それは置いておいても、「テロとの戦い」を、「悪者をこらしめる聖戦」のように語り続け、また辞任を伝えるテレビニュースでも無批判に使っているのが激しく気になった。このミニ米国ぶり、しかも当の米国内でも、テロ対策に名を借りた武力行使に関して議論が多くなされているのに。

海外の報道では、靖国のこと、慰安婦に対する態度のことなどを報じている一方、こちらの報道では、安倍政権を振り返る映像において不祥事と参院選のことばかりを提示している。 決められたひとつの報道方針にのみ依拠する駄目ディアだ。

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沖縄県の高江における強権的・暴力的なヘリパッド建設問題について、24wackyさんが、『インパクション』(159号)に書いている。「日常生活で隠蔽された国家の暴力」が顕れているサイトが辺野古やこの高江であること、さらにこれは沖縄という地域問題にとどまらないことを指摘している。 同誌では、辺野古での行動と発信を続けている浦島悦子氏が、ご自分の気持ちの激しいゆらぎを書いている。一方、『週刊金曜日』(2007/9/7)では、辺野古で政府により強行されている「違法調査とでたらめアセス」について報告している。

ジュゴンやサンゴの保護、住民の生活と安全の確保、それから米国の戦争への加担をしないこと、こういった明白に必要なことを考えれば、強行する当事者たちはきっと悔いるはずだ。

注目すべき動きとしては、米国の「ジュゴン訴訟」が挙げられている。沖縄ジュゴン、沖縄住民、日米の環境保護団体が、米国防総省と国防長官を被告としてサンフランシスコ連邦地裁に提訴しているものだ。9/10から公判、半年以内に判決、そして勝利の目が十分にあるとのことだ。これも気に留めておきたい。

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さて、『インパクション』の本特集は「ラテンアメリカの地殻変動・その可能性と問題点」。ベネズエラやボリビアをはじめ、反米政権として主に報道される国々について、他の見方を提供している。

やはり最大の問題点のひとつは、米国に押し付けられてきた新自由主義経済(ネオリベラリズム)的な体制構築とそれによる格差拡大米国の傘の下への組み込み多様な価値観の抑圧、といったところだ。

これに対するベネズエラのチャベス政権を中心とする反応は、大きな政府の取り戻し、エネルギーという自国資源の活用、そしてラテンアメリカというバウンダリーでの政治・経済の地域主義だ。良し悪しを評価する前に、ラテンアメリカ内の国々でも状況が異なり、さらに日本とはあまりにも立つ位置が異なる。日本はエネルギーや資源を止められたら生きていけない状況に自ら追い込まれているし、視線は地域というより米国(これを「国際社会」とも称する)に向いている。

ただ、単なる「左傾」や「反米」ではないこと、自分たちの利益だけを考えたナショナリズムにはとどまらないこと、などについては認めておくべきだと思った。つまりは、私たちは対米追従やこれまでの路線継承だけでなく、ほかのオルタナティブをエネルギッシュに追求してもよいのではないか、ということだ。

それにしても、ベネズエラのチャベス大統領はきわめて魅力的な人物にみえる。『反米大統領チャベス・評伝と政治思想』(本間圭一、高文研、2006年)を読むと、その具体的な姿が見えるとともに、やはり、日本との大きな違いが明らかになってくる。

○祖国独立の父、シモン・ボリバルの名前を頻繁に使っているように、抑圧という負から湧いてくるエネルギーがある。
○軍隊の存在が、政治体制の確立において前提となっている。
○貧困レベルの引き上げが、政策の評価を左右する。
○エネルギーという最大の利益源を持っている。それによる利益は、エネルギー相場によって変動し、また政策の予算に直結している。
○メディアの動きが極端で、時として政治的な力を持つ。

この、メディアの役割については、『インパクション』では廣瀬純氏の論文でさらに明確にされている。メディアが実際に政党的な機能を担っており、私たちの考える中立性とはずれているということだ。(これも24wackyさんが整理している。)

