Sightsong

自縄自縛日記

ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』

2010-03-31 00:12:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

ワダダ・レオ・スミスの近作『Spiritual Dimensions』(Cuneiform Records、2009年)は、ゴールデン・カルテットオーガニックの2つのグループによる2枚組である。

ゴールデン・カルテットによる1枚目のメンバーを見て驚いた。フェローン・アクラフドン・モイエの2人が後ろでドラムスを叩いている。聴いてみると、スピーディで繊細なアクラフらしきパルスが飛び出てきて嬉しくなる。この2人が同じステージで叩くところを観たなら鼻血が出ることだろう。しかし叩きっぱなしではない。音風景は変わり続け、同じ曲の中でも突然それまでの流れが土中に姿を消し、別の渓流が現れる。時にはヴィージェイ・アイヤーのピアノが水晶のように煌く。その風景の中、スミスがすっと登場してはトランペットを吹き、消えたと思ったら遠くに移動していたりするような印象だ。このあたりの間合いが面白い。

2枚目のオーガニックというグループは奇抜だ。ギターが3本ないし4本(ブランドン・ロスもいる)、チェロ、そしてベース2本。ドラムスはここでもアクラフである。その名の通り、しなやかであったり強靭であったりする弦が有機的に絡み合い、スミスはその世界においてやはり再誕生と再消滅を繰り返す。

ロンドンの「Cafe OTO」で偶然手に取った『WIRE』誌の表紙が、ワダダ・レオ・スミスだった。ここでのスミスのトランペット評は、「マイルス・デイヴィスのように感情を露出しているわけでも、ビル・ディクソンのように抽象的でよそよそしいわけでもない」とし、「ロングノートの間を空け、空間を音と同様に重要なものとする」ものだとしている。音ではなく音と音との間の空間に対する意識。謎めいた僧のように音もなく移動し、個々の場を高音で切り裂く印象は、ここから来ているわけだ。スミスはこれを禅だとしている。

スミス自身によると、ゴールデン・カルテットのメンバーが誰であっても、エリントン楽団のようにサウンドは同じものであるというのだが、実際には、ドラムスが寸止めのようなジャック・デジョネットから変わっただけで印象が激変している。また、オーガニックは「すべての空間が満たされたグリッドであり、すべての楽器が競合せずに、グリッドを唯一の楽器であるかのように利用する」ようなものだと表現しているが、何のことかまったく想像できない(笑)。音楽家本人の言葉もスミス理論によれば音風景・・・それはないだろうね。

それはともかく、霧がかかった山中の広い湖のような音風景は、スミスの企図する空間への意識から生まれていることは間違いないように思った。

●参照
ワダダ・レオ・スミスのゴールデン・カルテットの映像
フェローン・アクラフ、Pentax 43mmF1.9
ドン・モイエ+アリ・ブラウン『live at the progressive arts center』、レスター・ボウイ

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屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』

2010-03-29 00:07:07 | 沖縄

屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』(沖縄タイムス社、2009年)。沖縄の書店では結構売れているらしいのだが、東京ではどこでも見当たらず、またamazonでも品切れのままだ。沖縄タイムスに直接注文するのも億劫で放っておいたら、先日の普天間シンポジウムで入手することができた。こんな良書が流通していないとは情けない話だ。政府広報番組・記事を作り続けるメディア、米国の恫喝をそのまま自らの言葉であるかのように流すメディア、変革の努力がうまく進まないことにそら見たことかと政権批判に執心するメディアの虫たちは、せめて本書を共同購入でもするがよい。

著者は沖縄タイムスの論説委員である。これまでの米国に対する取材の成果をもとに、基地を沖縄に置くことの必然性が全くないことを示している。仮に、中国・北朝鮮脅威論や、米軍のいう「不安定の弧」を考慮に入れても、だ。つまり、保守的な「現実主義者」たちが国防の観点からメディアで語る内容など、ひとつのモデルシナリオに過ぎないことがわかる。

たとえば、数字を用いて重要な指摘がなされている。沖縄の米軍の中心は海兵隊である(嘉手納は空軍)。現在18,000人が配属されているが、実際の戦闘部隊は10,000人に満たない。彼らがどこかに戦闘に向かう場合、佐世保に配備されている揚陸艦を使って移動する。しかしその輸送能力は2,000-3,000人に過ぎない。朝鮮半島有事があれば、カリフォルニア、ハワイ、沖縄の太平洋海兵隊(7万人)が総動員される。つまり沖縄に海兵隊を置く必要はないし、主力にもなりえないのだ、と。また、米軍内における空軍、陸軍、海軍、海兵隊の間の予算争い・主導権争いについても、多くの事実により説明される。

そうすると、結論として、沖縄は、米軍にとっては既得権益かつ再編予算のピースであり、日本にとっては本土に基地を置かないための存在であることが、改めてはっきりする。そしてそれは、沖縄が戦略拠点であるという「神話」によって守られている。

米軍再編については、海上基地や艦船を利用して、テロ攻撃を受けないようにしながら相手を急襲する「シーベーシング構想」が解説されている(表紙の絵は米軍によるイメージ図)。この方向性からしても、沖縄に基地を置く必要がないと言うことができるようだ。こんなものに加担させられるのかという恐ろしさもある。

●参照
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄/ガザ、『週刊金曜日』2009/4/10 戦争ごっこに巻きこまれるな
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』

