Sightsong

自縄自縛日記

沖縄そばのラーメン化

2009-07-31 23:22:19 | 沖縄

ラーメンも日本蕎麦もうどんも、もちろんスパゲッティも焼きそばも、カップ麺も好物である。当然ながら沖縄そばも食べずにはいられない。

大東そば(那覇、ニューパラダイス通り)

那覇に行くたびに食べている気がする。麺は独特のしこしこ感があってしみじみ旨い。鰆を「づけ」にした大東寿司も旨い。いつだったか、南大東島に行こうかと思って、1ヶ月ほど前に船運会社に問い合わせたところ、そんな先の運行スケジュールなんか決めていないと言われ、笑って諦めた。船が断崖絶壁に着くため、クレーンで人ごと上陸するという島であり、いまだ憧れている。

今回ここに行く前に、沖映通り沿いのソフトバンクの携帯ショップの前に取材陣が群がっていた。野次馬として近づくには空腹すぎて、横目で睨んで通り過ぎた。店内のテレビに目をやると、そこが映っていて驚愕。千葉から女性をさらって来ていた容疑者が逮捕された直後だった。

ところで店内では、オリジナルのTシャツを売っている。黒地で、そばが箸からひょろひょろと垂れ下がっている秀逸なデザインである。結局今回も買わなかった。

糸満の海にデジカメが落下したので、ここから後は、ケータイで撮る。

うるくそば(那覇、奥武山公園近く)

麺は平打ち、細麺、太麺の3種類、スープは鰹だしと豚骨の2種類から選ぶ仕組。もう鰹だしがなくなっていたので豚骨スープを選んだ。スープのせいか、ラーメンのノリだ。

いしぐふー善(宜野湾市)

宜野湾市立博物館を見学した後に彷徨っていて発見した。普天間基地の南西あたりの住宅街にある。薄焼き卵が上に乗っているのがユニークで、トッピングの軟骨ソーキは別にわさびを付けて食べる。アグー豚を使ったスープを売りにしているが、従来の鰹節と豚だけではないようなコクがある。この凝りかた、ラーメン店のオリジナリティの出し方とかなり共通点があるようだ。ここも旨い。また食べたいぞ。

どらえもん(那覇、国際通り)

いつか入ってみようと思っていた宮古そばの有名店。何故「どらえもん」なのかわからないが、確かに店内にドラえもんの人形が飾ってある。麺はつるつるしこしこ。子どもたちは凄い勢いで食べていたので本物である。皆で旨い旨いと繰り返した。

今回なんとなく感じたのは、沖縄そばのラーメン化である(誰かがもう言っているかもしれないが)。スープにコクを持たせ、スープだけでなくトッピングも工夫している。はじめて沖縄を訪れたときには、ラーメン屋が少ないなあという印象が強かった。ところが最近とくにラーメン屋が増えているようで、沖映通りには「暖暮」、宜野湾の国道58号沿いには池袋の「大勝軒」が店を出していた。何年か前に、杉並の「沖縄タウン」にある「琉球製麺」で食べたときにも同じ違和感を抱き、本土だからラーメンとブレンドしているのかなと感じていたのだが、沖縄でもそうだったわけだ。良いことか悪いことか。


いーやーぐゎー、さがり花、インターリュード

2009-07-29 22:52:52 | 沖縄

家族で那覇に1週間ほど滞在した。

終盤のある日、小浜司さんの経営するいーやーぐゎーで夕食をとった。国際通りに構えていた「まるみかなー」が移転したのが2005年9月だから、もう4年になろうとしている。今回、たまたま夫婦ともに「まるみかなー」シャツを着て登場したので(何者?)、小浜さんはビビっていた。以前は料理する人を雇っていたが、いまでは自身で料理している。


ケータイで撮影

古い民謡ショーのヴィデオを見せてもらった。81年の大工哲弘、90年の古謝美佐子が若く、眼が釘付けである。嘉手苅林昌も健在。

そこから、お世話になった24wackyさんともう1回話をしようと思って、飲みに行こうと誘いの電話をする。与世山澄子さんの店「インターリュード」で待ち合わせることにして、夕食後に独りぶらぶら歩いて向かった。牧志のマックスバリュから新都心方面に向かう道(広い道路が出来ていた!)につながる安里新橋の上で、ふと目に止まった街路樹。

何と、いままで咲いているところを見たことがなかった、さがり花。やんばるの森で早朝見たときも、散った後だった。那覇の漫湖の畔にもあったが、夕方なので咲いていなかった。夜だけ咲く花なのだ。思わぬ出会いに感激である。あとで雑誌を立ち読みすると、街路樹として植えられているのはごく最近のことのようだ。


ケータイで撮影

「インターリュード」2階のドアを開けると、与世山さんはソファーで独りかなりくつろいでいて、慌てて照れて立ち上がった。程なくして24wackyさんもあらわれた。普段はライヴのない曜日だが、どうもピアニストを呼んだということで、幸運にも聴けることになった。長いピアノソロのあとに歌ったのは、「Angel Eyes」、「As Time Goes By」、「So in Love」、「A Time for Love」、「What a Wonderful World」といったいつものレパートリー。感情を込めた唄、それから立ち居振る舞い、すべて本当に素敵な人で私は大好きなのだ。

予想しない展開で、24wackyさんとあまり話はできなかったが、またどこかで会いましょうと約束して別れた。安里新橋でさがり花をもう一度見て帰った。

●参照
さがり花(やんばるの落ちたさがり花)
城間ヨシさん、インターリュード、栄町市場(いーやーぐゎー → インターリュード・・・同じ行動ばかりしている)
35mmのビオゴンとカラースコパーで撮る「インタリュード」
与世山澄子ファンにとっての「恋しくて」


石川文一の運玉義留(ウンタマギルウ)

2009-07-23 08:30:24 | 沖縄

ヴェトナム戦争を取材し、最近では日本縦断徒歩旅行を行った写真家・石川文洋の父親は石川文一といい、作家であった。何か読んでみたいと思って探すと、義賊・運玉義留(ウンタマギルウ)を描いた小説を2冊見つけることができた。沖縄でかつてテレビ放送されたようで、そのスチルも口絵として掲載されている。