ラテンアメリカというと、きわめて乏しい情報と偏った印象(とくにキューバのカストロ)が一般的であり、私たちの社会と前提があまりにも異なる。しかし、実際には自立の新たな機運を見せている現在こそ、注視していくべきなのだと思っている。


沖縄「集団自決」問題(7) 今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか

2007-09-11 23:48:23 | 沖縄

大嶺政敏「集団自決供養(ケラマ島)」がプリントされたポスター

9.11緊急集会 in 練馬 『今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか』<歴史教科書の「集団自決」検定修正をめぐって>」に参加してきた(2007/9/11、大泉勤労福祉会館)。なぜ練馬区かというと、主催の<沖縄戦教科書検定問題を考える9.11集会>実行委員会の方々が、練馬区議会において、文科省への教科書検定撤回の意見書提出決議を目指しておられるからだ。参加者はかなり多く、主催者発表では165名。

まず、新たにつくられたビデオ『命どぅ宝の島から―証言でつづる沖縄戦の真実―』の一部が上映された。これは和光小学校・和光鶴川小学校の沖縄学習旅行にあわせて製作されたもののようで、「集団自決」などの体験者が語る形となっている。渡嘉敷島で「集団自決」に直接関わった金城重明氏も、繰り返し、その状況を語っている。自らが軍のマインドコントロールにより、肉親に手をかけたという体験をひとに聴かせるということは、想像を超えるほどの精神的な負担と覚悟があったことだろうと思う。

次に、山口剛史氏(琉球大学准教授)の講演。

座間味島と渡嘉敷島において、「集団自決」の直接的な軍命があったかどうかという争点がいかに本質的でないものか、また教科書改悪は検定方法に起因する「自粛」が問題であること、などが示された。

●教科書検定に関して、昔は、何度も文科省とやりとりができ、妥協点を見いだせた。今は一発検定(検定を呑むか呑まないか)であるから、教科書会社は従わざるを得ないという権力関係が出来上がっている。
●隊長命令の有無が確定していないから、軍による住民虐殺ということが書けないという検定の論旨は、問題を矮小化している。
●歴史的な実相は、「軍がなければ住民は死ななかった」ということだ。これは通説や学説にとどまらない真実であり、体験談に基づく事実である。
●「集団自決」は、基本的には家族同士の醜い殺し合い(に、軍や皇民化教育のマインドコントロールによって追い込まれた)であり、本質は、自決でなく集団死であることが、研究者の共通認識となっている。ただ、沖縄では「集団自決」といえばそれを指すことが常識化しているので、あえてカッコ付で表現している。
●軍民一体化の「根こそぎ動員」において、飛行場、陣地作りなどの軍作業は、軍隊から直接命令がくだされる構造にはなっていなかった。命令の伝達において重要な役割を果たしたのが行政だった。従って、ここからも、大江・岩波沖縄戦裁判において軍の直接命令があったかどうかが争点にされていることが、そもそも問題の矮小化・すり替えであることがはっきりする。
●構造上、閉ざされた地域における隊長は天皇の命令を体現しているものであり、軍の支配体制のなかで住民の選択権などはなかった。それどころか、どこに何があるかすべて把握している住民は、信頼できない存在であり、敵に情報がもれる恐れがある場合には死ななければならないものだった。(特に渡嘉敷島、座間味島は特攻艇という秘密を抱えていた。)
●1982年の教科書検定時には、住民虐殺より集団自決のほうが犠牲者数が多いので先に書けとの検定意見だった。しかし、ここでいう集団自決は、住民虐殺と同根の軍による強制死ではなく、住民自ら死を選んだ美しい死、という誤った意味だった。
●今回の検定によってのみ「集団自決」の実態が消されているのかというと実はそうではない。既に、検定という権力関係ゆえ、教科書会社が「自粛」して、検定にかからないような記述しかしないようになってきている。このような教科書で、(実態を知っている沖縄の教師ならともかく)本土の教師が歴史的事実を教えることは難しい。
●現在の有事法制のもとでは、「軍は政治体制を守るためのものであって、住民を守るためのものではない」という事実は、きわめて都合が悪いものだ。
●しかし、「集団自決」が貴いものだ、ということなど、歴史的な真実からみて認められない。皇軍は天皇の名のもとに何をやってきたのか、それが汚辱にみちて不名誉なものであっても乗り越えなくてはならない。それこそが歴史学習だ。
●これは決して「自虐的」なものではないし、歴史を歪めてはならない。それゆえ、全国共通の課題であり、アジア全体に、日本が戦争についてどう考えているかを示すものでもある。
●教科書の「自粛」問題もあるから、検定が撤回されても問題は終わらない。なお「自粛」しようとする教科書会社もあるだろう。それに対しては、学校の側が使わないくらいの意思を示すことが必要かもしれない。