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山上たつひこ『アフリカの爆弾』と山上龍彦『兄弟!尻が重い』

2010-03-28 22:14:16 | 思想・文学

いきなり下品に急降下するが、山上たつひこである。『がきデカ』は置いておいても、少年時代に買ってもらった傑作漫画集のようなものに、『喜劇新思想体系』の一篇が掲載されていて、余りのエグさに純粋な少年はやられてしまった。大人になってからその記憶が疼き、講談社文庫として復刊されたとき、つい買ってしまった。しかし、やはりエグいので手放してしまった。その後、コンビニで雑誌を立ち読みしていると、「こまわり君」が大人になって『中春こまわり君』という作品になっていた。コンビニで声を出して笑うわけにはいかず悶絶した。

そんなわけで、なかなかファンにはなれないものの、山上たつひこは気になる存在ではあったのだ。それで先日、仙台の古本屋「火星の庭」で、『アフリカの爆弾』(ペップコミック文庫、1976年)を見つけたときには思わず掴んでしまった。しかも200円。筒井康隆『腹立半分日記』か何かで、自作の漫画化ということで触れられていた記憶がある。

相変わらず、どうしようもなく下品である。表紙も最悪に汚い。子どもの手の届くところに置くわけにはいかない。しかし、高速で反復し(ここがポイント)、畳みかけてくるギャグの切れは凄まじい。

そういえばブックオフの105円コーナーに、と思い出して、山上たつひこが小説家・山上龍彦として出した短編集『兄弟! 尻が重い』(講談社文庫、1996年)を手に入れてきた。(つまりその後、一度はピリオドを打った漫画を再開して『中春こまわり君』を書いたわけである。)

これまで漫画化の余興かキワモノくらいにしか見ていなかったものだが、これが面白い。漫画の爆発的なギャグというよりは、一度沈ませてさまざまな人物の奇怪さを臆面なく見せつけてくるような印象がある。しかも、何とも言えないクライマックスで話を断ち切る凄みもある。漫画の原作として使った(使わされた?)こととはまったく別に、筒井康隆のスラップスティック全盛期の作品群に共通する作風でもある。やはり天才である。これらの小説群はどう評価されたのだろうか。

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大野英士『ユイスマンスとオカルティズム』

2010-03-28 16:13:23 | ヨーロッパ

大野英士『ユイスマンスとオカルティズム』(新評論、2010年)の書評を、インターネット新聞JanJanに寄稿した。

>> 『ユイスマンスとオカルティズム』

600頁の大著である。これで多少は、ゾラやフローベールを読む気にもなろうか。JanJanは残念ながら今月で休刊だ。

 J・K・ユイスマンスは19世紀の作家である。『さかしま』では自分の城に閉じこもり変態的とも言える小宇宙を創りだす男を、また『彼方』ではインモラルな悪魔主義を描いた。その後、異端的な位置からカトリックへと回心した、と評価されている。ひょっとすると、現在では一部の好事家が読者の中心なのかもしれない。
 
 本書のタイトルから最初に受けた印象は、そのような作家ユイスマンスが自作のためオカルティズム世界を如何に受容したか、というものだ。ところが、本書の物語る世界はそれを遥かに上回る。19世紀という時代の特質が生み出した作家であると言うことができるのだ。
 
 フランス革命によってなされた「王殺し」。本書は、フロイトやラカンの精神分析理論を所与のものとして、「王」なるものは本来自己の獲得に必要な抑圧者の存在でもあったため「父殺し」でもあったのだと説く。そして、ニーチェが宣言するまでもなく、既に「神」は死んでいた。この「王殺し=父殺し=神殺し」による罪に応じるように、マリア信仰も、異端も、オカルティズムも出てきたのだ、という主張のようだ。
 
 本書が次々に繰り出してくる物証や状況証拠は膨大であり、主体や視線や場を頻繁に交代してのさまざまな物語が複層的に語られる。それにより読者の前に提示される19世紀という世界は、一側面ではあっても、圧倒的だ。また、冒頭に述べたような一般的なユイスマンス像―――異端・悪魔主義・性的倒錯からカトリックの王道へと回帰したという―――についても、単純に過ぎるものとして認識を改めねばなるまい。
 
 というのは、本書によれば、邪悪なるものや穢れたものが「流体」として人から人へと移動するという考えも、それらによる受苦を修道女やマリアが他者のために引き受けることができるという考えも、異端であってもマリア信仰であっても変わりはしないからだ。
 
 さらに言うなら、キリスト教を、人の歴史によらず静的で大きな存在だと捉えることは、あまりにも信仰の「ためにする」信仰だという印象が強くなる。唯一無二の教えを広めることを錦の御旗として世界を血で染めたという歴史はあっても、それと教えの真性とは別だ―――これが一般的な前提ではないだろうか。しかし、「大いなる教え」と、血塗られた歴史や社会の変遷とは不離不可分のものではない。そして、もちろん、それはキリスト教に限った話ではない。
 著者は、帝国が覇権を争い物質主義的な繁栄を謳歌した19世紀末のヨーロッパと、新自由主義的な制度と価値観が殺伐とした社会をもたらしている現在の日本とが滑稽なほどに重なって見えるのだという。ということは、私たちには、ユイスマンスの異常な作品世界を現在の視線で読み直す愉しみがあるということだ。

