Sightsong

自縄自縛日記

アミナ・クローディン・マイヤーズ『Jumping in the Sugar Bowl』

2013-02-28 00:25:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

アミナ・クローディン・マイヤーズ『Jumping in the Sugar Bowl』(Minor Music、1984年)を中古CDの棚で見つけて確保した。昔、人に貸したまま返ってこなかったCDなのだ。400円だった。

Amina Claudine Myers (p, vo, org)
Reggie Nicholson (per, vo)
Thomas Palmer (b)

アミナ・クローディン・マイヤーズのピアノは、常にそう表現されていることだが、確かにゴスペル的で、和音のパターンや、極端にジャンプしないメロディーラインや、リフレインなどがそう思わせるのではないかと思える。

ところが、ここでは、どうも感覚が異なるベーシスト、ドラマーとトリオを組んでいる点がおかしな効果を生んでいて、面白い。1曲目ではエレキベースが早いビートを刻むなか、アミナのヴォイスとピアノがかち合う。時折、ドラムスも自己を主張していて、それがまた愉快。

そして、最後の6曲目になると、待ってましたと言いたくなるように、オルガンを弾く。これも当然というべきか、さらにゴスペル的。アミナは良いなあ。来日してくれないかな。

●参照
アミナ・クローディン・マイヤーズのベッシー・スミス集
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『LUGANO 1993』(アミナ参加)
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75(アミナ参加)
ヘンリー・スレッギル(8) ラップ/ヴォイス(アミナ参加)


伊佐眞一『伊波普猷批判序説』

2013-02-26 23:09:15 | 沖縄

伊佐眞一『伊波普猷批判序説』(影書房、2007年)を読む。

「沖縄学の父」と呼ばれる伊波普猷。リベラルなイメージ、沖縄が抑圧から解放されることを希求したというイメージを持つ伊波だが、それは、明の部分のイメージに過ぎないものであった。本書は、そのような世評とは正反対に位置する伊波の考えを、露わにしようとするものである。

著者によれば、伊波が高く評価するものは、あくまでネーションであり、ピープルではなかった。そのため、ネーションを持った琉球よりも、持たなかったアイヌを低く評価した。また、強いネーションがその版図を拡げていくことを、歴史的必然のように捉えていた。そのため、台湾も、韓国も、中国も、南方も、一段低い存在とみなし、侵略を続ける軍国日本を称揚した。

さらには、島津藩や明治政府に侵略・併合される琉球王国さえも、皇国日本という強いネーションに同化するのであるから、良しとしたのである。ここには、弱き者がその立ち位置のみを強き者の場所に置くという、ねじれの構造がある。当然ながら、伊波が確立しようとした「日琉同祖論」も、同根だというわけである。

この自らの属する共同体の姿を、やはり日本に併合された韓国に投影した結果、どうなったか。李氏朝鮮末期から日本の支配に協力した政治家・李完用を、伊波は高く評価していた。しかしそれは、敗戦までのことであった。解放後の韓国では、李は売国奴として弾劾されることとなり、期を同じくして、伊波の著作からも李への言及は姿を消すことになったのであった。そして、伊波の言辞・言説そのものが、戦後、変貌することとなった。

伊波の大きすぎるほどの業績と併せて、視野に入れておくべき側面ではあろう。

●参照
伊波普猷『古琉球』
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
村井紀『南島イデオロギーの発生』
柳田國男『海南小記』
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
高良勉『魂振り』
小熊英二『単一民族神話の起源』
鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』


2013年2月、バリ島

2013-02-26 00:58:42 | 東南アジア

二回目のバリ島。例によって時間はほとんどない。


空飛ぶ女性


入口


断崖と寺


断崖と地層


断崖と溶岩


紙皿のお供え

すべて Minolta TC-1、Superia 400

●参照
2013年2月、ジャカルタ
2012年11月、バリ島とL島とP島
2012年9月、ジャカルタ
2012年7月、インドネシアのN島(1) 漁、マングローブ、シダ
2012年7月、インドネシアのN島(2) 海辺
2012年7月、インドネシアのN島(3) 蟹の幾何学、通過儀礼
2012年7月、インドネシアのN島(4) 豚、干魚、鶏


ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』

2013-02-24 21:20:48 | 思想・文学

ジャカルタ行きの飛行機で、ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール 殺人・狂気・エクリチュール』(河出文庫、原著1973年)を読みはじめ、滞在先で読了した。

19世紀、フランス。農民ピエール・リヴィエールが、母、妹、弟を鉈で惨殺する事件が起きる。尊敬する父が迫害されていることに我慢できなくなっての凶行であった。彼は森の中を逃亡したのちに逮捕され、死刑判決を受ける。そののち、恩赦によって無期懲役に減刑され、獄中で自殺する。

本書の前半部は、事件の訴訟関連資料であり、後半部において、ミシェル・フーコーを中心とするチームの各氏が、事件に関する論考を展開している。

事件そのものは戦慄すべきものではあるが、凶悪犯罪が次々に発生するいまでは、前半部を、週刊誌的な記事として読んでしまう。ところが、証人たちの供述、本人の驚くべき理知的な供述、新聞報道、法医学鑑定、裁判長の報告など、ドキュメントによって、その言説が微妙に異なってくることに、否応なく気付かされる。彼は本当に「狂気」の状態にあったのか、ならば罪に問うためにはどうすればよいのか、追求されているのは罪そのものではなく、罪を犯す彼の存在なのではないのか、といった点が、見え隠れしてくるわけである。

そのあたりが、後半部の論考において、暴かれていく。

歴史的には、18世紀末のフランス革命を境に、もはや暴君でさえ不可侵ではなくなる。起きてしまった以上、それは続いて起こりうる。「死の祭典」も、当然、起こりうる。

それよりも、フーコーが『監獄の誕生』で明らかにしたように、18世紀において大転換した処罰の形が、ここにあらわれている。すなわち、「それを為したこと」に対する処罰ではなく、「それを為すであろう者」に対する監視である。ピエールに関する言説も、後者を形作るようにシフトしていく。曰く、彼は小さい頃から残虐で、独りで妄想を抱く癖がありました。しかし、幼少時に独り遊びをしない者があるだろうか、というわけである。

これは、まさに現代の犯罪に向けられるまなざしにつながっている。凶悪犯罪や奇妙な犯罪の容疑者が逮捕されるたびに、この人は猫が好きだったのです、この人の部屋には異常な性癖を示すヴィデオがありました、などと報道されることに、恐怖を抱いてしまうのは、自分だけではあるまい。

そして、ピエールの犯罪は、秩序維持のためでもあった。上からの取り決めを唯唯諾諾と守り、貧しさに甘んじる「善人」の父。ピエールは父を尊敬し、農民の貧しさを作り出す近代秩序としての契約を乱暴に破る母を憎んだ。近代の国家権力の形は、ピエールの中に内部化され、生権力と化していたのである。 ここに来て、サスペンスドラマのような善悪は、裏にも表にもくるくると転換し続ける。

 

 

なお、本書の原題と同じタイトルの『私ピエール・リヴィエールは、私の母と妹と弟を殺しました』(1976年)という映画では、事件が起きた村に住む人びとが主要人物を演じたという。また、その30年後に、同じ村を訪れて映画の記憶を持つ人びとを撮った、『かつて、ノルマンディーで』(2007年)というドキュメンタリー映画もある。ぜひ観たい。

●参照
ミシェル・フーコー『知の考古学』
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
ジル・ドゥルーズ『フーコー』
桜井哲夫『フーコー 知と権力』