運玉義留といえば、高嶺剛の映画『ウンタマギルー』にしか接したことがない。それも観たのが随分前だから、てるりんや戸川純が登場する奇怪な作品であったとしか覚えていない。

『琉球の平等所 捕物控』(琉球文庫、1974年)は短編連作で、運玉義留だけでなく、玉那覇大筑(タンナフワウフチク)という「巡査部長格」の活躍を描いた作品も含まれている。また、『怪盗伝 運玉義留と油喰小僧』(琉球文庫、1976年)は、遡って運玉義留が盗賊となり、油喰小僧(アンダクェーボゥジャー)を仲間にするときの様子が描かれている。運玉の森に住む義賊のことはいいとして、油喰小僧の名前の由来がまた変だ。幼少時からガチマヤー(食いしん坊)で、アンダギーを揚げているのを見てそばに行ったところ、はねた油が頭に飛んで、いくつかのカンパチ(ハゲ)がある。アンダギーを食い損なって油を食った油喰というわけだ。

ストーリーはユーモラスな勧善懲悪ものであり、謎解きも極めて素朴だ。しかし飄々とした登場人物たちの個性が愉快で、飽きずに面白く読める。特に、油食小僧とヤナハーメー小(老いぼれ婆さん)との毒付き合戦がひたすらユルく愉快。たぶんテレビや舞台であれば、ゲラゲラ笑うだろう。

油喰 「それはそうと、何か喰いてえなあ」
ハーメー 「このガチマヤー(食いしんぼう)、色気と食い気ばかりだから、しょうもない」
油喰 「そうさ、それがなくなったら、生きていたって、何がおもしろい。おめえみてえなハーメー小はさあ行った、行った」
ハーメー 「どこへ?」
油喰 「グソウ(あの世)へ」
ハーメー 「グソウなんかへ、『さあ行った、行った』と、追い立てられたからといって、『よしきた行くよ、行くよ』と、そう簡単に行けるかよ」
油喰 「行けねえのか」
ハーメー 「帰りはいつになるか知れないじゃないか」

興味深く思ったのは、中国との距離だ。「面子(メンツウ)」という言葉を使った運玉義留だが、大筑にはわからない。運玉には、「唐のお国(中国)とつきあいの深いこの琉球だ。それぐらいの言葉はわかりそうなものだが、大筑にはちと無理かな」と喋らせている。

被差別の者「ニンブチャー」についても言及がある。実際には、沖縄において差別がどのように顕れていたのだろうか。そして著者の意識はどのていどの位置にあったのだろう。

「彼らは日本における、え多と同様、百姓階級の者からも蔑視、白眼視されている下層社会の人であったのだ。
 したがって、彼らは一般の社会人に対して敵意を持ち、ニンブチャー達が集団生活している特殊を、俗にニンブチャー屋(やあ)と言って、そこには一般の人を容易に近づけず、彼らもまた、その地域以外には、めったに出ることはなかった。」

それにしても、このテレビドラマを観てみたいところだ。何か残っていないだろうか。


左が運玉義留、中央が油喰小僧かな?

●参照
石川文洋の徒歩日本縦断記2冊
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー


『ガザの八百屋は今日もからっぽ』

2009-07-22 20:30:14 | 中東・アフリカ

インターネット新聞JanJanに、小林和香子『ガザの八百屋は今日もからっぽ 封鎖と戦火の日々』(めこん、2009年)の書評を寄稿した。

>> 『ガザの八百屋は今日もからっぽ 封鎖と戦火の日々』の感想

 イスラエルによるガザの大規模な空爆から半年が過ぎた。民間人を無差別に対象とする大量虐殺だった。ただ、攻撃は何の前ぶれもなく行われたのではなかった。1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構との間で結ばれた「オスロ合意」は和平合意のスタートではあったものの、交渉難航の末、ガザ地区はイスラエルに囲い込まれている状況である。さらには、2006年にハマスが政権を握ってから、経済制裁や自由の剥奪がエスカレートしている。すなわち、大量虐殺前より、ガザ地区は「巨大な刑務所」だったのだ。

 本書は、そのようなガザに生活する人びとの様子を生々しく伝えてくれている。燃料や食糧が最低水準に届かず、いのちの危機に晒されている。攻撃に怯える人たちは心に傷を負い、幼稚園児は空爆の様子を絵に描いたりもしている。彼ら、彼女らは、今後いのちを奪われなかったとしても、どのように快復できるのだろうか。

 私たちが想像力を働かせても届きようのない世界に違いない。ひょっとしたら、戦争体験のある方ならば、それを思い出すかもしれない。しかし、日本社会全体を見れば、この進行中の惨劇は、「向こう側の出来事」なのだろう。

 ガザ空爆の直後、一部のネット上では、「日本人がイスラエルに反対すべきではない。なぜなら、日本人は自らが加害者になった戦争に関して充分に責任を取っているわけではないからだ」とする議論があった。しかしこれは間違いだ。

 もちろん自らの責任は自らが負わなければならない。哲学者の高橋哲哉は、謝罪や金銭保証といった狭い枠にとらわれず、応答(response)する責任のことを責任(responsibility)と表現した。私には、さらには、市民レベルでの応答と共鳴こそに、このような国家によるパワーゲームを解体する力があるのだと思われる。時には、自分が属する国家の過去の罪について、自らとつながっているものとして応答すること。時には、過去のパワーゲームを超えて、市民として発言すること。

 そのためには、大きな報道のみではなく、本書のようなナマの声(call)をそれぞれが受け止め、応答(response)に備えなければならない。「読んでも世界は変わらない」ではない。私たちには政治参加の機会も、声をあげる機会もある。そして日本の政治は、米国との関係や国際交渉を通じて、ガザと地続きなのである。