●参照
J・K・ユイスマンス『さかしま』

●JanJan書評(2009年~)

沖縄
『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』に見る「アメとムチ」
コント「お笑い米軍基地」芸人の『お笑い沖縄ガイド』を読む
『沖縄戦「集団自決」を生きる』
絵本
『おててたっち』の読み聞かせ
『ながいなが~い』と『いつもいっしょ』読み聞かせ
『みんな、絵本から』(柳田邦男)
環境
『地域環境の再生と円卓会議』(三番瀬)
『サステイナブル・スイス』
社会
『子どもが道草できるまちづくり』を如何に実践するか(クルマ社会)
『地域福祉の国際比較』
『ガザの八百屋は今日もからっぽ 封鎖と戦火の日々』
『農地収奪を阻む』(三里塚)
『嫌戦』(坂口安吾)
『オバマの危険 新政権の隠された本性』
『世界史の中の憲法』
アート
『美学 ジェンダーの視点から』(キャロリン・コースマイヤー)
『ライアン・ラーキン やせっぽちのバラード』
『チャイナ・ガールの1世紀』
『幻視絵画の詩学』(ヴィクトール・ストイキツァ)

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日韓NGO湿地フォーラム

2010-03-27 23:00:36 | 環境・自然

第5回日韓NGO湿地フォーラム」(主催:NPO法人ラムサール・ネットワーク日本、韓国湿地NGOネットワーク、2010/3/26-28)が開催されている。三番瀬の近況について聴きたくて、初日の夜の部に出席した。

■ 東京湾に残された貴重な干潟・浅海域・三番瀬について (船橋浦三番瀬のラムサール登録を実現する会 立花一晃)

焦点は「第二湾岸道路」と人工干潟である。

「第二湾岸」については、まだ計画が消えてしまったわけではないという(堂本前知事が中止したのは大規模埋立)。いまだに浦安市側と千葉市側とに8車線の道路用地が温存されており、予想ルートはそれらを結ぶ。すなわち、猫実川河口域から市川塩浜の直立護岸の少し先、江戸川放水路の河口域、ふなばし三番瀬海浜公園あたりを経て幕張までをつなぐというものだ。

もちろんこれは、猫実川河口域を中心とした人工干潟とセットである。その人工干潟にしても、仮に「市川塩浜の5.4mの直立護岸から1cm下げる毎に1m沖に伸ばす」ということであれば、540mという計算となり、さらに拡がる可能性があるのだという。

想定される影響までは示されなかった。私にもどちらが良いのかわからない。別の三番瀬関連のNGOなどは、現在の猫実川河口あたりの牡蠣礁も干潟の状態も、良好な自然からは程遠いものだと主張している。片や、いやそんなことはない、生物多様性に富んだ良い干潟だとしている。ただ、開発という多くの者にとってのアメが存在することのあやうさに蓋をしてはならないことだけは確かだ。

ラムサール登録に向けて、船橋漁協が全面的に賛成しているそうで、このプレゼンでは、船橋側だけ先に登録するとの案が示された。なんでも市川市議会(2010/3/25)では、谷藤市議(共産党)が行った一般質問(>> 原稿)に対して、人工干潟とラムサール登録とは矛盾しないとの回答があったようだ。ちょっと不可解であり、何が事実なのか整理したいところだ。

■ 新たな関東地方でのラムサール条約湿地登録の可能性を追求 (里山シンポジウム実行委員会/ラムサール・ネットワーク日本 荒尾稔)

国交省河川課によるプロジェクトとして、ラムサール登録湿地を増やしていこうという動きがある。公共工事が減らされていくなか、新たな予算確保の動きだとの批判がある一方、これに沿った形で良いものにしていけば良いとの考えもあるのだという。もちろんこのプレゼンは後者。私も千葉県民でありながらいすみ市、印旛郡、東庄町、香取市などには足を運んだことがないが、ここで示された里山写真はとても魅力的だ。

■ 四国三郎・吉野川からの報告 (吉野川・東京の会 藤田順三)

吉野川第十堰の可動堰化については、10年前、住民投票によって止められている(90%以上が反対)。この3/23、前原国交相は、「可動堰化が選択肢となることはあり得ない。保全する方向だ」と発言したようだ。

今回、ラムサール登録を目指すにあたって、河口部に「四国横断自動車道」の橋が建設される計画があることが問題視されている。

■ 生物多様性と文化の多様性 ― 水田と伝統文化 (ラムサールネットワーク日本・韓国事務局 田中博)

稲作に関連する日本と韓国の芸能が、写真やヴィデオで示された。サムルノリに発展した農学という伝統芸能もあるという。後で田中氏にいろいろ訊ねてみると、故・金石出(キム・ソクチュル)の演奏も実際に観たことがあるとのことだった。

■ 韓国4大河川整備事業視察報告 (ラムサールネットワーク日本 浅野正富・小沢秀造)

韓国でも自然を潰し、不必要な河川工事が進められているとのヴィデオによるルポ。日本だけじゃないわけだ。

◎参照
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い

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沖縄米軍基地関連の集会(普天間、辺野古、高江、・・・)

2010-03-26 07:00:00 | 沖縄

●「今こそ、沖縄の米軍基地問題を知るー漂流する普天間と辺野古」

2010/4/9(金)19:00~ @目黒田道住区三田分室・第1、第2会議室
http://mwhansen.hp.infoseek.co.jp/

●山本英夫写真展『FUTENMA』

2010/4/13(火)~18(日)11:00~19:00(最終日18時)
@PAOギャラリー
http://jcjkana.blog102.fc2.com/blog-entry-484.html