チュ・チャンミン『王になった男』

2013-02-24 04:22:29 | 韓国・朝鮮

機内で、チュ・チャンミン『王になった男』(2012年)を観る。

李氏朝鮮の第15代国王・光海君の物語。

彼は政敵に毒を盛られ、その回復の間、代役が擁立される。その影武者は、遊郭の道化師だった。光海君は豊臣秀吉の朝鮮侵攻に抗して武勲を挙げた人物であり、その際に得た胸の傷が、真贋を見極める証拠になる。

本人と贋者というだけでなく、このふたりには、重厚と剽軽、権力者と民衆、邪と義といった対照的な側面があり、それを、イ・ビョンホンがとても巧く演じる。笑顔や眼に情が溢れている。

それから、威厳がありながらも、次第に影武者に情を移していく側近役のリュ・ソンリョンの演技も良かった(『カエル少年失踪殺人事件』(>> リンク)での大学教授の役が印象深い)。

あとで調べてみると、この物語ののち、光海君はクーデターで江華島に追放され、最後は済州島でその生涯を終えている。江華島、済州島ともに、李氏朝鮮時代には流刑地だった。

●参照
パク・チャヌク『JSA』(イ・ビョンホン出演)
イ・ギュマン『カエル少年失踪殺人事件』(リュ・ソンリョン出演)


ドン・デリーロとデイヴィッド・クローネンバーグの『コズモポリス』

2013-02-23 17:59:03 | 北米

ドン・デリーロ『コズモポリス』(新潮文庫、原著2003年)は、自ら率先して破滅していく若い金持ちの物語である。

実業家の「彼」は、資本主義システムの中を知的に泳ぎ、富豪となった男。ひたすら長いリムジンに乗り、ネットを通じてオカネを操り、欲しいものをすべて手に入れる。マーク・ロスコの絵を買わないかと持ちかけられると、逆に、ロスコ・チャペルをわがものにしようとさえする男である。

あるとき、「彼」は、散髪に行きたくなり、リムジンで街の反対側へと出かける。その過程で、日本円に投資しすぎて自社を潰し、なぜか自分のボディーガードを殺し、丸腰で危険地帯の床屋に辿りつき、果ては、自分の命を狙うスラム街の男のもとへ乗り込んでいく。

すべては、身体感覚が欠如していた世界にあって、それを希求してのことであった。すべてが情報としてフラットかつ過剰であれば、踏み入ってはいけない領域も、身体的・感覚的な閾値としてではなく、ただの情報として得られているのみ。そのようなものは破るのが身体感覚の反乱というものだ。従って、愛人には護身用のスタンガンを試すよう頼み、通りがかった映画撮影に全裸でもぐりこみ、全財産を失うリスクを承知しながら投資し、そして、自分の命をも身体感覚のために差しだす。

現代社会のカリカチュアかもしれないが、もはや、現代社会がカリカチュアそのものなのであり、なかなかの感覚だ。

この小説は、ポール・オースターに捧げられている。その一方で、オースターも、『最後の物たちの国で』(>> リンク)や『リヴァイアサン』を、デリーロに捧げている。なるほど、暴力や虚無のなかに足を踏み外してしまいそうな世界の形成は、オースターのものでもある。

この作品が、デイヴィッド・クローネンバーグによって映画化されている(2012年)。ジャカルタ行きの機内で、日本公開前に観ることができた。

リムジンに乗って物語が進んでいくロード・ムーヴィーとは、奇しくも、レオス・カラックス『ホーリー・モータース』(2012年)(>> リンク)と共通している。2012年はリムジン・ロード・ムーヴィー元年か。

映画では、破滅の物語をかいつまんで巧くまとめている。しかも、クローネンバーグ独特の奇妙なモノ感覚がある。リムジンの中から見える外界は、ドライに分割されすぎていて、まさに只の情報そのものだ。次々に現れる人物たちも、やはり、代替可能な情報である。この寄るべなさこそが、デリーロの「米国」あるいは「資本主義」なのだろう。

