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Sightsong

自縄自縛日記

松下俊文『パチャママの贈りもの』 貨幣経済とコミュニティ

2009-12-04 23:24:24 | 中南米

先日、『パチャママの贈りもの』(松下俊文、2009年)の試写を観た。

映画は、ボリビアのウユニ塩湖と周囲の村々を舞台にしている。一見、美しい地域における貧しいながら誠実な少年の成長物語、といった体裁だ。

もちろん皮肉ではない。特異な風景という意味では、広大な塩湖という映像は圧倒的だった。そこで塩を切り出す仕事を手伝い、学校に通い、友だちと遊ぶ少年の姿は、詩的でさえあると思った。特に、妹が落とした人形を探しに走って行くときの、広い広い中のちっぽけな大事なものを描き出す描写は、とても印象的だ。

しかし、この美しい物語の背後に秘められたメッセージは、さらに奥深く、深刻だ。

少年を連れてキャラバンに旅立った父は、塩と引き換えに食糧を手に入れる。そのような物々交換という経済が、既に不便な山間地でしか成立していないことは、映画のそこかしこで示される。実際に、山の村々で快く食糧や蜂蜜を貰っていた父子だったが、街のバザールでは、オカネがないので何も買わないのだ。さらに、ある飲食店では、タダで何か食べさせてくれと転がり込んできた男が、店主に罵られ、力づくで追い出される。

すなわち、物々交換と貨幣経済、コミュニティのあり方は、経済成長する街と、昔ながらの生活を続けている村々とでは、明らかに全く異なってきているということだ。これはすべて、少年の眼を通じて描かれる。おそらく少年が大人になるころには、さらに変化が進んでいることだろう。そのような危うい時点でいまだ成り立っているコミュニティだからこそ、私たちの眼には儚く美しいものとして映る・・・と言ってしまえば、元も子もない、残酷な「上からの目線」になってしまう。

解決策は示されるわけではない。そんな簡単な問題ではない。しかし、まさに米国流の行き過ぎた新自由主義に対する一石としてこの映画が提示されているのである。そのことは、松下俊文監督が、反帝国主義の映画を作り続けている「ウカマウ集団」のホルヘ・サンヒネス監督の存在を知り、ボリビアに着くとすぐにサンヒネスを訊ねたという逸話でもわかる。

●参照
ウカマウ集団の映画(1) ホルヘ・サンヒネス『落盤』、『コンドルの血』
ウカマウ集団の映画(2) ホルヘ・サンヒネス『第一の敵』
ウカマウ集団の映画(3) ホルヘ・サンヒネス『地下の民』


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (24wacky)
2009-12-05 10:39:45
興味深い内容とレビュー、ありがとうございます。

>そのような危うい時点でいまだ成り立っているコミュニティだからこそ、私たちの眼には儚く美しいものとして映る・・・と言ってしまえば、元も子もない、残酷な「上からの目線」になってしまう。

まさにそのような視点、ロマン主義に陥らずに資本制経済をみることが不可欠だと思います。資本制経済(貨幣経済)は共同体(コミュニティ)を侵蝕する。しかし、共同体で交わされる「交換」には、資本制が侵蝕し尽せない部分がある。自然(土)と人間との交換、家庭内のボランタリーな交換など。これらの交換の維持が資本制を補完するという構造もある。だからこそ、「自由な互酬制」を希求したい。などと考えております(笑)。

沖縄で上映してほいなあ。

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Unknown (Sightsong)
2009-12-05 13:37:19
24wackyさん
観光映画、人情映画かと思って観たら、そうではなくイメージの湧いてくる良い映画でした。
まさにご指摘の、資本制が侵蝕しえない交換形態ですが、アントニオ・ネグリが繰り返し述べている「認知労働」という概念との関連付けが興味深いと思っています。オカネだけでない付加価値を認知することにより、資本制以外のシステムを成立させるにはどうすればいいのだろうかと。(もっとも、「システム」という統合的なものを想像する時点でダメなのかもしれませんが。)
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