●「普天間基地の即時・無条件撤去を!4・14中央集会」

2010/4/14(水)18:30~ @日比谷野外音楽堂
主催/沖縄県民と連帯し、普天間基地の即時・無条件撤去を求める4・14中央集会実行委員会
http://homepage3.nifty.com/anpohaiki/

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『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』

2010-03-26 00:25:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』(水牛、2000年録音)という、素晴らしい顔合わせの録音が世に出ている。富樫雅彦、スティーヴ・レイシーともに、既に鬼籍に入っている。遠いので未だ足を運んだことのないホール・エッグ・ファームでの記録である。なぜこんな凄い音源が10年もお蔵入りだったのか。

4回の演奏のうち、このトリオによるものは2回。あとは高橋悠治のピアノソロと、高橋と富樫のデュオだ。

ブルースのかけらもない、中心もなさそうな高橋の演奏は好きだが、実のところ何なのかよくわからない。富樫のパーカッションは、いつもながら、職人的に磨かれた音と響きである。そしてレイシー。ビブラートは全くなく平板、しかし微妙に、不穏に音色が変化する。レイシーの手癖に違いないインプロヴィゼーションのフレーズも、時折音量を下げたときに挿入される息が詰まるようなノイズも、最高である。

3人の匠たちの間合いを感じるためにも、このセッションを直に観ておきたかった。もう取り返しがつかない。全員、別々の機会に目の当たりにしたことはあるのだけれど。

レイシーの初期の盤に、『Soprano Sax』(Prestige、1957年)と『Reflections』(New Jazz、1958年)がある。有名な作品であり、借りて聴いたことはあったが、また手元に置きたいと思っていたら、2枚のお得なカップリングCDが出た。両方ともピアノトリオをバックにソプラノサックスを吹いており、前者はウィントン・ケリーのピアノ、後者はエルヴィン・ジョーンズのドラムスとマル・ウォルドロンのピアノも聴きどころだ。

改めて、レイシーの音は(枯れる前ではあるが)既に独自の個性が染みついていることがよくわかる。それでも、吹かされたのか、『Soprano Sax』での「Alone Together」や「Easy to Love」といった小唄では、何だか居心地の悪さを感じてしまう。それが、セロニアス・モンク曲となると突然うきうきとしはじめるようで不思議だ。特に『Reflections』は全曲モンクであり、エルヴィンやマルの個性と相まって本当に素晴らしい。そうか、この2人も既にこの世の人ではない。

●参照
『Point of Departure』のスティーヴ・レイシー特集
レイシーは最後まで前衛だった
中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』におけるレイシーの写真
富樫雅彦が亡くなった
姜泰煥・高橋悠治・田中泯
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)

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アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbeständige Zeit』

2010-03-25 01:02:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

メンバーの組み合わせに目眩がして、珍しく予約をして入手した、アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbeständige Zeit』(doubt music、2008年録音)。

アクセル・ドゥナーを初めて聴いたのは、1996年にアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハが率いるベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ(BCJO)が来日したときだ。ただ、エヴァン・パーカー、ルディ・マハール、シュリッペンバッハなど他のプレイヤーの演奏があまりにも強すぎたためか、その際のドゥナーの印象は希薄だ。再びドゥナーの存在が浮上するのは、マハールと組んだ奇妙なユニット「失望」においてである。しかし、この盤の演奏を前にしては、「失望」の存在感も少し遠ざかってしまう。

ここでのドゥナーのトランペットは多様な技量の高さを見せる。それどころか、初めて聴く類の演奏もある。なかでも、水の中で吹くかのようなノイズには驚かされる。また、擦音のような静かなノイズを、定期的にぶつりぶつりとぶつ切りにしては、執拗に吹き続ける様は、まるでレコード盤の最後の無音部が繰り返しているかのようだ。1枚目の4曲目「if」では、この実験により、ターンテーブルとの共演とさえ紛ってしまうのだ。

興奮させられるのは1枚目の3曲目「or」だ。フリー・インプロヴィゼーションの醍醐味という面では、この曲が素晴らしいだろう。今井和雄のギター、井野信義のベースとの火打石同士の格闘であり、17分間、文字通り耳が離せなくなる。ただ、他の曲の緊張感も捨てがたいものがあり(実際に楽譜を確認する間もないぶっつけ本番のセッションだったようだが)、耳も意識も、脳も、鉱石のようなフラグメントと化す。鉱石のぎらぎらとした断面には、ときおり今井和雄のギター音がぎらぎらと反射する。

2枚目は「失望」でも演奏していたドゥナーの曲集である。私が聴き比べることができたのは、4曲目「viaduct」と6曲目「foreground behind」だ。あらためて「失望」を聴いてみて、この盤との演奏の違いが浮き上がってくる。「失望」はミニマルな音楽なのだ。閉ざされた空間における倒錯した片笑いなのだ。ルディ・マハールというもうひとりの個性との間に形づくられる磁場が、そのような独特な音空間を形成しているのかもしれない。一方、この盤の音楽は遥かに空中に開かれた系である。このことは、初回限定での付属盤に収録された、セロニアス・モンクの曲「Reflections」を、「失望」のモンク集と比較してみても、同様のことを言うことができる。(勿論、どちらが良いかという問題ではない。)