小説から映画まで10年近くの時間差があるが、それでも、デリーロの作品が「昔の未来小説」になっていないのはさすがである。一方、投資対象が日本円から中国人民元に変えられているのは妥当なところか。小説にあった「全裸のシーン」は、狂気と身体感覚の復権とを象徴しているように思われるだけに、映画にも入れてほしかったところ。

途中で、「彼」がファンだという、スーフィー教徒のラッパーが亡くなるというエピソードがある。映画では、確かに、白装束のスーフィー教徒が機械的に手を直角に掲げてくるくる回る場面が再現されている。ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』(1979年)(>> リンク)以外に、このような場面が挿入された映画があるだろうか?

●参照
ポール・オースター『最後の物たちの国で』(ドン・デリーロに捧げられている)
ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』、クリストのドキュ、キース・ジャレットのグルジェフ集 
レオス・カラックス『ホーリー・モータース』


フィリップ・ファラルドー『ぼくたちのムッシュ・ラザール』

2013-02-23 13:52:59 | 北米

ジャカルタからバリ島に向う機内で、フィリップ・ファラルドー『ぼくたちのムッシュ・ラザール』(2011年)を観始めたのだが、1時間の時差のことを忘れていて、途中で切れてしまった。気持ち悪い思いをしていたところ、帰りのバリ島からシンガポールへの帰路でもプログラムに入っていて、ようやく最後まで見届けた。しかし、シンガポール航空のモニターはかなり悪く、英語字幕をなかなか判読できなかった。もう一度しっかり観たい。

カナダ・モントリオール(カナダ・ケベック州ゆえ、フランス語)。小学校の女性教師が突然教室で首を吊った。それを目撃したふたりを含め、子どもたちは心のバランスを失ってしまう。そこに、求人を見て応募してきた男ラザール。授業でバルザックを使い、子どもに「prehistoricだ」などと反発されるなど、奇妙な授業を行うが、次第にとけ込んでいく。

しかし、自殺した前任教師についての話はタブーだった。問題を正面から取り上げ、子どもたちと一緒に乗り越えようとすると、保守的な教師たちに回避するよう迫られた。「君は移民だから微妙な問題が解らないんだよ」とまで言われて。ラザールは、内戦後のアルジェリアで家族を殺され、移民としてカナダに来たばかりなのだった。

ラザールや、彼に共感する教師や、子どもたちの心の機微が丁寧に示された映画。

先日のアルジェリアにおけるテロ事件では、犯人グループにカナダ人が参加していたと報道されている。移民を簡単に許すからだとの言説も目立っている。しかし、そのような排外主義的な力は、丁寧に、解きほぐされていかなければならないのだろうと思う。

●参照
寒くて写真を撮らなかったモントリオール
岸上伸啓『イヌイット』(多くのイヌイットもモントリオールに住む)


りんたろう『銀河鉄道999』

2013-02-23 13:22:48 | アート・映画

ジャカルタ行きの機内で、りんたろう『銀河鉄道999』(1979年)を、懐かしさのあまり観てしまった。

小学生のとき、教師の机の中に何枚もあった赤・黒二色刷りの割引券をもらって、山口県小野田市(現・山陽小野田市)のセメント町にあった映画館に観に行った。確か『スーパーマン』との2本立てだった。もう、あの映画館もないんだろうね。

もはや、母親が「機械伯爵」に殺される場面と、最後にメーテルが鉄郎にキスをする場面しか覚えていなかった。あらためて、これは男性優位の冒険譚(たとえ、クイーン・エメラルダスが活躍するとしても)であり、人間賛歌だったのだな、などと思った。