●参照
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄/ガザ
ガザ空爆に晒されるひとたちの声


70年代のキース・ジャレットの映像

2009-07-21 07:20:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

以前は随分とキース・ジャレットが好きで、来日時のコンサートも、1993年の雨のよみうりランド、1996年のオーチャードホール、1999年の上野文化会館に駆けつけた。では今はどうかと言うと、ほとんど聴いていない。理由をひとことで言えば、マンネリの「スタンダーズ・トリオ」に魅力を感じなくなったということに尽きる。それでも、トリオ最初期の『スタンダーズ・ライヴ』(ECM、1985年)はいまだ素晴らしいと思っている。それ以降のアルバムでは、絢爛豪華で跳ねるようなピアノが次第に無くなり、シンプルなものになっていった。ほとんどのスタンダーズ・トリオのアルバムを手放すにあたって、これらが無くても生きていくうえで何にも困らないと思った。・・・・・・もっとも、以上の話は趣味の領域だし、そもそも自分だってああ良いなと思って聴いていたのではあるが。

スタンダーズ・トリオの前は、ソロの他にはアメリカン・カルテット、ヨーロピアン・カルテットが目立った活動である。実はこのあたり、特にデューイ・レッドマンを迎えたアメリカン・カルテットの諸作はいまだに偏愛している。聴きながら、次に何が出てくるのか予測できないこと自体を体感する、豪華絢爛でファンタスティックなピアノ。手で汲めども汲めども指の間から零れてしまうような、過剰な叙情性が素晴らしいと思う。

2つのカルテットの活動は70年代で、この時期の映像をふたつ持っている。

ひとつは、1972年、ハンブルグでのスタジオ・ライヴ『Hamburg '72』だ(プライベート版)。カルテットではなく、チャーリー・ヘイデン(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)とのトリオであり、当たり前だがみんな若い。ビル・エヴァンスや菊地雅章とのトリオが印象深いモチアンのドラミングは「伸び縮み」するようで、楽しそうに叩く姿が印象深い。いまではスキンヘッドにサングラス、ちょっと怖くて青山のボディ&ソウルでも声をかけられなかった(笑)。昔の記録で音が悪く、ベースの録音がいまひとつだが、「Song for Che」などでソロになったときのヘイデンの存在感は凄い。そしてキースははしゃぎまくり、タンバリンを叩き、ソプラノサックスを吹く。不世出の天才という表現そのものだ。ピアノはフォーク的でブルージー。

もうひとつは最近中古の『The Frankfurt Concert』を入手した(プライベート版)。1976年、ヨーロピアン・カルテットによるフランクフルトでのコンサートである。もちろんヤン・ガルバレク(サックス)、パレ・ダニエルソン(ベース)、ヨン・クリステンセン(ドラムス)すべて映像で観ることができるのが嬉しい存在ばかりなのだが、やはりキースの存在感が他を圧倒している。最初のピアノソロからして眼と耳が釘付けになる。雰囲気は、アメリカン・カルテットのピアノと共通するような過剰なる叙情性。

あとはアメリカン・カルテットの映像を観てみたいのだが、無いのだろうか。デューイ・レッドマンは息子のジョシュアより何万倍も野太く味のあるテナー吹きだと思っている(もっとも、最近のジョシュアを聴いていない)。彼の動く姿といえば、シャーリー・スコットが撮ったオーネット・コールマンの映画『Made in America』でしか観たことがない。そして実際に目の当りにする前に、残念なことに!、亡くなってしまった。


上海の莫干山路・M50(下) 蔡玉龍の「狂草」

2009-07-20 21:24:01 | 中国・台湾

割と入口が広めのギャラリー「莫干山99工作室」では、蔡玉龍(ツァイ・ユーロン)による書の展示がなされていた。一見、何だこれはというごりっとした違和感に襲われる。テーブルには日本語のチラシもあり、どうやら今年4月に青山で個展を行ったばかりのようだ。


日本語チラシの一部

書でありながら、葡萄のようで、藤棚から垂れる藤のようで、また窓に付いた雨露のようだ。しかも、「Buddist Monk」というシリーズでは、一筆書のような背中を向けた仏僧が真ん中下にあまりにも場違いに描かれている。もの凄い求心力なのだ。素晴らしい作品に出会うと、眼が悦び、心臓が跳ねるような気持ちになるが、まさにそれだった。

行きつ戻りつして何度も観ていると、書家または画家である蔡玉龍氏がニコニコしながら出てきて、感想を求められた(多分)。こちらは中国語が話せないし向こうは英語が話せない。秘書の女性を介して、お茶を飲みながら英語で話をした。

藤を思わせるねと印象を述べたところ、実は一連の作品は、日常的に眼にしていたヘチマ(同じつる性の植物)からインスピレーションを得たのだとはね返ってきた。これらは「狂草」というスタイルを受け継いでいると自認しており、王義之の模倣から脱却した唐時代の奔放な書家の流れにある。氏はもともと画家であり、この書も中国人であっても読めるようなものではないという。唐時代のさまざまな書も見せてもらった。

突然ちょっと待っていてくれと姿を消したと思ったら、しばらくして、作品集に筆で署名をして贈ってくれた。話し続けながらそれを観ていると、ジャクソン・ポロックを思わせる作風の作品も掲載されている。確かにさっき、自分は「表現主義」なのだと言っていた。ただポロックの名前を出すと(中国語ではポにアクセントを置いて「ポロクー」と呼ぶように思った)、確かに自分もドリッピングの手法を使ってはいるが、あれはアメリカ人だから違う、とのことだった。

凄い存在を見つけてしまった気分だ。


作品集「狂草九潤」


藤のような書


「Buddist Monk」シリーズの絵柄に近い


ドリッピングによる作品


書をいただいた


陸川『南京!南京!』

2009-07-20 01:01:02 | 中国・台湾

南京大虐殺を描いた、陸川『南京!南京』(2009年)が、中国ではもうDVDになっている。上海市内の書店では、15元(200円程度)だった。日本ではまだ公開の予定がないようで、以前の『靖国』騒動も影響しているのだろう。