入手してから1週間以上が経ち、何度も聴いているが、そのたびに感嘆したり、意識がどこかに遠のいたりして、なかなか捉えられない。それは良い音楽だということだ。このメンバーによるライヴを観てみたい。

●参照
『失望』の新作(今の新作の前)
今井和雄トリオ@なってるハウス

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2010-03-22 23:59:59 | もろもろ

ツイッターに登録しました。「Sightsongs」で検索してください。(最後に「s」が付く)

しかし、使い方がいまひとつわからない(笑)

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Elmar 90mmF4.0で撮る妙典公園

2010-03-22 23:34:02 | 関東

先日ロンドンに足を運んだ際に、いちどカメラを買ったことがある大英博物館近くの「Jessops Classic」を探したのだが見当たらない。本屋の店員に訊ねたところ、どこかに引っ越したとのことだった。ええっと落胆する私に教えてくれた、やはり近くの「Camera Cafe」。

覗いてみると、その名の通り、中古カメラ店とカフェが合体した意味不明なところ。ケースの中には、エルマー90mmF4.0(Mマウント)がある。相場からすれば、いくらなんでも安すぎる値段である。見せてもらうとクモリも傷もない。手持ちのライカに付けて無限遠をチェックしても問題ない。店員は誠実そうで、保証も付く、ということで入手した。

手に取ると本当にちっちゃい望遠レンズだなあという印象だ。ところが、エルマリート90mmF2.8(初代)と並べてみても、印象ほどには大きさが変わらない。バレルの太さが印象に影響しているのかと思う。


エルマー(左)とエルマリート(右)

買ったときに絞り開放で店員を撮ったコマはピントばっちりで安心した。そんなわけで、子どもたちと映画を観たあと、江戸川放水路の泥干潟に入ることができる妙典公園で、弁当を食べて、スナップをした。晴れた日にF8以上に絞って撮ると、ピントの外しようがない。これは軽快で気分がいい。昔、エルマリートを初めて使ったとき、ピンボケかと焦ってルーペで上がりを見ると、実に繊細にピントが合焦しているので感動した記憶がある。さてエルマーはと言うと、普通に写るし後ろのボケは綺麗ではない。しかし、これでいいのだ。


河津桜 Leica M4、Elmar 90mmF4.0、FUJI Pro400


救護船 Leica M4、Elmar 90mmF4.0、FUJI Pro400


泥干潟の牡蠣殻と鳥の足跡 Leica M4、Elmar 90mmF4.0、FUJI Pro400


三番瀬の案内 Leica M4、Elmar 90mmF4.0、FUJI Pro400

●江戸川放水路
江戸川放水路の泥干潟 (千葉県市川市)

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お父さんとお母さんの読みきかせ教室 とよたかずひこ「こちょこちょこちょ ももんちゃんと遊ぼう」

2010-03-22 16:27:12 | 思想・文学

家族で、「お父さんとお母さんの読みきかせ教室」(活字文化推進会議、大崎ゲートシティ、2010/3/21)に参加してきた。

絵本作家のとよたかずひこさんによる、紙芝居、大型絵本、パワーポイントによる自作の読みきかせ。特にパワポ版では、フルートとのアンサンブルが楽しかった。当然ながらテンポが子ども向きなので、少し居眠りしてしまった。読みきかせは子どものペースで進めることが大事なんだな。

新作の『こちょこちょ ももんちゃん』に絵を描いていただいた。

会場内にはいろいろな絵本が展示してあった。和田誠や天才・スズキコージ、佐藤さとるの「コロボックル」シリーズで絵を描いている村上勉のものなどがあった。絵本は大人が読んでも楽しい。

●参照
『おててたっち』
『ながいなが~い』、『いつもいっしょ』
忌野清志郎の絵本
柳田邦男『みんな、絵本から』
佐藤さとる『だれも知らない小さな国』(絵・村上勉)
三上寛+スズキコージ+18禁 『世界で一番美しい夜』

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シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(6)

2010-03-21 10:22:19 | 沖縄

(5)より続く

■ 遠藤誠治 (成蹊大学教授)

さらなるパネラーの発言を引き出す問題提起。

○国民的団結を壊しながら、「周辺」に負担を押し付けていく方法である。
全体の議論が成り立たないようにする構造だ。
○それでは、安保、移設の2案についてどう考えるか。

■ 古関彰一 (獨協大学教授)

○自衛隊の海外派遣では、軍事的な貢献をしていない。岡田外相は、海外協力というときに自衛隊と言っていない。
○NGOの活動など、新たな芽が出てきている。国家でなく市民が行いだした平和のあり方であり、今までの戦争の時代にはなかった画期的なことだ。

■ 明田川融 (法政大学沖縄文化研究所)

○中国の軍事力に関して、実は米国自身は沖縄を抑止力とは考えておらず、グアムに家族を疎開させるつもりなのではないか。
○抑止力が必要だと主張する「現実主義者」たちがいる。しかし、米兵による犯罪が頻発していることも、もう一方の現実である。
○問題は普天間だけではない。嘉手納の危険性除去も忘れてはならない。それは日本の安全保障政策のはずだ。

■ 佐藤学 (沖縄国際大学教授)