鉄郎の冒険が終わり、少年時代に訣別し、ゴダイゴによるテーマ曲が流れはじめると、隠しようもなく感動がこみあげてきた。これは何かな。刷りこみかな。

●参照
ゴダイゴの「銀河鉄道999」
りんたろう『よなよなペンギン』


『Stan Getz & Bill Evans』

2013-02-18 22:24:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

ここのところ、『Stan Getz & Bill Evans』(Verve、1964年)をよく聴いている。何を今さら、いやいや、凄いものは永遠に凄い。

Stan Getz (ts)
Bill Evans (p)
Ron Carter (b)
Richard Davis (b)
Elvin Jones (ds)

文字通りのオールスター・セッション。勿論、ビル・エヴァンスも、エルヴィン・ジョーンズも、自分の個性を噴出させている。

しかし、ここでは、スタン・ゲッツの光を受けて脇役にまわっているような印象がある。独特の自由なタイム感、ふわりと浮くようなテナーの音色。レスター・ヤング然り、旭富士然り、金城龍彦然り、得体の知れない「なで肩の天才」にたまに接すると、やはり驚いてしまうものである。ところで、ゲッツは「イヤな奴だった」という話は本当なのかな。

明日から、またジャカルタとバリ。


汪暉『世界史のなかの中国』(2)

2013-02-18 00:59:57 | 中国・台湾

汪暉『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』(青土社、2011年)を読んだのはちょうど1年前。

特に、第三部(チベット)における言説について、驚きと違和感とを感じていた。驚きとは、チベットが欧米の夢として位置づけられ続けてきた<幻視>であったということ。異和感とは、チベットを含め、中国政府の異民族支配を批判の対象とせず、その批判こそが西欧流の民族国家観、国境観に毒されたものだと言わんばかりの勢いのことだった。

この時代にあって、なおあまりにも広い版図を支配しようとする上で、<天下>という概念を方便として使っているように思えてならなかったのである。<天下>概念においては、国境で囲まれる範囲を統治する国家観は希薄であり、よりファジーに、同じ価値観を共有する世界のヒエラルキー構造が成立する。そのひとつの形が、朝貢関係ということになる。

孫崎享・編『検証 尖閣問題』(岩波書店、2012年)(>> リンク)においても、天児慧氏が、前近代では明確な国境観念がなかったため、尖閣諸島が日中のどちらに領有されていたのかを資料から追うことには限界があるといった発言をしている。また、白石隆、ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』(中公新書、2012年)(>> リンク)では、もはやかつてのように、同じ価値観を共有することを前提とした中国のヘゲモニーはありえないのだと論じている。

『情況』2012年新年号において、汪暉『世界史のなかの中国』についての座談会が行われている。そこでの、丸川哲史氏の発言は面白いものだった。

すなわち、19世紀末から、西欧や日本が中国を自版図に組み込んでいくために、朝貢システム(天下)ではなく、近代の国際秩序たる万国公法(西洋帝国主義)を利用しはじめる。そのあらわれが、日本の台湾出兵の正当化であり、琉球処分の正当化であった。中国では、新たなシステムへの切り替えがまだなされておらず、やがて<翻訳>として取り入れていくことになった。それが、あちこちでねじれを生んだ。また、<翻訳>は、曖昧なものを同一化し、極端化や暴力への転化を生んだ、と。

なるほど、そうかもしれない。そして、<翻訳>の歴史が不可逆であり、もはやかつてのシステムに戻ることはないのだろう、とも納得する。

伊波普猷『古琉球』(>> リンク)が発表されるのが1911年、これさえも、中国国内での辛亥革命、すなわち、新システムでの民族という概念の発動に、触発されたものだとする。日琉同祖論も、近代の賜物であった。

丸川氏の論考については、その先がよくわからない。陳光興『脱帝国』では、このように東西の間で(不幸な形で)機能してきた<翻訳>を、アジア人同士(非欧米圏内同士)のコミュニケーションへと転化させたい、との論が展開されているという。