日本軍による民間人虐殺、強制的な慰安婦化、レイプなどが描かれている。話の大筋は報道されていた通りだが、映画としての出来とディテールの描写は予想を上回っていた。日本軍のひとりは、民間人を殺してしまったことに動揺しつつも次第に麻痺してゆき、慰安婦に恋をし、そして最後には贖罪のため自殺に到る。中国に行くたびに、どこかのテレビドラマに必ず「悪い日本人の軍人」が登場するのを見てしまうが、そういったものと比べれば、映画は遥かにその日本人を人間的で、繊細で、良心的な存在として描いている。

これが今年公開されたことの政治的な意味を分析してみる意見がある。プロパガンダ映画だと括る見方もある。ただ、史実としてはこのようなものだろうな、という感想だ。もちろん観る価値は大きい。

何か反応があるとすれば、「30万人」という数字が取り上げられるのだろう。数字だけの正確性を云々して、全体の信頼性に疑いがあるかのような見せ方をする方法であり、最近では、教科書検定に抗議して沖縄で開かれた集会の動員数について、同様のせこい批判がなされていたことが想起される。

第2次天安門事件でも、死者数の見解にずれがあった。これに関して、加々美光行『現代中国の黎明』(学陽書房、1990年)では、次のように述べている。

「このような論争に過度に偏することは、南京虐殺の死者の数について侃々諤々の議論をするのと同様に、事件の渦中に置かれた者の真の悲劇性をほとんど考慮しない、きわめて独善的な議論になりやすい。人の死は本来、数字や数値で測りうるものでないという当然の認識が、そこでは欠落している。
 実際にみずからの眼前で人が弾丸に倒れ、息絶えるのを目撃し、あるいはその介護にあたってその流血で我が身を赤くぬらした人にとっては、その種の惨状が引き起こされたという事実だけで胸張り裂ける怒りを禁じえない。だから、死者の数の多少によって事件の犯罪性がいささかも減じるわけではないのだ。
 事件の悲劇性を明らかにすることが目的であるならば、数字や数値はごく一部の真実しか伝えはしないということを心に銘じて、分析にあたるべきである。まして、どれほどの客観的な根拠があるかも判然としないような証拠をあげて死者の数値をことあげし、自分の分析の優秀性を誇るようなやり方は、事件を何らかの政治的意図によってフレーム・アップしようとするものであるか、あるいは事件を食い物にする研究者・ジャーナリストの低劣な意図にもとづくものでしかない。」

●参照
盧溝橋・中国人民抗日戦争記念館
平頂山事件とは何だったのか
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波


加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波

2009-07-18 09:43:29 | 中国・台湾

昨晩、アジア記者クラブの主催による、イラン大統領選挙についての勉強会に参加してきた。それで「金曜礼拝」に注目すべきとのことで、今朝の朝刊を読むと、ラフサンジャニ元大統領がアハマディネジャド大統領の再選結果にはっきり異議を表明したということ。米国の介入を含め、嫌な展開にならなければよいけれど。

一昨日大阪梅田の地下にある古書店「萬字屋」に立ち寄って見つけた、加々美光行『現代中国の黎明 天安門事件と新しい知性の台頭』(学陽書房、1990年)。チベットやウイグルと中国共産党イデオロギーとの関連を丹念に追った『中国の民族問題』(岩波現代文庫、2008年)の著者が、第2次天安門事件(1989年)の直後に検証したものである。事件から20年が経つ(ちょうどインフルエンザの流行のため、私は20年目という節目に天安門広場に立つことができなかった)。

事件の前に民主化を進めようとして失脚し、最後の賭けに出て死んでしまった胡耀邦。あとを追うように失脚した趙紫陽。権力の中心にいた鄧小平。いまや全員鬼籍に入っているが、彼らの動きがどんなものだったのか、改めて把握したかったので、読みかけの本を脇にどけて早速読んだ。

天安門事件というひとつのカタストロフが、国家権力の一枚岩と民主化勢力との衝突という単純なものではなかったことを、本書は非常によく示している。共産党統治だけではなく軍統治の問題であり、鄧小平が軍の力を背景に実質支配していたこと。軍の内部に亀裂があり、クーデターさえ起きかねなかったこと。そして共産党や軍の世代として、革命世代、文革の紅衛兵世代、ポスト紅衛兵世代と分けてみた場合に性向が大きく異なること。

特に世代論に関しては興味深いものがある。革命でも文革でも、それぞれ2000万人程度の死者を出したと言われている。毛沢東や周恩来とつながる革命世代の鄧小平は、89年、「われわれは2000万人以上の党員の命を犠牲にした。それなのに、どうしてこの山河を簡単に他人に引き渡せようか」、そして天安門の弾圧に際して「10万や20万ぐらいの犠牲は大したことはない」と語ったという。これに対して、やはり「政治的暴力が人びとを虫けらのように殺すものだということを実感をもって知っている」紅衛兵世代は、革命に勝利したのでなく裏切られた世代であり、「革命の名によって正当化された政治的暴力を否定するようになった」のだとする。さらにそのような背景を持たない世代。

著者は暗に、世代交代に期待を持っているようだ。本書は江沢民の登場までを追っている。外部から民主化の力として働いたゴルバチョフ(胡耀邦はゴルバチョフから大いに刺激を受けていた)にも期待を寄せている。だが、ゴルバチョフはソ連クーデターにより失脚し、中国ではいまだチベットやウイグルの支配において暴力的な形をとらずにはいられない状況が続いている。『中国の民族問題』で論じられたように、民族自決権を階級闘争と捉えていることの問題と違うようだが、根は勿論同じである。

今日の『東京新聞』(2009/7/18)によれば、ウイグル問題が昨年のチベット暴動に比べて国際的な反応が鈍いのは、ウイグルの位置付けが「米国の対テロ戦」に便乗したものになっているからだ、という。それでは、中国と奇妙な呉越同舟になっている米国は、何を仕掛けているのだろう。