○最近、海兵隊は「自然災害救助」の役割を強調している。これは戦争での役割が低下していることを意味する。組織維持・自己防衛の動きとみるべきだろう。

■ 川瀬光義 (京都府立大学教授)

○ケント・カルダー『米軍再編の政治学』には、以下の指摘がある。
日本ほど気前のいい支援を一貫して行ってきた国はない
―その国に対して米国がオカネを払う例のほうがずっと多い。韓国やクウェートではその国の政府が支払っているパターンだが、両国とも、米国がその国のために戦争をしている。しかし日本にはさし迫った脅威はない。信じられないことだ。
○旧・防衛施設庁(現在は防衛省の一部)の所管予算は、2000年の5,800億円から2010年には4,400億円へと縮小した。しかし別枠(SACO関連、米軍再編関連)を足すと、同じ5,800億円となる。
○このような根拠不明のつかみ金を使うことは、tax payerに説明できないことだ。
○ここまで地位協定の枠外でオカネを払う価値はあるのか。自治体が「要らない」と意思表示することが重要だ。

■ 桜井国俊 (沖縄大学長)

○移設2案(シュワブ陸上、勝連半島沖)のいずれも、新たな環境アセスが必要である。
○シュワブ陸上案(下地議員と北沢防衛相が推している)に関して、国では新たなアセスが不要だと考えているかもしれないが、沖縄県条例では必要となっている。
○勝連半島沖の案では、辺野古V字案と同様に、埋め立てのための海砂が必要となる。これを沖縄で調達する場合、砂浜が壊滅する
○いずれにしても時間がかかるだろう。その間に行われる利益誘導が、さらなる問題を沖縄に引き起こすだろう。そして、アメで潤う部分と潤わない部分が二極化する。現在でも格差は甚だしい。
○沖縄では、学生が授業料を払えず退学する事例が多い。全国平均では3%程度の退学率だが、沖縄ではその3倍くらいはいる。とても悲しい。

■ 明田川融 (法政大学沖縄文化研究所)

○広大な嘉手納基地は2,000 haもある。統合論などとんでもない。
○さらに、勝連半島沖案は1,000 haを埋め立てることになっている。つまり、辺野古を遥かに上回る

■ 古関彰一 (獨協大学教授)

○全国的には安保は必要だとする意見が多い。一方、自分の地域に基地がきてよいかとする世論調査も必要だ。
○90年以降、「怒りを忘れた」状態ではないか。
○オカネがないと言いながら、なぜ防衛予算が減らないのか。

■ 佐藤学 (沖縄国際大学教授)

もともと沖縄の負担軽減が目的だったはずが、なぜ、さらに大きな基地を作る話になるのか
○沖縄は決して「反米」ではない。基地就労者は、普天間は200人だが、沖縄全体では8,000人がいる。すぐにカットするという話にはならない。
○民意はもう重いものだ。これをどう伝えるのか。また何がこれから必要なのか。青臭い議論が必要なのだ。
○ハイチでは、地震から何日も経って1人が救助された。一方、アフガニスタンでは誤爆がある。前者こそが21世紀のあり方ではないのか。

■ 川瀬光義 (京都府立大学教授)

○池澤夏樹はこの状態を「恰好悪い」と評した。朝青龍に品格を求めるなら、日本の大人たちも品格を持つべきだ。
○いまさらわかりきった民意など問うのではない。大人としての覚悟がなければ、政治家などやめてしまえ。
○本土の人たちには、「沖縄の新聞をひとつ取りなさい」と提案したい。いまは夕刊もなくなり、送料込みでも安いものだ。

■ 桜井国俊 (沖縄大学長)

○安保によらない対話と協調という議論が重要だ。東アジア共同体という概念もそれに基づくもののはずだ。
○安保改定から50年だが、日韓併合から100年でもある。これまで対米追従であり、アジアに向き合ってこなかったことが足かせになっている
○日露戦争は、沖縄が海外侵略に加担した最初の戦争だったとの評価が、沖縄にはある。一方、『坂の上の雲』のような侵略正当化の蔓延には違和感がある。

■ 遠藤誠治 (成蹊大学教授)

「抑止」とは、本来、誰かを脅かす思想だ。共同体ではありえない。
○これまで、日本が主体的に周辺国を脅してきたという事実を忘れてはならない。

(以上)
※各氏の発言については、当方の解釈に基づき記載しております。

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シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(5)

2010-03-21 09:36:09 | 沖縄

(4)より続く

共同通信が、3/20に複数行われたシンポジウム等に関して伝えている(>> リンク)。法政大のシンポジウムは1行のみ。

NHKでは、同日宜野湾での沖縄選出の国会議員によるシンポジウムについて報道している(>> リンク)。ずいぶん荒れたという話だが、実態のレポートを読みたいところ。

■ 川瀬光義 (京都府立大学教授)