どういうことなのだろう。

●参照
汪暉『世界史のなかの中国』


ラースロー・リスカイ『カルロス 沈黙のテロリスト』

2013-02-17 00:30:14 | ヨーロッパ

ラースロー・リスカイ『カルロス 沈黙のテロリスト』(徳馬書店、原著1992年)を読む。

著者はハンガリー人ジャーナリスト。国際テロリスト・カルロスは、ブダペストを拠点のひとつとしていた。勿論それは、ハンガリーが社会主義陣営の国だったからであり、カルロスは、資本主義国家を敵としていたからである。

本書を読むと、若い頃には社会主義や革命へのロマンチシズムに溢れていたカルロスも(その雰囲気は、オリヴィエ・アサイヤス『カルロス』にうまく描かれている)、やがて、カネで雇われるテロリストに堕していく様子がわかる。資金源は、カダフィ大佐のリビア、チャウシェスクのルーマニア、サダム・フセインのイラクなど様々であった。カダフィは、カルロスの提案する米国レーガン大統領暗殺計画を現実味がないとして退け、また、エジプトのサダト大統領暗殺についても話し合っていたという(それを実行に移す前に、別の者により暗殺されてしまう)。

しかし、そのようなことよりも、カルロスのような危険極まりないテロリストを、複数の国が抱えていたという構造が成り立っていたということに、驚かされてしまう。

社会主義・共産主義国家といっても、当然、一枚岩ではない。ハンガリーは、ルーマニアにおいてハンガリー系住民が抑圧されていることへの不満を抱いており、テロリストがルーマニアに行くことを警戒していた。軋轢は、東ドイツ、ソ連、キューバなどを含め、それぞれの間にあった。そして、西側諸国との関係も、冷戦中であっても、敵対一辺倒ではなかったため、テロリストにおかしな動きをされても困った。しかし、テロリストを単に自国から締めだして、自国が標的になるようなことは避けなければならない。そのような、緊張がうみだす間隙があったからこそ、カルロスは泳ぎ続けることができたのだと思える。

冷戦が終わり、ハンガリーでもカルロスに関する機密文書が公開され、そしてカルロスは本書が書かれた直後に逮捕されている。世界は変わった。それでも、テロは形を変えて存在し続けており、テロに向き合う態度もずいぶんと様変わりしている。その変貌がいかなるものであったのか、把握したいところだ。

●参照
オリヴィエ・アサイヤス『カルロス』


白石隆、ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』

2013-02-12 23:49:07 | 中国・台湾

白石隆、ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか 21世紀の新地域システム』(中公新書、2012年)を読む。

中国が急速に大国化していることは、誰もが知っている。懸念も反発もある。しかし、それでは、東アジアがどのように変容していくのか、実は、共有されるイメージなど、まだ形成されていないのではないか。多くの者が視るものは、変化の彼方の世界ではなく、その時点での顕著なベクトルであったり、そこから次々にあらわれる衝撃波であったりに過ぎないからだ。

本書では、まず、東南アジアの国々における経済的・政治的な現象の動向を分析し、また、中国が外部において実施している経済的拡大の方法をみる(典型的には、ひも付き援助)。次に、歴史的に中国が世界のなかで置かれてきた位置を説く。さらには、民族の拡散がみられるマージナルな場所における言語的な現象をみる。

その結果提示される結論は、かつてのように、「天下」世界の再現はならないだろうということだ。国境というボーダーが極めてファジーなもので、かつ、同じ価値を共有するヒエラルキーが形成される「天下」(たとえば、朝貢関係など)。しかし、もはや、そのような形のヘゲモニーはありえない、というのが、著者の見立てである。

実際に、東南アジア諸国では、状況の違いこそあれ、それぞれが帰属する経済システムや生産ネットワークの間での「押し引き」が行われており、どの断面でも、さまざまな価値判断と利害が見える。権力のネットワークは、中心を持たない、あるいは、多数の中心を持つのである。

そして、決定的なことに、中国をとりまくマージナルな場所では、英語が大きな価値をもつ。中国という世界の拡大ではなく、既に、外部に接続する形態は異なった形となっている。