本書では、民主活動家の劉暁波の登場の様子を描いてもいる。劉暁波は、中国の悪い面での伝統文化を極端に批判したのであり、それはアンバランスであったと本書では評価している。だが、いまだ劉暁波は自宅拘束され、最近(2009/6/23)では中国共産党の一党独裁を批判する『08憲章』を発表した件で逮捕されている。いまと20年前とを比較してみて、本質的に何が異なるのか。

●参照 加々美光行『中国の民族問題』


王子と大阪と北海道と福岡の粉もん

2009-07-16 22:19:49 | 食べ物飲み物

最近の粉もん与太話。

■王子「ロワンモンターニュ」のパンが旨い

昨日、王子の「北とぴあ」で講演したついでに、王子駅近くの「ロワンモンターニュ」というパン屋(>> リンク)に寄った。『アーバンライフ・メトロ』という地下鉄で配布している雑誌に、王子特集があって思い出したのだ。白神山地で採取した天然酵母と、北海道産の小麦を使っていることを売りにしている。ためしに、全粒粉を使ったパンにマカダミアナッツを詰めた「森の木の実」、それから「男のガーリックパン」、「クランベリーミルク」を買って帰り、夕食にした。

どれも本当に旨い。とくに「森の木の実」を手で割るとマカダミアナッツがごろごろと雪崩のようにこぼれてくるのには吃驚する。

■大阪伊丹空港から自宅まで「いか焼き」を鞄に入れて帰った

今日は大阪まで所用があって出かけたのだが、帰りが夕食には早い中途半端な時間だったので、伊丹空港の「たこ坊」で持ち帰り用の「いか焼き」を買った。ときどき鞄を開けると、ソースの匂いが鼻腔をくすぐり嬉しかったが、他の人の鼻腔も同時にくすぐっていたとしたら迷惑な話だ。帰宅してすぐに食べた。当たり前に旨かった。もちろん誉め言葉である。

■福岡の「博多通りもん」も旨かった

ちょっと前、所用で福岡に遠出したお土産に、定番の「博多通りもん」をお土産に持ち帰った。旨かったが、もう味を忘れてしまった(笑)。こういった、ふわふわした饅頭は、仙台の「萩の月」の方が好みだ。

■北海道・六花亭の「マルセイバターサンド」がやっぱり一番

自分の中でのお土産王者は(出場者が少ないが)、ずっと六花亭の「マルセイバターサンド」なのだ。お土産と言いつつ、自分も同じように食べることを念頭に買ってしまう。冷蔵庫で冷やすともう絶品。

先月札幌に所用で出向いた際、「マルセイビスケット」という新商品が出ていた。勢いでこれも確保してほくほく帰ったが、あくまで普通に旨い味だった。やはり「マルセイバターサンド」。


ジョー・マクフィーの映像『列車と河:音楽の旅』

2009-07-15 23:51:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

サックスもトランペットも吹く異才ジョー・マクフィーが、ドミニク・デュヴァル(ベース)、ジェイ・ローゼン(ドラムス)と組んだ「トリオX」の映像がDVD『The Train & the River: A Musical Odyssey』(CIMP、2007年)として出ている。私はebayでPALフォーマットのものを入手したが、ジャケット裏にはNTSCと両方書いてあって、ペンでNTSCの方が塗りつぶされているので、ひょっとしたら両方あるのかもしれない。番号がCIMPVIEW 10001だから、おそらくCIMPレーベルの出した最初のDVDだろう。

ライヴ映像を期待していたのだが、実際には半分くらいはマクフィーがぺらぺら喋っている。ただ、人によっては何を言っているかわかりにくい英語も(フレッド・アンダーソンとかヴォン・フリーマンとか・・・)、マクフィーのはわかりやすい。それに「ストーリーテラー」だと自ら言うように、語りの内容はとても面白いものだった。

My Funny Valentine」の演奏からはじまる。ここで、トリオの3人が、それぞれ列車や河の記憶を語り、人生、音楽に結び付けてみたりする。ローゼンがライン川の美しさを語り、デュヴァルが旅をスクラップブックに例えてみはするものの、多分、このテーマはマクフィーの主導だろうと思える。少年時代に先生に引率されて見た列車のエンジンのこと。旅は音楽と同じように明確なはじまりと終わりがないこと。河は創造の源であること。そういった想像を、ジミー・ジェフリーに会って思い切って話してみたこと。なるほど、本人の自負する通りの「ストーリーテラー」で、「ロマンチスト」だ。

演奏はオーネット・コールマンの「Lonely Woman」になる。オーネット・コールマンがデイヴィッド・アイゼンソン、チャールズ・モフェットとのトリオで演奏旅行に出る記録フィルムがあるが、それを意識したのだろうか。同じように石畳の道(リトアニアのヴィリニュスらしい)を3人で歩くのである。オーネットの時代と異なるのは、3人ともデジカメを持ってあちこちを撮影しまくっていることだ。自分たちのライヴを宣伝するポスターも楽しそうに撮っている。そして、影響を受けた音楽家たちについて話し続ける。

ジャズとの最初の大きな出会いは、マイルズ・デイヴィス『Bag's Groove』であり、それでトランペットを始めたのだという。それからオーネット・コールマンの初期の諸作、アンソニー・ブラクストン『For Alto』。肉声の拡張という意味でのテナーサックスとして、ジョン・コルトレーンアルバート・アイラーパブロ・カザルスのバッハ独奏。

マクフィーは即興音楽についての捉え方にもうるさい。「アヴァンギャルド」ってスタイルの呼び名だろ?「フリー・ミュージック」って、意味がわからないだろう?というように。「フリーダム」から連想はマックス・ローチに至り、与太話は「まあ、『Tomorrow is the Question』だな(オーネット・コールマンの初期作品)」とまとめて3人でげらげら笑っている。

前後して、「God Bless the Child」も演奏している(ああ、ビリー・ホリデイの死後50年が経とうとしている!)。どの演奏でも、ベースもドラムスもリズムを刻むなどということはなく、自在な表現をしている。小さいホールでの演奏で、これを聴けたら嬉しいだろう。本人は、カーネギー・ホールで演奏することはまず無いし、メジャー・レーベルからCDが出てオカネを一杯稼ぐということも無い、などと語っているが、こちらにとってはウィントン・マルサリスの音楽などより何倍も魅力があるというものだ。