地方財政学が専門。地方は汚れたオカネを受け取るべきでなく、受け取らなくても経済に影響はないとする主張が印象的だった。発言の論旨は以下の通り。

○1972/5/15の『琉球新報』では、「基地依存・不健全な経済」「基地の撤去・大幅減少がなければ、経済改善の成果は期しがたい」といった記事がある。その後40年間、何も変わっていない。毎年5/15の沖縄の新聞において、年だけ変えれば問題意識は共通する。これは、中央による沖縄政策の失敗を物語っている。
○1972年において、第三次産業が肥大し、建設業が不自然に大きい。また建設業が伸びず、全国平均27%に対し沖縄では9.1%であった。その後下がり続け、この数年は5%台である。なお県内総生産でみれば、全国平均で34.5%に対し、沖縄では10%程度であったが、やはり下がって4%台となっている。
○それにも関らず、時代遅れの産業基盤をつくり、補助金により誘致するという中央集権的な形が40年間続いている。
○来年度予算における沖縄への投下は9兆円。これは基地を維持するための財政支出であり、確信犯だということができる。すなわち、意図的に経済自立しない構造・基地に依存せざるを得ない構造をつくりだしている
○この10年間、地方分権が課題となり、補助金が整理されているが、沖縄はその枠組を残している。それでも総額は減少し、沖縄に投下される公共事業予算はピーク時98年の4,400億円から現在では2,000億円程度になった。
○しかし、その減額を埋め合わせるかのように、見返り資金が出てきた。これは広い意味での「思いやり予算」だ。
○現在の2,000億円にしても質が悪い。どう見ても、実態は「基地受け入れの見返り」である。このようなオカネをもらっていては、世論形成に役立つことがない。また、もらわなくても、地域経済に影響はない。
○2月に選出された稲嶺・名護市長は、来年度予算にその種の予算を計上しないと決定した。隣の宜野座市も追随した。画期的なことだ。

■ 桜井国俊 (沖縄大学長)

講演と他パネラーの発言を受けて短い発言。論旨は以下の通り。

○名護市長は、一昨日の市議会において、再編交付金はいらないと発言した。
○実際に、沖縄に投下されるアメでは豊かになっていない。ハコ物の維持で借金まみれになり、生活の改善にはつながっていない。その意味で、名護市長の発言は評価される。
○地位協定には軍事基地協定の側面がある。製造業が少ない沖縄において、環境問題の最大の原因は基地である
○従来、沖縄の公害防止条例は基地に適用されないことになっていた。現在は生活保護条例となり、改正の努力の結果、立ち入りの申し入れができるようになった。
○SACO合意において、返還される米軍基地の土壌汚染浄化は日本が行うことになっている。これはおかしい。せめて汚染や浄化対策の詳細について、情報の提供を行うよう取り決めるべきだ。

■ 佐藤学 (沖縄国際大学教授)

講演と他パネラーの発言を受けて短い発言。論旨は以下の通り。

○基地がないと食っていけなくなると信じ込まされているが、実際には違う。最低の行政サービスが成り立たなくなるというのもウソだ。
○辺野古の公民館には9億円が投下された。およそ真っ当な使い方ではない。オカネがこれまでの選挙に与えた影響も大きい。
中国や朝鮮に対する若い人たちの態度は危機的だ。仮に米軍がいなくなれば、自ら対峙するのか。
段階的な縮小が現実的だろう。いらないものをなくすことを、次々に行っていくべきだ。もちろん戦略的な意味だ。

(つづく)
※各氏の発言については、当方の解釈に基づき記載しております。

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シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(4)

2010-03-21 01:05:45 | 沖縄

(3)より続く

休憩を挟んでパネルディスカッション。

■ 古関彰一 (獨協大学教授)

以下の発言。「日米同盟」なる言葉についての整理であり、ちょうど、批判的な立場の人でさえ当然のように使っているのを無神経だと思っていただけに参考になった。

○「日米同盟」という言葉が定着している。しかし、国会でこの言葉を提示して法律をつくったことはない。
○1981年、鈴木首相(当時)がはじめて使った。これが国会での議論に発展し、鈴木は「軍事的な考えを持たない」ものだと説明した。それに対して外相は反対し、辞任につながった。その後、この言葉を使うことはタブーであった
○1996年、橋本/クリントンにより「日米安全保障共同宣言」が公表された。「安保の再定義」と評価されたものであり、安保6条にある「極東の平和」、「日本の平和と安全」が、「アジア・太平洋地域の安定と平和」へと変わってしまった。
○2005年、日米安全保障協議委員会(2プラス2)が、「日米同盟」を言葉として定着させた。このころから、メディアが当然のように使いだした
○これが日本の現在の位置を象徴するものであり、「安保」から軍事同盟と考えられる「日米同盟」に変化したわけである。
○安保6条で、日本に米軍基地を置くことが定められている。本来、安全保障と基地とは不離不可分のものではないにも関わらず、一体のものをずっと継続している。このような取り決めになっているのは日本と韓国だけだ。フィリピンでは、軍事基地協定と安全保障条約とが別々に定められている。
○米国は軍事的関係を50か国程度と結んでいる。そのうち、米兵が駐留している国は少ない(ドイツ7万超、日本4万超、韓国3万超、英・イタリア1万程度)。さらに、冷戦終結後もそのまま温存されているのは日本と韓国のみである。すなわち、北朝鮮と中国は冷戦構造のまま位置づけられていることになる。これでよいのか。

■ 明田川融 (法政大学沖縄文化研究所)