なるほど、と、半分は納得する。しかし、日本が地域秩序の中で潰れていかないための方策は、軽挙妄動せず日米安保を維持し、東アジア・アジア太平洋の枠組による地域的ルール作りを推進することだ、という結論には、肩透かしをくらったような気分にさせられる。新たな政治力学・経済力学をゲームのように弄んでいるのではないか。

●参照
白石隆『海の帝国』
汪暉『世界史のなかの中国』
加々美光行『中国の民族問題』
加々美光行『裸の共和国』
天児慧『中国・アジア・日本』
『世界』の特集「巨大な隣人・中国とともに生きる」
『情況』の、「現代中国論」特集
堀江則雄『ユーラシア胎動』
L・ヤーコブソン+D・ノックス『中国の新しい対外政策』
国分良成編『中国は、いま』
ダイヤモンドと東洋経済の中国特集
竹内実『中国という世界』


久高島の映像(6) 『乾いた沖縄』

2013-02-12 07:54:39 | 沖縄

坐・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルでは、森口豁さんが手掛けた『乾いた沖縄』(1963年)を、観ることができた。

場所は沖縄本島からほど近い久高島。当時の人口が600人だというナレーションがある。3年後の1966年に行われた神事・イザイホーのときも600人、12年後の最後のイザイホーのとき370人、現在200人。

久高島は琉球開闢神話の島であり、大人の女性はすべて神に仕える。従って、このドキュに登場する女性たちも、子どもを除き、すべて神女である。

しかし、その神女たちが、大変な苦役を強いられている。何しろ水がない。4本の井戸はほとんど枯れ果てた。それでも、生きていくために、夜は井戸の底に残ったわずかな水を行列を作って汲み、ほとんど寝る間もなく、昼は畑仕事や道の整備を行う。男性たちは、出稼ぎに出てしまっている。

この苦役だけを執拗に撮る映像である。ナレーションは、徹頭徹尾、水。飢え。乾き。そして老女の顔のクローズアップ。対象を絞り切っているのか、あるいはもとより絞られた対象しかないのか、ここには世界を伝えんとする凄みがある。

「沖縄本島から水が来た。
水が来た。
しかし、わずかな水だった。
1日1人2ガロン。
喉の乾きは癒るだろう。だが島の乾きはどうする。
枯れたきびは、芋は、もう生き返りはしない。」

ところで、パンフレットには、このドキュメンタリーが黒島で撮られたのだとある。これは、同じ年に撮られた『水と風』のことではなかろうか。


森口豁『復帰願望:昭和の中のオキナワ 森口豁ドキュメンタリー作品集』より

●参照
森口豁『沖縄 こころの軌跡 1958~1987』
森口豁『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』
森口豁『アメリカ世の記憶』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
森口カフェ 沖縄の十八歳
久高島の映像(1) 1966年のイザイホー
久高島の映像(2) 1978年のイザイホー
久高島の映像(3) 現在の姿『久高オデッセイ』
久高島の映像(4) 『豚の報い』
久高島の映像(5) 『イザイホー~沖縄の神女たち~』
吉本隆明『南島論』
久高島の猫小(マヤーグヮ)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』、八重山で演奏された齋藤徹『パナリ』


『標的の村 ~国に訴えられた東村・高江の住民たち~』

2013-02-12 01:00:26 | 沖縄

坐・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル最終日。沖縄県東村の高江で起きている事実を描いたドキュメンタリー『標的の村 ~国に訴えられた東村・高江の住民たち~』(2012年、琉球朝日放送、三上智恵ディレクター)を観た。

沖縄県北部の貴重な亜熱帯林・やんばるには、米軍のジャングル訓練センターがある。ベトナム戦争を意識した森林地帯でのゲリラ戦を訓練するための場所であり、地域では、サバイバル訓練中の若いグリーンベレーが迷い出てくるとか、腹を空かして食べ物を乞うてくるといった話をよく聞く。