●参照 ジョー・マクフィーとポール・ニルセン-ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』


上海の莫干山路・M50(中)

2009-07-14 23:18:29 | 中国・台湾

日本でもおそらくそうなのだろうとは思うが、同じ意匠での作品群を延々と並べ、それがあたかも自分の個性であると見せている作家は少なくない。もし長い年月をかけて試行錯誤し、そこに辿りついたのなら、それなりの迫力はにじみ出ようというものだ。しかしそうでなければ、ただの学生の勘違いだ。

Attasit Pokpong (紅果村画廊

Attasit Pokpongという名前が本名なのか、何人なにかまったくわからない。同様の、青白く不機嫌な顔と赤い唇、髪、背景。いってみればモノカルチャーだ。

邱?賢(キュウ・シェンシャン) (Outstanding Art >> リンク

ここに到って、同じタイプ(不気味な顔、京劇、宮廷など)のグロテスクな組み合わせが、グッズにも印刷され販売されているのを発見し、あきれ果ててしまう。こんな資本主義、消費文化の後追いなど見たくないというものだ。

スタニスワフ・レム『ソラリス』を思い出した。ソラリスの海の上を飛行していた男が、海や雲や霧が有機的なコロイドと化して、巨大な赤ん坊の表情となるのを目撃する。しかし、眼や口や鼻が表情を形作るものとして動いていなかったため、極めて気色悪いものに見えた。

これは米国のような(いい意味でも悪い意味でも)無邪気な資本主義ではない。資本主義の偽装だ。

鐡哥們 (>> リンク

成長しきっていない醜く肥大化した自意識を見せられるくらいなら、このような職人の工房のほうがはるかにすがすがしい。ボルト、ナットやネジ、針金、網などからオブジェを作り出すところである。サックス人形なんかは思わず欲しくなってしまった。作家性は希薄だけれども。

杜賽勁(ドゥ・サイジン) (ギャラリー名が書いていない一室)

浮浪者、老人、労働者といった人々を、誇張したような毒々しい色使いで過度にリアルに描いている。白い空間を活かしているのが特徴。アクリル絵具だろうか。複製写真に厚紙のマットを付けてたくさん売っていたので、小さいサイズのを1枚手にいれた。

雪国の華/Essence of the Snow Country (M50創意空間など)

北海道のアーティストたちが何人かで展示を行っていた。会場が分かれていて、片方だけを観た。旭川の「Conde House」や札幌の「家具工房」など、端正でミニマルな感じの長椅子が置いてあって、展示とは思わずに腰掛けそうになった。このきっちりさとすべすべ感、日本だなとつい思ってしまう。

印象に残った絵は、仙庭宣之による空港や飛行機から見る風景の作品群。ディテールは塗り込められている。古いVHSの3倍モードの録画のようだ。夢の世界か。

それから、高幹雄による肉色の塊の絵。これも夢の世界での生々しさ。それに表面にぼってりとニスが塗ってあり、こんな形でのニスの色っぽさをはじめて見せられたような気がする。日本で個展でもやらないかな。

拾原味/TEN ORIGINAL FLAVORS (新波画廊 >> リンク

タイトルの通り、10人のアーティストによる作品群。そんなに大きなギャラリーでもないので1人あたりの作品は2、3点と少ない。だが、3人の気になる画家を見つけた。

田野(ティアン・イェ)は、黒いアクリル絵具を墨のように使い、粗く平行にざっざっと描いていきながら形を作り出すスタイルのようだ。「迷霧」と題された作品では、今にも嵐が吹き荒れそうな暗く低い空の下、カテドラルが崩れそうに立っている。『オーメン』を思い出してしまった。

何欣(ヘ・シン)は、宴席でのオッサンや娼婦の生態を、戯画として描いている。仕事の途中であれば、自分がこの中にいてもおかしくはない(娼婦はともかく)。ドイツのキルヒナーなどのように憎しみを持った辛辣さではない。グロテスクではあっても牧歌的で、ボテロを想起させる。

郭昊(グォ・ハォ)は、雪や靄のけぶる中に見える列車をいくつも描いている。光の滲みが写真的であり、ノスタルジックでダイナミック。悪くない。旅に出たくなるね。

(続く)


『亡命ロシア料理』によるビーフストロガノフ

2009-07-14 00:16:45 | 北アジア・中央アジア

先日、数人で神保町にある「ろしあ亭」のロシア料理を食べたときのこと。ボルシチの赤はビーツの色なんだと言って、記者のDさんが、P・ワイリ/A・ゲニス『亡命ロシア料理』(未知谷、原著1987年)を貸してくれた。

米国に亡命した2人の著者が書いたこの本は、レシピ集でもあり、超辛口のエッセイでもある。頑固かつ柔軟、パラノイアかつ大雑把。ハンバーガーなどの米国ジャンクフードを罵倒し、丁寧に作る料理の旨さを手を尽くして表現しようとしている。しかし時にはクロスボーダーとなる。

何だか妙に面白く、そのうち実際に使おうと思っていた。チャンスは日曜日に訪れた(というほどの大袈裟な話でもないが)。ああ、昼は「白いビーフストロガノフ」にしようと決めた。もう6年くらい前、友人宅でロシア帰りの夫が供してくれたのも、まさにこの「白いビーフストロガノフ」だった。

5人分の材料は、牛もも肉1kg(多い!)、小麦粉、玉葱、マッシュルーム、牛乳、サワークリーム、バター、マスタード、砂糖、塩、黒胡椒、油。肉を塊ではなく切り落としにしたのはまあいいとして、近くのスーパーに売っているマッシュルームはやけに高いので、日和ってしめじにした。もうこの段階で、「亡命ロシア料理」失格である。ただ、そのマッシュルームに対する思いもずいぶんと屈折している。