その次に、岡本厚氏(岩波書店「世界」編集長)による、裁判経過の報告があった。既に、証人尋問は2回を数えている。

●昨日(2007/9/10)に、沖縄での出張法廷(2回目の証人尋問)があった。沖縄のメディアは多くの報道をしたが、本土で大きくとりあげたのは「赤旗」のみだった。相変わらずの沖縄と本土との情報ギャップがある。
●住民は軍の足手まといにならないよう、自ら死を選んだのだ、美しい清らかな死だ、それを否定することは住民・軍隊の名誉を傷つけることになる、というのが原告の主張だ。具体的には、渡嘉敷島と座間味島で直接の隊長命令があったかどうか、が裁判で問われている。
●実際には、これは敢えて矮小化した論点で全体を否定しようとする戦略であり、軍隊が住民を盾にしたり、追い出したり、食料を奪ったり、スパイとして処刑したり、といった事実をひっくりかえそうとしている。方法としては、ナチスのユダヤ人虐殺を否定するのと同じだ。
●とは言っても、直接的な隊長命令はあったとする証言がいくつも出てきている
●仮に直接的な軍命を証明できないとしても、住民が盾になって本土進行を防ぐべきとするすり込み、手榴弾を渡すことにより何かの時には自決せよとの間接的な伝達、捕虜になったら「鬼畜米英」に酷いことをされるという恐怖のすり込み、など、大きな意味での軍命はあった
●また、住民側が、軍命があったと解して死んでいったことについては、既に原告も認めている。
●1回目の証人尋問では、原告側は、隊長の副官と部下が答えている。そのとき、2人は隊長の横にいなかったため、事実を知らないことがわかった。矛盾であり、証人にはなりえていない。また被告側の証人として、著作を訴訟に悪用された宮城晴美氏が、軍命があったこと、記述が誤っていたことを証言している。
●2回目の証人尋問では、金城重明氏が軍命はあったと証言している(金城氏の周囲にいた住民が聴いていた)。また、村長に伝令がきたあとに、天皇陛下万歳といって死んでいったことを目撃している。
●3回目では、いよいよ原告2人と被告の大江健三郎氏が証人となる。
12月に結審し、2008年3月には地裁で判決が出されるだろう。
●「集団自決」の歴史を消し去ろうとする動きが、体験者の怒りを呼び、新たに証言しようとする方々が出てきている。「従軍慰安婦」、「南京大虐殺」とセットで都合の悪い歴史をゆがめようとすることは、逆に、虎の尾を踏んでしまうことになったと言えるのではないか。


山口氏と岡本氏

最後に、今回のポスターにもプリントされた画家の故・大嶺政敏氏のご子息が、沖縄戦を題材にいくつも描かれた作品について述べられた。芸術性、メッセージ性に優れた作品群だと思い、作品集を購入した。


ご自分が描かれた「沖縄の子供」という作品