ジャングル訓練センターの一部の面積は沖縄に返還される予定ではあるが、それと引き換えに、新規ヘリパッドの建設準備が強引に進められている。しかも、東村の小さな集落・高江を取り囲むように。このヘリパッドが新型輸送機オスプレイを使った訓練のためのものであることは、前々からわかっていたことだが、日本政府は、それを最近まで認めようとしなかった。

住民無視の計画を止めるには、座り込みしかなかった。しかし、国(沖縄防衛局)は、座り込みのメンバーを、通行妨害の禁止を求めて訴えた。いわゆるSLAPP裁判、つまり、公共の場で権利を主張する者に対する、圧倒的な権力を有する側による恫喝的手法である。地裁では、その仮処分対象をふたりからひとりに絞った。控訴審はまだその途中である。

ドキュメンタリーでは、そのあたりの経緯を示す。強引に工事を進めようとする沖縄防衛局、怒りを抑えながら対峙する住民たち。

オスプレイ搬入強行となり、2012年9月、住民たちは、普天間基地の全ゲートを封鎖する(>> リンク)。そこでは、警官隊による剥き出しの暴力があらわとなった。近代民主主義国家とはとても呼ぶことができない姿であった。

行動と言葉でぶつかりあう住民も、警官も、メディアも、沖縄県民なのだった。米国の楔は、国家間だけではなく、国家の中にも打ちこまれていた。

怖ろしいことに、ジャングル訓練センターでは、かつて、高江の住民たちをベトナム人に化けさせ、ベトコンを想定しての攻撃訓練をしていたのだった。それを知る住民は、ベトナム風に模した家を「ベトナム屋小(ベトナムやーぐゎー)」と呼んでいたよと証言する。また、ベトナム戦争に運ぶ枯葉剤を、ここでも使っていた。住民たちは枯葉剤を浴びていた。当時も今も、攻撃や戦略の対象としてしか視ないアジアの田舎に打ちこんだ楔かもしれない。

オスプレイは普天間基地に搬入され、やんばるにも飛ぶようになった。住民たちは、いまだ高江での抵抗を続けている。

上映後、三上ディレクターが壇上で話をした。高江は、日米両政府が沖縄を欺き続けてきたことの象徴だが、「本土」はもとより、沖縄県内でも人びとの視線に晒されることはないのだ、と。また、原発と同様に、国家権力が弱いところに何をするのか、うかうかしていると誰もが加害者になってしまうということに注意しなければならないのだ、と。

実際に、高江の問題が全国放送で流されたことはほとんどない。わたしの知る限り、それは、2010年に姜尚中が高江を訪れたときの「サンデー・フロントライン」(テレビ朝日、2010/8/15)がはじめてのことで(>> リンク)、それに2年半遡る『NNNドキュメント'08  音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008/1/28)(>> リンク)では、正面から扱うことの限界を示すものだった。その後も、全国的な高江報道はほとんどなされていないと思う。

会場で、元NHKの永田浩三さんにお逢いして、これが何故だろうかという話をしたところ、報道する側の自粛や保守化もあるのではないか、と言っておられた。その意味で、琉球朝日放送のなかでも独自のスタンスを取り続けている三上ディレクターの仕事は、素晴らしいものだと思った。

>> 『標的の村』

●参照
2010年8月、高江
高江・辺野古訪問記(1) 高江(2007年)
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
ヘリパッドいらない東京集会
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
「やんばるの森を守ろう!米軍ヘリパッド建設を止めよう!!」集会  
東村高江のことを考えていよう(2007年7月、枯葉剤報道)
『米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?』
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
高野孟『沖縄に海兵隊はいらない!』
宮城康博・屋良朝博『普天間を封鎖した4日間』
10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会(オスプレイ阻止)
オスプレイの危険性(2)
オスプレイの危険性
6.15沖縄意見広告運動報告集会
オスプレイの模型