「革命前のロシアでは、キノコは1年に1人当たり50キログラムも消費されていた。が、いまや、モスクワの市場ではキノコ1個が1ルーブルもする。これで、わが祖国の精神的衰退は説明できるというものだ。」

「残念ながら、アメリカでキノコといえば、いつもマッシュルームだ。ただし、ここで困ったことは、「いつも」という言葉のほうであって、マッシュルーム自体は何も悪くない。マッシュルームは、それを生んだフランス文化みたいに、誘惑的で派手である(もっとも、当のフランス人は、ロシアのヤマドリタケや、いまや純潔のように希少なものになってしまったトリフの方が好きだというが)。」

ただ、著者によれば、サワークリーム(スメタナ)こそがロシア料理の特徴なのだそうだ。表紙の写真にも、いちいちサワークリームがかかっている。これまで自分では使ったことがなかったが、無事スーパーで捕獲した。

「これは、フランス人のところではバターであり、イタリア人とスペイン人のところではオリーブ・オイルであり、ドイツ人とウクライナ人のところではラードであり、ルーマニア人とモルダヴィア人のところではヒマワリ油である。ロシア料理で、こういった主たる潤滑剤となっているのは、スメタナなのだ。」

さて作ってみると、本当にいい加減なレシピだ。肉は間違えたのではないかというくらい多いし、バターや砂糖をどのように投入するかが書かれていない。しかし、すでに肉やキノコのチョイスで道を踏み外しているので、もう拘らない。

牛肉好きの自分にはとても旨いものになった。子どもたちもおかわりしてくれた。ただ全部食べたら身体がおかしくなりそうなので、半分方は冷凍にまわした。

次は、酒井啓子『イラクは食べる』や、ジャズのレシピ集という奇書『Jazz Cooks』を使って実験してみなければ・・・・・・。

●参照 酒井啓子『イラクは食べる』


上海の莫干山路・M50(上)

2009-07-13 00:47:19 | 中国・台湾

北京に「798芸術区」があるように、上海莫干山路という通りには無数のギャラリーがあり、「M50」と称している。先週、空いた時間に脚を運んだ。

青年芸術家連展 (M ART CENTER >> リンク

タイトルの通り、20代、30代の何人ものアーティストたちによる作品を紹介している。いつものことだが、大勢での展示は玉石混交、しかも歩き始めたばかりで気分の余裕がないため、琴線に触れるものがあまりない。その中でも、袁侃(カン・ユアン)という彫刻家による運動的な作品は(いまどき未来派風でもあり)良かった。


袁侃

ここで、番をしていた人に、写真のギャラリーに行きたいのだけど、と尋ねたところ、一杯あるけど・・・と言いつつも3か所の推薦をしてくれた。そのうち2か所(M97、EPSITE)を後で見つけた。

孫驥(スン・ジ)+陸軍(ルー・ジュン) (M97 >> リンク

孫驥(スン・ジ)の「Memory City」と題された作品群は、建築写真のコラージュだ。魔都上海の雰囲気はあれど浅いという第一印象。ただ大きなプリントはそれだけで複層都市の迫力を持ち、また取り壊し対象を意味する「」という印が描かれた建物が組込まれており、壊れゆくイメージを孕んでいる点に好感を持った。


孫驥

陸軍(ルー・ジュン)の作品群は「Photografic Ink and Wash」と題されている。デカルコマニーのような効果や写真をどのように取り込んでいるのかわからないが、コンピュータ処理だろう。現代的な水墨画だ。


陸軍

他の写真家による作品も少しずつ展示されている。なかでも、雪が積もった中国の道路脇、電柱の下に2人が座り込み、その横で花火が燃えているインスタレーションを撮った蔣志(ジャン・ツィ)の作品が良かった。風景がいかにも中国で移動しているときに見るもので、そこに人工的で野蛮な光が無理やり入ってくることにはかなりインパクトがある。


蔣志

クリス・レイニアー (EPSITE

米国の写真家レイニアーが、非西洋文明の地を巡って撮った作品群。エプサイトは新宿にもあるが、エプソンがインクジェットプリンターの能力をアピールするという目的もあるから、ここでも当然インクジェット。デジタルはどうしても「色気」がないように感じられ、マリ共和国やアンコールワットなど訪れてみたいところの写真があっても気分が盛り上がらない。ただ、そのような地でのピンホール写真もあり、これはユニークな出来栄えだった。

クリストファー・テイラー (Ofoto Gallery >> リンク

テイラーは英国の写真家。幼少時に壁に貼ってあった写真から中国への興味を持った、と言っているように、スタンスは外部からの訪問者のそれだ。関係してかどうか、<もの>の表面やディテールやマッスを凝視するまなざしには共感した。銀塩プリントは素晴らしい。

以前に北京でも観た、ロバート・ファン・デア・ヒルストのセルフポートレートもあった。

(続く)


ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』、クリストのドキュ、キース・ジャレットのグルジェフ集

2009-07-12 18:41:25 | ヨーロッパ

ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』(1979年)は、G.I.グルジェフの思想を映画化したという興味はもとより、ピーター・バラカンが「存在理由を追い求める男の物語といったらクサそうだけど、とにかく内容も演技も撮影も美しい映画だ」(『ミュージック捜査線』、新潮文庫、1993年)と書いていたこともあって、随分と観たかった映画である。グルジェフの自伝を読むのとあわせて、その気になってネット上で調べたら、簡単に安いレンタル落ち品を入手できた。もう人気がないのかな。

冒頭に、「20年おきに行われる」音楽のコンテストの場面がある。音楽家たちが集まり、自分の音楽をそれぞれ披露する。大きな岩山に音楽が共鳴した者が、もっとも優れた音楽家とみなされる。笛や弦楽器などのあと、ホーミーのような倍音を響かせる歌い手の声が、何度もこだまする。原作にはない場面であり、楽器や奏法への興味も含めて素晴らしい導入部である。