発言は以下の通り。

○1947年、昭和天皇は、共産主義から日本を護るためには物理的な力、すなわち米軍が必要だとのメッセージを、米国に伝えた。また同時に、25年50年のリースだとした。
○25年後といえば1972年、沖縄の施政権返還。50年後は1997年、「安保再定義」や米兵の少女暴行事件の直後。実際に限界が顕れている。
○吉田茂は、沖縄を信託統治にすることは望ましくなく、主権が日本にあるように見えるならば、米国の要求には如何様にでも応えるとした。さらに99年間の基地租借でも構わないとさえ、米国に伝えた。その形にはならなかったが、実態として、無期限の使用を許している。
○ドイツは米国との地位協定における環境条項を数度変更したが、日本はそのようなことを一切行っていない。また、イラクでの地位協定(2008年)には、「イラクの環境は尊重する」と書かれており、現在「密約」で問題視されるようなことを禁じる旨も書かれている。一方、日本の主権など尊重されてはいない
○『砂上の同盟』になぞらえて言えば、「詐称の同盟」だ。

(つづく)
※各氏の発言については、当方の解釈に基づき記載しております。

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シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(3)

2010-03-20 23:55:40 | 沖縄

(2)より続く

会場で、ようやく『砂上の同盟/米軍再編が明かすウソ』(屋良朝博、沖縄タイムス社、2009年)を入手できた。どの書店にもなく、amazonの在庫もなく、沖縄タイムスに直接注文するしかなかったのだ。

■ 佐藤学 (沖縄国際大学教授) 「米軍再編と沖縄―日米安保の視点から」

抑止力という神話が日米の両得のため作り上げられてきたこと、また、米側の知日派が持つ意識・考えとのギャップは想像以上であることを提示する講演がなされた。

講演の要旨は以下の通り。

○この3/9、ワシントンにて開かれたシンポジウムで、対日政策を担当している170人を相手に講演を行った。抑止力とはウソであり、沖縄を押し込めて潰すことはやがて米国にもはね返ると主張した。しかし、空振りだった。
環境や人権といった普遍的な価値を米国に訴えかけることを、ナイーヴに期待していた。しかし、それは機能しないのではないかと思うようになった。
○2月の名護市長選挙により、基地の県内移設にケリをつけられるものと考えていたが、それは違った。ただ、ホワイトビーチ案が出てきた背景になったのかもしれない。それに、辺野古では米国での「ジュゴン訴訟」により、司法が建設を止める可能性もある。
○今では、現沖縄県知事を当選させた立役者と言われる那覇市長も反対を表明している。また自民党県連も反対に転じた。沖縄県議会では県外移設を全会一致で議決した。ここまでの統一は、過去に例がないことだ。下地議員の案でも、15年後の返却を条件としている。(ところで、やはり今日行われている県内出身の代議士によるシンポジウムは荒れているらしい。)
○代議士も学生も、北朝鮮や中国に対する「抑止力」を当然のように信じている。しかし、これは「脅しの軍隊」であり、例えばミサイルが撃ち込まれても、攻め込まれても、何もできない類のものだ。従って、軍事的には意味がない。
○石破茂議員(元防衛大臣)は、基地を沖縄に置いてほしいともっともらしいことを発言している。それならば、地元の鳥取は北朝鮮に近いこともあり、基地を置かなければならなくなるのではないか。言葉の遊びに過ぎないものだ。
○国民は、軍事的な脅威に関して、「なんとなく怖い」、「護ってもらわなければならない」と思うようになっている。しかし、マイナス面を考えるべきだ。今後、すべて米国を通じてのみ世界と付き合い続けるのか。
○鳩山政権には、この問題に対処する準備が驚くほどできていなかった。本来はただの海兵隊の問題に過ぎないはずだったが、今や首相のクビの問題にまで発展してしまった。
米国の意向が、日本の全国メディアを通じて発信されている状況だ。そして政権もメディアも、米国を喜ばせることを夢想している
住民の真意をまげて、それが住民が望んでいることであるかのような話になっている。これは尊厳の問題でもある。
○ワシントンにおいて、米国の知日派を前にこう感じた。彼らは日本語を自在に操り、思い入れも知識も相当であり日本側に立っているはずだ。しかし、自分たちの方が沖縄の利点をわかっているのだから、言うことを聞けという発想になっている。もとより、これが彼らにとっての既得権であり、生存の証しであるからだ。厄介な問題である。
民主党政権は、米軍対策に公共事業予算を投下すると、自己否定になり、自ら腐敗させることとなるだろう。なぜなら、目的と予算の使い方との整合性を無視することとなり、対等な日米関係を作ることができず、地域主権にも反することとなるからだ。
○海兵隊とは、広範囲な地域を対象として、ローテーションで訓練する軍隊である。わざわざ沖縄に置かなければならない理由はなく、米本土でも十分なはずだ。また、大きな戦争のためではなく、ゲリラ掃討戦の出撃地となる。そうなれば、沖縄が緊張をつくりだす中心となりかねず、反撃の対象ともなる。
勝連半島沖合案(ホワイトビーチ)に関しては、海兵隊に所属する米国人の研究者がずっと主張していた内容だ。つまり、海兵隊の中でも根回しが済んでいる可能性がある。
○いずれにしても今後時間がかかる。そのうち、日米両国の財政はさらに厳しくなり、その間に新基地建設などできなくなることもありうる。そのように、話を「ぐだぐだにする」戦略もなくはない。
○もともと、辺野古の沖合案も、V字案も、沖縄側の要求だった。しかし、そのようなオカネは沖縄では役立っていない。沖縄の自治体が、オカネを賢く使うことが急務だ。

(つづく)
※各氏の発言については、当方の解釈に基づき記載しております。

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