その後は、「サルムング」という秘教集団の存在を探し当て、僧院に到達するまでのビルドゥングスロマンである。ひとつひとつのエピソードは原作のピックアップだから、「神はいまどこで何をしておられるか」という問いに対する奇妙な議論の場面など、映画だけを鑑賞していたのではよくわからないに違いない。原作を読んで笑ってしまった、「砂嵐を避けるために長い竹馬に乗る」場面も採用されているが、いかにも中途半端だ。

ただ、最後の僧院での舞踏には眼を奪われる。これもグルジェフから発展したワークスの成果なのだろうか。また、ロケがアフガニスタンで行われた風景も素晴らしい。

そこかしこに特筆すべき要素があり、映画としても評価したい。しかし、グルジェフ的にどうか? 「サルムング」の高僧が、辿りついたばかりのグルジェフに対し、「狼と羊とを同時にあわせ持つのだ」と説く。原作では冒頭にグルジェフが書いている表現であり、ピーター・ブルックもこのメッセージを発信したかったに違いないが、ならば映画全体をもっと内省的にしてもよかったはずだ。

自らに試練を課し、現実的な障壁を現実的に解決し、絶えず頭と身体を機能させる、といったグルジェフ的なあり方からいえば、たまたまではあるが、上海からの帰り便で観たクリストのドキュのほうがむしろそのような成果だ。

『ランニング・フェンス』(1976年)は、カリフォルニアの牧草地帯にナイロン製のカーテンを40kmも這わせるという、クリストのプロジェクト遂行のプロセスを記録したものだ。「あんなものはアートではない」という地元の反対を説得し続けるクリストの姿は感動的ですらある。

なお、これも以前から機会があれば観たいなと思っていた作品だが、こんな旧作のドキュをプログラムに加えるとは、ANAの担当者の趣味も悪くない。もっとも、映画の開始時間が決められていた昔とは違い、オンデマンド・多プログラム化したために、旧作のソフトに声がかかっているとも言うことができる。

ところで、キース・ジャレットもグルジェフ作品をソロピアノとして記録している。『祈り~グルジェフの世界』(ECM、1980年)であり、時期的にはピーター・ブルックの映画と同じだ。西側の人間がグルジェフを求めた、という時代性のことを忘れるわけにはいかない。

「あり方」がグルジェフであり、音楽だけを取り出して評価するということは難しい、という意見がある(>> 山谷慎一『キース・ジャレットとグルジェフ ── 「音」の彼方ですれ違うもの』)。実際、他のキースのソロ・ピアノとは性質が大きくことなっており、『ケルン・コンサート』で見せたような過度なセンチメンタリズムや『ヴィエナ・コンサート』で見せたような抑制の愉悦はない。淡々と<ワークス>を実施しており、しかもそれが音楽のみという、危うさがある。ただ、奇妙な魅力がある作品である。

●参照 G.I.グルジェフ『注目すべき人々との出会い』


ジョン・ウー『レッドクリフ』

2009-07-11 22:33:41 | 中国・台湾

杭州への飛行機で、ジョン・ウー『レッドクリフ Part II』(『赤壁(下)』)を観ることができた。そのつもりで、直前にテレビ放送された前編を観ていたので、準備万端である。最近の中国映画の大作といえばワイヤーワークやCGのアクション満載のスペクタクルばかりで、<映画的>なものが希薄だとケチをつけたくもなるが、面白いものは面白い。

上海の書店に入ったら、DVDが15元(200円くらい)で売っていたので入手した(ただし日本と異なるPALフォーマット)。あとで仕事のついでに、DVDが安いねという話題をすると、海賊版なら3元だと言っていた。なお、空港では50元以上で売られている。以前はそれを見て、ああ安いんだなと感じていたのだったが。

『三国志』のひとつの目玉、「赤壁の戦い」を描いた連作である。曹操、劉備、孫権、孔明、周瑜をはじめ多くの人物それぞれの個性を際立たせた群像劇であり、戦いの終結までを飽きさせずに展開するのはジョン・ウーの手腕か。少なくともアクションにおいては、『男たちの挽歌』『フェイス/オフ』でみせたのと同様に子どもの命を大事にするシーンがあったりとひたすら多彩。

ところで、伴野朗『中国歴史散歩』(集英社、1994年)では、『中華医学雑誌』に掲載された、李友松という医者による説を紹介している。それは、

「曹操軍の赤壁での敗北は、兵士たちが長江流域に蔓延する風土病にかかっていたためであり、あまりに死者が多いので曹操は自ら船団を焼き、撤退したというのが真相である。」

というものだ。この風土病は「山風蠱(さんふうこ)」という長江流域にある急性吸血虫病であった。孫権・劉備軍は地元であるから比較的免疫があった、ということだ。

実際、本作でも曹操(ところで英語字幕では「Cao Cao」とされている)の軍に百人以上の伝染病による死者が出て、相手方にも感染させるべく死体を筏で届ける、という場面がある。もっとも寄生虫病と伝染病とでは異なるわけだが、『三国志演義』や吉川版ではどのように語られているのだろう。(私は三国志トーシロである。)

曹操については、周瑜の妻を幼少時から想い続けていたり、故郷に残してきた病弱の息子を思い出したりと、人間味のある悪役としての描写が印象的である。また、兵士たちに、勝ったら故郷の家族たちが払う税金を3年間免除してやろうと約束する。

これは蠣波護『中国(上)』(朝日新聞社、1992年)の受け売りだが、このような税に関する政策は曹操政権のあみだしたもので、あとに続く諸王朝に継承されている。

「屯田には軍屯と民屯とがあり、軍屯はすでに前漢時代から長城付近に大軍を駐屯させる際などに行われていたが、曹操は軍屯だけでなく内地での民屯をも奨励した。戦乱で荒廃して主がいなくなった田地を政府の管理に移し、そこに流民や貧民を招いて耕作させ、収穫の5割ないし6割もの高い地代を徴収した。」
「『三国志演義』では、劉備と諸葛孔明が善玉、曹操が悪玉として叙述されている。しかし、現実の曹操は、よく部下を心服させ、時勢の行方を洞察した指導者であった。」